第68話:バスルームスイートキス

 脱衣所に置いてある宮本さんが用意してくれた水着に目がとまり思わず手に取った。履いて楓さんと混浴したのを思い出して頭が煩悩の渦に飲み込まれる。


「ダメだ! またあの日と同じことが起きるなんて期待したらダメだ!」


 ぶんぶんと首を振り、手にした水着を棚へ戻そうとするがふと思いなおす。楓さんはダウンしているから入ってくることはないと思う。けれど楓さんが奇襲を仕掛けてきたらどうする? 住み始めた時は浴室の鍵を閉めていたが今では侵入してこないと信じているのと、万が一風呂場で何かあった時に鍵をしていては危険ということで解放している。


「常に最悪の事態を想定して行動する。なら水着は履いておくべきか……」


 そう自分を納得させて俺は水着を着用して風呂に入ることにした。それに寝る前に控えているホワイトデーのプレゼントを贈るという重大作戦を前に精神統一が必要だ。心配事があってはまとまる考えもまとまらない。


 さっとシャワーを浴びて身体を洗い流し、髪を洗っていざ入浴。顔にお湯で濡らしたタオルを被せてリラックス。はぁ。癒されるぅ。


 ガチャリ。


 どのくらいの時間だろう。あまりの心地良さに俺の意識は夢の中に旅立っていた。夢うつつのまどろみの中で聞こえてきたのは誰かが風呂場に入ってくるリアルな音。


「聞いてくださいよ、勇也君。秋穂ちゃんたら本当にしつこかったんですよ? 勇也君をいつから好きになったのかと勇也君になんて告白されたのかとかファーストキスはどんな味だったとか……酷いと思いませんか?」

「それは酷いね。告白の言葉は自分の中だけに留めておきたよなぁ。なんて告白したんだって伸二から聞かれたら嫌だなぁ」


 シャワーで身体を流す音に負けないくらいの声量で楓さんが話を続ける。


「そうですよね! だから私も、秋穂ちゃんはどうなの!? って聞き返したんです。そしたら何て言ったと思いますか? 秋穂ちゃんてば顔を真っ赤にして『それは秘密だよぉ』って言ってはぐらかしたんですよ!? 自分は言わないのに私には言わそうとするんです!」

「それは酷い話だなぁ。人に聞くから自分もちゃんと答えないとフェアじゃないよな」


 シャワーの音が止む。ポシャンと湯船に来客が訪れた。そのお客様は俺の身体にピトッと抱き着いてきた。なんでだよ!? 頭に被せていたタオルを剥がすと、目に飛び込んできたのは案の定楓さん(スク水着用)だった。


「かかか、楓さん!? なんで風呂に入ってきているのさ!?」

「だって、勇也君がいつまで経ってもお風呂から出てこないので心配で……そしたらとてもリラックスされていたのでならば私も一緒にと。いけませんでしたか?」


 いけなくはないけどね。それに水着を着てくれている。でも楓さん。コアラさんのように俺に正面向いて抱き着くのはやめてくれないかな? その、色々当たってまずいことになってます。具体的に言えば双丘が密着しすぎてむにゅぅって潰れています。すごく、気持ちいいです。


「いいじゃないですか。私は勇也君ともっとぎゅーってしたいんです。それに……キスも……したいです」


 熱い吐息を吐きながら楓さんが唇を重ねてきた。玄関で何度もしたのに飽きることないバードキス。軽くて浅い、互いの思いを伝えあうキスの雨。でも、風呂場の熱気とお互い生まれたままの姿に近いということもあって昂りはいつも以上。いや、むしろ楓さんは完全にタガが外れていた。


「ゆうやくん……ゆうやくん……」


 息荒く、俺の名前を甘く蕩けた声で呟きながら楓さんは子犬のように舌をチロリと見せる。桜色をした柔からそうなその舌を、俺は自身の口で包み込み、優しく舌を絡ませていく。楓さんの舌は思った通り餅のように柔らかくて、信じられないくらい甘くて美味しい。


「はぁぅ……ゆうやくん……好きです。大好き……」

「大好きだよ、楓さん」


 ぴちゃぴちゃと唾液が絡む音。俺と楓さんの荒くて甘い息遣いが静寂な風呂場の中で反響し、それがまた脳をどろどろに溶かしていく。何も考えられなくなるくらい幸せだ。


 どれくらいキスをしていただろうか。互いの舌が溶けて一つになるのではないか。そう錯覚するくらい長い時間、深く唇を重ねていた。だがさすがに息が続かなくなって離れたが、その瞬間にキラキラと透明な糸が垂れたのが行為の甘さを象徴していた。


「はぁ……はぁ……ふぅ……なんて言うんでしょうか。すごく、気持ちよかったです」

「……俺も。すごく気持ちよかった。でもこれはダメだね……」


 鳥のようなキスも、この深海のようなキスも、一度味わってしまえば忘れられない禁断の果実だ。またしたい。また楓さんの舌を、唾液を、思う存分味わいたい。そう脳が訴えてくる。


「どうしてダメなんですか? あぁ、確かにお風呂でこの体勢でするのはダメですね。だって勇也君の……そのあたxt―――」

「だぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁ!!!??? 言わせるかぁぁぁぁぁぁあ!! というかごめんさなぁぁあぁあい!!」


 楓さんが耳元で照れながら囁くのを俺は絶叫することでストップさせる。そして勢いそのままにコアラさん抱っこで引っ付いている楓さんを剥がしてくるりと回転させながら対面へと追いやり、俺は風呂場からとんずらした。


 こんなの興奮しないほうがおかしいんだよ! ただ普通にコアラさん抱っこならここまではならなかったのに! 現に前回は全然問題なかったんだ! せめて水着を履いていれば! いや、履いていても無理か。


 ホワイトデーのプレゼントを渡したいのに、恥ずかしくて楓さんの顔を見れる不安になってきた。

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