4話 嫌な予感

「待ちなよグレンさん! 気持ちは分かるが落ち着いて」

「!!」

 

 ギルドマスターが慌てた様子で二人の間に割って入った――するとグレンは舌打ちをしてネロを思い切り放り出す。開放されたはいいものの壁に体を叩きつけられたネロは起き上がれず、ゲホゲホと咳き込みながらグレンを睨んだ。どこに睨む資格があるんだ。

 

「ああっ、もう! たまんないよねえ~急にキレ出すんだもの、頭おかしいよぉ。こんなくらいの冗談も笑ってかわせないなんてさ、大人じゃないんだよねえ!」


 でっぷりと重たい身体を持ち上げてようやくネロは立ち上がり、またヘラヘラ笑う。すげえ、何の言葉も通じねえ。

 グレンは血が滲みそうなくらいに拳を握りしめ肩を震わせている――。


「やだなあ、暴力行為に及んだ上にその目。怖い怖い……お兄さん、闇落ち予備軍? ……いや、案外この赤眼男のお仲間だったりして!? ハハッ」

「……!」


 ネロはニヤケ顔で、鼻息をフガフガさせながら手配書を指差し大声を上げる。

 フザケまくった暴言に言葉も出ない。黒魔術を使った人間は心が歪むらしいが、このオッサンの周りには黒魔術的な動物の魂は視えない。素でこれってことだ。

 明確な悪意があった分、前会ったアーテという女の方がマシにすら思える。

 

「うるさい!! 頭おかしいのはお前だ!!」


 尚も減らず口を叩くネロのケツをギルドマスターが蹴り上げ、ネロは「ギャンっ」みたいな間抜けな悲鳴を上げた。


(うわ……!)


「もういい、出禁だ!! 二度と来るな、人でなしが!!」


 思い切り蹴られたネロはケツを抑えながら「もうここでなんか仕事してやらないからね!」なんて捨て台詞を吐いて出ていった。



 ――ネロが遁走とんそうしたあと。

 ギルドマスターは大憤慨しながら事務の女性に「あいつはブラックリスト入りだ、よそのギルドに手配してくれ」なんて言っている。

 あの人は普段は穏やかな気のいいおっちゃんだ。それをこんな怒らせるなんて一種の才能だな――褒めてる場合じゃねえけど。

 ――いや、いや、そんなことよりも。

 

「あ……」

 

 ふと見ると、天井を飛び回っていたウィルがグレンの肩に止まっていた。グレンの顔を見ながらチチチと鳴いて首をかしげまくっている。

『今の男ひどかったな、大丈夫か』――そんなところだろうか。

 それを見て毒気が抜けたのか、グレンは目を伏せて、本当に少しだけ笑った。

 ――正直、助かる。オレ一人だったら、アイツに近寄ることも言葉をかけることもできなかっただろう。

 

「グレンさん、大丈夫かい」

 オレより前にギルドマスターがグレンに声を掛けた。修羅場に慣れているのか、さすが冷静だ。

 ああ、こういう時のためにギルドマスターは屈強な戦士なんだ。それをこんな形で思い知るとは……イヤ過ぎる教訓だ。できれば知りたくなかった。

 

「すまない、マスター。報告があったんだが今日は……また、明日出直す」

「そうか。いいよ別に」

「じゃあ」

「おい、グレン……」

「ジャミル君も、騒ぎを起こして悪かった。じゃあ、また」

「あ……」

 

 グレンがギルドを出ていく。

 ヤツの肩に止まっていたウィルがこっちに戻ってきて「放っておいていいのか」とばかりにオレの周りを飛び回る。

 いいはずがない……はずがないが、オレに何ができる――。

 

「グレン!!」

 

 考える間が惜しい。ギルドを飛び出し、足早に去ろうとするグレンを呼び止める。

 さっきまでヤツの足元にいた黒い子供の影は消えていた。泣き声も今は聞こえない。

 アイツは何だったんだろう……けど今それはどうでもいい。

 ダッシュでグレンに追いつく。

 

「どうした?」

「あのさあ、今度来た時、何が食いたい? リクエストしてくれりゃ、何でも作るから」

「え……? 別に、なんでもいいぞ。俺は何でも食うし」

「ダメだ、『なんでもいい』じゃない! 好きな物を言えよ!!」

「……ジャミル?」

「あ……わりい……」

 

 思わず言葉を荒げてしまった。


「なんでもいい」「俺は何でも食う」――オレが砦にいた頃もしょっちゅうそう言っていた。

 オレはただ、大食いだから量が食えればそれでよくて味は二の次なんだとそう思っていた。全く意味を履き違えていた。

 ……アイツがこの前言っていた。

 孤児院では野菜のクズが浮いた水みたいなスープしかもらえず、行いが良ければ紫のだんごがもらえた、と。

 それは実際は麻薬スレスレの怪しい物体――それを欲しがって毎日祈っていた。

 飢えていたから、虫や草や生ゴミを食わないと生きられない環境にいたからこそ、何を食ってもうまいと思うんだろう。

 コイツ自身が作った消し炭のような料理だって捨てずに全部食っていたのも、自身の境遇からなのかもしれない。

 

「好きな物か。チョコレート……は、やっぱり駄目なんだろうな」

「主食じゃねえしな……でも、ベルに言っとく。お菓子係だしな」

「そうか」

「他の好きな物は? ……チョコ以外に好きな食べ物、決めろよ」

「好きな物を決める? よく分からないが……そうだな、肉かな」

「肉か。何の肉がいい?」

「どれもいいが、牛かな。分厚いやつ。あとカツ丼が食いたい」

「分かった。……逆に嫌いな食べ物は?」

「嫌いな食べ物か……基本的に俺は何でも食べるが」

「強いて言うなら」

「虫、ヘビ、ネズミ……食べるところが少ない、固くて臭い物が嫌いだ。カラスとか」

「…………そっか。分かった」

 

「それは食う物じゃない」と、いつもならツッコんでいるところだ。

 でもそれは、飢えたことのない人間の理屈――。

「毎回『うまい』『天才』って言われてもありがたみがない」なんて思って、実際そう言っていた自分を恥じた。

 

「ふ……」

「?」

 

 不意に、グレンが力なく笑った。

 そんなグレンを見てか、ウィルがオレの肩からグレンの肩に飛び移る。

 

「どうした……?」

「いや。……カイルといいお前といい……こういうことがあった時、なんで兄弟揃って俺にうまい物を食わせようとするんだろうと思って」

「……そりゃあ……カイルは知らねえけど、オレは食の神だし」

「そうか。……楽しみにしてる」


 そう言うとグレンは指でウィルの首元を撫でる。喜んでキュルキュルと鳴き声をあげるウィルを見て、グレンは少し笑った。


「……明日は休みだよな?」

「ああ」

「そっか。まあ、うまいもん食って寝ろよ」

「また、うまい物か……そうだな、そうする。じゃあ」

「ああ」

 

 グレンはきびすを返して去っていく。

 長く伸びているが、今はただの夕暮れ時の普通の影だ。

 ヘドロのような小さな影。子供のような姿の、黒い塊。あれは本当に何だったんだ。怒りの感情とかに反応して……グレンを闇に引きずり込もうとしているんだろうか?

 ああ、こんなことならルカにもうちょっと聞いてくればよかった。

 

 オレは闇堕ちしかかったのにアイツに言える言葉が何一つ見つからない。自分の中の問題が全部片付き、苦しかった記憶が薄れてすらいる。

 今ヤツの心に響くことを言えるのは、レイチェルだけだろう――それなのに、今週はいない。

 明日砦に行って、カイルに今日のことを言っておいた方がいいだろうか。

 こんなことの情報共有なんて何か見張りをしているみたいで気分がよくない。

 いつか、グレンがオレを見張って報告書をギルドに上げていたことを思い出す――アイツもあの時、こういう気分だったんだろう。

 

 ウィルはまたオレの肩に止まり、今度はオレを見上げて首をかしげている。

 不安がっているんだろうか。頭を指で撫でてやるとキュイキュイ鳴いて喜ぶ。

 

「……何もなければ、いいよな……」

 

 心がざわざわする。

 嫌な予感ばかりが、頭を駆け巡る――。

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