3話 小さな人影

「ジャミル……」

「ああ、ルカ。何だよ」

 

 砦で食材を切っていると、ルカに声を掛けられた。

 今週はレイチェルが試験で休みだからと、カイルとグレンとベルナデッタからヘルプを頼まれていた。


「聞きたいこと、が」

「オレに? ルカが??」


 何か、不安そうな顔をしている。食い物のことではなさそうだ――こういう表情を見せるようにもなったのか。

 

「ジャミルも、何か、えるって聞いた」

「ああ、それか。そうなんだよ、虫とか小動物の形の黒いヘドロみたいのが視えんだよなー。あの銀髪クモ女もベットベトでさぁ。あれ黒魔術っていうんだって?」

「……は、視えない?」

「ん? わりい、よく聞き取れなかっ……」

「グレンには、何か、視えない?」

「え……?」

 

 唐突な質問にオレは首をひねる。

 

「どういう意味だ? グレンに何か憑いてるのか? オレには何も視えないけどなあ」

 

 カイルとグレンが出かける前に顔を見たけど、特に何もくっついていなかった。

 アルノー曰く、黒魔術に使われた動物の魂的なものが視えるとその使い手から雑音が聞こえたりして不快ってことだから、自分が使ったってそうなるだろう。

 グレン自身が黒魔術使ったりなんかは考えられないが……。

 

「そう。……なら、いい」

「そうか? オレがあれこれ視えるのってオレの力じゃなくてコイツ……使い魔ウィルの力だからな、純粋な紋章使いとは視え方違うのかもな……雑音聞こえたりってのもねえし」

「そう……」


 ルカはそのまま目を伏せて、物憂げな表情のまま踵を返して去っていった。


「……?」

 

 ――グレンに何か視えるって何なんだろうか? カイルはこのこと知ってるんだろうか? 次会ったら聞いてみるかな?


 そんなようなことを考えながら料理の下ごしらえをあれこれして、その日は終わった。

 

 

 ◇

 

 

 翌日。

 酒場の仕事終わりに使いを頼まれ、数件先のギルドに手紙を持っていくことになった。

 

「ウイーッス、手紙だよ~」

「ああ、ありがとう」

「おっ、何貼ってんの?」

 

 ギルドマスターに手紙を渡しに行くと、ちょうど何かの紙を壁に貼り出しているところだった。依頼が貼ってある掲示板とは別の所に、写真つきの紙。

 大きい写真――その下に「200万Lリエール」と大きく書いてある。

 

「それ……手配書?」

「ああ、そうなんだ。ここ数年鳴りを潜めていたらしいんだけど、最近この辺りに出没するようになったって」

「赤眼……」

 

 写真の中の男は赤い眼をしていた。

 闇堕ちをした中で一番最悪のやつだと聞いた――オレもそうなるところだった。

 逮捕されるか、逃げればこうやって賞金首になってギルドに貼り出される……他人事とは思えない。

 

「コイツは、何したの」

「ああ……20人くらい殺ってるって話だ」

「20人……」

「噂じゃあノルデン人ばかりを殺してるらしいが……俺達も安全とは言えないからね」

「ノルデン人ばっか? でもコイツも――」

「ああ……なんでだろうな」

 

 男は黒髪のノルデン人。

 ノルデンは大災害で滅んだ国。大勢人が死んで、土地も腐り人が住めなくなったという。

 そんな中生き残った人間も全てを失った絶望から闇堕ちしたり赤眼になったり、そうでなくても略奪行為などをして近隣国のディオールや竜騎士団領では問題になっているらしいとカイルから聞いたことがある。

 この男は、なぜ同胞をるんだろう? 赤眼になるまでに、何があったんだろうか。

 20人も殺している人間に思いを馳せるのは間違っているかもしれないが――。

 

「ジャミル君?」

「ん? あっ、グレン」

 

 ボーッと手配書を見ていたら、グレンに声をかけられた。

 

「依頼取りにきたとか?」

「ああ。それと報告」

「ふーん……」

 

 パッと見た感じ、昨日ルカが言っていたような"何か"が視えるようなことはない。

 あのアーテという女が近づいてきた時みたいにウィルが騒ぐこともないし、気にするようなことでもないのか?

 ……そんな風に考えていた時のことだった。

 

「ちょっとぉ、なんでなのよー マスタ~」

「「!」」

 

 でかい間の抜けた声がギルドのホールに響く。

 見ると、40代くらいのオッサンがギルドマスターに何やら絡んでいた。緑色のローブを身にまとっている。多分回復術師だろう。

 

「あっ! あのオッサン……」

「どうした」

「や、アイツこの前うちの店出禁にしたヤツだ」

「出禁? 何をしたんだ」

「何をっていうか……うーん……説明難しいな。とにかく失礼で無神経で不愉快なんだよ」

「そうなのか。何かギルドマスターに絡んでるが、早く終わってくれるかな」

「どーだろ? つーか声でけぇなオッサン……全部聞こえてるぜ」

 

「――だから、あんたに頼む仕事はないんだよ、ネロさん。はっきり言うと評判悪いんだよあんた……依頼者からも苦情が来てる」

「え~? 私はちゃんと仕事をしてるのにあんまりだよぉ」

「ああ、仕事はしてる。でもあんた無礼がすぎるんだよ……回復術師なのに誰もあんたを入れたくないなんて前代未聞だよ。いい加減にしないと破門されるんじゃないか?」

「え~、破門だなんて大げさだよぉ。ああ、しょーがないな。別のギルドに行こう~っと」

「どこも一緒だと思うけどね……」

 

 ネロと呼ばれた僧侶の男は、頭をポリポリと掻きながら入り口のあるこちらの方へ歩いてくる。

 そのまま出ていくかと思いきや――。

 

「あっ、ねえねえお兄さん。パーティメンバー募集してない? 私、回復魔法得意なのよ、どうかなぁ?」

「え……?」

 

 あろうことかグレンに仲間入りの打診。

 今さっきのやりとりを見て入れてやろうと思うんだろうか?

 しかしネロはグレンの返答を待たずして言葉を続けた。

 

「ああっ、やっぱりやめとこうかなぁ……お兄さん、ノルデン人だもんねぇ。虫とか残飯とか雑草とか食わされちゃたまんないもん! ははは」

「……!!」

 

 ――急に何を言い出すんだ、このオッサンは。

 でもコイツが出禁にされた理由はまさにこういう所だった。

 誰彼構わずにタチの悪い"冗談"を言って相手を怒らせ……そして「冗談のつもりだったのに」と笑いながら逃げる。

 うちの店に来た時も、こんな風な冗談でパーティメンバーを激怒させて大喧嘩に発展――といってもネロのオッサンが一方的に殴られるだけだったが――そしてパーティを追放されていた。

 メンバーを不当に切ったらそのパーティはギルドにマークされたりするらしいが、「あのオッサンじゃ仕方がない」と同情される始末。

 そんなだから、ギルドマスターの言う通り「回復術師なのに誰も入れたくない」んだ。

 ていうか、なんで虫と草と残飯なんだ。どこから出てきた。

 食い扶持のないノルデン人の孤児がゴミを漁って食っていたらしいとか、そこからなのか……信じられない暴言だ。

 

「ちょっとネロさん!! あんたねえ、そういうとこだよ本当!」

 

 ギルドマスターがカウンターから出てきてネロに説教をかます。

 冒険者ギルドは「誰に対しても公平」を掲げている。

 個人間のやりとりには不干渉。こうやってマスターが口を挟んでくるということは、通常はまずない。

 つまりこのネロという男に対し、よほど腹に据えかねているということだろう。

 対してネロは、まるで他人事といった風にヘラヘラ笑っていた。

 

「え~~? ちょっとした冗談じゃないのぉ、笑いながら言ってるんだから分かるでしょうよ~」

「あんたは本当、人の"本気"が全っ然分からないんだな! 言っていいことと悪い事の区別がつかない!」

「いやいやいや、今も残飯とか虫とか食べてるんだったら冗談にならないけど、さすがに今はちゃんとしたもの食べてるでしょ?? だったらいいじゃな――」

「虫も残飯も草も、火を通せば大抵の物は食えますよ」

「へ?」

「毒が入っていなければ、食えます」

「グ、グレン」

「へ、いやいや、あの、ハハ……」

 

 思わぬ反応にネロは苦笑いしながらギルドマスターやオレや、周囲の人間の顔を順に見回す。が、誰も何も言わない。

 オレの肩に止まっていたウィルはピピピと鳴き声を上げながら天井辺りを落ち着きなく飛び始めた――今、目の前の男の静かな怒りを感じ取って怯えているんだろう。

 何よりオレ自身が恐ろしいと思っているんだから当然だ。


 グレンはネロに歩み寄り胸ぐらを掴んだ。その顔には表情がない――が、目には怒りが滲んでいる。

 胸ぐらをつかまれたネロは「ぐへぇ」なんて汚いうめき声を上げている。

 

「う……うう、ぐ……」

「……『虫や雑草や残飯は食えない』というのは、飢えたことのない人間の理屈だ。こっちはそれが『通常食うものじゃない』なんて認識もない。ただあるものを、食っていただけ……何が、悪い……」

「グ、グレン……!」

 

 まずい、まずい、まずすぎる。

 本気で怒っているどころか、殺気まで感じてぞわりと寒気がする。


「!?」


 ――そう感じたと同時に、グレンの足元に黒いヘドロのようなものがまつわりついていくのが視えた。

 

(なんだ、あれは……!?)

 

 ルカが言っていたヤツだろうか?

 いや――それより何より、あのヘドロに見覚えがあった。

 オレが闇の剣に取り憑かれていた時に見た幻――黒いぬかるみの中心に自分が立っていて、ヘドロが自分の体にまとわり付く。そして目の前では過去の嫌な出来事が、嘘と真実がないまぜになって繰り返し流れ続ける……それは闇に堕ちる、一歩手前のこと。

 グレンの足元のヘドロはやがてヤツの影に溶け込み、小さい人の姿を取りヤツのももあたりに抱きつく。

 小さい人……子供のように見える。

 

 ――ど、う、して。

 

(えっ……?)

 

 ――どう、して、どう……して……。

 

(声が……!)


 子供のような声が聞こえる。

 あのヘドロが放った声か? 周りの人間は揉み合いになっているネロとグレンを見てはいるが、子供の姿をしたあの黒いモノに気づいている様子はない。


 ――グレンは自分で気付いてないのか? 今、オレだけが認識できているのか。


 全く正体が分からない。だが、これだけは分かる。

 あのネロという男はグレンの心の、絶対に足を踏み入れてはいけない領域に踏み込んだ。

 それがあの小さな黒い影を呼び起こした。

 

 子供がうめいている。すすり泣くような声でひたすら「どうして」と繰り返している――。

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