23話 逃げる手を、掴まえる手
『オレのことをずっと呼んでた?』
真剣な眼差しで、彼があたしを見つめる。全てを見透かしているかのような紫色の瞳。
――どうして。
何が何だか全く分からない。
どうして分かるの。呼んでいた。ずっと呼んでいたの。
心細い、助けて、会いたい――だからずっと、キミを呼んでたの。
今だって本当は来てくれて嬉しい。泣きたい。その腕の中に飛び込んでしまいたい。
……だけど。
「は、離して……」
震える声でやっと絞り出したのは、気持ちとは全く裏腹の言葉。
――離されると、離してほしくなかったと思うくせに。
でも彼は手を離すことなく、逆に掴んだあたしの右手首を引き寄せ左の手首も掴んだ。
「きゃっ……! ジャミル君、は、はなし――」
「そんなに強く掴んでない……イヤなら、振り払えばいい」
「……っ!」
そう言われてしまうとあたしは何もできない。
振り払うこともせず、ただ近くにある彼の顔を見つめることしかできない。
さっきまであたしの肩にいたウィルは、シャンデリアに止まって主人のやりとりを上から眺めている。
「オレは……あんたのことが好きだ」
「え……」
心臓がドクンと跳ね上がり、呼吸が乱れる。
「けどあんたはやっぱりお嬢様だから、婚約者がいて……オレは言うことは言ったし、それはそれで終わりだ。さっさと諦めて切り替えていこうと思ってた」
「…………」
「あの砦も本当はもっと遊びに行きたかったけど……フラれた男が目の前ウロチョロしてりゃあ目障りだろうって、そう思って行くのやめてた」
「そ……そんな」
あの砦から彼がいなくなって3ヶ月ほど――その間彼が来たのはあたしが誘ったラーメン夜会、一度きり。以降は全く姿を表さなかった。
フランツもルカも、彼に会いたがっていた。
「『遊びに来る』って言ってたのに」ってしょんぼりしていた。
都度あたしは「仕事忙しいのかしらね」なんて言葉をかけて……彼が来ないのはあたしのせいだったの?
「オレの働いてる店覚えてないし、それに実家に帰るなんて言うから、全くオレはただの通りすがりだったよなぁと思ってたら帰ってきてて……それをウィルが目ざとく見つけて報告してきやがる。諦めようって思ってんのに……こいつは全然言うことを聞かねえ」
「その子が? どういう……」
「ずっとあんたの周りを飛び回ったり肩に止まったりしてるだろ。オレが……そうしたい代わりに」
「……!!」
――「魔法は心の力」なら、あの鳥も魔法の一種だろう。単純にジャミル君が虫を大嫌いな気持ちが反映されただけじゃないのか?
嫌いな気持ちも、その逆も反映されて……だからこの子はあたしを見つけたら懐いていたの?
「みっともないからやめさせてえ、さっさと区切りをつけたい。なのにあんたは『オレのことなんかまるで眼中にありません』というには……説明のつかない目で、オレのことを見てくる」
「……っ」
「あんたは何なんだ……何がやりたい。婚約者とか身分とか一旦抜きにして、あんたの気持ちが聞きたい」
「えっ……」
「気持ちがある、ない。2つに1つだ。ないなら、ないでいい……ここをなんとかして出たら、それきりだ。金輪際オレはあんたの前には現れない。こいつだって納得するはずだ」
「ま……待って、そんな、急に」
「待つ? 何を」
「……な、何をって」
「『待て』っていうのは何だ。待てば、満足のいく答えが得られるのか? 宙ぶらりんのまんま放っておかれちゃあ、納得がいかねえ。ウィルは未練たらしくあんたの周りを飛び回るし、オレはまた抑圧の日々だ」
「ジャミル……君……」
――両手は掴まれたまま、ずっと彼の視界に閉じ込められている。
あからさまに好意を示しているのになんでもないふりをしておちゃらけてごまかして、内心では「彼に自分のことを決めて欲しい」とか、「かけおちを持ちかけて欲しい」なんて思っている自分。
そう、思っているだけ。それはつまり……かなわない恋をしている自分に酔っているだけ。
それを見抜いて、彼は怒っているんだ。静かだけれど、闇の剣のせいで癇癪を起こしていた時と違う、地に足のついた本当の怒り。
逃げることはできない。先送りもできない。
彼は何も決めない。あたしが彼を選んで決めないといけない。
「あ……の……」
いつもいつもくだらないことはペラペラとお喋りできるのに、こういう時には何も言葉が出ない。
言葉を発しようと口を開けても息をすることしかできず、口がカラカラになる。
けれど彼はそれに対しては苛立つ様子なく、ただあたしの答えを待っている――シャンデリアに止まっている使い魔のウィルとともに。
「……あたし、あたし……は」
――あたしの「好き」はいつも馬鹿にされるの。怒られるし、嘲られるの。
「あたし……あの」
あの砦や前の冒険者パーティで、やっと自由にその「好き」を表現できるようになったの。
「……ジャミル君……」
でも、人への「好き」を言葉にして伝えるのは難しい。
婚約者とか身分とかがなくてもどうせ受け入れられない、傷つくだけだと思ってしまう。
「……ジャミル君……ジャミル、君……っ」
こらえきれずとうとう涙が出てしまう。
それに戸惑ってか、彼が手首を掴む力が緩んだ。
あたしはそのまま彼の肩に額を付け――でもやっぱり何も言えず、泣きながらたまに彼の名前を呼ぶだけになってしまった。
彼はあたしの手首から手を離し、その手で頭をそっと撫でてくれる。そして――。
「……ベルナデッタ」
「……!」
彼の腕に包まれる。
今はこんな場合じゃないはずなのに、色んな感情が溢れてきて止められない。
すぐに彼の背に手を回して、胸にすがりついてしまう。
温かい。ずっとこうしたいって思ってた。
「ジャミル君……す、好き……」
蚊の鳴くような声でようやく思いを伝えた。今はこれが精一杯。
あたしの告白を聞いて、彼は柔らかく笑う。
ねえ、キミはそんな顔もするのね……。ああ、嫌だ、駄目だ。こんなの、こんなの、
「こんなこと、ジャ、ジャミル君以外に、されたくない……」
顔を見上げてそう言うと、彼は顔を赤くして目を逸らした。
「……ど、したの」
「や……今の……今のは、ちょっと反則だ」
「?」
「……なんでもねえ」
「あ、あの、お願いが、あって……」
「何?」
「『ベル』って……呼んで」
「……ベル」
「……!」
ただ愛称を呼ばれただけで、嬉しくて涙が出てしまう。
何か言おうとして口を開いても、やっぱり何も出てこない。
そうやってただ開いているだけのあたしの唇に彼の唇が重なった。
(ジャミル君……)
――彼が好きだ。結婚なんてしたくない。
あたしは間違っているのかもしれない。現実が見えていないのかもしれない。
でもあたしは今、大事なことを初めて自分で選んで決めた。
動かないで後悔するよりも、きっとずっといいわ……。
◇
「――そして、次の日」
「…………」
「やー、かくかくしかじかというワケでさぁ、すんでのところでオマエが来てくれて助かったぜぇ、カイル」
「…………」
「――なんてな。そう都合よくいくわけねえよなー」
「…………」
改めて現実と向き合うも、状況は厳しい。
そもそも、甘い話をする場面ではなかったんだけども……。
ジャミル君は軽いノリでお喋りしながら、ウィルの魔力の回復を待ちつついざという時に武器になりそうなものがないか探している。
あたしは『座ってろ』と言われたので、冷めた食事が置かれたテーブルとセットになっている椅子に腰掛けてそれを見ていた。肩にはウィルがいる。
「……この子の魔力は回復しないの」
「魔力なぁ……そんなフル稼働しねえから尽きたことなくて、どんくらいで回復するとか分かんねえんだよな。……オイ、あとどんくらいで回復すんだよ」
……と、ジャミル君が使い魔のウィルに問いかけるも、ピピッと鳴くのみ。
「『ピピッ』じゃねんだよなぁ……ったく、恥知らずがよぉ」
「恥知らずってそんな」
「恥知らずなんだよ。オレが寝てる間に勝手にベルんとこ行きやがってよ……ベルがいる時はそっちの肩を定位置にしやがるし、その姿もやめろってオレは――」
「姿? そうそう、今この子カナリアみたいね。でも普段の姿って確かスズメとかひよこっぽい姿よね、確か」
「……そう、カナリア」
「え?」
「カナリアを飼ってたと言うので、ソイツは勝手にその姿になっている」
「えっ!? ……そ、そうだった……の」
「ああ。……マジで恥ずかしいからやめてほしい」
コンソールを開けながら彼は言葉を発する。後ろ姿だから顔は見えないけど、耳が真っ赤だ――あたしも負けじと顔が真っ赤だけど。
「あっちもこっちも、武器になりそうなのはねえな……」
コンソールを閉めて、彼はこっちに向き直ってあぐらをかいた。
あたしの肩に止まっていたウィルが飛び立ち、今度は彼が伸ばした手の指先に止まった。
ジャミル君は、首をかしげながらピィピィと鳴くウィルを見て苦笑いする。
「コイツはオレ以上に正直で参るんだよな……基本は確かに使い魔っつーかペットなんだけど。……たまにオレが我慢したり抑圧したり、スカして何もないフリしてんのを『本当はこうしたいんだろ』『こうするのが正しい』って行動で示してきやがる。心を丸裸にされてるみてえでたまんねえんだよな」
「ジャミル君……あたし、ジャミル君を分かりたい。癒やしの術なんかじゃ何も出来ないから……話してね」
「うん……、ん?」
――彼が返事をしたその瞬間、ウィルの身体が紫色のオーラを放ちだした。
「!」
「きゃっ」
身体はムクムクと大きくなり、鷹や鷲のような猛禽類の姿になってしまう。
そしてジャミル君の腕に止まって、ピューッピューッと大声で鳴き始めた。
「ウィル……」
「ど、どうしたの」
魔力が回復したというわけではなさそうだ。
まるで外敵に警戒して、主人に危機を知らせるような――。
見れば主人のジャミル君も野生動物のような鋭い目つきになっていた。
「――何か、やべえ奴が来る」
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