◆エピソード―カイル:悪い魔法使いには、ないしょ

「クライブ、少しは思い出せてきたかい」

「……ぜんぜん」

 

 ある日自分は湖の中で血まみれになっている所を引き揚げられた。

 ちょうどその辺りを散歩中だった女の子と護衛の騎士が運良く見つけてくれたんだ。

 貴族の屋敷に連れて行かれ治療を受け一命を取り留めた。

 だけど瀕死の重傷を負ったからか頭がボンヤリして、何故血まみれなのか、何故湖で溺れていたのか、そして自分がどこの誰だかすら全く思い出せなかった。

 話によると現在地は竜騎士団領のユング侯爵領。

 どこ? ……全然分からない。

 

 名前を呼べなきゃ不便だろうと、俺を見つけてくれた騎士がクライブという名前を仮につけてくれた。

 当たり前だがしっくりこない。なにもかもが不明瞭。

 髪と眼が青いからロレーヌ人じゃないか? と言われたが、竜騎士団領はロレーヌから独立した国だから住んでる人間もロレーヌから移住してきた人間が多く、決め手に欠けた。

 でもロレーヌという国名は聞き覚えがあるから、たぶんそうなんだろう。

 

(名前くらい、思い出せないかなぁ……)


 ボンヤリと窓の外を見ながら、怪我が完治していない足を引きずりヒョコヒョコ歩く。

 

「あっ、だめよ。もどってください!」

「!」

 

 女の子の声がして、そちらへ目を向ける。

 俺を助けてくれたロジャーというじいさんと、キラキラの髪の小さい女の子が立っていた。

 

「じいや! あの人、気がついたのね。どうして教えてくれないの。だめでしょ」

「ああ、すみませんねぇ、お嬢様」


 ロジャーじいさんは女の子にペコペコと頭を下げる。

 しばらく二人で話をしたあと、女の子がパタパタとこちらへ駆け寄ってきた。

 

「ごきげんよう」


 女の子がスカートの裾を持ち上げお辞儀をする。


「え……ご、ごきげんよう……?」


 つられて俺も、たぶん今まで言ったことがないであろうセリフで挨拶を返した。

 

 青みのかかった銀髪に、青い瞳。

 自分の目も青だけど、その子は大きくキラキラの眼をしてまるで宝石のようだった。

 コバルトブルーで何やらつやつやした布地の服を身にまとっている。

 子供ながらに、彼女はとても身分の高いお嬢様なのだという事が見て取れた。

 

「クライブ。こちらはこのユング領の領主ゲオルク様のお嬢様、リタ様だ」

「リタさま……」

「そうなの。リタは、リタ・ユングといいます。よろしくね。えと、あなたは”クライブ”なの?」

「え……えっと」

「リタ様。この子は実は……」

 

 じいさんがリタお嬢様に事情を説明しようとする。

 しかしお嬢様は俺の足が辛かろうということで部屋に戻って話を聞くと言い張り、じいさんはためらいながらも同意。

 そんなわけで俺の部屋――というか、世話になってるじいさんの部屋で話をした。

 ――今なら分かるが、お嬢様が家来の……どころか身元不明のあやしい奴の部屋へ個人的に訪れるなんてまずありえない。

 あとでじいさんは、侍女長に怒られたそうだ。

 

「そうなのね、えと……クライブ、は、いっぱいわすれちゃったのね。……リタはちょっとだけ、いやしの魔法が使えるけど、わすれちゃった色々を思い出す魔法は知らないの。ごめんね」

「えっ、いや……うん」

「えっとね、『きおく』もだいじだけど、今は足を治すことに『せんねん』してね。おいしいものを食べて、いっぱいねむりましょう。そうしたら、治るのが早くなります。信じてあきらめないでください」

「あ、ありがとう」


『寝ていなきゃダメだ』とこの子に怒られたので、俺はベッドに横になりながら話を聞いていた。

 お嬢様は傍らのイスに座り、きっと覚えたての口上で一生懸命元気づけようとしてくれている。

 湖から引き揚げられた時に同じようなたどたどしい口上を聞いた。

 あの時俺に癒やしの魔法をかけてくれたのはこの子なんだろう。

 

「ははは、リタ様はお優しい」

「ね、じいや。リタはたくさんしゃべってのどがかわいたの。お茶を入れてくれない?」

「おお……しかし私が勝手にリタ様に何か飲ませるわけには……マイヤー殿に叱られてしまいますぞ」


 お嬢様がイスから降りてパタパタとじいさんの所に走っていき、お祈りのポーズでじいさんを見上げ小首をかしげる。


「いいでしょじいや。ね? リタ、じいやの入れたストロベリーティーがのみたいの!」 

「うーむ……う――む……分かりましたぞ……」

 

 根負けしたじいさんが、部屋の続き間に引っ込む。

 ちょっとしたお菓子とか飲み物なんかをここで作っていつも出してくれている。ストロベリーティーとかいう紅茶を用意してくれてるんだろう。


(おれ、そんなの飲んだことないな、たぶん……牛乳とかじゃダメなんだろうな)

 

「ねえ、ねえ」

「え?」


 またまたボヤーっとしていると、再び傍らのイスに腰掛けたお嬢様が俺に呼びかけていた。

 

「あなたのお名前は、カイルでしょう」

「え……」

「うんとね、湖から助けた時に、リタがお名前を聞いたらそう言ったわ。『カイル・レッドフォード』って」

「……!!」

 

 ボヤケて霧散していた意識と記憶が形を表し、パズルのようにパチンとはまる。

 そうだ、俺の名前はカイルだ。カイル・レッドフォードだ。

 兄の友達同士の集まりについていくはずが置いていかれて、その後しょうがないから一人でミロワール湖で釣りをしていて……それが、なんで湖から血まみれで発見された? しかも、竜騎士団領で。

 それから、それから……なんだったっけ?

 ああ、頭が痛い。まだ全部は思い出せないなぁ……。

 

「だいじょうぶ? これ、ちがうお名前だった?」

「! あ、うん。大丈夫。思い出した。ありがとう。おれ、カイル・レッドフォードだよ。うん」

「よかったぁ。えっとね、リタ、だれにも言ってないから安心してね」

「安心って?」

「えと、リタがこの前読んだ魔法の本に、書いてあったの。『悪い魔法使いには本当の名前はないしょにしておきましょう』って」

「内緒? なんで?」

「あのねぇ、本当のお名前を知られると、悪い魔法使いにカゲをつかまえられて、それで地面にぬいつけられちゃって帰れなくなるんだって」

「ふーん……」

「だからね、カイルのお名前もないしょにしておいてあげるね。カゲつかまったらたいへんだもの。もっといろいろ思い出すまで、リタとカイルだけのヒミツね。はい、やくそく!」

「え……ええと」

 

 なんだかよく分からないうちに、俺はお嬢様と指切りをした。

 せっかく名前を思い出したけどしばらく「クライブ」という名前で過ごすことに。

 名前を思い出したら、なおしっくりこない。名乗りたくて仕方なかったけど、なんとなくあのお嬢様の言う通りにした方がいいような気がした。

 ――結果的に、それは正解だった。

 とはいえ、このお嬢様には知られてしまっているわけで……。

 

(それってどうなるのかなぁ……?)

 

 そして俺はどういうわけかこのお嬢様に気に入られて小間使い兼話役みたいなことをするようになった。

 侍女長は猛反対したが、お嬢様が父であるゲオルク様に懇願したため叶えられた。

 ゲオルク様は奥様を早くに亡くしたため、一人娘で少し身体が弱い彼女を甘やかし、望みはなんでも叶えていた。

 

 お嬢様は俺と二人の時だけ「カイル」と呼び、俺も「リタ」と呼ぶようにお願いされた。

 ガキだった俺もさすがにそれはダメだろうと思い彼女にもそう言ったが

「それじゃあカイルって呼んであげない!」とプンプン怒られてしまい、根負けした。

 リタ・ユングお嬢様、7歳。誕生日がくれば8歳。俺より5歳年下。

 お花と星とおとぎ話、魔法の勉強が大好きで、少しわがままなお嬢様だった。

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