8話 変えたい過去

 その夜、わたしは借りた小説を読んでいた。

『時の勇者』――時の神様から時間を超える能力を授かった若者が、その力を使って現在・過去・未来を行き来して世界を救うという冒険物の小説だ。


 災いを呼ぶ者は時代を飛び越えてどこまでも行ける。

 対して時を超える能力は12回しか使えないからよく考えて使えと時の神様に言われる主人公。

 彼は長い旅路で過去の世界で出会ったお姫様と愛し合うようになったけれど、身分も生きている世界も時代も違う人間だから、と受け止められずにいた。

 そしてその過去の世界で災いを呼ぶ者を倒した主人公。

 時を超える力の最後の一回は自分の生きる時代に戻るために温存しておいたが、帰る間際に馬車に轢かれて死んだ子供の遺体に泣きすがる母親に遭遇する。迷った末に彼はその子供を救うために最後に残った一回を使ってしまう。

 元の時代に帰れなくなり、この過去の時代で生きていく覚悟を決めた主人公はお姫様に想いを告げ、二人はやがて結ばれ、国に平和が訪れる。

 彼が子供の頃に物語で読んだ憧れの勇者は実は自分自身でした――という話だった。

 

 運命の出会い、身分違いの恋、告げたくても告げられない切ない想い。

 素敵……わたしも燃えるような恋してみたい!

 

 

 ◇

 

 

「あ、レイチェルもあの本読んだの?」

「うん。ベルも?」

「読んだ読んだ。最高だったわー。キュンキュンしちゃう」

「ねー!」


 金曜日の夜、わたしとベルは砦の厨房でキャッキャとはしゃぎながらご飯の用意をしていた。

 グレンさんはクライブさんと魔物退治。任務完了したら晩ごはんは食べてくるんだって。

 ジャミルは黙々と野菜を切って、ルカは黙々とパンケーキを食べていた。

 

「ねえねえ、ジャミルは読んだ?」

「読んだけど、あれ面白いか? 主人公の男が姫さんのことばっか考えてる文で腹いっぱい。あと冒険ものなのにバトルの描写が甘い」

「えー? バトル? バトルはどうでもいいよぉ」

「よかねぇだろ。冒険ものなのに肩透かしっつーか」

「ちがうよぉ。ロマンスだよー。ねえ、ベル」

「うんうん、主人公の心理描写とか葛藤がいいのよ。分かってないわねー キミ」

「……知らねーけどよ」


 ジャミルは納得いかないといったかんじで野菜をすごい速度で切っていく。

 冒険ものと見るかロマンスものと見るかで感想も違うんだなぁ。

 

「ところでさ、もし、もし……時間を戻れるとしたらレイチェルはどうする? やり直したいこととかある?」

「え…わたし? うーん……」


 唐突なベルの質問にわたしは口ごもる。

 やり直したいこと……わたしがもし過去に戻れたり、時間を巻き戻せたとして……何か直したいことなんかあるかな?


「うーん、うーん、昔友達に嫌なこと言っちゃって……それを直したい、ような気がするんだけど……」


 幼なじみのカイル。彼につっけんどんな態度を取ってしまって、その日に彼は消えてしまった。それをやり直せたら……どうだろう?


「それさ……そこだけ直しても仕方なくね?」


 カイルのことだと分かったのか、ジャミルがまた会話に入ってくる。


「オレもあの日に戻れたらとか思うけど。けど、そこだけ回避したってカイルの扱いはいつも通りで、どっかで同じことが起きてたんじゃねーかって」

「うん……それは、そうだよね……」


 あの日、カイルに『釣りなんかしたくない』と冷たい言い方をしてしまった。

 でもジャミルの言う通り、あの日を回避してもやっぱり彼のことを「子供だ」なんて馬鹿にしてる気持ちはそのままなわけで、結局どこかでひどいことは言っていたに違いない。

 反省したのは、やり直したいと思うのは、彼がいなくなってしまったから――。

 

「はぁ……」

「……」

「え、ちょっとやだ、しんみりしないでよー。そんなことできるわけないんだから! 悔やんでもしょうがないって!」


 黙り込んでしまったわたし達二人を見てベルはパンケーキミックスをすごい速度で混ぜながら慌ててフォローを入れてくれた。


「過去に戻ることは……できる」


 ルカが9枚目のパンケーキを頬張りながらボソリとつぶやく。


「えっ? そうなの!? そんな魔法ある? 学校では習わなかったなぁ。専攻がちがうから?」

「古代の神の魔法。……禁呪」

「きんじゅ?」

「人道に反するとか、神に近いことをしちゃう魔法よ。天気を操るとか、人を生き返らせるとか。時を超えるっていうのもあるのなら、確かにそっちに属するかもね」

「へぇ……さすが魔術学院出身。もしそれを使うとどうなっちゃうの?」

「うーん、逮捕されて裁判にかけられるとか聞くけど。それ以上は……、あっ! 隊長さぁ~ん!」


 いつの間にかグレンさんが戻ってきていたのに気づいたベルは彼に駆け寄る。グレンさんはあからさまに「げっ」という顔をした。

 

「ねぇ、ねぇ、隊長さんは、やり直したい過去とかないの?」

「……過去?」

「そう! この小説の主人公みたいに、時間を超えられたらどうします?」

 ベルは『時の勇者』を両手で持つと、グレンさんの前に突き出した。

「そう言われてもな……」

「過去のある男って、素敵! ね、ね、何かあるでしょ?」

「……ああ、あるな」

「えー! 何? 何?」


 ベルはお祈りのポーズでグレンさんの周りを小躍りする。


「……10日くらい前に戻って」

「10日前?」

「……ギルドの『給仕募集』の紙をはがしてくるな」

「え――! そんなこと言わないでくださいよー! 意地悪ー!」


 そのままスタスタと立ち去るグレンさんの背中にベルがむくれながら大声で呼びかける。

(メガネかけてたらカッコよく上げてそうだな……)

 

 

 ◇

 

 

「……過去を変えるなんてよ、そんなことできるわけねぇよな、実際」


 晩ごはんの後片付けをして、厨房でジャミルと二人になった時に彼がつぶやいた。


「ん……そうだね」

「もしあの日に戻って過去を変えたって、それアイツの為じゃなくて自分の為だしな」

「わたしも……自分の後ろめたさが消えてほしいだけかも」

「……最近、あの剣の様子が怪しいんだ」

「え? 剣? あの黒いの? 怪しいってどういう……」

「持ってるといつも以上にイライラして、不穏な気持ちになる」

「不穏……」

「アイツの……いなくなった日が近づいてきてるからかもしれねえ」

「あ……」

 

 彼が――カイルがいなくなって、来月で5年。

 生きていたら、18歳――まだ誕生日は来ていないから17歳か。

 また会えるのかな。時間を戻すんじゃなくて、今を生きている彼に会えたら――。

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