第649話 終わりは始まり

「は? ダメって何が——」

「勝手に決めないで。レッピーさんもゼロやんの近くにいないとダメだから」

「いや勝手にって——」


 静かな室内でぶつかり合う視線。

 その視線は、二者二様。方や強く鋭く真っ直ぐに、方や戸惑いと呆れを交え。

 そんな構図の中、レッピーの強い決意に対しそれを上回る力強いNOを突きつけただいに、焦りのような色を浮かべたレッピーが聞き返す。

 だがそのレッピーの言葉も遮って、だいは力強く言葉を続け——


「レッピーさんは私に埋められない穴を埋められる人だから。だからダメ」


 真っ直ぐな強い眼差しで、ハッキリとそう告げていた。

 え、ど、どういう意味だ……!?


「は? いや、なんだそれ——」

「もちろんレッピーさんに埋められなくて、私なら埋められる穴もあるけど、とにかくレッピーさんは必要な人なの。だからいなくなるのは許さない」

「は? ゼロやんに……? ってか、いや、まず許す許さないって話じゃねーだろこれ。なんでアタシの意志にお前の許しが必要なんだよ? そもそもだいの許す・許さないの線引き意味分かんねーぞ?」


 そして俺同様理解だいの言ってる意味が理解出来なかったレッピーがまた聞き返そうとするや否や、間髪入れずにだいはだいなりの理由を告げ、レッピーの意志を止めにいく。

 だがその主張に対して、レッピーは正直俺も同感って問いを返したのだが——


「必要なのはレッピーさんだけじゃないよ。レッピーさんと同格なのは【Teachers】のせんかんと【Mocomococlub】のヤコブさん。この二人も、変な理由でいなくなるのは認めない」

「は?」

「次点だと、【Teachers】のみんなとか……亜衣菜さんもそうだし、カナちゃんもそうかな」

「……へ?」

「つまりね、昔からゼロやんを知ってる人がゼロやんには絶対必要なの。だからこんなことでいなくなるのは許さない。だからさっきの提案は受け入れない」

「……は?」


 突然色んな名前が現れて、レッピーが困惑を超えて焦りだす。その顔に浮かぶ、完全なる理解不能。いや、それは理解不能の困惑を超えた、ある種の畏怖すらあったのかもしれない。

 もちろん俺もこのだいの発言の意味は全くもって分からない。

 そりゃたしかに今名前が挙がった奴らは俺のことを割と昔から知ってる奴ら、ではあったけど……。


「いや、それどんな人選——」


 そのメンバーの意図は当然不明。

 だからだろう、戸惑うレッピーがこのだいの発言の意味を問おうとすると——


「だってゼロやん、人付き合いが下手だから」

「「……は?」」


 問いかけるレッピーを遮った真顔のだいの言葉に、俺とレッピーの反応がシンクロする。

 そして湧水の如く溢れ出るはてなマークが、俺とレッピーの脳内を駆け巡る。

 え、今こいつなんつった?

 俺の、人付き合いが、下手?

 ……え?

 いや——


「お——」

「いや、おまいう——」


 お前がそれを言うんかい! と、唖然して言いかけた俺よりも早く、レッピーがバッと立ち上がって俺の言いたいことを代弁しかけるも——


「ゼロやんってさ」


 だいが表情穏やかに、レッピーを見上げて話し出す。


「あっという間に色んな人と仲良くなって、簡単に人に頼られるようになって、寄りかかられるようになるんだよ」

「……は?」


 その表情はさっきまでの少し怒っているようなそんな色を消し去って、人を諭すような、優しい口調に変わっていて、優しい眼差しをレッピーに送り続っていた。

 そんなだいの雰囲気に当てられたのか、レッピーが渋々といった様子で座り直し、俺ともども閉口する。


「でもさ」


 そんなレッピーの様子に満足したのか、またゆっくりとだいが話し出し——


「ゼロやんが人って、すごーく少ないんだよ」

「「あ……」」


 話を聞く体勢を取った俺らに対し、だいは穏やかな口調のまま、そう言った。

 その言葉に、俺とレッピーはハッとする。


「面倒見が良い分ね、頼られてばっかり。それで困ったり疲れたりすることもある。……それでも、人と関わるのが好きだから、頼られると嬉しいから、寄りかかってくる人はほっとけない。それが私たちの好きなゼロやんでしょ?」


 胸に手を当て、想いを馳せるように目を閉じて言葉を発するだいは……美しかった。


「そんなゼロやんが寄りかかって甘えられるのは、昔からゼロやんと付き合いがあって、長い時間をかけてゼロやんがこの人は自分のとこからいなくならないって思えてる人だけなんだよ」


 そして続いただいの言葉。

 その言葉に、俺は改めて自覚する。

 たしかにそう。言われてみればだいの言う通り、かもしれない。

 甘えるとかなんてそんな感覚を持ったことはないが、俺が何かを頼る相手は、だいは当然として、レッピー以外にはさっき述べられた大和にヤコブ、他にはギルドの仲間たちくらいなものだ。

 いや、ギルドの中でも気兼ねなく何かを頼るって話になると、だいを除けば大和とぴょんしかいないだろう。

 そしてそんな奴らの中でもレッピーは——

 そんな気づきが、俺の胸中に現れる。


「その中でもレッピーさんは別格。私が知る限りゼロやんがLAの中で一番気を許してる、私以上に甘えられる人だもの。だから私はレッピーさんに感謝してる。言ったでしょ? 今のゼロやんがあるのはレッピーさんのおかげだって。だから私はレッピーさんに私と一緒にずっとゼロやんのそばにいて欲しいし、幸せになって欲しいんだ。だから私は昨日ああ言ったんだよ」

「……あ?」


 そしてだいがレッピーを特別視する理由を話すと、まだ納得しきれないのかレッピーは憮然とした態度で対抗するようにだいを睨むような目つきをしてたけど……さっきまであったはずの覇気が消えていた。

 むしろそこにあったのは、照れ隠しを威圧的な態度で隠そうとするような、思春期の子どものような姿だった。


「それにね、レッピーさんずっと意味分からないって言ってたけどさ、流石に私もレッピーさんが言いたいことは分かってるよ?」

「ん?」

「一般論で言ったら、二人のしたことは浮気だもんね」

「え」


 そんなレッピーを包み込むように、ここでだいがようやくレッピーの言い分に歩み寄る。

 その歩み寄りに、俺もレッピーも驚いた。

 まさか、分かってたとは。

 正直本気でズレてるんだと思ってた。

 いや、実際ズレてるってとこは変わらないと思うんだが、それでもここでようやく一般論が現れて、俺とレッピーは驚きながらも僅かに安堵した、その束の間——


「でも私はレッピーさんだからこう言ってるの。だって……もしゼロやんが昨日ここに来たレッピーさん以外の人とそういう関係になったなら、私は絶対許さないから。絶対に」

「……!?」


 さらに続けただいが俺の方に視線移し、「もしレッピー以外と俺が……」みたいな話をしてきて、俺の背筋が震え上がる。

 だってその瞬間は、表情は穏やかなはずなのに、その背後に全てを焼き尽くすような漆黒の炎が見えたから。

 いや、見えるはずはないんだけど、それほどの凄みがだいにはあった。

 

 こ、こええええ!!!

 間違いない、それが俺が刺される展開だ……!!!!!


 そんな圧倒的な恐怖を放ってきただいに俺は一人怯えたが——


「だって昨日のメンバーの中に、私とレッピーさんを除いてゼロやんが自分から何かを頼ることがある人はいないもの。さっき名前出した亜衣菜さんもカナちゃんも、ゼロやんの思い出には必要だけど、今のゼロやんを支えてるかどうかでいったら別だから。だからこの二人だってその一線は許さない。でも、レッピーさんは別」


 俺がだいの言葉に震えている間に、だいはまたニコッとした表情をレッピーに戻して、畳み掛けるように自分の考えを伝えていた。

 その話の中で、少しずつ明らかになる、だいの思考。

 それが伝わっていくからか、レッピーの表情が段々と何かを気まずそうに考える様子に変わっていく。


「レッピーさんは、ゼロやんが好きで自分から関わりに行く人だから。だから、レッピーさんは特別な人なの。分かってくれた?」


 そしてだいの長々話した説明が伝わったかどうか、だいが可愛らしく首を傾げて尋ねると——


「え、いや……」


 やはり完全には腑に落ちないのか、レッピーは言葉を濁して答えるが——


「レッピーさんより近くでずっとゼロやんを見てきた私が言うんだよ? これを貴女に否定出来る?」


 攻勢を緩めず、畳み掛けるようなだいの圧に、ついにレッピーが沈黙する。

 部屋の中に、シーンとするような音無き音が響き渡る。


 沈黙とは何か。

 今この時沈黙とは——


「……ああ、分かった分かった。分かっちまった。アタシの負けだ。全部負け、白旗だ」


 そう、沈黙は肯定だ。

 それを体現するように目を閉じながら両手を上げたレッピーが、捲し立てるように降参を告げる。でも浮かべた表情はやれやれと呆れているようなのに、何故かどこか楽しそうな雰囲気も感じさせていた。


「でもお前後悔すんなよ? アタシこう見えてもけっこう甘える方だぞ? ベタベタすんぞ」


 そんなレッピーが、ポーズは変えないままチラッとだいを見て俺からしたら「え?」ってことを言い出すと——


「ゼロやんは甘えられるの好きだし、ゼロやんが嫌がらないんだったら大丈夫だよ」


 穏やかな表情を浮かべたまま、だいもだいでよく分かんないことを言い、俺が「え?」って反応を返したら——


「おいおいマジかよ? じゃあこんな感じでも?」

 

 少し挑発的な表情になったレッピーが立ち上がり——


「よいしょっと」

「はっ!? えっ!? はぁ!?」


 2,3歩移動して着席すると、俺の身体に感じる重みが増え、視界から目の前にあるテーブルが見えなくなった。それと同時に、さらさらした茶髪が視界いっぱいに現れる。

 その行動に俺は驚きを隠せないでいたのだが——


「だってお前の彼女がいいって言うんだもん」


 目と鼻の先で首を捻り、こちらに振り返ってきたレッピーが、俺とテーブルの間をこじ開けるように入り込んできた場所から、少し上擦った子どもじみた言い方で言ってくる。

 そして唖然とした俺の両腕を掴んで、レッピーの身体の前でクロスさせ——


「へへっ」


 俺を背もたれにし、結果的に俺にバックハグされる形となったレッピーは、変わらずこちらを振り返ったまま、それはもう楽しそうに笑っていた。

 そこにはさっきまであった悲痛な覚悟なんか欠片もない。

 昨夜にも時折目にした、ただただ純粋に楽しそうな笑顔があるだけだ。


 いや、でも流石に順応速度バグってんだろ!!? お前さっきまで「もう会わない」って発言までしてたんだぞ!?

 

 そんな疑問も浮かぶけど……その笑顔に思ってしまう。


 ああやっぱりこいつ可愛いわ。

 こういう表情がこいつには似合うんだなって。


 ……いや、もちろんこれがいかんということは分かってる。分かってるんだけど……あれ? でもさっきのだいの話だと、社会的にはまずくても、俺たち三人の中だと問題ない、のか……?

 いやいや、そもそもだぞ? 俺ってそんな風にレッピーが好きなのか? そりゃ好きかどうかったら好きだけど、この好きは、そういう好きって解釈していいのか? ずっと仲良くしてたいとは思うし、かけがえのない奴だとは思うけど、これってそういう好きなのか? だいに次ぐ序列第二位とか、そんなクズい考えでいいのか? むむむ……?

 と、俺がレッピーの無邪気な笑顔を受けて混乱し始めた頭で、何とかこの状況を分析しようとしていると——


「レッピーさんは笑った顔が一番可愛いね」

「まーアタシ可愛いからな。……あ、アタシの可愛さの前にこいつがころっといっても、今更さっきの発言の撤回はきかねーぞ?」

「大丈夫。そんなことには絶対ならないから」


 だいがレッピーに笑いかけ、それにレッピーが同じく笑顔で視線を合わせて答えると、バチバチバチバチっ! と何か音が聞こえたような気がしたようしないような、そんな会話が繰り広げられ、俺は考え事どころじゃなくなった。

 ま、まさかベクトルを変えて第二ラウンド開戦か!? そんな不安に駆られたところで——


「なぁ」

「え?」


 俺を背もたれのようにして座るレッピーが、天井を見上げるようにしてこちらを見上げてきた。

 しかし何というか、性格とか態度の割に華奢な身体してんなー、こいつ。

 そんなことを思ったり思わなかったりしながら俺が話しかけてきたレッピーに応えると——

 

「密かに根っこの部分じゃ負けねーつもりもあったけど、こりゃ勝てねー」


 言ってる言葉とは裏腹に、楽しそうな雰囲気でレッピーが笑いかけてきて——


「お前ほんと、やべー女に愛されてんな」


 今日一のニカッとした笑顔100%、心の底からの笑顔を見せて、レッピーが俺にそう言った。

 その表情に理解する。

 これはきっと皮肉でも何でもなく、純粋に純粋な、純度100%の言葉だ。

 それを汲み取った俺は、だいの前でもあるのだからどう答えるかと「あー……」となってると——

 

「この前さ、お前らの気持ちは50:50じゃなくて50:1000だっつったけど、これはもう50:1億と2千だな」

「へ?」


 どこぞで聞いたことあるような数字が聞こえたと思ったら、またレッピーの顔の向きが変わり——


「だって結局さアレだろ? だいがアタシを認めるのは、だいがアタシのこと好きでいてくれる気持ちもあるけど、ほとんどはゼロやんが好きなアタシが幸せな方がゼロやんが嬉しいから、だろ? そういう意味でのアタシに幸せになって欲しいだろ? 全ての道はゼロやんに通ずっつーの? 究極的なゼロやんファーストだろ?」


 いやなんだその俺=ローマみたいな発言は!?

 そんな風に思わせてくる問いかけを、だいにすると——


「そうだよ?」


 だいは息をするレベルで、至極当然と肯定した。

 その様子にだいの方を向いたレッピーがどんな顔をしてのかは分からなかったが——


「分かってたけど即答かよ? あー、お前ほんとイカれてんなっ」

「ふふ、ありがと」


 いつもの口調で、いつもの様子で、レッピーがそれ絶対褒め言葉じゃないだろってことをだいに伝えると、だいはそれを穏やかな笑顔で受け取った。

 本当もう、にこって効果音が聞こえそうな、そんな笑顔がそこにはあった。


「でも50:100002000一億と二千なら1:2000040二百万と四十だと思うけど——」

「おいおいそれは慣用句だろーが。愛の深さの表現だ」

「そうなの?」


 そして、何というかああこれで本当に一件落着なんだなーって会話も行われたりして、俺はレッピーをハグしたまま二人の会話にようやくホッ一息つく。

 えっと、つまり……まぁ、うん。

 色々あったけど、結果的にだいの考えとその理由が分かってよかったってことでいいだろう。

 ……え? 本当にそう思ってんのかって? 俺の頭もお花畑なんじゃないかって?

 いやいやいや……もちろんアレよ? 正直愛が重いって感覚は、俺だって思わなくはないですよ? 

 というか重い。重すぎる。1万年と2千年経っても愛されてるレベルで重いのよ。そもそも俺は、そこまで俺を優先してもらわなくたって構わないし。

 だから、愛が重くて、愛が怖い。そんな気持ちもなくはない。

 でも——

 とはいえ——


 これがだいなんだよなぁ……。


 俺はそれを知っている。

 だから、とりあえず今はそれほどまでにだいが俺を好きだってことで、黙って素直に受け止めよう。

 何事もなければこいつは最高な彼女なんだから。

 俺はこいつを愛してるんだから。

 だから……許可が出たけど、レッピーとの関わり方は……とりあえず今は考えない。これは後で考える。

 

 そんな感じで、俺は今日の出来事を受け入れた。

 ああ疲れた。

 じゃあ飯も食ったし話したし、後は軽くLAの話でもして、今日は解散って流れかなと思った、そんな時——


「でもとりあえず今はこうさせてもらってっけど、明日からは一旦大人しく日曜の初対面した日のアタシに戻る。だいの好意はまた都合のいい時に受け取らせてもらうぜ」

「そうなの? 別にいいのに」


 明日からまた戻るけど、今日はまだ甘えたい的な、可愛いというか慎ましいというか厚かましいというか真っ当というか、どう応えたもんかって話をレッピーがしたと思ったら——


「でもさっきのさ、穴埋めるだのなんだのって話からだいの話が始まった時は、一瞬下ネタかと思ったけど、やー、結果的にそれ以上の話で引いたけど」


 と、あの流れでよくそんなこと思えてたな的なことを、すっかりいつも通りになったレッピーが言い放ってカラカラ笑った。

 のだが——


「あ、そういう意味もあったよ?」


 間髪入れず、「雨降りそうだから洗濯物取り込んでおいたよ」レベルで当たり前のように応答しただいの言葉に——


「「え?」」


 空気が、変わる。

 果たしてこれは今日何度目なのか、俺とレッピーは声を揃えて、顔を引き攣らせるのだった。

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