第648話 ねじれの感覚

「おまたせ」

「わりいな、待たせた」

「いやいや、タダ飯貰えんだからいくらでも待つって。っつか、それマジ手作り?」

「うん、そうだけど?」

「おいおい、すげーなっ」


 時計を見れば、まもなく20時の19時58分、俺とだいはだいの手料理たちを持ってレッピーの待つ部屋へと戻ってきた。

 たぶん一人で待ってた時のレッピーは青白い顔になってたのかもしれないが、だいの顔を見たからだろう、パッと見はまたいつもの様子を見せていた。

 でも、よく見れば普段よりも表情がちょっと固い。特にその目の瞬きの少なさにその緊張が現れていた。

 ちなみにだいのメニューは定番のキャベツ多めの野菜炒めに、鶏肉と大根の煮物と、上に刻みネギやら刻んだ柚子やらを散らした小鉢系のメニューが3種類ほど。それに味噌汁とご飯がつくんだから、最早立派な定食屋レベルのメニューなのだ。

 そんな見た目も含めて見事なだいの料理に驚く時だけは、たぶん素のレッピーだったと思うよ。


「なるほど。完全に胃袋掴んでんのか」

「それはちょっと自信あるよ?」

「否定はしない」


 そして料理たちからだいに視線を移したレッピーが、ちょっとニヤける感じで冷やかしてくると、だいはそれにドヤ顔を返し、俺は俺で肯定した。

 実際胃袋掴まれてるというか、だいの料理が好きなのは事実ですし。


「じゃあ、とりあえず食べながらお話しよっか」


 そんな一見朗らかなやりとりをしながら、我が家のこたつテーブルに料理を並べ終えただいが場を仕切り、俺はチラチラこちらを窺ってくるレッピーに「大丈夫だ」と目で伝えながら、今夜の晩餐を始めるのだった。





「あー……なるほど、そういう惚気話ってわけか」

「惚気てるつもりはないんだけど……」


 だいの作ってくれた料理を勢いよく、とはメンタル面もあってかいかなかったようだが、「食べながらお話しよう」って流れだったはずなのに、食事開始直後のレッピーは一口食べてちょっと驚いた後、黙々と夕飯を食べていた。

 まぁ正直めっちゃ美味いからな。そうなるのも無理はない。

 そしてある程度食べたところでようやく会話し始めた俺たちは、まずは俺がさっき聞かれたことに答えるという、俺とレッピーの中座していた会話内容から再開した。

 で、さっき俺がだいに言った言葉をもう一度伝えたところが、この反応。そんなレッピーの感想にだいはきょとんとしていたけど、まぁそうだよな。

 普通に聞いたら惚気だよな。

 でもたぶんレッピーは察してくれたと思う。

 世界で一番俺のことをって言葉の意味を。

 一から十どころか、一から百レベルで知りたがるのがだいだってことを。

 レッピーとの間でちょいちょい交わした視線から、俺はこれが伝わったと何となく確信したのだが——


「じゃあやっぱりアタシは、愛し合うお前らにとって邪魔者だな」


 パタンと箸をおいてから、レッピーは正面に座るだいを真っ直ぐ見ながらそう言った。

 そして切り出したレッピーに、「え?」ってなってる俺とだいの視線が集まると——


「今回のこと許したら、アタシがこいつのことを好きでいる以上、今後もだいに内緒でこそこそ会おうとしたりするかもしれないぜ?」


 その目線にどこか攻撃的な、それでいてどこか悲しそうな、そんな感情を込めて、さらにレッピーが言葉を続ける。

 でも——


「んっと、レッピーさんがこそこそする必要も分からないし、レッピーさんを許すっていうのも私はピンと来ないんだけど、それがなんで邪魔者になるの?」


 レッピーの視線を受け止めてはいるのだが、それは真っ向から受けるというよりは、「どういうこと?」的な疑問符を付けて、だいがレッピーに聞き返す。

 そんなだいにレッピーは眉を顰め、怪訝そうな眼差しを浮かべて——


「いや……そんなん普通だろ。むしろなんでお前がそう思うのかが分かんねー。……いいか? お前らは愛し合ってる付き合ってる。たしかにアタシもゼロやんに好かれてて、アタシも好きではあるけれど、アタシとそいつは付き合ってない。この関係だぞ? アタシは引っ掻き回すだけのお邪魔虫だろって。……つかなんでアタシがこんな説明してんだよおい」


 と、完全に意味が分からないって様子を全開にしだいに自分の考えを説明した後、何故か俺が睨まれた。

 いや、そりゃ俺がだいのお世話係とは言え……こればっかりは、俺にもフォロー出来ません。

 そんな苦笑いを返しつつ、正直俺も困惑していた。

 だってレッピーの考えは分かるけど、だいがだいの考えに至ってる理由は分からないから。俺はだいの結論を理解したつもりではあるけれど、その思考の過程までは分からないのだから。

 だからこの主張にだいが何と返すのかと、俺はだいの方に目を向けると——


「うーん……たしかにゼロやんはレッピーさんのこと好きって言ってたし、レッピーさんもゼロやんのこと好きなのは聞いたけど……私もレッピーさんのこと好きだよ? それにレッピーさんも私のこと好きって言ってたじゃない? だから邪魔とかじゃないと思うけど?」


 と、明らかに素って様子で、だいは少し首を傾げながらこう言った。

 この発言に、レッピーの表情がまた曇る。

 それはぶつかろうとするレッピーをだいがかわすというよりも、そもそもが二人の考えはねじれの関係で、お互いに伝わってないし交わらない、そんな感覚同士が話しているように見えた。


「いや、たしかにそうは言ったけど……それとこれとは話がちげー。それとも何か? だいは一夫多妻推奨ってことか?」


 だが少し前まではだいを怖がってたレッピーも、一回抜いた刀は鞘に戻せないのか、いつの間にかいつものレッピーに戻っていた。

 そして真っ向からだいにぶつかっていく。

 そんなレッピーの言葉に——


「奥さんはダメ。それは私がなるものだから。でもゼロやんがレッピーさんのことも好きなんだから、レッピーさんも近くにいてほしいの」

「いやだからそれの意味わかんねーんだってっ」


 ここで初めて、だいがレッピーの言葉をちゃんと受けた。

 しかしその感覚はやはり完全にねじれてて、僅かながら、レッピーに苛立つような様子が現れ出す。


 ……しかしまぁ、何とも不思議な会話よな。

 ざっくり言ってしまえば浮気相手が自分の非を認めて邪魔者って言ってんのに、浮気された方がそれを認めてむしろ離れんなって言ってんだから。

 まるで被害者と加害者の逆転だ。


 ……あ、だいの「奥さんは私」発言は一旦保留ね。

 それ完全にプロポーズになってるけど、今流れでその発言は拾えない。

 大丈夫、いつかちゃんとしますから。


 と、俺はそんな二人のどこで戦ってるのか分からない戦いを見守りながら、第三者的な立場でこの戦いを見守ってたのだが——


「もういいだろって」


 突然レッピーが昂ってた様子をスッと抑えた。そして顔を下に向けながら、だいを制止するようにその右手をだいの方に差し向ける。

 その動きに、さしものだいも言葉を止める。

 そして——


「たしかにだいのメッセージに踊らされていい夢は見させてもらった。それにはちゃんと感謝するし謝罪もする。でもさっきの惚気話だろ? それを堂々と聞かされて、アタシは自分の好きな奴ら同士が幸せになってるとこ邪魔してまで、関係に割って入ろうとは思わない」


 下を向いたままのレッピーから、突然の宣告が放たれる。


「でもたぶん……アタシはゼロやんのことを好きじゃなくなるなんて出来ないから。だからアタシは蓋をする」

「え」


 その声は、下を向いているのに力強く、かなり強い意志を感じさせた。

 そして——


「アタシは消える。アタシはもう、二度とリアルでお前らには会わない」

「……え!?」


 顔を上げたレッピーから告げられたその宣言に、俺は衝撃を受けて目を見開く。

 だが——


「元々オンの世界の繋がりだ。それだけで十分だったんだ。まぁ言い出しっぺから抜けるのは無責任だからな、次のPvPまではちゃんと付き合う。でもしんどいのは嫌いでね、次の大会終わったらLAも辞めて完全に消えるよ」

「え、ちょ——」


 さっきまでの強い意志を感じさせる声ではなく、淡々とした感じでレッピーの言葉が続けられ、俺は思わずその発言に立ち上がる。

 そこにあるのは相変わらず可愛い顔立ちで、そこには何かに対して呆れるような、そんな表情が浮かんでいた。

 その表情にも、何言ってんだこいつ、そんな気持ちがこれでもかと湧き上がる。

 だが——


「うるせえ座れ」

「っ!?」


 俺が立ち上がったその瞬間、ギロッと睨んできたレッピーの覇気に、俺は完全に怯んでへたっと座る。

 放たれたのは、圧倒的覇王のような覇気だった。


「大丈夫大丈夫。大丈夫だって。時間は全てを解決する回復魔法だ。ヒーラーのアタシが断言する。それに人の噂も七十五日、いくらなんでもそんくらい経てば『あー、あんなやついたわー』ってなるだけさ。お前らの世界は変わらない。これで万事解決だ」


 そして座り直して縋るような視線を送る俺に、レッピーはまた声を淡々としたトーンに戻して話し出す。

 心の中では「やめろ、そんなこと言うな」って考えが浮かぶのに、レッピーから放たれた圧を前に俺は言葉が喉を通らない。

 それほどまでに強い感情が、レッピーの小柄な身体から放たれる。

 それはもう変えようもない、レッピーのたしかな意志に感じられた。


 ああくそ……。これが、これが俺が犯した過ちの結末か。急降下と急上昇を繰り返しながら、最終的にはだいが認めてくれたから、大丈夫だと思ったとこなのに。

 浅はかだった、馬鹿だった。

 レッピーは、俺にとってかけがえのない存在だったのに。

 そんな後悔が、レッピーとの思い出と共に一気呵成に湧き上がる。

 もちろんレッピーがこれを並々ならぬ覚悟で言っているのも分かってる。

 レッピーにとってLAがいかほどに大きな存在か、俺はそれをよく知ってるから。

 数えきれないほどのくだらない話を交わし、思い出せないほどの日々を過ごしてきたのだ。

 それを捨てるなんて、普通だったらあり得ない。あり得ない、あり得て欲しくないことなのだ。

 だから俺はそれを受け止めたくなくて、ただただ顔を俯かせる。

 室内に響く時計の音。

 レッピーの決意を前に、部屋の中は完全に沈黙した。


「これはアタシのけじめであり、アタシの中での決定だ。じゃ、そういうことで——」


 そして沈黙が続くこと十数秒、俺は言葉を無くし、だいも言葉を窮したと判断したレッピーが「これでこの話はしまいだな」となりかけた、その時——


「ダメ」


 真っ直ぐにレッピーを捉える瞳に僅かな怒りの色を浮かべて、だいがそう告げるのだった。

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