第646話 繋いだ手から

「お——」

 ガラッ

「並んで座ってお話って、本当に二人は仲良しだね」


 だいが何者か、レッピーに俺の考えを伝えようとした瞬間、この部屋に新たな人物が現れる。

 その登場に俺は言おうとした言葉を遮られ、レッピーと共に視線をその人物に向き変える。


「こっち向くタイミングも一緒なんて、ふふっ。息ぴったり」


 その向き直った視線の先の人物は、楽しそうに目を細め、口元に手を当てて柔らかく笑っていた。それはさながら良家の令嬢のようで、ラフな格好とはミスマッチなのに、不思議と非常に品の良さを感じさせてくる。

 でも、チラッと横目に見たレッピーの表情は……明らかに緊張の色を浮かべていた。


「ご飯出来たから、ゼロやん運ぶの手伝ってもらっていい?」

「あ、ああ。作ってくれてありがとな」

「ううん。彼女ですから」

「え、あ、あはは……と、とにかくありがとな。あ、レッピーは座ってろ。運んでくる」


 そんな固まった様子のレッピーを座らせたまま、俺はレッピーからの緊張が移ったのか、含みを感じずにはいられなかっただいの「彼女ですから」発言に乾いた笑みを返し、ひとまずだいの頼みに応えるべくベッドから立ち上がり、キッチンに戻っただいに続いた。


「おお、いつもながらに美味そうだな」

「今日はレッピーさんもいるからね。ちょっと頑張りました」

「ありがとな」


 そして俺が目に入った料理たちに純粋な感動を覚え、それらを運ぼうと並んだ料理の方に向かうと、パタンと小さく聞こえる音があった。どうやらだいが部屋とキッチンを仕切る扉を閉めたようだ。

 それによりさっきまでレッピーといた部屋側とキッチン側とに、明確な境界が現れて……俺は今度はだいと二人きりになる。

 あれ? なんで閉めた? ……すぐ運ぶんなら扉閉める意味ないよな……? え——

 そう気づいて、一気に俺の緊張も高まり出す。

 さっきまでは色々分かった気がしていたのに、こうして二人になると話が違う。

 だって俺が罪を犯した側なのだから。

 だが、俺と二人になっただいに別段変化はない、と思ったのだが——


「ねぇ」

「は、はい?」


 とりあえず何も気づかないフリしてキッチンにあった料理を運ぼうとした俺の背中側から、落ち着いた声がやってきた。

 そこには糾弾の色や、怒りの波動は感じない。

 むしろ落ち着き過ぎてる感が否めない。

 その冷静さが何かだいの感情を伝えてくるような感じではあるのに、俺はそれを掴みきれなくて、俺はだいの気持ちを見失った。

 こんなことは初めてだから……つまりこれは、とうとう俺への追及か……!

 その覚悟を決めながら、俺は振り返ってだいの声かけに若干声を裏返しながら聞き返すと——


「ゼロやんもレッピーさんのこと好きよね?」

「——!?」


 いつの間に肉薄したのか、だいはキッチン前にいる俺との距離をグッと詰め、振り返った俺の胸に両手を当てながらこちらを見上げるだいが、真っ直ぐな瞳で聞いてきた。

 俺が腕を回すだけで抱きしめられるその距離に、今だいがやってきてる。

 その距離に、視線に、何より聞かれた内容に、一瞬にして変な汗が溢れ出て、俺は思わず目を逸らす。

 これは、ヤバい。ヤバいやつだ。

 だってこんな距離、普段だったらやってこない。

 この普段と違うだいの行動に、俺のさっきまでの考えは吹っ飛んだ。

 そして間違いなく、だいの手の位置からして俺の緊張はバレている。

 というかなんなんだ今の聞き方は。

 なんだ今の確信あるというか、確認するような聞き方は。

 ていうか「も」ってなんだ「も」って。……ま、まさか、レッピーは俺が好きで、俺もレッピーが好きって確認か……!?

 その確認を、だいは確信めいた様子で尋ねてきた。

 つまりこれは……この展開の先は……あれ? これやっぱり刺される……!? レッピーと心中展開か……!?

 そんな想像を抱きつつ、チラッとだいを確認すれば……だいの目は先ほどと変わらず真っ直ぐにこちらを窺っていた。

 その視線にブレはなく、むしろ「どうしたの?言い訳するの?」と言わんばかり。

 その視線に俺は「これはもう」と観念し、少しの沈黙の後、一度目を閉じ小さく溜め息をついた。

 そして——


「ごめん」

「む?」


 俺もだいに視線を戻して、彼女の眼差しを真っ直ぐ受け取りながら、俺は胸の内のまま、まず一言を絞り出した。

 だが脈絡がなかったからか、だいは僅かに首を傾げたから——


「あー……えと、レッピーから、色々、聞いた。だから先に言わせてくれ。ごめん」

「え」


 俺は改めて、謝る理由を伝えてから、はっきりとだいに謝罪した。

 謝るとは非を認めること、これでだいが完全に俺より優位の立場に立って、俺を糾弾しやすくなる。もちろんそれは覚悟の上。

 むしろレッピーには言えなかった言葉も、俺にならば言えるかもしれない。

 それを受け取るのは、俺の責務。

 そんな覚悟の上での俺の言葉に、何故かだいの表情がきょとんとした感じになったのだが——


「昨日の件もさ、レッピーからじゃなく俺がだいに先に話すべきだったとも分かってる。だから俺が悪いのは分かってる。だから謝る。……だからさ、その意味のない問いかけは、やめてくんないか?」

「えと——」


 そんなだいに怯まず、俺は言葉を続けていく。

 そんな俺の言葉に、だいの視線があちらこちらに飛んでいき、明らかにこの言葉をどう受け取ればいいか戸惑っているのが伝わった。

 でもだいが慌てるなら、今一気に自分の心を伝えたい。この心を真っ直ぐこいつにぶつけたい。


「安っぽくしか聞こえない状況なのは分かってるけど、俺が好きなのはお前だから。何回でも言う。俺が好きなのはだいだから」


 そして俺の胸に置いていただいの両手を俺の両手でそれぞれにぎゅっと掴んで、改めて好きだと伝えてやる。

 そんな俺の真剣な告白を受けただいは——


「え、あの、んと、どうしたの改まって? ゼロやんが私のこと好きなのは知ってるよ? でも今私が聞いたのは、ゼロやんもレッピーさんのこと好きかどうかだよ?」

「え——」


 俺の目を見つめたまま少しだけ照れた様子を見せながらも、少し困った感じでまるで「こいつ日本語伝わってないな?」的雰囲気を醸し出しながら、だいは俺に優しい口調で問い返す。

 そのだいの様子に、だいと手を繋いだまま、見つめ合ったまま、俺は固まって愕然とする。


 ま、まさか俺めっちゃ真剣に言ったのに、流された……? 響いてない……?


 俺としては本気度100%で伝えたつもりだったのに。


 俺の言葉が、今のだいには届いてない。


 ふわふわ戸惑う様子のだいが、何よりの証拠だろう。

 その様子が俺の脳をぶん殴るかのような衝撃を与えてきて、この現実に俺は自分の心も、だいの心を見失う。

 まさか……今こんなに穏やかなのは、もう俺に対する想いがないから?

 最後は優しく終わりたいから?

 そんな想像に、どんどん血の気が引いていく。


 ああ、くそ。さっきまで大丈夫そうと思い込んでいた自分を殴りたい。


「あれ? どうしたの?」


 そんな俺の様子に気づいてか、だいがその世界一可愛くて綺麗な顔に、優しい心配の色を浮かべてくれた。

 でもこれも、きっと俺のことなんかどうでもいいから浮かべられる顔なんだ。

 そう考え始めると、俺は目の前のだいの顔を見ていることも出来なくなった。

 俺に気持ちがないならば、今のこの様子も腑に落ちる。

 だいは本当に優しい心根をしている奴だから、俺を傷つけないようにしてくれているのだろう。

 本当にこいつは——……。

 

 そして今になって心底自分の愚かさを痛感する。

 自分の愚かさに腹が立ってムカついて、最早だい以外の全てがどうでもいい。

 そんな気持ちにすらなり始める。


「ごめん。……本当ごめん」


 でも、まだだいが目の前にいるから、いてくれてるから。この手にあるものを失いたくなくて、俺は謝ることしか出来ないけれど、どうかせめてと俯いたまま謝罪する。

 情けなくダサいのは重々承知だとしても、今の俺にはこれしか出来ないのだから。

 あー、やばい。泣きそう。


「ねぇどうしたの? ゼロやんさっきからおかしいよ?」


 だが……無情にもこんな俺にだいの慈悲は届かない。

 おかしくなって当然だ。

 自分の大切なものが、ずっと守って、守られて、そばにあったものが、今この瞬間この手からなくなりそうそうなんだから。

 そんな精一杯の想いを胸に、俺はギュッとだいの手を握って、もう一度何とか顔を上げてだいを見つめる。

 しかし——


「それにさ、何に対して謝ってるの? あ、もしかしてさっき帰ってくるなら連絡してって言ったこと?」

「いや、ちが——」


 だいはもう、話を逸らして俺の心をかわしてしまう。

 あー……タイムマシンがあるなら一日だけ、たった一日だけでいいから戻してくれ。

 そんな夢想までしてしまう。


「それは、うん。そこまでになることじゃないから。もう大丈夫だよ。ちゃんと謝ったから許してあげる」

「いや、だから——」

「というかさっきからゼロやんばっかり喋り過ぎ。私の質問にまだ答えてくれてないじゃない」

「え、だってそれは——」


 でも、だいの無慈悲なる慈悲穏やかさは変わらない。

 だいが優しいのも、意志の強さも知っている。知っているからこそ、この残酷なまでの優しさが突き刺さる。

 そしてついに会話の主導権を持ってかれ、俺は何とかそれを奪い返そうと言葉を被せようとするが、それを上回る強さでだいは「貴方たち両思いなんでしょ?」って確認を、俺自身の言葉で確認しようと責めてくる。

 そのブレなさに、俺は言葉を続けられなかった。

 ここで嘘をついても、意味はないだろう。

 だいは昨夜のレッピーへのメッセージに、俺もレッピーのことが好きだと思うと書いてたし、それは序列こそあれ、本音の部分で嘘ではない。というかむしろ好意がないのにそういうことになった方が最悪だ。

 でも、だいの方が大切なんだけどな……。

 そんな想いを最後に抱き、見苦しく嘘をつくのだけはやめようと、俺は諦めの境地でだいの言葉を待つように、彼女の唇が動くのを見ていると——


「ゼロやんも、レッピーさんのこと好きだよね?」

「ああそう——……へ?」

「え?」

「私と、一緒で? レッピーの俺に対する気持ちと一緒で、じゃなく?」

「え? むむ?」


 ……私と、一緒で?

 レッピーが俺のこと好きなように、俺もレッピーのこと、じゃなく?

 だいと一緒で? ん……?

 ……んん?????


 完成された料理たちが生み出す湯気が細くなっていく中、語尾を上げながら言葉を交わし見つめ合う俺たちの思いは一つ。

 そう、互いに相手の言ってる言葉の意味が分からず困惑する俺たちの胸には——


 ど う い う こ と ?


 きっとそんな感情が渦巻くのだった。

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