第160話 早起きは三文の徳?
「ん……」
昨夜は何だかんだ1時過ぎまで盛り上がり、そこから後片付けをして就寝する流れだったので、布団に入ったのは1時半過ぎだった。
なので朝食予定の8時ギリギリまで寝ようと思った俺だったのだが、体感的に予定よりも早く目覚めてしまった気がした。
枕元に置いたスマホで時刻を確認すると、まだ6時8分。
隣見ればあーすはこちらに背を向けて、大和の方を向いて熟睡中のようで、俺が起きたのに気付いた様子もない。
上体を起こして大和も確認すれば、豪快に布団を吹っ飛ばしつつ、仰向けに眠ったまま。
当然起きる気配はない。
「……起きてしまった」
だが、そのまま二度寝しようと思うも、何故か今は眠気がない。
むしろスッキリというか、そんな快適な目覚め。
なんだろ、昨日のもやもやが取れたからかな?
さてどうするか……。
と、考えること数秒。
うん、せっかく温泉宿なんだしな。朝風呂でも行くか!
そう決めた俺は、寝ている間に少し乱れた浴衣を着直し、タオルだけを持って男部屋を後にするのだった。
「あれ」
朝の静寂を保つ旅館の廊下に人影はなく、寝ている人もまだ多いだろうから、なるべく物音を立てないように俺は廊下を歩いていた。
だが、温泉の方へ向かう通路の角を曲がった時、少し先に同じ目的地へ向かっていそうな、見知った後ろ姿を発見。
「あ、おはようございます」
思わず漏れた声に気づいたのか、その後ろ姿の主が足を止め振り返る。
その様はまるでリアル見返り美人のような姿になった、ゆきむらだった。
「おはよ。ゆきむらも朝風呂か?」
足を止めたゆきむらの方へ軽く手を振りながら近づく俺。
少し先にいたゆきむらも、俺が来るのを待ってくれたようだ。
「はい、せっかくですので。いつもこの時間には起きているので、目が覚めてしまいました」
「おお、朝はえーな」
横並びに通路を歩きつつ、眠気を感じさせないゆきむらと何気ない会話を交わす。
昨日の夜と変わらない様子だが、やはりあれだな。ゆきむらは浴衣似合うなー。
後ろで束ねた黒髪ロングにすらっとした細身に白い肌と、ほんと浴衣と相性抜群だなこいつ。
「一緒に入りますか?」
「ちょっ、ここは男女別だからね?」
「ふふ、冗談です」
「えっ!?」
ゆ、ゆきむらが冗談を言っただとっ!?
あのゆきむらが!?
無表情のように見せて、口元に小さく笑みを浮かべるゆきむらの顔を唖然としたまま見つめてしまう俺。
いや、マジでびっくり。
「せんかんさんとあーすさんはまだ眠っているんですか?」
「ああ。ぐっすりだよ。そっちは?」
「ゼロさんたちが部屋に戻られたあと、しばらくお話していたので、こちらも皆さんはまだ眠っているようです」
「けっこう起きてたのか」
「はい。ところで」
「ん?」
一緒に歩きながら尋ねてくるゆきむらが、何か聞きたげな様子で俺を見る。
なんだろうか?
「ゼロさんは、SとMどちらなんですか?」
「はあっ!?」
待て待て待て待て!!
どうしたゆきむら!?
なんでお前がそんなことを聞くんだ!?
だ、誰がお前にそんな言葉を!?
って、一人しかいないけど!!
「私はいまいちピンときていないのですが、いじめられたり痛いのは嫌なので、Sなんでしょうか?」
「う、うーん、どうなんだろうね?」
いや、考えたこともねえよ!!
真面目な顔して朝からほんともう、この子は!!
「ちなみにゆめさんとジャックさんはSで、ぴょんさんはケースバイケースだそうです」
「そ、そうなんだ……」
ゆめはそうだろうなーでもジャックはちょっと意外……って何だぴょんのケースバイケースって!?
いや、ていうかそもそもその情報いらないから!!
「だいさんはMかも、って仰ってました」
おいいいいいいいい!?
え、だいまでその話乗っかったの!?
どうしただい!? お前、そんなキャラだったかっ!?
「SとMだとバランスがいいんですよね? だとすれば、だいさんと仲が良いゼロさんは、Sということでしょうか……」
「真面目に考えなくていいからな?」
「でも、ゼロさんは人をいじめたり、攻撃したりしませんよね……むむ」
「いや、だからね!?」
日常的にS要素なんか出しませんから!
それはそういう時だけ……って、俺も何考えてんだおい!!
一瞬変な妄想をしかけた俺の表情に何か思うところがあったのか、隣を歩くゆきむらがいきなり歩みを止めた。
一歩ほど先に進んだところで、その様子に気づいた俺も立ち止まり、どうしたのかとゆきむらの方へ振り替える。
そしてじっと俺の顔を見るゆきむらが、そっと右手を上げてくる。
え、何!?
「……えい」
「ふぇ?」
上げてきた右手で何をするのかと思えば、なんといきなりゆきむらが俺の頬をつねってくるではありませんか。
そして何やら思うところがありそうな様子で、じっと俺を見つめてくるゆきむらさん。
え、いや、なに、どうした!?
頬をつねられ、引っ張られたせいで間の抜けた声になってしまったが、予想外すぎる展開に俺の脳は完全に混乱状態である。
「嬉しいですか?」
「……ふぁい?」
そのまましばし、廊下で年下の女の子にいい年したおっさんが頬をつねられるという事案発生。
全く持ってよくわからない状況だが、ゆきむらは依然としてぽーっとした表情のまま、俺の頬をつねりつづけていた。
「……あんまり嬉しそうじゃないですね。ということは、ゼロさんはS?」
「いや、ほんとぴょんから何聞いてんの!?」
不思議そうな顔を浮かべてゆきむらが俺の頬から手を放す。
あまり強く力をいれなかったのは、ゆきむらの優しさだったのだろうか……。
「今度はゼロさんがやってください」
「はいっ!?」
いやいやいや!?
え、俺がゆきむらのほっぺつねるの!?
いや理由がないよ!?
って、そんなに期待した顔でこっちみないんでくれ!!
立ち止まったまま、ゆきむらが「さぁつねよ」と言わんばかりに俺の方へ見る。
いや、待たれると逆にやりづれーよ!! やらねーけど!!
「どうぞ」
「え、あ、いや……」
なかなか俺が頬をつねらないのに何を思ったか、ゆきむらが俺の右手を取り、ゆきむらの顔のそばまで持っていく。
いや、でもね、やっぱりつねったりとかはね、いきなりじゃやりづらいからね? いや、まずやらないんだけど。
だが。
「あ」
何もしない俺に見かねたか、ゆきむらは俺の手をさらに自分の頬へ近づけさせ、俺の指を頬へと当ててきた。
俺に触れられた瞬間、ゆきむらが小さく声を漏らす。
「……こうして触れられると、何だかちょっと嬉しいです」
「え、あ、そ、そーなんだ……ははは」
いや、ははは、じゃねーだろ俺!!
え、何この子!?
え、可愛いんですけど!?
嬉しいです、そう言ったゆきむらは言葉通り、何だか嬉しそうな表情にも見えて……いやいや、いかんいかんいかん!!
流されるな俺!!
「ほ、ほら。早く温泉行こうぜ?」
聞かれていた問いには答えないまま、ゆきむらの手に掴まれたままの右手をそっと下ろし、俺はなるべく動揺していないように装いつつ、俺は再び歩を進めるよう促す。
だが。
「恋人同士だと、キスをしたりするんですよね?」
「へ?」
俺の促しもむなしく、ゆきむらの足は動かない。
というか、まさかの質問ですよ!
あと次の角を曲がれば脱衣所に辿り着けるというのに、この距離がなんと遠いことでしょうか!
「ゼロさんも、だいさんとキスされたりするんですか?」
「え、あ、ああ。まぁ、うん。付き合ってるから、ね」
これに答えるのの、なんと恥ずかしいことか……!
昨日の夜もしてました、とか絶対言えないけど!
俺の答え聞いたゆきむらは、相変わらずの表情を変えないままじっと俺の顔を見つめてくる。
なんとかSMトークをかわしたと思ったのに!
な、なんだ!? 次は何を言うんだ!?
「でも、ドラマとかだと付き合う前でもキスしていたりすることありますよね」
「え、ああ、うん。あるね、たまに」
「私はまだ、したことがないんですけれど」
いつもの表情のまま、ゆきむらが俺の正面へと移動してくる。
何が起きるか分からないゆきむらの言動に、俺はまるで硬直したかのように動けない。
ゆきむらがそっと自分の唇に指をあてるせいで、無意識にも意識がそこにいく。
全体的に薄めの顔立ちだし、唇も薄めだよなーって、いや考えるな俺!
「してみても、いいですか?」
「え……」
そう言って、ゆきむらの顔が俺の顔に近づいてくる。
綺麗な素肌だなーとか、至近距離にあるゆきむらの顔にそんなことを思ったり……。
というか、せめて少し照れるとかさ、そういう様子ないわけ!?
脳は全力で混乱するのに、まるで身体が動かない。
あと数センチで唇と唇が触れそうな距離に、ゆきむらが迫る。
ま、まずい……!
だが、そんな彼女から目を離せない俺の目が、そっとゆきむらの瞳が閉じられたのに気付いた。
「ダ、ダメだって!」
その瞬間、俺の全神経が硬直から解除され、ようやく身体を動かしてくれた。
慌てて両手でゆきむらの肩を掴みストップをかけ、ゆきむらの身体を押し返す。
「こういうのは、ちゃんと好き同士じゃないと、ダメだから」
「そう、ですか」
まるで生徒に注意するような俺の言葉に、少しだけゆきむらの表情が残念そうというか、悲しそうな色を帯びた気がした。
その様子に少し胸が痛む思いだが、でも俺も安易に受け入れるわけにはいかない。
「すみませんでした。私がゼロさんのこと好きでも、ゼロさんもそうじゃないとダメですもんね」
「う、うん。しかも初めてなんだろ? それは大事にしないとダメだぞ?」
「はい。わかりました」
「うん、そうしてな」
ようやく分かってくれた感じがしたので、俺はほっと安堵し、ゆきむらの肩から手を放し、よくできましたとばかりにゆきむらの頭をぽんぽん。
「あ」
「あっ! ご、ごめん!」
や、やってしまった!! 無意識の内にやってしまった!!
「謝らないでいいですよ? 私は嫌じゃありませんし」
慌てる俺とは真逆に、ゆきむらが嬉しそうな笑みを浮かべる。
先ほどまでの悲しそうとか、そういう僅かな変化ではなく、明らかに嬉しそうな表情。
相変わらずこの笑顔は可愛い……っていかん! 落ち着け俺!
「ゼロさんに触れられるのが嬉しいので、もしかしたら私はMなのでしょうか?」
俺に触られた頭に自分でも触れつつ、ゆきむらは笑顔のままそんなことを言ってくる。
「ど、どうなんだろうな?」
俺に言えたのはこのくらいで。
これ以上ゆきむらの顔を見ていると恥ずかしくなってきそうなので、俺はさっさと温泉に入ってしまおうと歩みを再開し、ゆきむらが俺に続く。
「今日も一日楽しみましょうね」
「お、おう」
そしてそれぞれ脱衣所の前に到着し、いつものトーンのゆきむらの一言。
まだ少しさっきの笑顔の余韻を食らっている俺にできた返事は、一言だけだった。
ゆきむらと別れ、脱衣所に入るとどうやら先客は一人もいないようだった。
その状況を確認しつつ、一度落ち着くためにため息をつく。
うーん……やっぱり可愛いんだよな、ゆきむらも。
いや、可愛いからイコールで好きってわけじゃないけど、同じギルドの仲間だし、あれだけ俺に好意を示してくれるのは、正直嬉しくないわけじゃない。
でも俺にはだいがいる。
比べるわけじゃないけど、やっぱり隣にいてほしいのはだいだから。
……何とか傷つけず、平和にいければいいんだけど。
あれこれと考えながら、浴衣を脱いで温泉へと向かう。
誰もいない温泉は俺の貸し切りで、ささっと身体を流してから、昨日みんなで浸かっていた露天風呂へと入る俺。
あー、ひと段落……。
だが、まだ俺の脳裏にはさっきの超至近距離で瞳を閉じていたゆきむらの顔があった。
それを振り払うように、何度か首を横に振る。
たしかにゆきむらは可愛いけど、優先順位を間違えるわけにはいかない。
これ以上あいつの泣く姿は見たくないから。
俺が守りたいのは、あいつの笑顔だから。
頭の中にあいつの笑顔を浮かべて、心を落ち着かせる。
朝からいきなりで色々テンパったけれども、一人のんびりと温泉に浸かりつつ、俺はこれから自分がすべきことを、一つ一つ考えるのだった。
どうか今日は穏やかに過ごせますように。
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以下
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(宣伝)
本作スピンオフシリーズである『オフ会から始まるワンダフルデイズ~Side Stories~』。現在は〈Airi〉と〈Shizuru〉のシリーズが完結しています。
え、誰?と思った方はぜひご覧ください!
3本目、2020/8/8以降になると思います……! 頑張ります。
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