第3章 不器用な恋愛編

第75話 親父にはぶたれたことあるけど!

 どれくらい座り込んでいたのかは定かではないが、明けゆく空の陽の光に打たれ、俺の脳が緩やかに動き出してくれた。


 ああ、そろそろ帰らないとな……。

 スマホも家に置きっぱなしだし、やばいな、家主不在とか、みんな心配するよな。


 時計を見ると既に時刻は午前4時半。

 うわ、ほぼ完徹かんてつじゃん……。


 よろよろと俺は立ち上がる。

 昨日朝から着っ放しのYシャツとスラックスが気持ち悪い。

 帰ってシャワー浴びるか。うん、とりあえずそうしよう。


 そう思って俺が歩き出すと。


「うっわ、なんか捨て犬見つけた気分だわー」

「え?」


 不意に聞こえた、聞き慣れた声。


「いやー、気を遣ったつもりだったのに、何、爆死?」

「そ、そんなことねぇよ!?」

「はぁ? じゃあなんでゼロやんそんな顔してんの?」

「え?」

「イケメンの泣き顔とか、いやまぁそれなりにそそるけどさ」

「は!? な、泣いてねぇよ!」

「ばーか、自分の顔見てから言えよ」


 泣いてるのくらい、自分でも分かってるよ……。

 でも少しくらい、強がったっていいだろ。


 それでも、知ってる人の安心感なのか、俺が貸したTシャツにジャージ姿のぴょんの声に、なんだか少しだけ心が軽くなる。

 化粧も落としてすっぴん状態だが、正直すっぴんでもそんなに違いは感じない。


「っていうか、なんでぴょん、ここに?」

「あん?」

「いや、だってだいの家がどことか、知らないだろ?」

「ああ、知らないねー」

「じゃ、じゃあなんでだいの家の方わかったんだ?」

「わかったんだ、じゃねえよ、ったく。今何時だと思ってんだ?」

「え……4時半……だけど」

「あたしがシャワー出たの3時頃だぞ?」

「あ」

「何となく出てった音は聞こえた気がしたけどさ、二人とも部屋の中にもいねーし、だいの鞄はねーし、ゼロやんはスマホ置いてくし、だいは電話でねーし、ああもう1回シャワー浴びさせてもらいてーわ」

「え」


 よく見れば、Tシャツがぴったりとぴょんの身体にはりついている。

 こいつ、まさかこんな汗かくまで、俺のこと探してくれたのか?


「なんかあったんじゃねーかと焦ったわー」

「ごめん」

「いや、なんかあったみてーだけどさ」

「ごめん」

「ゼロやんとだいの二人で、なんでそんなことなってんの?」


 真っすぐに俺を見てくるぴょんの視線に、耐えられなくなる。

 だいの言葉がよみがえり、俺の心を絞めつける。

 うつむいた俺だったが、俺の頭に、ぴょんが触れてきた。


「とりあえず話せ。話せばすっきりする。胸に抱えた言葉は吐き出さないと、お前の心に留まり続けるぞ」


 顔をあげると、朝日を後光にしたぴょんの、真剣な眼差しが俺を捉えていた。

 普段はふざけてばっかなのに、やっぱこいつ、教師だなー。

 俺の方が経歴長いのに、これじゃ俺が指導受けてる生徒みたいだ。


「だいさ、好きな人いるんだって……」


 思いのほか、その言葉は簡単に俺の喉を通ってくれた。

 一度出ると止まらない。せきを切るように、俺はだいの家で聞いたことや、俺が思ったことを、話し続けた。



 10分くらいだったのかな、ぴょんの前では、全てを話せた。

 俺の家とだいの家のちょうど中間くらいという、何とも変な場所での立ち話だったが、ぴょんは俺の言葉を全て聞き終わるまで、しっかりと聞いてくれた。

 ぴょんの言う通り、言ったら少しすっきりした気がする。


「なるほどねー、だいに好きな奴ねー」

「うん、そうみたい」


 とりあえず俺の家に戻るほうに歩きながら、俺はぴょんと言葉をかわす。

 まもなく午前5時。少しずつだが駅の方に向かう人も、現れてきた。こんな朝からご苦労様です。


「で、お前はどうしたいんだ?」

「……え?」


 俺が、どうしたい?

 あー、そりゃそうだよな。ぴょんからしたら、こんな話聞かされても、だから? って思うよな。

 俺がどうしたい、か……。


「別にだいに好きなやつがいたって、だいの自由だろ」

「そう、だよな……」

「ゼロやんがだいのこと好きなのだってゼロやんの自由だしさ」

「そう、だな」


 帰路を歩く足は、思ったよりもしっかり動いてくれた。

 そしてぴょんの言葉に曖昧な相槌を打ちながら歩いているうちに、俺たちは俺の家まで戻ってきた。


「あーもう、じれってーな!」

「え?」


 俺のアパートの階段を登りつつ、階段の踊り場で足を止めるぴょん。


「おい、ゼロやん、目つぶって歯食いしばれ」

「えっ?」

「いいからやれ!」

「は、はいっ!」


 ぴょんの迫力に圧倒され、俺は覚悟を決めて目を閉じて歯を食いしばる。

 確かに女々しかったのは自覚あるけど、ちょっとこの展開は考えてなかった!


 あー、気合入れられるビンタされるとか、学生以来か?


「いくぞー」

「お、おう!」


 さらにぎゅっと目をつぶり、歯を食いしばり、衝撃に備える。


「え?」


 だが。

 予想していた衝撃は、こなかった。

 というか。


「ひゃあ!?」

「おー、なんだ、じゃん?」


 耳元に向けて囁かれる、甘い声。


「な、なにすんだよ!」


 自分でも自覚できるくらい顔が熱い。間違いなく赤くなってるのが分かる。


「ちゃんと元気あんのか確認だよ」

「そ、それはお前が……!」

「あーん? あたしがなんだって?」


 ああもう! なんなんだこいつは!


 気合をいれるために覚悟を決めた俺に訪れたのは、予想外の温もりだった。

 目をつぶった俺にぴょんがやってきたのは、まずはハグ。

 からの優しく耳を噛まれ。

 そしてスラックス越しにアレ俺の俺を触られた。


 全てが予想外で、耳を噛まれたことによる刺激でが、これは不可抗力であるといいたい!

 あ、ちなみにハグの時に反応したわけではないからな!


 赤面したまま俺は、にやにやしたぴょんを睨みつつづける。


「結局、誰でもいいのかー?」

「は?」

「誰でもいいから突っ込んで、腰振って出して満足。それでいいのか、っつってんの」

「はぁ!? 何言ってんだよ! そんなわけねーだろ! ちゃ、ちゃんと相手のこと知って、好き同士しか、そういうのはダメだろ!」

「あ? なんつった?」

「だから! ちゃんと相手のこと知って――」

「なんだ、わかってんじゃん」

「え?」


 突然恥ずかしげもなく卑猥なことを言い出したぴょんだったが、その表情はいたく真剣そのものだった。

 まるで俺の心を見透かすような、そんな眼差しだった。


「ゼロやんにだってだいにだって、自分の過去があんだろーが。それをお前はちゃんと教えて、教えてもらったのか?」

「そ、それは……」

「ゼロやんさ、倫理の先生だからって、人の考えとか心とか、目に見えないものばっか考えるの得意面してんじゃねぇぞ、ばーか」

「は?」

「目にもちゃんと見ないと、意味ねーぞ?」

 

 なんだ? 目に見えるもの?

 どういうことだ?


「あーあ。これでもあたしも争奪戦エントリー者のつもりなんだけどねー。敵に塩送っちまったやー」

「え?」

「なんでもねーよ、ばーか。おら、帰んぞ」

「帰んぞって、俺んちだろーが……」

「うるせぇな、細かいこと気にすんな粗〇ン!」

「おい!?!?!?」

「あ、でも割とでかかったわ。ごめん、巨〇ンに訂正するわ」

「朝からやめろ!!」

「いやぁ、でも案外可愛い声出すのなー」

「やめんかい!!」


 ぴょんは笑っていた。

 つられて俺もいつも通りのツッコミモードになっている。


 そしていつの間にか、俺も普段の自分に戻っている。

 くっそ、このまな板が……!


 でも、目に見えるものも、ちゃんと見ろ、か。

 そうだよな、だいの想い人はわかんないけど、俺はだいの前に行ける。会うチャンスは幸いある。

 ぶつかってかないと、ダメだよな。

 当たって砕けたって、死ぬわけじゃあるまいし!

 

 俺がどうしたいか、見えてきたら心が軽くなった。

 LAと同じだ。〈Zero〉だって、強敵に挑んで、何回も死んだ戦闘不能になった。でも、何度でも立ち上がってきた。

 俺なんてまだ、戦ってもいないのに。


 俺の一歩先で階段を登るぴょんは、あくびをしている。


 こいつ、いい奴だな……。


 俺は心の中でぴょんに感謝しつつ、彼女の後ろを追って、我が家へと戻るのだった。

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