第39話 逃げちゃダメだ。逃げちゃダメか? 逃げてもいいですか!

 山下さんが半歩ずれて、彼女の後ろにいた女性が、俺の視界に入る。

 同時にその女性も、驚いたように目を見開いていた。


 現れたのはマスクをつけた、女性。

 ちょっとそこまで、というような白のワイドパンツに薄手の紺のパーカー姿。


 俺はこの人を、


「……りんりん」

「え? 亜衣菜さん、お知り合いなんですか……?」

「ひ、久しぶりだな……」

「う、うん、ひさしぶり……」


 小柄な身体のくせに、圧倒的な主張を見せてくる胸のふくらみ。

 それにマスクで顔が隠れていても、彼女の特徴的な愛らしい猫のような目は隠せない。

 外はねした活発さを感じさせる茶色い髪も、昔から変わらない。

 ほぼすっぴんだろうが、年齢を感じさせない若々しい肌。


 ええ。どう見ても、武田亜衣菜元カノさんです。


「お次の方ー」

「あ、私たい焼き買ってます! ちょっと待っててください!」

「あ、うん、ありがと」


 たい焼き屋から少しだけ離れ、俺とだい、亜衣菜の3人が山下さんがたい焼きを買い終わるのを待つ。

 だいは物凄く居心地が悪そうな顔をしているが、俺だって逃げれるなら逃げたい。


 俺一人で遭遇したんだったらまだしも、どう考えたって、このタイミングで会うべき人ではないだろう!


「えっと、そちらの人は……?」

「あ、うん。こちら里見先生」

「はじめまして。私は里見菜月、北条先生と部活で合同チームを組んでる学校の教師です」

「あ、はじめまして……武田、亜衣菜と申します」


 だいのやつ、愛想ねーな!

 亜衣菜のやつ、完全にだいにビビってるじゃないか。

 これじゃ、どっちが年上かわかんねーな……。


「お待たせしましたー。えーっと、それで、北条先生は亜衣菜さんとどういうお知り合いなんですか?」

「え、いや、その」

「お、同じ大学だったんだよあたしたち!」

「お、おう。そう、そうなんだ」

「あ、そっか。亜衣菜さん大卒ですもんねっ」

「まぁ、これでも?」

「すごいなぁ、私が教えてもらった先生が、私がマネージャーしてる方の知り合いなんて、これもう奇跡じゃないですか!?」

「そ、そうだね~」


 たい焼きを買って戻ってきた山下さんのテンションに押される俺たち。

 くそ、なんだこの状況。逃げたい。心から逃げたい!

 俺の気持ちを表すように、俺が手に持ったままのたい焼きは、どんどん冷めて固くなっていく。


「そうだ! もしお時間あったらこの後少しうちの事務所でお茶でもしませんか? 先生たちもたい焼き好きみたいですし、いい茶葉があるんです!」

「え?」

「私は帰るわよ」

「あ、待って里見さん!」

「え?」

「よ、よかったら、り……北条くんの仕事の話とか、聞かせてほしいな、なんて」


 おい!!!!!

 亜衣菜よ! なぜだいを止める!?


「え、なんで私が……」

「い、いや俺たち明日も仕事だからさ! さすがに、そろそろ帰らないと!」

「えー、せっかくだから少しだけでも行きましょうよ! 私、大学時代の亜衣菜さんの話聞きたいです!」

「いや……」

「お願いします!」


 山下さあああああん!!

 空気読んでえええええええええええええ!!!


「……わかりました。少しだけなら」

「え、マジ!?」


 おおおおおおおおおおい!!!

 どうした、何がどうなってその判断になった!?


 亜衣菜がだいと話したいと言った理由も分からないし、だいが同意した理由もわからん!!

 一体全体、何がどうなってんだ!?


 だが、この前のオフ会で俺は一つ学んでいた。

 女3人に対し、男が1人の状況と言うのは、男にはどうしようもないのだということ。


 どうしようもないので俺は、とりあえず手に持ったままのたい焼きを完食しつつ、亜衣菜たちの後ろを歩くのだった。




 山下さんの案内で連れられたのは、駅から割と離れたところにあったマンションの一室だった。

 聞けば事務所とは言うもののが、ここで亜衣菜と山下さんは一緒に生活もしているらしい。

 え、それつまりここ、女の子の家だよね!?


 女の子らしい小物の数々や、綺麗に整えられた内装に、行き届いた清掃。

 だがどことなく生活感も感じる、本当に二人が住んでいることを感じさせる気配が、そこにはあった。

 なんか、いい匂いがする気もするな!


 その家の中のリビングで背の低いテーブルを挟み、俺とだいが並び、俺の正面に亜衣奈がくる形で座る。

 亜衣菜も家の中ではマスクを外し、マスクの下に隠れていたすらっとした鼻梁と、懐かしいアヒル口を見ることができた。改めてやっぱりこいつ可愛いなとか、思ってしまう。

 正面に可愛い女性、隣に美人な女性。


 どう見ても羨ましがられる状況なのだが。

 正面にいる女性にというステータスを付与するだけで、これは一気に修羅場に感じる。


 いや、なんだこれ、ほんと、どういう状況だ。


 山下さんはお茶をいれつつ、冷めてしまったたい焼きをトースターで温め直してくれている。

 先ほどから会話はないし、くそ、どうすればいいんだ……!


「セシルさん、ですよね?」

「え!?」

「私も、LAをやってますので……」

「あ、そうなんだ……え、ってことは!?」


 沈黙を破ったのは、だいだった。

 今だいが何を考えているかは分からないが、そうか、まずそう切り込んだか。

 うん、じゃあ流れはLAの方にもっていけばいいのかな!?


「あー、うん! 俺たち同じギルドなんだ!」

「えーっと、【Teachers】の女性だと、ゆめさん?」

「あ、いえ、私、ゲーム内だと男キャラなので」

「あ、そうなんですね……。じゃあ誰だろ?」

「【Teachers】について詳しいんですね」

「え、いや、うん。ほら! 動画もあげてるの見ますし!」

「本当にそれだけですか?」

「え?」

「北条先生が、うちのギルドにいるからじゃ?」


 うおおおおおおおおおお!!!

 待て待て待てマテマテマテ!!!!!

 やめろ!! 流れで俺の名前を出すな!!!


 亜衣菜が少し驚いたような顔で、俺に視線を送る。

 うん、これは……俺が何か話したってこと、バレたよね。そうだよね。

 ごめんなさい!

 でもさ、まさかギルドメンバーと一緒に飯食いにいくようになるとも、一緒にいるときに亜衣菜に会うとかも、普通考えないだろ!?

 俺が話したのはオフ会前だったし、許されるよね!?


 いや、はい、ごめんなさい。


「え、えーっと、里見さんはりん……じゃなくて、北条くんから何を聞いたんですか?」

「呼び慣れてる呼び方でいいですよ」

「え、いや、あう……」

「ちなみに、っていう話は聞きました」


 うおおおおおおおい!!?


 どうする俺! どうする!?


 平静を保てず、俺は頭を抱える。

 俺の脳内の選択肢はまるで某RPGのようで。


>【たたかう】

 【にげる】

 【にげたい】

 【にげよう】


 誰が戦うかバカヤローーー!!!!!

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