短編集:マイトの思い出(2)
ミサヤが魂斬邸に来て、その日のうちに歓迎会が開かれた。
しかし、歓迎会は当然の如く荒れ模様であった。
結絃が予め注文していたのだろうか。門番代わりに玄関へ立つ警備用エマボットが、家に届いた高級料理店の仕出し弁当を受け取り、居間へと運んで歓迎会が始まると、命絃とミサヤの対立がすぐさま表面化したのである。
命彦を左右から挟むように、命絃とミサヤが席に着き、2人で競うように世話を焼く。
褐色の肌と白髪を持ち、魔力物質製の異国風の装束で身を包む美女姿のミサヤが、器用にお箸を使って命彦の口へと料理を運んだ。
「マヒコ、あーんです」
「あーん、はむはむ。んーおいしい!」
「ミサヤちゃん、お箸の扱い上手いのね?」
「ええ。昨晩迷宮でマヒコ達から夕食を作っていただきまして、その時にマヒコから教わったのです」
「えっへん、おしえたのです!」
誇らしげに言う幼くも可愛らしい命彦の様子を見て、魅絃達が笑っていると、その命彦の口元に横合いから出汁巻き卵を挟んだお箸が伸びた。
「まーちゃん、あーんは?」
箸を扱うのは命絃である。どうやら、命彦がミサヤと親しげにする態度に怒っているらしい。
姉の怒気を感じ取り、命彦がビクつきつつも口を開ける。
「あ、あーん……むぐむぐ」
「はい、これもあーん」
「あーん、もきゅもきゅ……」
ミサヤに見せつけたい一心で、次から次へと命彦の口元に料理を運ぶ9歳の命絃。
命彦の口は、呑み込むのが追い付かずにパンパンに膨らんでいた。
お茶を飲もうと湯飲みを見た命彦の視線に気付き、命絃が手を伸ばした時である。
湯飲みが横合いから伸びた手にスッとさらわれ、命彦へと差し出された。ミサヤである。
「はい、マヒコ。お茶をどうぞ」
「……っ! ごくごくごく、ぷはっ! ありがとうミサヤ!」
命彦がミサヤにお礼を言うと、命絃がすぐさまミサヤへ噛み付いた。
「もう! まーちゃんの世話は私がするのっ!」
「今からは私が世話役ですよ? ユイトからもそう命じられましたしね?」
命絃が対面に座る祖母の結絃を見ると、結絃はうんうんと首を縦に振った。
「まあ、確かにウチが言うたね……」
「お、お祖母ちゃんっ!」
裏切られたという表情を浮かべる命絃へ、結絃が言う。
「命絃はまだ子どもやし、まー坊の世話するいうても限界があるやろ? その点ミサヤはちゃうし……」
「私がまーちゃんの世話をするの! 世話したいの!」
「まあ、あんたがまー坊を構いたいのは分かるけど、もっと自分で自分のことをできるくらい成長してからでも、ええと思うで?」
「いやっ! まーちゃんの世話は私がするのっ!」
「私としては、そこは譲れません。我が主の世話をするのは、従者として当然の務めです」
命彦を抱き締めて抗議する命絃と、ミサヤが互いに
両者の間に挟まれた命彦は怯えてオロオロし、姉とミサヤを交互に見ていた。
窮地に立つ命彦へ、助け船が出される。母の魅絃と祖父の刀士であった。
「はいはい、そこまで! 2人とも、まーちゃんが怯えてるわ?」
「そうじゃぞ? 飯は楽しく食べるもんじゃ、のうまー坊?」
「うん!」
命彦がパッと顔を輝かせて返事をすると、命絃とミサヤは少し反省した様子だったが、食事の世話はまだ続いた。ミサヤの歓迎会の筈だったが、いつの間にか命彦の世話合戦へと移行している。
「まーちゃん、はい」
「マヒコ、こちらも美味しいですよ」
自分の口元に左右から運ばれて来る料理を、命彦は文句も言わずに食べ続けた。
「あーん……あぐあぐ。ごくり……けぷぅ」
命彦は幼くとも、その場の空気で命絃とミサヤの対立には気付いているのだろう。
対立を解消したいが、幼さゆえに良い考えが出て来ず、結果的にどちらにも気を遣って、自分が苦しんでいた。
次々に口元に来る料理を食べて、腹をパンパンにしている幼い命彦。
苦しそうにしているが、黙って耐えている。
ここで自分がもう無理と言えば、それをきっかけに2人が衝突するかも、と怖がっている様子であった。
それを見かねた魅絃が、刀士と目配せし合い、また助け船を出す。
「まーちゃん、一杯食べたわね? 偉い偉い。それじゃ、お祖父ちゃんと一緒にお風呂に入って来たらどう?」
「そうじゃの、迷宮へ行って疲れただろう? ワシも疲れた、男同士でゆっくり入ろうかのう」
命彦の
「わかったー! じいちゃんとおフロはいる!」
サッと席を立つ刀士と命彦。命絃とミサヤが、刀士へ言う。
「待った、お祖父ちゃん!」
「マヒコの湯浴みは私の役目です」
「私の役目よ! いつも2人だけで一緒にお風呂入ってるもん!」
「いやいや。私と一緒に、3人でお風呂に入ってる時もあるでしょう?」
「ウチと刀士の3人で入っとる時もあるねえ?」
魅絃と結絃が、命絃の嘘を即座に指摘すると、命絃がプリプリ怒って言う。
「もう、お母さんとお祖母ちゃんは黙ってて! ほとんど私が一緒に入ってるって意味よ! とにかく、私がまーちゃんをお風呂に入れてあげるの!」
「いいえ、世話役として私が入れます」
むきーっと牽制し合う、命絃とミサヤ。
刀士が、魅絃と結絃に目配せして言う。
「アホらしい……まー坊、風呂じゃ風呂」
「はーい!」
命彦を抱き上げ、勝ち誇るように不敵に笑った刀士は、さっさと居間から出て行った。
「あ、ちょっと!」
「マヒコは私が世話すると……」
席を立とうとする2人を、結絃と魅絃が制止する。
「あんたらは座っとき」
「そうね、ちょっとお説教が必要だし」
笑っているものの、目が据わっている魅絃の迫力に、命絃は勿論、魔獣のミサヤまでも気圧された。
居間の机の上にある食器を片付けつつ、魅絃が口火を切る。
「2人とも、まーちゃんが好きだということはよく分かるけどね」
「好意や世話の押し売りはあかんやろ? ましてやまだ幼い命彦を怖がらせたり、怯えさせたりするんは、世話役としてどうやねん? 失格って言われても仕方あらへんと思うで?」
机の対面に座る結絃の言葉を聞き、ミサヤがシュンとする。
「うぅっ……」
言葉に詰まっている様子のミサヤを見て、ぷぷっと笑う命絃。
その命絃にも、魅絃と結絃の叱責が静かに飛んだ。
「ミサヤちゃんのこと、笑ってる場合かしら、命絃?」
「そやで命絃、あんたにも問題がある。命彦を構いたい、お姉さんぶりたいのは分かるけど、弟の前で駄々こねる姉は、姉とちゃう。ミサヤに対抗意識を持つんはええけど、それに振り回されて姉らしさを失ってどうすんねん」
「うぐっ! そ、それは……」
「まあ、多少頭が切れると言っても、所詮9歳の
魅絃がわざとあてつけがましく子どもと言うと、命絃もさすがに堪えたのか、ぐっと押し黙った。
「まー坊は優しい子や。今回の件であんたらを嫌ったりすることは、まずあらへんやろ。もしかしたら、いっちょ前に自分のせいかもって、責任さえ感じ取るかもしれへん。けど、世話役が世話されとる側に気い遣わせるんは、そもそも世話役として失格や。あんたらどっちにも言えることやで? よう考えや?」
「はい」
「……分かった」
いじけるように命絃は席を立ち、居間を出て自室へと引き籠る。
自室の寝台の上に座り、膝を抱えてしばらくの間考え込む命絃。
突然の展開で戸惑いもあったとはいえ、落ち着いて思い返すと、確かに自分は姉らしからぬ行動をしていた。
それが分かる程度に、命絃の精神年齢は高かったし、頭も切れる子どもであった。
しかし、そうは言っても子どもは子ども。理性で感情を押さえることは難しい。
「まーちゃんは、私のだもん……」
自室に木霊する命絃の言葉が、全てを物語っていた。
命彦はいつも自分の傍にいた。傍にいることが当然だった。
それが他の誰かに邪魔されるということに、腹が立つ。割って入る者がいることに、怒りが湧いた。
ミサヤがとにかく邪魔だった。そう思っているところへ、閉じた自室の扉から声がかけられる。
「マイト、話があります」
ミサヤの声だった。
思わず反射的に、あっちへ行って、と言おうとした命絃だったが、まるで自分がミサヤの前から逃げた気がして、グッと思いとどまる。
ふぅーっと深呼吸し、はっきり邪魔だと言ってやるつもりで、命絃は立ち上がり、扉を開いた。
「聞いてあげるわ」
魔獣だろうが、成人女性の姿だろうが、どうでも良かった。
一言はっきり言って、ミサヤを
命絃には、命彦を自分のものだと言える、切り札があったからである。
床に座る命絃の前にミサヤが座り、2人が間近に対峙した。
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