第4話

 赤く煮詰まったソースに絡むパスタ。休日の昼、瀬戸口はナポリタンを二人前作っていた。

 きららはテーブルの前に座って、どこから手に入れたのか折り紙を折っている。瀬戸口にお昼だよと言われて、慌てて片付ける様子は見た目相応だ。しかしテーブルに広がった作品はかなり精密で、何がどう折り込まれてそんな複雑な造形になるのか見当もつかないものばかりだった。

「何で交代制なわけ?」

 瀬戸口がテーブルの空いたスペースに皿を置きながら聞く。

「何でって……私は家政婦ロボットじゃないですからね」

 きららはいそいそと自分のかばんに折り紙をしまいながら答えた。

「それに自分で自分や他人の為に料理する習慣を保つことは有益なはずです」

「田舎のおかんと同じようなこと言ってる」

「おかんじゃありませんきららです。あと単純に、私は瀬戸口が作るナポリタンが好きです。コクがあるのにカドがなくて美味しい。いただきます~」

 そう言うと手を合わせ、さっさと食べ始めた。瀬戸口も納得しかねる表情で席につき、手を合せる。

「美味しい?」

「ばっちりです。喫茶店のやつみたい」

「きらら、喫茶店のナポリタン食べたことあるのか?」

 瀬戸口は笑いそうになりながら、パスタを口に運ぶ。

「言葉の比喩です、プロみたいって。ラボの食堂のパスタより何倍も美味しいですよ。あそこ何であんな……全部味が抜けたみたいな……」

「あそこで信頼できるのは外注のパン屋だけだ。自前で金かけてないからな。まぁこれは、マスター直伝だし」

「大学時代のバイト先でしたっけ? 他のメニューは作らないんですか?」

「色々作るの面倒だろ」


 きららはぺろりと食べ終わりごちそうさまと言うと、即座に席を立った。

「じゃ、先に着替えてきますね!」

「俺はもうこのままだよ。待ってる間に用意しときゃいいのに」

「ソース飛んだら大変でしょう!」

 立ち去り様に言い捨てていった。どう見ても浮足立っている。今日は先週ぺルラに貰ってしまったチケットを使う日だった。瀬戸口はため息を吐きながら、皿を片付けた。



 曇り空の街角に、格調高い煉瓦造りのホテルが見えてきた。エントランスはきらきらと光を反射させて輝いている。

 きららは例のワンピースを着て、新たに購入したコートを羽織っている。瀬戸口はいつもと同じような服、で行くつもりだった。出かける直前に、きららがクローゼットから見かけない男物のスーツを取り出し着替えろと言うまでは。


「絶対あやしいし何らかの罠だと思うんだよ。それに貴重な休日に、何を好き好んで知らない人間の演奏なんて聞きに行かなきゃならないんだ? しかも勝手にスーツまで注文して……思わぬ出費が痛いんだけど」

 受付して、会場である六階フロアまでエレベーターで向かう。

 瀬戸口は小声でずっと文句を言っていた。来月の引き落とし明細を見たくないほどにスーツは素人目にも上等で、試着すらしていないのに端から端までぴったりだ。

「ドレスコードありでしたから。ろくなスーツ持ってなかったからちょうどよかったでしょう」

「どこで着るんだ、他に機会ないだろ」

「機会は作るものです。ものが機会を呼びます」

「機械のくせに迷信めいたことを言う」

「きかい違い? それに、楽器の生演奏は人間の身体に良いというデータもあります。日々の疲れが癒されるかも」

 ピポン、と軽快な音がなって、エレベーターが止まった。

「何より、私が行きたいのです」

 きららが困ったような顔をして、瀬戸口を見上げる。

「それならしょうがないけど」

 瀬戸口は顔を合わせず正面を向いたままそう言って、六階フロアへと足を進めた。



 ロビーにはすでに観客達が大勢いて、知り合い同士が多いのかソファにくつろぎながら談笑している。開場している広間を覗いてみると、用意させた席とステージ上のグランドピアノが、天井のシャンデリアの煌きを一心に受けていた。

「こんにちは」

 声をかけられ瀬戸口が後ろを振り向くと、声の主は視線より低いところにいた。

「よう。元気か?」

「こんにちは、海野」

 きららも気づいて振り返り、挨拶をする。瀬戸口が見下ろした先には、きららと同じぐらいの背丈の少年が、正装したスーツ姿で立っていた。

「元気ですよ。ペルラから聞いて、今日会えるかもしれないと楽しみにしていました」

 そう言って笑う海野はあどけなく、まさか警察AIを搭載した元呪いの人形だとは誰にも思われまい。

「それはよかった。俺もあれから調子はどうかと心配していたんだ。……ところで、ピアノは好きなのか?」

「いえ、こういうのは初めてです。今日の演奏者はペルラの知り合いだそうで」

「そうなんだ……、ペルラとウルリカは来てないのか?」

 瀬戸口はそう言って会場内を見渡したが、それらしき影は見当たらない。そもそも彼女の毛深い相棒は、通常ここには入れないだろうが。

「ええ、今は僕だけです」

「今は、ね……」

 思った以上に口の硬そうな海野をじっと見据えるが、彼はきょとんとしたまま親しみを持った表情で瀬戸口を見上げていた。きららは珍しく何も口を挟まない。

「そうだ、ちょっと手見せて?」

「なんでしょう」

 瀬戸口は海野が是非を答える前に、彼の手首を手に取り脈を見た。海野は若干困惑したようだが、されるがままに手を差し出したまま動かない。

「何か不具合でもわかりますか?」

「それを危惧した」

 大丈夫そうだと言うかわりに、頭をがしがしと撫でる。海野はなお気を緩めたみたいに笑った。

 それから会場アナウンスで開演が近いことを知り、海野とはまた後でと言って別れ、チケットを見ながら席についた。しばらくおとなしかったきららが、席に座るなりぽつぽつと言葉を溢している。

「海野と会うと、調子悪くなるよな」

「そりゃなりますよ。人並みの情緒もインストールされていますからね。自我が揺らぐこの感じ、めちゃくちゃ気分が悪いです」

 きららが隣の瀬戸口をちらちらと見ながら嘆いている。何やら手に視線がくる気がした。

「いくら自分が命の? 恩人だからって少し馴れ馴れしいんじゃないでしょうか。彼には警察のシステムが乗っているわけで……」

「あー、今わかった」

 瀬戸口は呆れ笑いながら、きららの頭をぽんぽんと撫でた。彼女はそのまま口をつぐんで黙り、今度は前方のステージをじっと見て視線を動かさない。

 開演のブザーが鳴る。客席の照明が薄暗くなる。

  

 ステージ上に現れたのは、煌めくドレスを身に纏った一人の女性。アリア・クロフォード。ピアノの前まで進み、客席に向かってゆっくりお辞儀した。会場内に響く拍手。今日の主人公は指先まで躾けられたように上品な動作で椅子に座り、一呼吸置いて、鍵盤に触れた。

 演奏が始まると、それまで意識的にステージの方を見ていたであろうきららの瞳がどんどん変わっていくのがわかった。吸い寄せられるように視線を奪われる。音楽に心揺さぶられる情緒も初期設定されているのだろうか、と意地の悪いことを瀬戸口は考える。


確かに訴えかけるような弾き方をする人だとは思った。二曲目、三曲目、と続くごとにその熱量は増大し、まるで彼女自身から音が鳴っているかのような錯覚に陥る。流されてたまるかというような抵抗も感じた。何に?


 最後の曲が終わった。拍手喝采を浴びて、アリアはステージ上で立ち尽くす。きららも、小さい手のひらで一生懸命拍手している。瀬戸口はアリアの表情に違和感を覚えていた。


 ふと会場内にいるはずもないものを視界に捉えて、悪寒がした。滑らかに迂回しながら飛ぶ黄色い小鳥。一体どこから入ってきたのだろうと見上げた瞬間、あどけない囀りがいくつも重なって、会場内を小鳥の群れが埋めた。

 騒然となる観客達、ホテルマンも警備員も出てこず締め切られたままの扉。

 やがて色とりどりの小鳥の群れは一箇所に集まり、客席後方の通路につぎはぎマントの男が現れた。どこからか明るい笛の音が聞こえる。マントの男はステージに手を伸ばす。男の周りをぴいぴいと飛び回っていた小鳥達がそちらへ向かって飛んでいく。


 その瞬間、すべての扉が一斉に開き、武装した人間達が男を包囲した。突きつけた銃口が鈍く光る。背中には魔術警察の印。指揮を取って先陣切っているのはペルラだ。

 マントの男は銃口に囲まれても微動だにせず、その口元に笑みをたたえたまま、アリアに手を差し伸べ続ける。ステージ上では、小鳥達がまるで祝福するかのように翼を広げ、アリアの周りを飛んでいる。黄色い小鳥だけが男のところに残り、一際高い声で鳴いていた。

「魔術解除しなさい」

 ペルラの足元で、ウルリカが低く唸りながら距離を詰める。

「私は君の声を聞いてやってきた、助けてと」

 男が年の推し量れない声で囁いた。

「その涙ひとつの行き先が決まっていないのならついておいで」

 瀬戸口はアリアの頬に一筋の涙が流れるのを確かに見た。それは今までこらえていてものが堰を切ってこぼれ落ちたような一滴。


 対魔術警察が扱う武器は、基本的に強制抑制効果でもって魔術に対抗する。解析や解除の前に力でねじ伏せる代物だ。いわゆる魔力が数値で勝っている間はそれで事足りるだろう。

 緊迫する双方を見比べ、銃の型と数を追うより先に結果は明白であった。マントの男と飛び回っている小鳥達の、渦巻く魔力の底なしさに瀬戸口は圧倒されていた。これは恐らくこの場所だけのエネルギーではない。どこかから引っ張ってきているのではないか。


 アリアが手を取るように腕を上げた。マントの男の輪郭がばさばさと崩れて今度は黒黒としたたくさんの鳥になり、観客の頭上を掠め、警察の視界を惑わし、ステージに向かって飛んでいく。アリアに纏わりつくように飛び回ったかと思えば、その姿を隠してしまうほどの黒い渦になった。耳障りな羽音が笛の音色と混じり不協和音を奏でている。


 警察が銃を構え直してもアリアごと撃てるはずもない。ウルリカと数匹の警察犬が渦に突撃したが、黒い鳥達が散り散りへ飛び去ったあとには彼女の姿は忽然と消え、今日の主人公を失ったステージが虚しく照らされていた。


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