【19】 フネドワラ城 城門
「ちょっと、嘘でしょう」
絶体絶命の大ピンチだ。背後には突き当たりの部屋しかなく、彼らをかわそうにも、通路は人が3人横に並べばいっぱいになる程度の広さしかない。つまり、追い詰められているのだ。エリックが先ほど使ったポケットナイフを取り出し、震える手で白装束の男たちに向かって突き出す。しかし、そんなものは気休めにもならない。
「どうしよう、この石を渡せば逃がしてくれるかな」
「だめだよ、エリック。奴らはきっと龍の紋章の本も持っていくよ。それに…」
シュテファンが亜希の顔を見つめる。謎解きのヒントになる夢を見ることができる亜希も攫うだろう、と言いたいのだ。シュテファンもエリックに並んで前に踏み出した。亜希はバッグの中に何かないか探した。防犯ブザーを見つけたが、これを鳴らして誰が来るというのだ。この城の警備員はおじいちゃんだった。ナイフを持つ白装束の男3人に敵うわけがない。
白装束の男たちがエリックとシュテファンにじりじりと迫る。ナイフが月明りを反射して不気味に輝いた。亜希はバッグに入れた龍の紋章の本に手をかけた。本を土産に助けてくれるよう頼んでみようと決意した。水晶も取られるかもしれない、もしかしたら自分も一緒に連れ去られるかもしれない。それでもエリックとシュテファンの命が助かるなら、亜希はそう考えた。
「本はここにある」
亜希が龍の紋章の本を取り出して腕を高く上げて見せた。たどたどしい英語で叫ぶ。エリックとシュテファンは驚いて亜希の方を振り返った。
「渡すからここを通して」
英語、合ってるかな。真面目に勉強しておけば良かった。
「アキ!ダメだよ」
シュテファンが叫ぶ。
「シュテファン、この状況じゃどうにもならないよ」
「そこの女、お前も来い」
ああ、やっぱりそう来た。私は夢を見ているだけで、本があればいらない人です、と英語で伝えてみるが、聞いてもらえないらしい。白装束の一人が亜希の腕をつかんだ。
「やめろ!」
エリックが叫ぶ。その怒号は通路に鳴り響いた。亜希はその声に驚き、身を竦めた。シュテファンも呆然とエリックの方を見つめている。突然、白装束の男たちが頭を抱えて地面に膝をついた。苦痛に顔をゆがめて呻いている。
「今だ、逃げよう!」
エリックが亜希の手を引き、走り出した。シュテファンもすぐに続く。ちらりと背後を振り返ると、3人の白装束たちはまだ床に突っ伏していた。
「何が起きたの?」
「わからない」
エリックも頭をさすっている。なんだか辛そうだ。通路を駆け、広間を抜けて中庭に出た。橋を渡れば城から出られる。門には閂がかかっていた。エリックとシュテファンの二人で太い木の棒を抜いた。扉を開け、橋を駆け抜ける。そのまま車のある駐車場へ急いだ。
「待て!」
不意に背後で声が聞こえた。振り向けばラドゥとメフメト、白装束の男たちが5人。月夜の城を背に立っている。完全に悪者の構図だ。全力疾走の息も絶え絶えに、亜希たちは立ち止った。そのまま逃げ出しても白装束の男たちに追われるだろう。
「お前たち、どうやって逃げてきた?」
ラドゥが驚きの声を上げる。3人のプロの殺し屋を行かせたのに、逃げ出せたのが不思議なようだった。
「水晶を見つけたようだな」
「お前に教える気はない」
エリックはラドゥに向き直る。その声は怒りに震えている。
「まあいい。よく見つけてくれた。渡してもらおうか、水晶と、龍の紋章の本、そして彼女だ」
月明りにラドゥの冷酷な笑みが照らし出される。ラドゥが片手を上げると、白装束の男たちが距離を詰めてきた。もう無理かもしれない、そう思ったとき。
「彼らから離れなさい」
凛とした声が響いた。昼間に合ったあのハンガリー訛りの英語を話す女だった。手には銃を持っている。エリックも亜希も驚いて女の方を見る。
「エリザベス…お前は邪魔をしにきたのか?」
ラドゥが不機嫌な顔で女に問いかけた。
「今はどちらの味方でもないわ、さあ行きなさい」
女が首を振って行けと促した。状況が見えないが、ここは逃げるがいいだろう。シュテファンが黙って亜希の背を押した。行こうというのだ。シュテファンは意識が朦朧としているエリックの手を引いて、坂を駆け下りた。白装束の男たちはもう追ってこない。
「どういうつもりだ、エリザベス」
ラドゥが女に近づく。エリザベスと呼ばれた女は銃をバッグにしまって不敵に微笑む。
「私は正しいものの味方よ」
「ふん、つまらない。今日のところは逃がしてやる。次に余計なことをしたらお前も覚悟をしておけ」
BMWにたどり着いたエリックは車にもたれ、脂汗を流している。
「どうしたの、大丈夫?」
どう見ても大丈夫ではない。亜希はエリックの背をさすった。体が熱を帯びている。シュテファンがエリックを助手席に誘導した。亜希にも車に乗るよう促す。
「とりあえず、ここから離れよう」
シュテファンが車を動かし、月明りの夜道をシビウ方面へ走り出す。亜希は何度も後ろを振り返ってみた。黒塗りの高級車は追って来ないようだ。広い田舎道はほとんど車が走っていない。時計を見れば夜10時をまわっていた。助手席のエリックはいつの間にか眠っている。城の通路で何が起きたのか、よくわからなかった。エリックの声に男たちが頭を抱えて苦しみだした。それで逃げ出すことができたのだ。
「これからどうしよう」
亜希が不安げな声でシュテファンに尋ねる。
「今日はもう遅いです、それに疲れましたね。シビウへ戻って一泊しましょう。明日の行き先は決まっています」
「それは、次のページにあった山の上の砦?」
「そう、ポエナリ城です」
シビウまで1時間ほどで帰ってくることができた。飛び込みでホテルに部屋を借りた。シュテファンはエリックと同室で、先に部屋に連れていきベッドに寝かせてきた。こんな時間だと食事をするところがないから、とホテルの近くのコンビニエンスストアへ亜希を誘ってくれた。
「アキはすごいね、勇気がある」
「とっさのことだったから、あのままだと殺されるかもしれないと思って」
「ありがとう、助かったよ」
シュテファンはぎこちなく笑っていた。今日の出来事は彼にもショックなのだろう。若いながらしっかりしている子だと思った。
「うん、エリックは大丈夫かな」
「よく眠ってた。明日、起きたら話を聞いてみよう」
亜希は薄暗いコンビニエンスストアでミネラルウォーターとスナック菓子を買った。これが夕食替わりと思うと切ないが仕方がない。もう日が変わりそうだ。
シュテファンと解散して部屋に戻った。田舎のホテルで設備は古いが、清潔にしてあった。シャワーを浴びてベッドに転がる。はっと思い出したように飛び起きて、窓とドアの施錠を確認する。心配しすぎだろうか。コンビニで買ったスナック菓子を食べる気にはなれず、ミネラルウォーターを飲んで亜希はそのまま泥のような眠りについた。
翌朝、部屋をノックする音で目が覚めた。チェーンをかけたまま顔をのぞかせるとシュテファンが立っている。近くのカフェに朝食に行かないかという誘いだった。この小さなホテルにはレストランがない。亜希は昨夜から何も食べていないことを思い出した。気疲れはひどいが、その分お腹は空いている。すぐに着替えていくと答え、ロビーで待ち合わせすることにした。
「昨日はひどい目にあったよね…」
カフェの席に3人着席して大きなため息をついた。今日も晴天で、カフェは陽気な音楽が流れ、朝のコーヒーを楽しむ人でいっぱいだ。そんな中で3人は不景気な顔をしていた。エリックも何とか起きることができたようだ。3人とも元気がなく、うなだれている。
「エリックはどう?」
「頭痛がありますが、昨日の夜よりマシです」
心配をかけてすみません、と弱弱しい笑顔を見せた。注文したモーニングプレートがテーブルに置かれた。フレッシュサラダに目玉焼き、ベーコンにソーセージ、大ぶりなクロワッサンが6つ籠に入っている。
「美味しそう」
食べ物を見ると亜希は思わず笑顔になった。昨日の夜はヘトヘトになったうえに、水しか飲んでいない。
「うん、食べよう。元気を出さないと」
シュテファンもフォークを手にした。
「今日はポエナリ城へ向かおう」
エリックがカフェに併設の売店で買った地図を見せてくれた。ポエナリ城はシビウから100キロほど南下した場所にある。ドラキュラ公が実際に使っていた山上の砦だ。
「城の近くにクルテア・デ・アルジェシュという小さな町がある。今日のホテルはそこだ。まずは町へ向かおう」
「運転を代わろうか?」
「いや、ありがとう、大丈夫だよ」
「昨夜は何があったの?」
朝食を終えてコーヒーを飲みながら亜希はエリックに尋ねた。
「私にもわからない。あの時、必死に叫んだだけだ。すると急に体が熱くなって、ひどい風邪にかかったような頭痛や倦怠感が襲ってきて…目の前が赤く染まった」
エリックがフネドワラ城の通路での出来事を思い出そうとしている。
「白装束の男たちの動きを止めたよね、あいつらも頭を押さえて、苦しそうだった」
シュテファンと亜希は顔を見合わせた。エリックが何らかの力で彼らにダメージを与えたように見えた。
「私はそれから意識が朦朧として、気がついたらホテルのベッドに寝ていた」
「なぜエリックがそんな力を発揮できたのかな」
「実は超能力者とか?」
シュテファンがおどけて言う。
「エリックはピンク色の水晶をもっていたよね」
亜希の言葉に、エリックとシュテファンが振り向いた。
「あ、いや何か変わったことといえばそれかなって…」
「脱出するのに気を取られていたけど、あの水晶にはどういう意味があるんだろう」
エリックのつぶやきに答えが分かる者はいなかった。
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