配達者
永山良喜
第1話
額の汗を拭う。暑いわけではないが、冷や汗が噴き出て仕方がないのだ。ハンカチをポケットにしまうと、目の前の机を見た。別に机に何か変なものがついているわけではない。
他にすることがないのだ。横にいる妻は手を合わせて祈っている。左斜め前にいる刑事は、スマホで誰かに指示を出しているのだろう。
なぜこんな状況になったのか。それは、今から5時間前に戻る。
今日、小学校は午前中までだったのだ。一人息子の伸介は、12時に下校して遅くても13時には帰ってくるはずだった。だが、その予想に反してしんすけはいつまでたっても帰ってこなかった。13時50分を回ったころ、家に電話がかかってきた。相手を聞いて驚いた。誘拐犯だったのだ。
「300万用意しろ。さもないと、お前のガキは死ぬぞ。」
淡々と言われ、思わず「間違い電話ですよ」と言いそうになったぐらいだ。電話は通話時間30秒もなく切れた。呆然とし、まず妻に話した。そして、二人で呆然とした。
警察への口止めはされていなかったため、何十分後に連絡した。そして、今に至る。
3時ごろにまた誘拐犯と名乗るものから連絡があり、金の用意ができたかと尋ねてきた。とりあえずまだだ、6時まで待ってくれと話した。
そして、今に至る。今、伸介はどうしているのだろうか。無事だろうか。
刑事のスマホに電話がかかってきた。刑事が出る。刑事が、何か慌てた様子で相手に何かを聞いている。もしかして、何か動きがあったのだろうか。気になる。
「今、うちの奴らが突入し、犯人を確保したそうです!!伸介君も、無事だそうです!!」
安堵した。そして、横にいた妻は肩を落とすとともに、気絶した。
良かった、と思うと、自分にも猛烈な眠気が自分を襲ってきた。眠い。
◇
8時をまわり、朝礼が終わった。皆それぞれのトラックに行く。耀山もトラックに乗ると、配達表を手に取る。キーを穴に差し込むと同時に、社長の話を思い出す。
「えー、最近不在のお客様が多いですが、それも私たちの試練です。二度手間となってしまいますが、それもぐっとこらえて今日も仕事を頑張りましょう。」
こんな滑稽なスピーチが各宅配業者に登場し始めたのは、何か月か前のある出来事のせいだ。それは、ある宅配便のスタッフが、配達先の住人が不在だったことに怒り、持ってきた荷物をドアに投げつけた。その様子がSNSにあげられ、その宅配業者に苦情の電話が殺到した。もちろん、荷物をドアに投げつけることは論外だが、自分で時間を指定しておきながら家にいないのもどうかと思う。運ぶこちらの身にもなってほしい。
トラックを発進させる。配達に行く。隣には、もう一人のスタッフが座っており、小さい段ボールを持っている。隣をちらっと見る。そこに座っていた男はそう、さっきの荷物ぶつけ男である。本名は鷹居なのだが。
「早く行こうぜ。」
鷹居が呟く。耀山はアクセルを踏み込んだが、すぐに赤信号で足止めされた。この交差点は自分の進行方向の赤信号の時間が長く、30秒ぐらい待たされる。
「なあ、そろそろあの事って世間は忘れてるかな。」
鷹居が話しかけてくる。
「さあ。でも、人のうわさも七十五日と言うだろう。特に日本人は飽きっぽいからな。」
「でも、こっちとしては怖いんだよな。見えない敵がいるような気がして。」
鷹居は意味もなくキョロキョロする。耀山は呆れた顔をし、前を向くと、既に青になっていた。
「それにしても、世間は俺のことを叩きすぎなんじゃないか?誰にでも過ちの一つや二つぐらい、あるだろ。」
まだ言ってるのか。耀山は呆れる。耀山は鷹居の独り言を無視し、しばらく運転を続け、目的地の家に着いた。
耀山はブレーキを踏み、鷹居がドアを開ける。荷物を持っていくのだ。
耀山は鷹居が荷物を持っていっている間、鷹居の言葉を思い出していた。
「実はさ、俺って少し予知能力があるんだよな」
「はぁ?」と耀山は答える。くだらない、とナビを見たが、鷹居は気にせず続けた。
「俺は少し先の未来が見えることがあるんだ。そして、その未来を救うために体が勝手に働くんだよ。」
「じゃあ、あの事件の時も、自分の未来を察知して手は止まらなかったのか?」
「そうなんだけどさ、なんでなんだろうな~手が止まらなかったんだよな~」
馬鹿馬鹿しい、と耀山は思う。その時、外からガラスが割れる音がする。なんだ、と思い、外に出る。
玄関に行くと、鷹居が青ざめた顔をしていた。「どうしたんだ?」と聞くと、鷹居は震えた声で答えた。
「なんか、さっきの話みたいに体に勝手に動いて…。気づいたらガラスを割ってたんだ・・・。」
「何やってんだよ!!とにかく、住人に謝ろうぜ。」
そういって耀山と鷹居はチャイムを鳴らす。しかし、中の人が出て来ない。留守か、と思ったが、何か嫌な予感がして、庭の方へ回った。
庭に行くと、変なにおいがした。中を見ると、人が倒れている。よく見たら、ストーブが不完全燃焼しているのだ。
「おい!鷹居!救急車を呼んでくれ!」
「あ、ああ!!」
鷹居が急いでスマートフォンを操作している。その中で、耀山はさっきの鷹居の話が、あながち嘘でもないと思った。
◇
誘拐犯はこのマンションにいるはずだ。しかし、どこにいるのかはわからない。刑事の羽嶋は、頭を掻いていた。マンションまでの防犯カメラでここにいることは分かっているのだが、何階かまでは分からない。ここで待つしかないのか。子供に何か危害が加えられるかもしれないと思うと、地団駄を踏む思いだ。
そのとき、マンションの何階かでものすごい轟音がした。何かと思い、捜査員たちとともに階段を駆け上がる。すると、5階でぐちゃぐちゃになった段ボールと息を切っている宅配便のスタッフがいた。いったい何があったのか、と問おうとしたが、「やべっ」と呟き、羽嶋の脇を通って階段を下りて行った。そのとき、その部屋の中から男が出てきた。その男の顔に、見覚えがあった。あの誘拐犯の車を運転していた、男だった。
急いでその男の部屋の中を見る。部屋の中に、捜索中の伸介君がいた。
「確保ーーーーーーーー!!!!!」
羽嶋が叫ぶ。瞬く間に捜査員たちが男を捕まえ、一人が部屋の中に行って伸介君を保護する。
今のスタッフはここを教えてくれたのだろうか。羽嶋はぐちゃぐちゃになった段ボールを拾う。中には、手錠を模した拘束リングが入っていた。丁度だな、と思うと、その拘束リングを男の手にはめる仕草をした。
配達者 永山良喜 @kammpanera
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