236.糸

 ウッドの綿を集めて糸へと仕立てる準備をする。

 色合いはどれも素晴らしく、良い糸になるだろう。


 そんな中、ディアが茶色の綿から頭だけを出して遊んでいる。

 どこかで見たことのあるような光景だな……。


「ぴよー! つちふろのまね、ぴよ!」

「似合ってるんだぞ」


 マルコシアスが茶色の綿ごと、ディアをぽふぽふ揉む。それをディアがきゃっきゃっと喜んでいた。


「ぴよー……いいぴよね。いろんないろがあって、たのしいぴよ!」


 確かにこういう多彩なカラーの物は少ないかもな。

 本はあるが触れられるものじゃないし。


 ……ディアのために少し綿を残しておこう。

 そして十六色分の糸を出し終えると、ウッドが首を傾げる。


「……ウゴ、でも出せる量はそんなに変わらないみたい」

「なるほど。出せる綿の総量は変わらないわけか」

「ウゴウゴ、そうみたい……」

「いや、いいよ。ありがとう。これだけあれば十分だ」


 ウッドの綿は一日の量に限界がある。

 そして実は、固めるとそれほどの量にはならない。

 布地として量産するのは厳しいが、糸にするなら十分だろうが。


 マルデコットンを土台にして、ウッドの綿糸で刺繍する。

 これが今だとベストだろう。


「じぃ……」


 ステラは綿を手に取りながら、かなり真剣である。

 彼女の頭の中では様々な色を混ぜた、ユニフォームの次の形が組み立てられているに違いない。


 ホールド兄さんが来るまで、あともう少し。

 それまで俺も頑張るぞ。


 ◇


 翌日。

 ヴィクターはじっと大河を見つめていた。


 あいにく、今日は風が強く雨模様である。

 ぽつりぽつりと雨が降り始め、今ではかなり強くなっていた。


 しかしヴィクターは着ぐるみのままだ。

 実は川コカトリスを待つようになってから、初めての雨である。

 今日は何か起こりそうな気がしていた。


「あそこにいるのが、お話した着ぐるみの人です……」


 ヴィクターにゆっくりと近付くふたつの影。

 そのひとつは昨日会った黒竜騎士団の騎士である。

 律儀に上司を連れてきたらしい。


「ガハハ、どうやら貴族らしい……か」

「ええ、魔力を持っておられるかと。しかしずっと一人で河を見つめているので……」

「まぁ、不審は不審だな」


 その騎士が連れてきたのはベルゼルであった。

 ヴィクターはそれに気が付いているが、特に反応はしない。

 コカトリスが現れるのを待つのが大切である。


 ベルゼルはそんな兄の気質をよく知っていた。

 ゆっくり近付くと、出し抜けに声を掛ける。


「よう、ヴィクター兄貴!」

「はぁっ!?」


 騎士が素っ頓狂な声を上げて驚く。


 ヴィクター・ナーガシュ。

 五大貴族、ナーガシュ家の長兄。


 王国最年少で魔物学の教職を得た、まさに天才。

 宰相派とも近いとされ、今後王国を担う重鎮となるのは確実とされる大人物……。


 のようには見えなかった。

 完全な変人である。


「こ、これはとんだご無礼を!」


 騎士が腰を曲げて礼をするが、ベルゼルはひらひらと手を振ってそれを制する。


「ガハハ、気にするな。兄貴もどうせ名乗ってないんだろ?」

「面倒だからな。捨ておいてくれて良かったのだが。ベルゼル、久し振りだ」

「ああ、元気そうだな。でもひとつ言っていいか?」

「なんだ?」


 ヴィクターはちょっとだけ首を動かしてベルゼルの話を聞く体制になる。


「誰か連れて来ればいいだろうに」

「この着ぐるみ姿がどうにも不評で、連れてくる気にならんのだ」


 ヴィクターが己の財力と知識を結集した、このコカトリス着ぐるみ。その品質はヴァンパイア製にも勝るとも劣らないと自負している。


 しかし、臣下はどうもヴィクターがこの着ぐるみを着ることを好まないのだ。

 表立っては何も言わないが、渋い顔をしている気がするのである。


「……相変わらずだなぁ」

「相変わらずだ。そちらも元気そうだな」

「ああ、おかげさまでな」


 騎士はどきどきしながら、二人の会話を聞いていた。

 ナーガシュ家は今、家督継承者が決まっていないはず。ともすれば後継を争う二人なのだ。


「ホールドは元気か。久しく会っていないが」

「元気みたいだぜ。北で何やら芸術祭をやるんだとか」

「ふむ……そうか」


 あまり興味なそうな声だが、ベルゼルは知っていた。

 本当に興味がないなら、ヴィクターは聞いてきたりはしない。


「それとエルトの様子はどうだ? 会ったんだろう?」

「……知ってたのか。油断ならねぇ兄貴だぜ」

「俺にもそれなりのツテはある」


 月刊ぴよ購読者の繋がりは広い。

 コカトリスのことなら、瞬時に把握するだけの情報網がある。


 色々とエルトの村のことは知りつつも、そっとしているのだ。


「元気そうだったよ。嫁みたいのがいたな」

「英雄ステラか」

「それも知ってるのか」

「知らないと思ってるのか? 真実定かならない伝説は置いておいて、コカトリスを学ぶなら避けては通れない偉人だぞ」

「それこそ知らんが……」

「それなら今、教えておく。ザンザスにおけるコカトリス羽毛の安定的な供給の基礎を作ったのが、英雄ステラだ。その非暴力的な手法はいまや、冒険者――ひいては魔物学にも大きな影響を与えた」

「非暴力……?」


 ベルゼルは少し、いぶかしんだ。

 これまでに見てきたどの人間よりも、ステラは強いように思えたが。


「力があるからこそ、力がなくとも大丈夫な方法を考えることができるのだ」

「ああ、そう言われるとわかるな……」

「その他にも――むっ」


 ヴィクターが途中で言葉を切ると、大河に向けて前のめりになった。

 彼の視線の先には、どんぶらこどんぶらこ……川コカトリスの群れがいる。


 ぷかぷかと大河を泳いでいるのだ。

 まさにヴィクターが待ちに待った瞬間である。


「すまん、また今度だ」

「んん?」


 ヴィクターはそう言うと、一切の躊躇なく大河に身を投じた。


 ざばざば……。


 そのままヴィクターは泳いでコカトリスの群れに向かう。

 驚かせないよう、しかしなるべく急いで。


「あー……」


 あっという間に遠ざかるヴィクターに、ベルゼルは諦めの声を漏らす。

 こうなると、しばらく岸には戻ってこないだろう。

 これも経験上、ベルゼルはよく知っていることだ。


「帰るか」

「……はい」


 ぽりぽりと頭をかきながら、ベルゼルは帰っていく。


 ヴィクターが今回の研究を元にひとつの論文を書き上げるのは、また別の話である。

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