197.お値打ち品

 冒険者ギルドにて。


 エルト達に図案を見せ終わったブラウンは、るんるん気分で帰り支度をしていた。

 丸めた紙を丁寧にカバンに入れようとして――。


「にゃ、ブラウン……その紙はもしかしてにゃ」

「にゃん、そうにゃん! ボートにゃん!」


 後ろからナールに声を掛けられたブラウンはくるっと振り返る。満面の笑顔で。


 ブラウンはこの調子で色んな人にボートのことを話していた。

 というより、話したいのだ。

 せっかくのマイボートについて語りたいのだ。


「デザインが出来上がったのにゃん?」

「そうにゃん! 見るにゃん?」


 すでにカバンに入れかけた図案の紙を取り出し、紐をほどこうとする。


「にゃ、見るにゃ……どれどれにゃ?」


 広げられた紙を覗き込むナール。


「にゃにゃ。コカトリスボートにゃ……」

「ボートはボートにゃ! しかも格安にゃ」


 ごにょごにょとお値段をナールに耳打ちするブラウン。


 そのお値段、金貨三枚。

 庶民のお給料で数ヶ月分と言った所だ。


 しかしその値段を聞いたナールは、ちょっと驚いた。

 思ったよりも安かったのだ。


「にゃ? なんだか安くないかにゃ?」

「まー、そうにゃん。普通ならこの数倍はするにゃん」


 この世界では船も全て手作りだ。

 問題なのは木材の運搬と加工で、どちらも相当の手間賃が要求される。


 ちなみに造船業の木材は巨大な商圏であり、エルトも手を出してはいない。

 どんな木をどこに使うのかは秘中の秘ということもあるが……。


 ナールもいつか船を手に入れる気持ちはあったので、相場くらいは調べている。

 それからしてもだいぶ安い。


「レイアのことだから安全性は大事にしてるだろうけどにゃ、なぜ安いにゃ?」

「お祭り効果にゃん」

「詳しく話すにゃ」


 ずずいっとナールがブラウンに顔を寄せる。


「ザンザスがコカトリスグッズの輸出に力を入れてるのは知ってるにゃん?」

「もちろんにゃ……。にゃ! 運ぶのも自前でやるつもりかにゃ?」


 ナールの明晰な頭は、即座に回答を思い付いた。

 ザンザスは交易都市として馬車や駿馬は大量に押さえている。


 しかし海や大河には接していない。

 それゆえ水運はあまり力を入れておらず、都度借り上げている状態である。


「レイアは明言してにゃいけど、このボートはきっとテストケースにゃん。うまく行ったら大きい船をザンザスで作るつもり……と踏んでるにゃん」

「にゃー……ありうるにゃ」


 ヒールベリーの村のおかげで、ザンザスはポーション不足から脱していた。

 それはダンジョンに潜ったり、魔物討伐からの利益確保に繋がっている。


 だけども、魔物素材を他に運ばないと最終的な利益にはならない。

 効率の良い物流はザンザスにとって、常に重要なのである。


「この前のお祭りも大成功にゃん。でも商人ならこう考えるにゃん……」


 ブラウンの言葉に、ナールが力強く返す。


「来年もっとお客さんを集めるには、どうすればいいかにゃ……!」

「そうにゃん。そのためには水運に力を入れるのは良策にゃん」

「にゃ、さすがレイアにゃ。先々を見通しているのにゃ。またコカトリスグッズを増やしてるだけかと思ったにゃ」

「……趣味は入っていると思うにゃん」


 少し目をそらしてブラウンは答えた。


 最近のレイアはナナとよく一緒にいる。

 もちろん仕事もあるだろうが、着ぐるみとはいえコカトリスと一緒にいたいのではないかとナールとブラウンは疑っていた。


「ま、まぁ……このデザイン通りの大きさならお値打ちにゃ。間違いないにゃ」


 謎が解けたナールがにゃんにゃんと頷く。


「オールがこのくらいで――にゃ、本当にいいにゃ」


 まじまじと眺めるナールの中で、船欲しい気持ちが高まってくる。


「にゃー……このくらいのお値段ならすぐに出せるにゃ……」


 ゆらゆらとナールのしっぽが左右に揺れる。


「ボートにゃ……コカトリスにゃ……ボートにゃ……」

「迷ってるのにゃん」


 んにゃー、と頷くナール。

 そこにブラウンがこそっとつぶやく。


「今ならボートが出来上がるまで一ヶ月もかからないらしいにゃん……!」

「にゃー……!」


 ついに船欲しい気持ちが高まったナールが、手を上げて叫ぶ。


「あちしも買うにゃ!」

「にゃん、皆で湖へレッツゴーにゃん!」

「にゃー!」


 ……ということで、他にも何人かニャフ族がコカトリスボートを発注することになったのである。


 ◇


 一方、ホールドの屋敷。

 オードリーは上機嫌で屋敷内を歩いていた。


「ふんふん〜」

「上機嫌だな、オードリー」

「あ、父上!」


 たたたっとオードリーが父親であるホールドに駆け寄る。


「もちろんです、クラリッサがもう少しで戻ってくるのですから!」

「ああ、そうだな。本当に何事もなくて良かった」


 先日、ホールドの元に東の国の女王から書簡が届いたのだ。

 内容は燕がステラによって退治されたので、憂いがなくなったこと。ついてはクラリッサを再びホームステイさせたいということ。


 もちろんホールドに拒否する理由はない。

 クラリッサは大切な娘の親友である。

 このことを伝えると、オードリーも大喜びで連日上機嫌なのであった。


「父上も上機嫌で……これから何かありますので?」


 オードリーは賢い娘である。

 最近、屋敷内の様子が騒がしいことに気が付いていた。


「ふむ、まだ少し先だがな……芸術祭ができる見通しがついた」

「本当ですか!?」

「ああ、エルトも前に協力してくれると言ってくれたしな。北の国との交渉も進んでいる。着実に固まりつつある……。そんなに楽しみだったか?」

「はい、北の国といえばコカトリス着ぐるみですもの!」


 オードリーの頭の中には、ほわほわと北の国の情景が浮かび上がっていた。

 ヴァンパイアと着ぐるみ――コカトリスの着ぐるみが大勢いる国だ。


 オードリーにとっては天国とも言えた。

 そんな天国と繋がりが持てるのである。ほぼ天国のようなものだ。


 ホールドはオードリーの夢見がちな心を微笑ましく思いながら、


「ヴァンパイアは着ぐるみは言うに及ばず、工芸品や装飾品にも強い。我々も負けてはいられないぞ」

「そ、そうですね。それでは父上も何か――?」

「無論。来なさい」


 手招きしながらホールドがオードリーを別棟へと連れて歩く。

 二人がいた屋敷から渡り廊下で歩いていく。その先は真四角の建物であった。


「ここは……初めてかもです」

「オードリーも十歳だ。そろそろ家業についても徐々に知っていかないとな」


 この真四角の建物は芸術関係の工房であり、オードリーにとってはほぼ未知の空間であった。

 行こうとしても常に番人がおり、用のない人間は立ち入れない。


 真四角の建物に窓は少なく、煙突からはもくもくと煙が立ち昇っている。


 中に入ると、そこには一枚の巨大な絵があった。

 それは普通の絵ではなかった。


 硬そうな紙に描かれ折り曲げれて、絨毯の上にうやうやしく置かれている。

 屏風である。


 オードリーはその絵をまじまじと見て、言った。


「……黄色い猫さん?」

「ふむ、ちょっと違う。虎という猫のような生き物の絵だ」

「へぇー……変わった絵です」


 屏風には金粉が惜しげもなく使われており、高級感があった。

 竹林からのっそりと体の半分を出した、巨大な虎の絵だ。

 どことなく怒ってそうな、しかし悲しそうな目をしている。


 さらに魔物素材を使っているのであろうか。強い魔力を感じる。


「この絵の形式、東の国ではよく作られていてな。クラリッサは見知っているだろう。ライガー家からだいぶ前に買い上げたものだが、やっと相応しい舞台を用意できる」

「ライガー家から?」


 王国五大貴族の一角、ライガー家。

 ナーガシュ家よりは小さいが、王国の中でも血の気の多い貴族として有名である。


「ああ、今のライガー本家は芸術には無頓着だ。まぁ、うまく買えたわけだ」


 なにせホールドの鑑定額の半分の値段で買えた。

 お値打ち品である。

 それでも小さな城一つ分の金はかかったが。


「その他にも色々とライガー家から買ったものがある。うまくすれば、大きな名声や商いに繋がる」


 ヴァンパイアは芸術品を作るだけあって、鑑定や買うことにも熱心だ。当然、成功すればだが。

 そしてこの虎の屏風はその目玉出展物になるはずであった。


 ちょび髭を触りながら、ホールドが力を込める。


「そう――この【半身の虎】にホールド家の命運がかかっているわけだ……!」

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