第25話 魔竜ビフェムス

「ちくしょう、ロイ……! いったいどうすれば……!」


 ロイがゲートの先へと飛び込んだ後、ウィルはそんな声を漏らした。

 ノンはゲートに手をかざしつつ、その縮小作業に全神経を注いでいる。


「ロイくんを……信じましょう」


 ノンの言葉にウィルは奥歯を噛みしめる。


「……俺が行っても足手まといになるのはわかってる……でも……」


 彼は拳を握りしめ、引き絞るような声を出した。


「――あいつの力になりてぇ……!」


 ウィルは大きく息を吐き出す。


「あいつは一人で戦ってたのに、ノンちゃんに教えてもらうまで俺は何も気付いてやれなかった――!」

「……ウィルくん」


 ノンの言葉に、ウィルは顔を上げてゲートの向こうを見つめる。


「俺は勝手にあいつのこと、友達だと思ってた。仲間だと思ってた。でも俺はあいつのことを、何にもわかっちゃいなかったんだ……!」


 ウィルは夜空を見上げる。


「あいつは今でも一人で戦ってるのに、俺は何もしてやれない……! 俺に力があれば――俺の声が届けば――いいや、俺じゃなくったっていい。誰かがあいつを助けてくれれば――!」


 彼の想いが溢れ、その声が空に轟く。

 ビリビリとした空気の振動を感じて、ノンは振り向いた。


「……ウィルくん、それは――!?」


 彼女がウィルに視線を移すと、異様な光景が目に入った。

 彼の体から、魔力が溢れている。


「誰か――誰でもいい――!」


 空気の振動が消える。

 しかしウィルの口の動きに合わせて、ノンの頭に声が響いた。


「『助けてくれ』――!」



 * * * *



 ――果たして俺はなぜまたここに帰ってきてしまったのだろうか。


「『反転』!」


 迫り来る魔獣を、一体二体と投げ飛ばす。

 決して強力な相手ではないが、相手の数は多い。

 なんども叩き付けるものの、魔獣特有の強力な生命力を前にして効果があるか怪しい。

 毎回トドメをさせればいいのだが、数が多くて一々そんなことをしている暇もない。


 十、二十と魔獣の数が増えていく。

 だがここを通すわけにはいかない。


 ――なぜ?

 ……さて、なんでだろうな。


 俺は自問自答しながら、戦いのリズムに身を任せる。

 百年の間に何度も何度も経験した魔獣の群れとの戦い。

 今と一周目では自分の体の性能が劣っているという違いはあるものの、おおむねその状況に変わりはない。


 ――これが俺の運命なのかもしれない。

 ふと、そんなことを考えた。

 俺の運命は、人類の為にその身を捧げて魔界に取り残されることなんだろう。

 一周目は歯車が少し狂って、ユリウスに魔界へと取り残されただけなのかもしれない。


 思えばノンの件についてもそうだ。

 おそらく一周目で魔獣化したノン。

 二周目では代わりにユリウスが犠牲となった。

 運命という大筋の流れは、ある程度決まっているのかもしれない。


「――ゆずるものか」


 この立ち位置は、誰にも譲らない。

 この復讐は、この怒りは、この狂気は、俺だけのものだ。

 他の誰にも、渡していいものじゃない。

 その負の感情が俺という人格を構成する要素であり、俺の人生の一部なんだ。


 俺は俺を肯定する。

 怒りも、嫉妬も、醜い感情その全ても。

 そうでなくては、俺の地獄のような百年が無駄であったと認めるようなものだ。

 俺は俺の人生を、一片たりとも否定しない――!


 ドン、と地鳴りが起こる。

 見れば一匹の魔獣がグチャグチャに粉砕されていた。

 踏み潰されたのだ。

 俺は頭上を見上げる。


「――久しぶりだな」


 ゆっくりと近付いて来ていたのは、魔竜ビフェムス。

 全長が学校の校舎よりも大きな、ドラゴンによく似た姿をした巨大な魔獣だ。

 大きな牙に角、翼と尻尾と、六本の細長い腕を持ち、爬虫類を彷彿とさせるうろこに覆われた姿を持つ。

 それが一周目で出会った個体と同じ存在なのかはわからないが、百年ぶりの再会に俺は妙な懐かしさを感じていた。


 一周目において勇者パーティを壊滅させた魔獣の一匹。

 一周目のミカドは、奴と差し違えて死んだ。

 その特徴は巨体――ではない。


「……さて、時間稼ぎといくか」


 俺は諦めの気持ちを混ぜてため息を漏らす。

 魔竜ビフェムスは虚空水晶リーラクリスタルの欠片を呑み込んだ魔獣だ。

 それゆえに、あらゆる魔術やスキルを無効化するシールドをその身に有している。


 ――一周目のミカドは、それを知らずに死んだ。

 あのときは彼女が機転を利かせて相打ちに持ち込んだが、俺の『反転』はおそらく効かない。

 さらに効いたところで翼があるので『巨大化』したユリウスにしたときのように必殺というわけにはいかないだろう。


「あと少しなんだ……」


 ちらりと後ろを確認すると、ゲートのサイズは人の大きさほどまで小さくなっていた。

 ノンの『再生』によるものだ。

 ――このまま閉じれば、俺たちの勝ちと言えるだろう。


 懲りずに襲いかかってくるブラックハウンドに『反転』を使い、その勢いを利用し魔竜ビフェムスへ向けて投げ飛ばした。

 ビフェムスは異様に細長いその腕でそれを払いのける。

 それでダメージは受けないだろうが、ゲートからこちらへと意識を切り替えさせられるはずだ。


「アァァァ――!」


 人間には聞こえにくい甲高い声を上げつつ、魔竜ビフェムスは尻尾を振り上げた。

 ――来る!


「『反転』――!」


 一瞬だけ足下の自重を『反転』させ、飛び上がる。

 自由に飛べるわけでないし、着地に失敗すると死ぬリスキーな使い方だ。

 横薙ぎに払った家ぐらいの太さの尻尾を飛び越えて、俺は着地する。

 それは命を賭けた大縄飛びだった。


「――『反転』!」


 魔獣を投げつけ、攻撃をかわしていく。

 その度に、俺の腕や足に傷が増えていく。

 ――だが、まだだ。

 何度も命の綱渡りを繋げつつ、魔竜の注意を引く。


 そしてその時間はやってきた。


「――俺の勝ちだ」


 後ろに目をやれば、ゲートは人の頭の大きさほども開いていなかった。

 既にゲートは閉じかけている。

 一度閉じてしまえば、また開くことはないだろう。

 あとはあちらの世界で、ノンやウィルが上手くやってくれるはずだ――。


 ――そう思った、そのとき。


「――ロイくん!」


 閉じかけたゲートから、手が伸ばされていた。

 それは小さなノンの手。


「……バカ! 引っ込めろ!」


 ゲートの間に物体があると、閉じることはない。


「早く手を引け! こっちはもう限界なんだ!」

「――嫌です!」


 ノンの声が響く。


「ロイくんはぶっきらぼうで、口も悪くて、いっつもわたしのことバカにして……!」


 俺は迷い、足を止める。


「でも、わたしたちのことを、いつも助けてくれて!」


 一周目。あのとき、俺が欲しかった言葉は――。


「――そんな『仲間』を見捨てるなんて、できるわけないでしょうがっ!」


 気が付けば俺は駆け出していた。


「ちょっとは考えてください、このぶわぁ鹿かぁっ!!!」


 彼女の手を取って、握りしめる。


「……誰がバカだ! このアホがー!」


 一気に引き寄せられる。

 ゲートが広がり、俺の体がその境界を通った。

 勢いよく次元を越えて、ゲートの前に転がり出る。


「――つっ……!」


 顔を上げると、ノンの体を引っ張るようにしてウィルの姿があった。

 二人で力を合わせて俺を引っこ抜いたらしい。


「っと、ゲートは……!?」


 俺は慌てて後ろを振り返る。

 ゲートは予想通り、俺が通った分広がっていた。

 そしてその奥から覗き込む者と、視線が合う。

 ――嫌な予感がした。


「……まずい! 一端逃げろ!」


 二人の手を引いて、その場から離れる。

 次の瞬間、黒いうろこに包まれた竜の腕がゲートから生え出た。


「チッ……無駄だったか!」


 その手は三本の指にかぎ爪が付いており、大人の男ほどの大きさがあった。

 腕には節がいくつもあり、途中で折れ曲がりならこちらへと振り下ろされる。

 俺は二人を庇うようにして、その前に立ち塞がった。


 ――『反転』!

 魔竜ビフェムスにスキルは効かない。

 そしてその腕が眼前に迫り――!


「――石壁陣ストーンウォール


 低い声と共に、俺たち三人を囲うようにして石の壁がせり上がる。

 竜の手は、物理による壁に阻まれて動きを止めた。


「……まったく、何かと思えば大事件ではないですか」


 その声のした方を振り返る。


「平民とは守られるべき存在……。このような大事は貴族に任せていいのです。それが貴族の務めというもの」


 そこには数人の教師と生徒が立っていた。

 そしてその後ろには、ゲートのような青白い次元の歪みが見える。

 先頭にいる魔術教師――エイリオが声を上げた。


「各人、最大警戒を持ってことに当たりなさい。我々が人類の防衛ラインですよ!」


 エイリオの言葉に従い、教師や生徒が辺りに散った。

 後ろのゲートから、以前見たことがある少女が顔を出す。


「あ、あの……! 時間なのでもう閉じそうです、転移門ワームホール

「よろしい」


 エイリオが頷く。

 ワームホールから出て来た少女は、Aランクスキル『転移門』の能力者リント。

 彼女曰く、一瞬だけ遠距離間を繋げる能力だったはずだ。


「……どうして、ここに」


 俺の言葉に、エイリオが眉をひそめた。


「ウィル・マキリアが助けを呼んだのでしょう? てっきり遠距離通話ラインテレパスの魔術を使ったのかと思ったのですが……」


 彼の言葉に、ウィルが表情を明るくした。


「届いたのか……! 俺の『拡声』……!」


 ――ウィルの能力は、声を大きくする能力だったはずだ。

 しかしもしかすると、それだけの力ではないのかもしれない。

 ……まあ今はそんなこと気にしている場合じゃない。

 俺は声を張り上げる。


「――気を付けろ! そいつにスキルや魔術は通用しない!」


 俺の言葉に何人かの足が止まる中、一人の男が声を上げた。


「それなら任せろ!」


 男は叫びながら、竜の腕に向かって駆け寄る。


「盛り上がれ、俺の筋肉ぅー!」


 男の筋肉が膨れ上がり、その肉体が強化される。

 それは『筋力強化』のBランクスキル!


「――筋肉ハゲ!」

「俺の名前は、モルガンだぁー!」


 筋肉ハゲは叫びつつ、魔竜の腕に飛びかかる。

 到底太刀打ちできそうにない体格差ではあるが、その規格外の筋肉が魔竜の腕を押さえつけた。


 だが相手はスキルも魔術も通じない魔竜ビフェムス。

 決め手を打てる人間は少ない。

 しかし俺にはその心当たりがあった。

 彼女の姿を見つけ、声をかける。


「――ミカド! お前なら奴を斬れる!」


 俺の言葉に、当のミカドは焦りの声を上げる。


「……えっ!? うち!?」

「相手の肉体ではなく、存在する次元の繋がりを切断しろ!」


 ――それは一周目で、死の間際に彼女が放った一撃だった。

 通常の『斬裂』を無効化され、反撃で致命傷を負ったミカド。

 彼女は最期に機転を利かせて、魔竜を断つ次元断を放った。


「んなこと突然言われても――!」

「――できる! お前なら、できるんだ! 俺はそれを、知っている!」


 これ以上魔竜の腕が暴れたら、またゲートが広がってしまう。

 そしてそのときは、魔竜自身がこちらの世界へやってきてしまうだろう。

 ――それを防ぐのは、今しかない!


 俺の言葉に、ミカドはその顔を引き締めた。

 剣を抜き、そして駆け出す。


「……ロイさんの言うことなら、きっと正しいんだろうね! 信じるよ!」


 筋肉ハゲの肩を踏みつけて、ミカドが勢いよく跳んだ。


「――隷属れいぞくせよ乖背かいはいつるぎ!」


 詠唱と共に、ミカドの剣に魔力が宿る。

 そして剣を叩き付けると同時に、そのスキルの力が解放された。

 魔獣戦に特化した、全てを断ち切るSランクのスキル――!


「……次元よ断ち斬れ! ――『斬裂』っ!」


 キン、と。

 まるで金属を打ち合わせたような高い音がした後、青白い軌跡が出た竜の腕に沿って走った。


 そしてプシュ、と空気の抜けるような音。

 次の瞬間、周囲の景色とともに腕がズレる。

 すぐに次元の復元力が働いて景色のズレは修正されるが、竜の腕だけはその場に取り残された。 切り離された竜の腕から、噴水のように赤黒い血が吹き上がる。


「――やった!」


 ミカドが声を上げる。

 すぐにゲートの向こう側から竜の甲高い悲鳴が聞こえ、そしてその腕が引っ込められた。


「――ノン! 今だ!」

「はい!」


 ノンがゲートへと駆け寄って、『再生』の能力を使用する。

 ゲートがぼろぼろと崩れるように、そのサイズを小さくしていく。

 ビフェムスがあちら側で暴れてくれたおかげか、小型の魔獣がこちらへとやってくることはないようだ。


 ――そうしてみんなが見守る中、ゲートは完全に閉じきる。


「……終わっ、た……?」


 沈黙の中、最初に声を上げたのはウィルだった。

 俺はそれに答える。


「……ああ」


 ゲートの完全な消失を確認し、俺は安堵のため息をついた。


「俺たちの、勝ちだ」


 俺の言葉にウィルは笑みを浮かべ、そして両手を挙げる。


「――うぉおおおおおー!」


 ウィルが一人、勝利の雄叫びを上げた。

 その様子を見て、ノンが笑う。

 ……本当に、騒がしい奴だ。

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