第19話 復讐の日

 夕闇に包まれた非日常の世界と、学校の中庭という日常の境界線に、それは立っている。

 しかしそれは紛れもなくこの世界の異物。

 その異様に歪んだ狼のような相貌を見据えながら、俺は現状を分析した。


 学校の中には未だ勇者と言えないレベルの生徒がたくさんいる。

 ここから学校内へと魔獣の侵入を許せば、少なからず被害が出ることだろう。

 ――よってこちらが引くのはもちろん、相手の逃走すらも許すことはできない。


 対してこちらは武器もない。

 元より生半可な武器では相手の皮膚を貫くことすらできないだろうが、それでも丸腰の戦いとなると少々不安があった。


 魔獣もこちらに気付いている。

 不意打ちをすることは不可能。

 今のところ他の生徒は誰も気付いておらず、守るべき相手はいない。

 こちらの肉体は魔獣のスピードよりも劣るが……それでも、戦えない相手じゃあない。


 俺が覚悟を決めるのと、魔獣が伏せるのは同時だった。

 一端姿勢を低くした後、バネのように体をしならせて魔獣はこちらへ向かって飛び跳ねる。


「――グガァァァッ!」


 牙を剥いたまっすぐの跳躍。

 ――わかりやすい。

 攻撃の方向性がわかりやすければ、『反転』の砂時計はすぐにイメージできる。


「――『反転』!」


 瞬時に方向性を読み取り、その力の作用を『反転』させる。

 魔獣は俺の能力を受けて、まるで見えない壁にぶつかったかのように弾き返された。

 魔獣はそのまま後ろへ吹き飛び、受け身も取れずに地面に転がる。


 ――いける!

 熊と違ってその動きは直線的だ。

 戦闘方法は単純で、戦い慣れている感じはない。

 魔獣としても下位の存在だろう。

 ――これならいける。

 あの頃の戦い方を思い出す為の練習台にしてやろう。

 ……そう思ったそのとき、朝日の光が差し込んだ。

 太陽の光が、魔獣の口元を照らす。

 ――その牙に引っかかった布きれ。その色には見覚えがあった。


「……ノン?」


 そうだ、いつも彼女が髪を結わえていた大きなリボン。

 俺の見間違いでなければ、それは彼女の身につけていたものと同じものに見える。

 ――頭が混乱する。

 なぜこいつがそれを口にくわえている?


 肌があわ立った。

 昨日帰って来てから、彼女の姿は見ていない。

 ――まさか。

 嫌な想像が頭を過ぎる。


 そんな俺に向かって、魔獣は警戒するように唸った後で小刻みにステップして距離を縮めてくる。

 突進の一撃は通じないと判断したのだろう。

 魔獣は距離を詰めた後、鋭い爪を持つその二本の腕を振り下ろす。

 ――だが、甘い。


「――『反転』!」


 人の頭よりも大きなその振り下ろした手を掴み、引き寄せる。

 重力を『反転』させられた魔獣の体が浮き、引っ張る俺の力に従ってその巨体を後ろに放り投げた。

 魔獣の体が木の幹に叩き付けられ、うめき声を上げた。


 ……魔獣の目論見通り、『反転』では連続した攻撃の勢いを殺すことはできない。

 連続攻撃は俺に攻撃する際の、最適解の一つだろう。

 だからこうして体重を『反転』させ、攻撃させる前に投げ飛ばす。

 熊との戦いでは後ろにノンがいたので使えない戦法ではあったが――。

 ――俺一人なら、十分に戦える。


「――ノンはどこだ」


 俺はゆっくりと魔獣へと近付いた。

 一番の懸念はその強靭な脚力で逃げられることだが、そうはさせない。


「逃がしはしないぞ」


 ――まずは思考を切り替える。

 ノンのことを考え、油断するわけにはいかない。

 まずは魔獣をこの場で仕留めることに集中する。


 魔獣に俺の殺意が伝わったのか、魔獣は立ち上がって唸るように吠えた。

 ――そして俺はその声に耳を疑う。


「――コ、ロス……!」


 魔獣が、喋った。

 言葉を話す魔獣なんて、俺は出会ったことはない。

 ――いやしかし。

 たった一つだけの、その可能性に思い当たる。

 俺は知っていた。

 人語を理解する魔獣の存在を。


「お前は――人間なのか……!?」


 それは一周目の俺と同じく、魔獣を喰らい、魔素を取り込み、結果魔獣と化した人間の『成れの果て』。

 もし目の前の魔獣がそんな存在だとしたら。

 瞬間、俺は迷う。


 ――俺のときのように、魔獣化を『反転』させることは……?

 俺は意識を集中する。

 ……ダメだ。イメージの砂時計は見えない。

 おそらく一周目の俺は、『徐々に魔獣化する』という現象自体を反転させていたからだろう。

 既に魔獣に成り果てたものは、反転させることができない。

 ――ならば取れる手段は一つ。


「――ひと思いに、殺してやる」


 狂気に支配され暴走した『成れの果て』。

 説得することはおろか、まともに話を聞くことも無理だろう。

 一周目の俺の分身とも言えるようなそれを、俺は殺すことで救ってやる。

 ――しかし。


「――ア、アア、ア……! コロス、コロス、コロス……!」


 ……その声に違和感を覚える。

 どこかで聞いたような気がした。

 記憶に刻みつけられた、その声は――。


「お前は……もしかして」


 思わず声を漏らす。

 俺の疑念に答えることもなく、魔獣は吠えた。

 魔力がその体に集まり――そしてその肉体が脈動する。


 ――見たことがあった。

 それは魔獣の力でもなければ、魔術でもない。


「ウォアアアアアッ――!」


 叫びと共に魔獣の体が膨れ上がる。

 筋肉を増大するような単純な現象ではない。

 それは体自体を巨大化させる、Aランク相当のスキル――!

 俺は後ろへと大きく跳んで、魔獣から距離を取る。


「コ、ロシ、テ、ヤル――!」


 その体格が更に三倍ほどに膨れ上がった。

 魔獣の身体は学校の校舎ほどに大きくなる。

 俺はそれを見上げて、その名前を呟いた。


「――シャイニング・ジャイアント」


 ――間違いない、アイツは……!

 魔獣は叫びながら、その腕を俺に向けて振り下ろす。


「ウォォオオオオ――!」

「――ユリウゥゥゥス!」


 ――『反転』。

 叩き付けられた、丸太よりも何倍大きい魔獣の腕を弾き返す。

 すぐに追撃の振り下ろしが来たので、とっさに横へと跳ねて転がった。

 それまでいた地面が抉られ、人一人が埋葬できそうなほどに大きなクレーターができる。

 まともにくらったら全身が引きちぎられることだろう。


 ――しかし、そこまでだ。

 『巨大化』のスキルは、強力な膂力りょりょくと質量を持つと同時に、その動きは酷く遅くなってしまう。

 俺が体を起こしたとき、まだ魔獣の腕は地面に突き立てられたままだった。

 ――勝機。

 俺は駆ける。

 奴の足下へと走る。

 そしてその間、頭の中で考えを巡らせていた。


 ――勝って、いいのか?

 俺が次には放つのは必殺の一撃。

 そうだ。

 元から俺の能力は――『巨大化』に対しての特攻作用を持つと言っていいほど、奴と相性が良い能力だった。

 きっと、自然とそういう風に進化した。

 ユリウスに復讐を果たす為だけに。

 奴を殺すことに特化した能力。

 その為に百年の間、何度も巨大な魔獣相手に研鑽も重ねてきた。

 超重量の相手を効率良く殺せるように。

 ――だが。


 ――本当にそれでいいのか。

 復讐を果たしてしまっていいのか。

 俺の百年は、それで精算されるのか――?


 そうこう考えるうちに俺は、魔獣の足下へと辿り着く。

 その足に手を伸ばして、触れた。

 銀色の硬い体毛。


 ――ああ、これは魔獣だ。人間ではない。

 そう思った瞬間、復讐の炎が胃の中で暴れた気がした。


 奴の姿を見上げる。

 見下ろすその巨大で歪な目と、俺の目が合った。

 それは狂気に支配された、血走った目。

 ――これはユリウスじゃなくて、既に魔獣になってしまった『成れの果て』なんだ。


 その事実が俺の決断を鈍らせる。

 殺さない選択肢は存在しない。

 放っておけばこのまま学校を破壊し、強力な魔獣として王都に向かうかもしれない。

 そこに対抗できる最大の切り札は俺の能力で、ここで殺すのが何よりも正しい行為だ。


 だからこそ、逃せない。

 だからこそ、俺はユリウスではなくなってしまった魔獣を殺さなくてはいけない。

 ――だけど。


 そんな冷え切った心で葛藤する俺の頭上に、何かが降ってくる。

 ――ノンのリボン。

 ……そうだ。

 この魔獣がユリウスなら――ノンはどうなった?

 どうしてノンのリボンを奴は持っている?

 わからない――理解したくない。

 ――だが、それを知る義務が俺にはある気がした。


「……俺は、未来を見る」


 ノンの行方を。

 この先の人類の行く末を。

 ――お前のいない場所で。


「――『反転』」


 俺は静かに呟いた。

 魔獣の足に込められた力が反転する。

 激しく蹴り上げるようにして、その足に大きな負荷がかかる。

 巨大化したことで質量が増大した足は、負荷に耐えきれずバキバキという音を鳴らしながら後ろ方向に折れる。


「……『反転』っ!」


 最後にもう一度重力を反転させ、バランスを操作する。

 相手の動きが遅いので、それは作業のようなものだ。

 まるで大きな家を解体するような、感情を抱く隙もない単純作業。

 俺の能力に従って、魔獣の巨体は大きくぐるんと回った。

 前転するように、巨大な魔獣の体の頭が地面に叩き付けられる。


 ――そして、その首があらぬ方向に曲がった。


 『巨大化』の弱点は、その自重の異常な増加にある。

 無理な姿勢で転ばせるだけで……ユリウスは勝手に自滅する。

 それは多くのスキルでは致命傷が与えられない巨体に対する、俺の能力でしかできないシンプルな倒し方だ。


 倒れた魔獣から魔力が霧散していき、その体がまるで空気が抜けるかのようにしぼんでいった

 ――あっけない。

 俺の中から百年の熱が失われていくようで、その姿を見るのが辛かった。

 縮みきった奴の体のもとへ、俺は近付く。

 近くで見ると、魔獣は口から泡を吹き体を震わせながらも、かろうじてまだ息があるようだった。

 首の骨を折っても即死していないのは、魔獣となった肉体の強さが影響しているのだろう。

 魔力を急激に失ったせいか、魔獣の顔の付近からパラパラと体毛が抜けた。

 その顔に若干のユリウスの面影を残しつつ、こちらを向く。

 そして、絞り出すような声を出した。


「――ウラギ、リ、モ、ノ……」


 彼はそう一言いって、事切れる。

 もう一度、感情の炎が燃え上がった。


 ……お前がそれを、俺に言うのか――!

 奥歯を噛みしめる。

 ぐつぐつと煮立った怒りが、俺の中に沸き起こった。


「――おい、どうした! 大丈夫か!?」

 後ろから教師バームの声がした。

 見れば教師が複数人、慌てて駆けつけてきたようだった。

 あんな巨大化した魔獣を見て、慌てない方がおかしいだろう。


「今の魔獣はいったい……!?」


 俺は狼狽する教師たちに振り返って、一言放つ。


「……殺しました」


 感情を押し殺し、そう伝える。

 俺の足下に横たわる魔獣の亡骸を見た魔術教師のエイリオが呟いた。


「……化け物か」


 それは魔獣に言った言葉だったのか、それとも俺に向けて言った言葉だったのか。

 次に年老いた学長が前に出て口を開く。


「――よくぞ食い止めた、ロイ。この巨大魔獣……おそらくキミは、この国の危機を救った」


 状況を見て俺の言葉を疑う者はいないようだ。

 どうやらユリウスの能力と組み合わせられたおかげで、俺は前代未聞の巨大魔獣退治を成し遂げてしまったらしい。

 しかしその事実に対して、俺は何も思うことはない。

 ただ一つ、心にぽっかりと穴が空いたような虚しさが残っていた。


「……詳しく話を聞いてもいいかな? ロイ」


 学長の言葉に、俺は無言で頷くのだった。

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