『反転』勇者のリスタート~裏切られた英雄は二週目の学園生活で復讐を遂げる~

滝口流

第1話 魔界に取り残された勇者

 紫の雷が降り注ぎ、暗闇に覆われた異次元の空間・魔界ティーファマーゲン。

 巨大魔竜ビフェムスとの戦いの末に打ち勝った俺たちは、配下の魔獣に追われながらも元の世界と繋がるゲートへ向けて駆けていた。


「畜生、このままじゃ追いつかれる!」


 俺の前を走るユリウスが叫んだ。

 SクラスやAクラスのリーダーが全滅した今、Aクラスの彼が勇者筆頭の指揮官だ。

 と言っても、こんな状況でその肩書きに大した意味があるわけではないが。

 百名余りいた勇者の中、生き残った勇者は俺含めて残り五名。

 俺は生き残りの一番後ろで、荷物持ちとして散っていった仲間の遺品などを持たされていた。


 仲間たちの多くの犠牲によりゲート発生の原因とされるクリスタルは奪取したものの、元の世界へと辿り着けなければ全てが無意味になってしまう。

 そんな中、ローブを纏ったBクラスの勇者――アンリとかいう女がユリウスに尋ねた。


「ユリウス、どうする……?」


 彼女の言葉に、ユリウスは一瞬俺の方に視線を向ける。

 そして勢いよくこちらへと振り向いた。


「――こうするんだよ!」


 同時に体に衝撃が走る。

 俺はうめき声をあげつつ、ユリウスに後ろへと蹴り飛ばされたのだった。


「おい平民!」


 慌てて起き上がる俺に、既に前を走っているユリウスはその顔に笑みを浮かべつつ声を上げた。


「ここまで連れて来てやったんだ……足止めの一つぐらいしてから死んでけ!」


 その言葉に俺は奥歯を噛みしめる。

 元々Fクラスの勇者として反攻作戦に参加したとき、命を失う覚悟はしていたつもりだった。

 だがあんな奴の為に――!


 数年間、彼に虐げられ続けた記憶が蘇る。

 Fクラスの俺はAクラスのあいつに、まるで奴隷のような扱いを受けてきた。

 貴族生まれのユリウスは、平民生まれでFクラスの俺をずっと見下し、同じ勇者であるにも関わらず雑用や囮役を押し付け、そしてバカにし続けてきた。

 あいつのせいで何度命を落としかけたかわからないし、ここ数ヶ月はまともな食事も取らせてもらえず残飯ばかり食わされてきた。

 そんな扱いを受けても俺がずっと我慢してきたのは、人類を守る戦いの為だ。

 決してあんな奴の為じゃ――!


 そんな思考を遮り、すぐ後ろから獣の咆哮がした。

 ブラックハウンドと呼ばれる四足歩行の魔獣の声だ。その姿は狼のようなフォルムではあるが、体は大人二人分よりも大きい。全身の毛は針のように尖り、それに覆われた顔はトゲ付き鉄球のような頭をしている。

 俺は振り向きながら、迫り来る巨大な魔獣に対して右手を向けた。


「――転べ……!」


 右手の拳を握りしめる。

 拳に魔力が集まり、青白い光を放った。

 これが俺の持つスキル――『転倒』。

 唯一の特技にして、俺が勇者を名乗ることが許された証。

 しかし――。


「くそ……! 転べ、転べよ!」


 成功率は決して高くない。

 失敗したからといって完全に無駄撃ちになるわけではないが、せいぜい少し突進の勢いを弱らせることぐらいしかできない。


 ――死にたくない!

 ブラックハウンドの顔を前に死を覚悟したそのとき、相手の体勢が少し傾いた。

 そしてそのまま体毛のトゲで俺の服を切り裂きつつ、ブラックハウンドは地面を滑っていく。

 どうやら転倒のスキルが微弱に発動したことでバランスが崩れ、疾走する姿勢を維持できなくなったらしい。


「――やった、生き延びた……!」


 後ろからは次々と魔獣たちが押し寄せてきている。

 俺は体を起こして、入り口のゲートがあるベースキャンプの方向へと走り出す。

 肺がはちきれそうになるのをこらえながら、先を行くユリウスたちを追いかけた。


 なんとかゲートのある場所へと辿り着く。

 だがそこで待っていたのは、すでに閉じかけていたゲートだった。


「……待て、待ってくれ!」


 ゲートの向こうには元の世界の景色が見える。

 そしてそこにはユリウスたちの姿があった。


「もう少しだけ……! 今ならまだ魔獣も来てないし――!」


 ゲートは次元の歪みであり、魔術によって発生させたり閉じたりすることができる。

 開くこと自体は難しいが維持をするのは簡単で、間に棒か何か挟んでおくだけでも自然に閉じることはない。


 ……俺のことに気付いていないのかもしれない。

 そう思って俺は声の限り叫んだ。

 しかし。


「――英雄は大勢いらないんだよ。てめぇはここで廃棄だ」


 ゲートの向こうのユリウスは、笑ってそう言った。

 彼が何を言っているのか理解できなかった。


「スキルがあるだけの平民が、勇者なんて名乗ってるのは前から気にくわなかったんだ」


 あと数秒、数秒待ってくれるだけでいいのに。

 俺は手を伸ばす。

 そんな俺をあざ笑いながら、ユリウスはゲートの向こうで背中を向けた。


「せっかくだからお前が足を引っ張って被害が大きくなったってことにしといてやるよ。……歴史に名を残せて良かったな。――じゃあな、愚図」


 ゲートが――閉じる。

 あと数歩。

 あと数秒足りなかった。


「……あ、あああ」


 魔界ティーファマーゲン。

 岩と魔獣に覆い尽くされたこの世界で、普通の人間が生きていくことなど無理なことだ。

 俺は膝を着き、空を見つめる。

 絶望の色をした雲が雷鳴と共に浮かび、こちらを見下ろしているようだった。



 * * *



 それから十年が経った。


 二十年が経った。


 五十年が経った。


 俺は、人間であることを捨てて生き続けた。

 魔獣の肉は魔素が多く、人が食らえば次第に魔獣へと近付いていく。

 だから俺は怒りと憎しみの感情以外の全てを捨て、魔獣へと成り果てた。


 ……そしてその果てに、一つの希望を手にする。

 肉体が魔獣に変わり狂気に支配された思考の中で、俺はそれを見つけた。


 それは俺の意識の中では、砂時計の形をしていた。

 俺のスキルの真の姿――『反転』。



 * * *



「あった……」


 俺は魔獣たちが群生する、巣の中心に来ていた。

 今では俺の肉体は、魔界へ来たときと同じ人間の姿に戻っている。

 正確に記録しているわけではないが、魔界に置き去りにされて既に百年ほどは経過しているだろう。

 しかし俺の肉体は今も若いままだ。

 それもこれも、進化して獲得した俺の能力によるものだ。

 何も変わらない。

 いや正確には――変わっていくはずの現象を、『反転』させて以前の状態に戻し続けているだけだ。

 肉体の魔獣化も、加齢による老化も『反転』させた。

 そしてこの身を焼くような怒りも、憎しみも、摩耗しないように『反転』し続けあのときのまま残っている。


「あった、あった、あった……あった! ハハハハ! あったぞ! クリスタルの欠片だ!」


 俺は狂気に身を任せて笑い続ける。


 それは記憶も既に擦り切れてしまった、はるか昔のこと。

 かつて魔獣たちの群生する巣の中心にあった、虚空水晶リーラ・クリスタル

 元の世界と魔界を繋ぐ道しるべポータルにして、無限の魔力を放出する魔素の結晶。

 俺たち勇者は、これを持ち帰る為に多くの犠牲を出しながら魔界へと攻め入ったのだ。


 小指の爪先ほどもないその小さな割れた破片を、俺は迷うことなく呑み込む。

 俺に魔術の知識はない。

 しかしこれがあればきっと世界は変えられるのだと――『反転』させられるのだと、俺の内に宿る魔獣としての本能が告げていた。


「……世界よ歪め」


 元の世界へとゲート繋げられるかもしれない。

 もしくはこの世界を破壊できるかもしれない。

 それとももっと別の何かが起こるのかもしれない。


 なんにせよ――俺が泥水をすすり、魔獣の腐肉をみここまで生き続けた意味はここにある。

 いや、あって欲しかった。

 無ければ――俺の人生はまるで無価値なものになってしまうのだから。


「――『反転』しろ!」


 視界が歪む。

 時空が断裂して、空間を裂くように景色がバラバラになった。


 ――ああ、これで。


 意識が薄れる。

 狂気に支配されていた感情が、穏やかに鎮まった。


 ――やっと。


 そして視界は闇に包まれる。



 暗転。



 * * *



 声。


「――ですか」


 声が聞こえる。


「――大丈夫ですか」


 女性の声。

 聞き覚えはない、ような――。


「おい、どうした!」


 目を開ける。

 光が眩しい。

 そして目の前には、反転した世界。


「……大丈夫か? ええと――名前はロイ、だったか?」


 齢四十ぐらいだろうか、黒眼鏡をかけた男性がこちらを覗き込んでいる。

 ……どこかで見たような気がする。

 隣には見知らぬ少女。外見は十四、五程度だろうか。

 彼ら二人が上下逆さまにこちらの顔を覗き込んでいた。

 いや――違う。

 逆さまなのは、こちらだ。


「意識はあるな? よっ、と」


 男が片腕で俺の肩を掴んで持ち上げ、床に座らせる。

 視界が正常になった。

 そこは木製の建物の中の一室だ。


「突然ひっくり返って、何かあったのか?」


 男の言葉に、部屋の中の景色を眺める。

 木製の床、木枠の窓に広い空間。

 前方には一段高い壇がある。

 広い室内にはこちらを見て笑う数十人の少年少女の姿。


 俺の記憶が正しければ、この光景は。


「ここは……ミーティングルーム……?」


 遙か昔の記憶を掘り起こす。

 そこは勇者たちが作戦会議室として使っていた空間。

 しかしその答えは間違っていたようで、男性は苦笑しつつ肩をすくめた。


「模擬戦場だよ、ここは。さてはお前寝てたな?」


 男の言葉に思い出す。

 ――そうだ、戦禍が広がる前は勇者学校の室内闘技場だったんだ。

 なら、ここは。この場所は。


 名前を思い出せない男は教室の前へ出ると、笑顔で口を開く。


「――よし。それじゃあまずはおめでとう、新入生諸君」


 彼は室内にいる者たちの顔を見渡し、声を張った。


「ようこそ、勇者学校へ。よろしく頼む」


 対魔獣特化精鋭部隊――通称”勇者”、育成施設。


「勇者学校……」


 俺の呟きは、周りの者の歓声にかき消された。

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