第2話「死者1名の記録」

 救急車が着いた。サイレンの音が止まったから。ちゃぶ台に散らばったテキスト。何が書いてあったけ。

 光岡の家の茶の間で、打ち合わせしてた。実験するんだったか。ただ繋げるだけだろ。

 全てをちゃんと理解してる訳じゃないけど、IDとパスワードを幾つか入力するだけで、後は勝手にインストールとかなって、使えるはず。

 パソコンのない光岡の家で確かめるってことだったか。一人で出来るだろ普通。

 光岡、パソコン持ってなかったのか。僕がやる方が早いってことか。

 一週間前、一年生の時の担任からメッセージがあった。電話で確認すると、二年でのクラス替えは、基本しないとかで、お前学級委員だったから、暫定でクラスのシステム委員やってくれとか言われて、もう一人の委員が光岡鈴音、苦手なやつ。

 学校の新学期は、まだ始まってない。ウェッブ授業の準備するとか、パソコン、Wi-Fiのない家庭には、機材を貸し出すので、システム委員がセッティングするって、先生がするんじゃないのかよ。どうして光岡なんかと一緒に。スマホなら、見てらんないとか言って僕から取り上げて勝手にいじるくせして。

 

 ちょっと笑い顔がかわいいからって、心地いい気分の良くなるアニメ声だからって、僕のことからかっていいってことにならないだろ。

 小さな指が細くって、手が小さくって、ふにゃあって柔らかい。

 僕のスマホを勝手に触る。指が触れると悪いと思って、ちょっと引っ込めるのをいいことに、面白がって。

 いつもびっくりする。そんな風に考えたりするんだ。変わっていて面白い。それを聞くと、いっぱいアイディア浮かんだりする。

 僕の都合なんてお構いなしの発言、ばっかりなんだ。

 しなやかじゃない、きびきびとした身のこなし、女の子なのに。鎌田のお姉さんみたいな、しな(?)をつくれよってことじゃないけど、おしとやかって言葉があるしさ。

 瞳がキラキラしてて、楽しそうに嬉しそうにすぐ笑う。

 だから、傍にいると楽しいけどイラっとするんだ。

 

 今日だってハイテンションだった。休みなのに何故、制服なんて着ているのだろう。なのに、光岡のためにデザインされてたんじゃないかって思うぐらい似合っている。いつも見上げるように下から見つめる。何かを面白がっているのは分かるけど、僕の何が面白いのか。

 「おせんべいにコーヒーで本当にいいの」

 「あっ。お母さんは寝てていいんだってば。わたしがやるから」

 スウェット上下の髪を後ろで縛っただけの人、光岡のお母さん。

 寝てていい、確かにお盆を持つ手も足取りもおぼつか無い。お盆を光岡が受け取る。

 「すずちゃん。今日は気分がいいのよ」

 「でも、昨日来た訪問介護の人、マスクしてたけど咳込んでいたでしょ、それも、どっか軽い咳。コンコンとかゴホゴホじゃなくって、コホコホコホコホって」

 「軽い咳だけで、熱はないんですって言っていたわよ。

 それに、お母さんだって、かわいい男の子を見てみたかったの」

 光岡がガクッとソワソワ、赤らんだ気がした。

 かわいいって、僕のことなのか。かわいいって言われて喜ぶ男なんて、いるわけない。

 赤いといえば、光岡のお母さん、ぼんやりとした赤ら顔。薄く乾いた微かに酸っぱい匂いがした。お母さんっぽくない匂い。

 病気なのかな。訪問介護を受けてる人って見るの初めてかも。

 ちっとも知らなかった。そういえば茶の間だし、自分の部屋ないのか光岡って。

 「いただきます」

 ぺこりとお辞儀して、せんべいに手を伸ばした時、光岡のお母さんが倒れた。ゼイゼイしてた。

 動けなかった、僕は。光岡は慣れているのか、無表情で、こんな顔もするんだ。いつもと違う優しい顔に見えた。無表情が優しいって変だよ、心の奥の声が頭の中の声にツッコミを入れてる。でも、見てるだけで、動けない。光岡は、優しくゆっくり、お母さんの背中をさすりながら、額に手を当てている。

 「熱。あるよ」

 顔を覗き込んで、目を合わせようとしてる。苦しそうに咳込むだけで、焦点なんて合わないみたいだ。

 「救急車呼ぶね」

 光岡の問いかけに、光岡のお母さんは小さく肯いた。僕の知らないよその世界の出来事に思えた。

 

 救急車が着いた。サイレンの音が止まったから。ちゃぶ台に散らばったテキスト。何が書いてあったけ。 

 「お家族の方、一人」

 「娘です。家族は、わたしだけです」

 光岡の手が僕の腕をつかんでいる。そこだけ熱い。柔らかいのに、すごい力だ。光岡が力を入れて僕を引っ張らなっくていいように、少し近づいた。ちょっとだけ、指の力が軽くなる。

 振り向いた光岡の目が叫んでいるみたい。そして、消防の人に言った。

 「いとこです。わたし一人じゃ。休みで、たまたま来てて、家族じゃないけど、いとこで親戚だから」

 苦しそうに胸を押さえている、お母さんと光岡と僕は、救急車に乗った。

 

 長く患っていたせいなのか抵抗力が無くなっていたみたいで、病院に着いた時には心肺停止だった。そのまま帰らぬ人。光岡は、こことは違う街の親戚に引き取られて、あれから会ってない。会う理由なんてないし。

 でも、聞きたいけど聞けない疑問だけが残っている。

 あの日、熱で肺炎だからPCR検査をするってことになった時。光岡が泣きながら訴えていたこと。

 「検査なんて止めて下さい。お母さんは、もう治らないって、お医者さんにも言われていて。だから、死んじゃうのも、しょうがないって。PCR検査なんて止めて下さい。

 おかあさんをコロナにしないで。

 コロナになったら、知事さんの記者会見で言われて、テレビのニュースになって、累計に足されて。お母さんのこと知らない人に、知らせたく、知られたくない。そっとしておいて下さい。

 お母さんをコロナにしないでください」

 光岡は、なんであんなに検査を嫌がったのだろう。

 検査なんて、仕方ないんじゃないのかな。

 死ぬのは、しょうがないのに、検査は、仕方ないって思えないのは何故だったんだろう。

 いくら考えても、もやもやが消えない。光岡が消えないんだ。

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