マジアチカ ~魔女の弟子~

田井田かわず

第1話 木の洞

 放浪する少女が暗い森にやってきた。少女はカバンと弦を張った楽器だけをたずさえていた。少女がやってきたその森は魔女の集落であり、魔女たちは<はぐれ魔女>の彼女を受け入れた。

「はぐれ魔女を里におけるのは七日間です。そのうちは魔女ドーナクアートのもとで魔女見習いマジアチカたちと過ごしなさい」

 はぐれ魔女のヨーテルを受け入れたドーナ・クアートは表情硬く隙のない雰囲気があったが、ヨーテルが尋ねることにはおよそ答えてくれた。

「この里は木の洞と呼ばれていますよね」

 十歩歩くごとに驚くほどの大木が生える荘厳な森を眺めながらヨーテルが尋ねると、ドーナ・クアートはうなずく。

「由来はこの里の魔女が木と心を通わせ、その心に住まいを得るというところにある」

「木の心に住まいを得るとはどういう意味ですか」

「家に来ればわかる。ここだ」

 そうしてドーナ・クアートが立ち止まったのは立派な木の根元だった。周辺の木と比べれば人一倍太く根も立派で、腰のあたりまでの高さのある洞穴を作っている。

「家は、見当たりませんが…」

 ヨーテルが控えめに言ったのを聞いたか聞かずか、「続きなさい」とだけ言って、ドーナ・クアートは身を小さくかがめて木の根の洞穴をくぐる。すると瞬きした間に姿が見えなくなってしまった。

 ヨーテルは思わず目をこすった。

 いくら立派な木といえど、その根元に人が消えて行ってしまうのはおかしい。しかし続けと言われたからには、同じようにするべきなのだろう。ヨーテルは荷物をギュッと抱きしめて体を洞の中にねじ込んだ。肩の引っかかったのをグイっと入れ込んだ瞬間に体が広い空間に投げ出される。

 力を込めて閉じていた目を開け顔を上げると、テーブルや暖炉のあるごく普通の木造の部屋にドーナ・クアートと、ヨーテルと同じ年ごろの少女が話しているのが見えた。

「ヨーテル、これがツィパロだ。ツィパロこちらはヨーテル。およそ七日間ほど一緒に暮らすことになる。世話をしなさい」

 突然の紹介を受け、ヨーテルはツィパロと呼ばれた少女に向き直る。ツィパロはクアートに対し黙ってうなずくと、真っ黒い瞳でじっとヨーテルを見つめた。

「よ、よろしく……」

 瞳の圧に気おされつつも、ヨーテルは笑顔をツィパロに向けることに成功する。対したツィパロは特にどう思っている様子もなく、荷物を持ったヨーテルの右手をつかんだ。

「よろしく。ヨーテル、あなたの部屋に案内する」

 感動が薄めで表情が動かないところが何だかドーナ・クアートに似ているなと思いつつ、ヨーテルはツィパロに従った。

 

 部屋の入口に扉はなく、カーテンが引かれているだけだった。それをさっと払い除けてツィパロがヨーテルを招き入れる。

 中には二段ベッドが二台、加えてタンスや本棚、鏡台なども入っていてそれなりの広さがある。

「私たちと同じ部屋でごめんなさい。ドーナ・クアートの家はそんなに広くないから」

 ヨーテルにこの里の平均的な家の広さはわからなかったが、部屋には満足して適当なベッドのわきに荷物をおろした。

「この部屋、一人で使ってるの?」

 ヨーテルが聞くと、ツィパロは低いタンスの上に所狭しと並べられた植物を指さした。

「あれを育ててる人が一人。私の姉弟子で、いまは夕食の材料を取りに行ってる。もう帰ってくるころと思う」

「ただいまぁ」

 ちょうど入口の方から明るい声がした。

 薄い色の髪を三つ編みに結った、優しげで柔らかな印象の少女が籠いっぱいに野菜やらキノコやらを抱えている。

「あなたがお客様ね!私はソルテ。ここの食事担当で、このツィパロの妹弟子なの」

 今日出会ったドーナやツィパロとはずいぶんと違った少女の雰囲気にヨーテルは少し驚く。“木の洞”に住む魔女はみな静かで落ち着いた、悪く言えばちょっと暗い雰囲気の里なのかと思っていた。

「あれ、さっきツィパロがルームメイトは姉弟子って言ってたんだけど、それとはまた違う人?」

 部屋にはベッドが四つあったので足りなくはない。ソルテは考えるヨーテルににっこり笑った。

「私の方が歳が上だからツィパロは『姉弟子』って言ったのね。でも私の方が弟子入りは遅いの。だからほんとは妹弟子」

 魔女は子どもを作らない。代わりに六歳未満の捨て子を拾ってきて、それを魔女として育てる。拾われた瞬間から魔女見習いマジアチカとされるのである。弟子入りが遅いというのは、ソルテはツィパロより後に拾われてきたということだろう。

「今から夕食を作るから、二人とも手伝ってくれる?」

「はーい!この辺の料理はわからないけど何を手伝ったらいい?」

 ツィパロとヨーテルは一緒になって籠を受け取り料理を手伝う。

 それまで全く物音をさせなかったドーナ・クアートは夕食が出来上がるころになってから現れた。


「ヨーテルはそこのベッドを使って」

 寝支度をすっかり整えて、ツィパロがベッドの下の段を指さす。ヨーテルがなんとなしに置いた荷物の傍らを掃除してくれたらしい。

「気を使ってくれてありがとう。いいの?」

 もとは二人しかいないのだしきっとそれぞれ下の段を使っていただろう。

「私はどこでも気にならないから」

 お風呂も一緒に入ってようやくうっすら笑顔を見せてくれるようになったツィパロは、ソルテが寝そべるベッドの上の段に潜った。

「ねぇ、ヨーテルの旅の話を聞かせて」

「私も」

 ソルテとツィパロがベッドから顔を出す。

「えぇ、何かあったかなぁ」

 そういいながらヨーテルは、これまでもいろいろな土地で話をせがまれては語ってきた旅の思い出を語った。二人は大喜びでそれを聞き、とくに外の里の生活や慣習の話を嬉しがった。

 夜も更け、自然に会話がやむとツィパロはベッドの二階であっという間に寝息を立て始めた。

「あの子、体内時計が正確で寝付きがすこぶるいいの」

 小さな声でソルテは笑った。

「ねぇ、ヨーテルはなぜ魔女の里以外も巡っているの?」

「私にとってはそんなに不思議なことではないんだけど…」

 通常、魔女の生活はそれ以外のものとは切り離されている。人里から遠く離れ森の奥や穴の中、隠れるようにして魔女たちは暮らしてきた。しかしヨーテルの育った里は少し違った。

「私のいた集落は力の弱い人たちの集まりだったみたいで、けっこう人里に出て曲芸、占い、音楽とかで生計を立ててる人がほとんどだったんだよね。……軽蔑しないでくれると嬉しいんだけど」

 それがヨーテルの生活であり普通のことだったのだが旅に出て初めて、それは多くの魔女にとって卑しい行為であることを知った。

「そういう里もあるのね」

 少し怯えたヨーテルに対し、ソルテの反応はあっさりとしたものだった。

「この里も人が来ることもあるわ。近くの村から男の人が」

「えっ、そうなの?」

 魔女は子をなさないというのは、そもそも男性と接することを許されていないということでもある。それはヨーテルも知る魔女の掟であった。ヨーテルは街には出るが、男性に気を許すことはない。それが魔女の里に入ってくるとは驚きである。

「常識の範囲だから大丈夫。魔法は無闇に使っていいものではないもの。腕力が足りないときだとか、あと貿易における荷運びとか」

 一つの里の中ですべての必要を満たすのは難しい。そんな時、魔女は男たちを使う。男たちは魔女と契約を結んだ土地から選ばれ、魔女集落を訪れるときには肌の露出を最小限にした服と顔を頭巾で覆った状態でなければならない。彼らは時に力仕事や、他の魔女集落との通商の際の荷運びをする助けをしていた。

「私たちは『カラス』って呼んでる。ヨーテルは見たことない?」

 聞いたこともなかった。男性との接触のことはヨーテルも知るほどの魔女の重要な掟であるし、基本的には一部の成人魔女のみ知りうる秘し隠すべきことなのかもしれない。ではどうやってソルテはカラスのことを知ったのだろうか。

「植物をさがして夜出かけることも多いからたまたま見かけたの」

 そういってソルテはその話をやめた。


 ヨーテルが目覚めたのは日がずいぶん高くなってからであった。

「ソルテのハーブがよく効いたようだ」

 突然部屋の入口からクアートの声がして驚く。

「く、薬って何ですか」

「私は寝付きが悪いので飲み物によく眠れるハーブを混ぜてもらっている。昨夜は君の食事にも入れさせた。体が軽いだろう」

 起き抜けから立て続けに驚かされ気分はあまりよくないが、連日の野宿で疲れた体はすっきりとしている。しかし素直にお礼を言う気にもなれずヨーテルは唸りながらベッドから這い出た。

「私が何かお手伝いすることはありますか」

 ドーナ・クアートの表情からは何も見えない。起き抜けの出来事についてあれこれ考えるよりとりあえず体を動かそうとヨーテルは思った。

「じきにツィパロが戻ってくる。あれに聞くといい」

 それだけ言ってドーナ・クアートはどこかへ行ってしまった。

 昨日ツィパロたちから聞いた話によるとドーナ・クアートは弟子たちのやることにあまり干渉しない。役割をあたえ、魔法を教えること以外はほったらかしなので、ツィパロもソルテもかなり自由にしているらしい。

先生ドーナは子どもが嫌いだから接触は必要最低限にしてるんだと思う」

 ツィパロはドーナ・クアートのことをそんな風に表した。

 ツィパロの分担である掃除がひと段落したらしく、休憩の間に楽器を弾いてとせがまれたので森の中の切り株に腰かけて、旅の友に持っていた楽器をつま弾きつつツィパロの話しを聞く。

見習いチカに対して命令と叱る以外の言葉を聞くことがほとんどない。笑ったとこも見ない」

 感情的になってる様子はないが明らかな悪意を感じる紹介を受ける。

「ツィパロはいつからここにいるの」

「産まれてすぐくらいだったと聞いてる」

 ふぅん。と返事しながらもツィパロの話し方はつねづねドーナ・クアートによく似ているのでヨーテルはこっそり笑った。

「ヨーテルは歌もうたうの?」

 楽器を弾く手を見つめながらツィパロが言った。

「もちろんだよ。何か歌おうか」

「じゃあマジアチカが必ず聞かされる歌。ヨーテルの故郷にもあった?」

 どんな歌かを尋ねると、ツィパロは恥ずかしいのか耳を赤くしながらも歌のはじめを口ずさむ。するとヨーテルも心得て、楽器をつま弾きながら歌の続きを歌い始めた。


「ヨーテルはこの歌の意味を知ってる?」

 歌を聴き終わってツィパロは嬉しげにしながら言った。

「どうかな。古い言葉なんだろうということはわかる。魔法を覚えるときに習った呪文に似てるよね」

「そう、実際に同じ言葉が入ってる」

「ツィパロは意味を知ってるの?」

 今度はヨーテルが尋ねる。

「全部は知らない。でも小さいときよくドーナに歌ってってしつこく言ってた」

 ツィパロがほほ笑んだのでよほど良い思い出なのだろうとヨーテルは思った。

 二人で少し物思いにふけっていると大きな声で小さな少女が駆け寄ってきた。

「ツィパロー!」

 髪を二つに結った活発そうな少女がツィパロの腰にしがみつくと隣のヨーテルに気づきさっと隠れる。

「イーダ、挨拶」

 ツィパロに促され、半分顔を出したイーダはヨーテルをにらむようにして自己紹介をしてくれた。ツィパロやソルテとはまた別の魔女ドーナに拾われたマジアチカであるらしい。なんだかお姉さんぶったようなツィパロの態度を微笑ましく思いながらヨーテルもイーダに挨拶をかえす。

「慌ててたようだけど、何かあった」

 ツィパロにいわれてハッとしたイーダはその袖を引きながら言った。

「妹が、ヤンがいなくなっちゃった…!」

  その表情は少し青ざめている。

「ヤンが。また喧嘩?」

「ケンカしたけど、ケンカの後もいつもみたいに泣きながらひっついて歩いて来てて、でも森の中で急にいなくなっちゃった」

 不安な気持ちを思い出したのかイーダは涙ぐむ。

先生ドーナには話した?」

 少女はうつむいて黙ってしまう。叱られるのを恐れてまだ言えてないのかもしれない。

 ツィパロは落ち葉をつまんでしばらく考えてからヨーテルの手をつかんだ。

「一緒に来て」

 ドーナ達に内緒でどんな冒険が始まってしまうのか、初めて会ったときにも呑まれてしまいそうだった真っ黒い瞳に見つめられヨーテルは唾をのんだ。

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