第27話

「あの、佐伯さん?」




「何?」




 漆戸さんは、珍しく言いにくそうにもじもじしていたが、急に思い切った様子で、瑠衣の机にに近づいて、こう切り出した。


「良かったら、今日の放課後、一緒にテスト勉強しませんか…?」


 瑠衣は驚いた。

 まさか漆戸さんが、自分を誘ってくれるなんて!


 …でも、いつも学年10番以内に入っている漆戸さんが、瑠衣と一緒に勉強するメリットなど、果たしてあるのだろうか。

 彼女の場合は1人で勉強した方が、よほど効率が良さそうだが。


 でも、助かる!!



「是非、お願いします!」



 瑠衣は、即答した。


「…私と一緒でいいの?私は勉強苦手だから、教えてもらう専門だし。…特に数学は壊滅的だよ」


 漆戸さんは、知っています、という風に頷いた。


「その数学を放課後、戌井君に教えてもらう事になったんです。…私も苦手で」


 瑠衣は、突然ピンときた。

 漆戸さんが、瑠衣を誘ってくれた本当の理由。




「戌井君と2人っきりだと、緊張するから?」



 漆戸さんは、顔が真っ赤になった。



「な、な、な、何を言っているんですか!!わ、わ、私は別に……そういうわけでは……」



「……そう?」




「…いえ、…本当は、緊張します」




 漆戸さんは蚊の鳴くような声で、小さくなりながら白状した。


「佐伯さんが一緒にいてくれると、…助かります」


 やっぱり。

 可愛いよ、漆戸さん。


「そういう事なら、喜んで。どこでやるの?」



「それが、まだ場所は相談していないんです。どこがいいでしょう」


「…図書室は今、絶対混んでるよね」


 テスト前の期間だから、図書室は利用する人で溢れ返っている。とても席を確保する事は出来ないだろう。


「俺も、参加していい?勉強会」


 滝君が、また突然話に加わった。

 …どこから現れたのだろう。


「場所、提供するから」


 瑠衣と漆戸さんは、顔を見合わせた。


「どこ?」


 滝君は、2人にしか聞こえない声で、こっそりとこう言った。


「俺ん家」










 滝君の好意により、勉強会の場所は彼の家に決定した。メールで住所を教えてもらい、学校が終わってから漆戸さんと2人で向かう。


 彼の家は、学校から歩いて10分くらいの場所にあるそうだ。


「電車に乗らなくても学校に来れるなんて、すっごく羨ましいね」


「ホントにそうですね…。楽しみです、滝君の家」


 漆戸さんと2人で話しながら歩くと、あっという間に着いてしまった。


 滝君の家は、住宅地の公園側の角にある白くて広い一軒家。玄関の呼び鈴を鳴らすと、ゴールデンレトリバーの飼い犬が、人懐っこそうに中から『いらっしゃい!』と言ってくれていた。


 彼が明るい声でインターホンに出る。


「いらっしゃい。戌井と東條さん、もう来てるよ!上がって」


 東條さん?滝君が呼んだのだろうか。


「お邪魔します」


 玄関に入ると、滝君が出迎えてくれてスリッパを出してくれた。

「家族は仕事で夜まで帰って来ないから、好きな様にくつろいで」


 彼は2階の部屋へと案内してくれた。


 瑠衣はスカートのポケットに入れてある、理衣にもらった小さな手作り催涙スプレーを、ちょっとだけ意識してしまう。


 拓也の家に上がった時以来となる、男の子の家への訪問。


 もう、あんな事が二度と、起こるはずも無いのに。


 滝君と戌井君の事を疑うなど、心底馬鹿馬鹿しいと思いつつ、どうしても瑠衣は心の奥で、男の子の行動を警戒してしまう。


 滝君とのあんな夢を見てしまったくせに、…ちぐはぐな事この上ない。


 2階の滝君の部屋へ案内されると、8畳くらいの部屋にテーブルを並べて、東條さんが戌井君に数学を教えてもらっていた。


 瑠衣と漆戸さんが部屋に入ると、東條さんはこちらを見て、悪戯っぽい微笑みを浮かべて挨拶をした。


「先にお邪魔してま〜す!」


「東條さん!」


「滝君がね、私も誘ってくれたの!本当、助かる!戌井君が教えてくれて」


 どうやら数学が壊滅的なのは、瑠衣だけでは無いようだ。



 時々ロボットの様にギクシャクし、赤くなりながら戌井君に、頑張って質問を繰り返す、漆戸さん。


 背中を丸くし、眼鏡の角度を直しつつ丁寧に優しく、漆戸さんに数学を教える戌井君。


 勉強をしに来ているはずなのに、シャープペンシルを鼻と口の間に挟み、宙を見つめてボーっとしている、東條さん。

 …集中が切れた様だ。


 瑠衣の左隣で1人、真剣な表情で世界史の暗記に取り組み、自分にしかわからない覚え方でノートに何かを一生懸命書き込んでいる、滝君。



 勉強に集中している彼の真剣な表情は、初めて見る。



 滝君は、自分がいつも過ごしているこの部屋を、瑠衣に見せてくれようとしたのかも知れない。


 男の子の部屋とは思えない程、とても清潔でスッキリしている。本棚には参考書や問題集、教科書など学校関連の本ばかり。


 テニスに関する本や、仲間との写真や、輝かしい県大会優勝のトロフィーなどが置いてあるのかと思っていたが、そういった物が一切何も無い。


 何故だろう。

 目に見える場所には、置いていないだけなのだろうか。


 この部屋に無駄な物は、一切無い。


 瑠衣は自分の部屋の惨状を思い出し、ついつい反省してしまう。



「間違ってるよ、ここ」



 滝君の吐息が、いきなり耳をくすぐった。




 超・至近距離で。




 トオヤとの図書室での出来事を、

 パッと思い出してしまう。




「……!」



 彼と瑠衣の、目と目が合う。

 体が密着しすぎていて、

 身動きする気になれない。




 !!!









「ここ」




 滝君が瑠衣のノートを覗き込みながら、答えが間違っている部分に、自分の指をそっと当てて、教えてくれていた。




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