第5話 接触

 週末、クロウリーはマックスをロンドンの自宅に招いた。そこはストランド通りから二区画ほど入った、閑静な住宅街にある高級賃貸マンションだった。クロウリーは父から受け継いだ遺産で、悠々自適の独身貴族生活を満喫していた。マンションは二十階あったが、クロウリーが借りている住居は、十九階と二十階を独占していた。ストランド通りのティールームで二人は待ち合わせた。そのティールームは、ディケンズやモームといった文士がたむろした、歴史ある喫茶だった。クロウリーがティールーム『サザンハウス』に入ると、隅の席にマックスが陣取っていた。冬だというのに、アイスティーを啜っていた。

「やあ、マックス、早いね」

「ああ。僕はリヴァプールからいつも車でオックスフォードまで出てくるので、ロンドンにはあまり詳しくないんだ。余裕を持って早めに来たんだよ」

「そうか。このティールームはどうだい?僕は読書をする時や、書き物をする時に、よくここを活用するんだよ。大英図書館では、ティーを飲みながらの読書はご法度だからね」クロウリーは言いながら、薄暗い店内を見渡した。店内には、スーツ姿のサラリーマンや、学生、アーティスト気取りの派手な衣装をした男女やカップルなど、様々な人種がたむろしている。

「なるほど、ここなら図書館並みに時間がつぶせそうだね。君のマンションは、ここから近いのかい?」

「ああ、すぐ二ブロックほど先にあるよ」

「行きたいな」

「まあ、そう急かずに、ティーを平らげろよ」クロウリーのホット・アールグレイは来たばかりなので、もう少しここで時間を過ごす必要がある。

「そうだな、君は文学部の学生ということだが、何を目的にケンブリッジへ?」

「ああ、ハイスクールの頃は、漠然と新聞記者を目指していたんだ。それで、成績も良かったので、文学部に入学したという訳さ」

「オカルトへの興味は、昔から?」

「いや、そうでもない。僕は、フランス文学の選考なんだが、中世神秘学の著作に触れるうち、魔術という世界の奥深さに惹かれてね。でも、ゴールデン・ドーンに入会したのは、全くの偶然なんだ」

「どういう偶然?」

「僕の付き合っていた彼女が、サリー伯爵の家系なんだが、彼女の父がゴールデン・ドーンの団員でね。父と仲の良かった彼女も、オカルトへの興味というよりは、好奇心から、ゴールデン・ドーンの団員なんだ。彼女が、僕の魔術への興味を知るに至り、会への入会を誘ったのさ」

「へえ、それは面白い偶然だね。で、僕のことを知ったのはどういう偶然なんだい?」

「・・・それは、秘密事項に当たるからね。君の、ゴールデン・ドーンに対する姿勢によっては、沈黙する必要が出てくる・・・」

「どういうことだい?僕は、貴会からの接触を、光栄なことだと捉えているよ」

「・・・そうかい、じゃあ、入会の意思ありと見て良いんだね」

「まあ、無茶な入会規則とかが無い限りわね」

「特に犠牲を強いるなことは何もないよ。定期的な会合に出席を勧められるのはどこの会でも同じだけどね」

「そういうことなら、僕の入会には何の問題も無いよ、さあ、その秘密事項とやらを話してもらおう」

「・・・そうだね、ゴールデン・ドーンは、団員を責任感のある者に限定するため、優秀な子弟から、入会者に適当な有望な者がいないか毎年リストアップするのさ。そのリストアップされた者たちは、密かに団員からの勧誘を受けることになる・・・」

「なるほど。それで、僕は光栄にも、リストアップされたという訳だね。でも、なにを持って有望と判断されるのかな?」

「・・・いくつか条件があるらしい。僕は幹部じゃないから、直接は知らないんだ。でも、知りえた範囲によると、その条件は四つあるらしい。一つ目は、高貴な家柄(これは、本人の素質によっては無視して構わない)、二つ目は、健康な心身(これも、パフォーマンスを示せるなら、疾病の無いことが絶対条件、という訳ではない)、三つ目は高度な知性、四つ目は、オカルトや精神世界への傾向や造詣。最後の五つ目は、高度な倫理観。これら全てを兼ね備えた十人の青年が、毎年リストアップされ、君はそのリストに入ったという訳だ」

「そうかい、それは光栄だね。でも、そのリストから勧誘して、何人くらいが入会するものかな?」

「七、八人は。」

「へえ、そりゃ随分と多いな。さすが有名な魔術団体だね」

「まあね」そうこうする内、ティーも飲み終えたので、クロウリーはマックスとともに喫茶店を後にした。

 小雨が降った後、所々に背の高い広葉樹が植えてある高級住宅街を歩くのは気持ちが良かった。クロウリーの住居がある高級マンションは、五分ほど歩いたところにあった。一八世紀に建てられた貴族の屋敷を改築したもので、改築されてから十年も経っていないはずだが、赤レンガを多用した、伝統を意識したクラシックな外見のマンションだった。二人はエレベータで十九階に着いた。

 扉が開くと、モダンな照明が壁に付いている、左右二十メートル程度の長さの廊下だった。廊下の右奥に両開きの扉があり、これがクロウリーの私室へと続いていた。

 十九階は、全て生活のための部屋であり、赤を基調としたカーペットや調度品に囲まれた、暖かい空間となっていた。リビングにはテレビや革張りの長いソファがあり、隣接したバスルーム、奥の寝室にはキングサイズのベットが鎮座しており、とても学生の部屋とは思えなかった。実際このマンションは、貴族や、投資銀行の役員たちが入居者の大半を占めていた。

 暫くリビングで寛いだ後、マックスが切り出した。

「クロウリー、君は噂では、特別な部屋を持っているらしいじゃないか」先ほどからちびちびやっていたワインが効いて来たらしく、頬を赤くしている。

「・・・そうかい、そんなことまで誰かが噂しているのかい?」

「まあ、ロンドンのオカルト界は狭いってことさ」

「パサデナの杖と、ゴールデン・ドーンの掛け持ち団員が他にもいる、ということか」

「さあね、そのあたりは、君が入会してみればハッキリすることだが・・・」

「よかろう、君には特別に、部屋を見せてやろう。これから見せる部屋は、三人しか入れたことが無い。いずれも、魔術の実践をする時、不可欠なメンバーとして入ってもらった」

「僕はその部屋に、一見さんとして入れてもらえるわけだ」

「あまり不謹慎な動機で入られると困るな。呪波の余波を受けるかもよ」

「おいおい、脅さないでくれよ」

「冗談さ。でも、ただの好奇心なのかい?」

「いや、それだけじゃないさ。僕も近々、自宅の一室を魔術専用の部屋に改装しようかと思っているんだ。その参考になれば、とね」

「なるほど、そういうことなら歓迎さ。僕は若い頃から魔術を実践するにつれ、魔術専用部屋の必要性を感じるようになった。キリスト教の礼拝のために礼拝堂があり、仏教には仏壇を収める専用の和室があるように、魔術にも、日常のオーラを隔絶するための専用の部屋が必要だ。特に魔術は隠匿性が厳しいから、鍵のかかる専用の魔術部屋は必須だと思うね」二人は、リビングの端にある螺旋階段から、二十階に上がった。そこは、十九階と同様の廊下が左右に広がっていた。十九階との違いは、部屋への入り口が二部屋あることだった。クロウリーはまず、右側の白いカドゥケウス(ヘルメスの杖)が意匠として施されたドアを開けた。

 その部屋は、入った者に、歓声を上げさせること確実だった。二十平方メートルほどのその部屋は、天井と床を除いて全て鏡張りだった。

「ヒュー、驚いたね。ここで乱交パーティーを開いたら、さぞかしセクシーだろうね」

「ふざけたこと言うなよ。ここは、神聖な白魔術専用の部屋さ」

「なるほど、それで扉から床、天井に至るまで、全て白色なんだね。部屋の名前とかはあるのかい?」

「・・・そうだね、『ホルスの間』とでも自称しているよ」

しばしマックスは、感じ入った様子で部屋の隅々まで観察していた。祈祷するための小テーブルが四つ、書棚が三つあった。書棚には、白魔術の呪術書や、十字架やキリスト像、マリア像、白魔術の大師たちの肖像画など、神聖な物を想起させるオブジェが並んでいた。

「なるほど、書物からオブジェまで、全て神聖なものを想起させるね。この部屋自体が、祝福されたような、神聖なオーラに浸されているようで、すごく心地いいよ」

「・・・そうだろう。僕は専用の部屋を設けてから、その効能に驚いている次第なんだ。最初はただの白い部屋だったのが、魔術の実践や、祈祷を経るにつれ、どんどん神聖な気で満ちてくるんだ」

「なるほど、素晴らしいね。ここでは、主にどんな魔術を実行しているんだい?」

「詳細は秘密だけど、防御魔術や、神聖な祈り、瞑想をしているよ。君もおそらく知っている通り、もう一つ別の部屋が隣にあるんだけど、僕はこの『ホルスの間』で過ごす時間の方が、圧倒的に長いんだよ」

「本当かい?でも、本当に心身ともに癒されるような、心地よい部屋だよ」

「さあ、もう一つの部屋に向かおうか」

「ぜひ」

二人は、ホルスの間を出て、左奥にある、対照的に真っ黒なオシリス神の意匠が施された扉を開けた。

 そこは、薄暗い、何とも怪しげな部屋だった。広さはホルスの間と同程度と思われたが、こちらには窓があり、奇怪な幾何学模様が描かれた分厚いカーテンがかかっていた。天井のゴシック調の装飾を設えたランプが、薄暗いオレンジの光を放っていた。

 部屋は鏡張りでは無かったが、壁は四方とも漆黒であり、アクの強い中世のタペストリーが掛かっていた。タペストリーには、修道僧か魔術師が悪魔を呼び出している儀式が描かれていたり、他のタペストリーには、夜に城の上空を駆ける巨大なドラゴンと思しき生物が描かれていた。儀式用の机が壁際に二つあり、机上には髑髏や、シジル(印章)が描かれた色紙、様々な原色のインク壺やペンが置かれており、黒魔術を実施する部屋であることは明らかだった。天井と床はこげ茶色のオーク材が使われており、部屋は毒々しい中にもシックな雰囲気を保っていた。机の横には、これもオーク材の書棚が天井近くまで聳えており、蔵書の数は「ホルスの間」の三倍はあるようだ。ちなみに床には、金色の塗料で巨大なペンタグラム(五芒星)が描かれており、召喚儀式も行うようだ。

「・・・先ほどとは打って変わって、恐ろしい部屋だね。部屋の温度が十度ほど下がったようにも感じるよ。二百年前にこの部屋が人目に触れたら、君は火あぶりか絞首刑になっただろうね」

「たしかに、この部屋『黒の間』には、僕も一人で入るのが怖いことがあるよ。何か不吉な予感や、妙な気配を時々感じるんだ。ただ、魔術の実践に、黒魔術は欠かせないと思うよ。人間の進化の道にもね。もちろん、防御魔術としての白魔術も重要だと思うよ。車の両輪だね」

「君が言わんとすることは、何となく分かるよ。白魔術は主に防御や願望祈願なので、効果が分かりにくいんだよね。でも、黒魔術は危険すぎるよ。露骨に黒魔術の効力を褒めるのを聞くのは、君が初めてだよ」

「そうかい?確かに、『パサデナの杖』でも、そのあたりは皆オブラートに包んだように表現するね。『人間の進化』『意識の進化』『高次元存在との接触』・・・。でも、連綿と続く魔術の伝統と、現象の明確さから鑑みて、ブラック・マジックは避けて通れない、と僕は思う」

「君の言うことにも一理あるさ。いずれにしても、君のような実践を厭わない子弟は、もっと権威と伝統のある団体で吟味された儀式を実行する方が良いと感じるよ。個人が思いつきで始めたオカルトサークルなんかじゃなくてね」

「『パサデナの杖』のことを言っているのかい?あれは、そんなにつまらない団体でもないよ。ただ、確かにパサデナの杖で学べることにも限界が見えてきた。僕は最近、ほとんど独学なんだ」

「これらが、その独学の寄る辺かい?」

 マックスが指した書棚には、古今東西の魔術書の稀覯本や、新刊書がきれいに整列していた。曰く、『ゲーティア』(※一)『高等魔術の教理と祭儀』『ゾハール』『ネクロノミコン』・・・。

「まあ、そうだね、この部屋には、主に黒魔術関係の主要な書物や何百年も前の稀覯本を置いてあるんだ。階下には、もっと最近のオカルト書が置かれているよ。食卓に『ゲーティア』なんて、厳粛さが薄れるからね」

「確かに・・・」

「それに、『ゲーティア』は、実際に魔術の実践に使用することもあるんだ」

「まさか、ソロモン七十二柱(※二)の魔王を呼び出すとでも?」

「試したことはあるよ。でも、成功しなかったね。それで良かったとも思う。もし、魔王の召喚に成功していれば、魔王に呪殺されていた可能性も高いからね」

「防御魔術を万全にしていても?」

「古い文献の強力な防御魔術に頼っても、だ。相手は僕たち人間より奸智に長けた存在だからね」

 二人は部屋を後にし、階下のリビングで寛いだ。

クロウリーは、二人分のマティーニを作成していた。ボウルにウォッカとベルモット、オレンジシロップを容れ、手慣れた手つきで上下にシェイクする。

「ところで君は、なぜ二つも魔術のための部屋を作ったんだい?」

「見ての通りさ。魔王の召喚と、防御魔術、天使の加護・・・。全てが今の僕には欠かせないのさ。まあ、まだどちらの道に進むか、腹が決まっていないだけなのかも知れないけどね」

「黒魔術の道か白魔術の道、いずれはどちらかを選択すると?」

「将来的には、それもありうるね。黒魔術の道にすすめば恐ろしく、白魔術の道は退屈な気がするが・・・」

「・・・君の実行力と、財力が羨ましいよ。ともかく、部屋に招いてくれてありがとう。おまけに、秘密の部屋にも入れてくれて・・・」

「構わないよ。ゴールデン・ドーンに参入できるんだからね」

マックはそれを聞いて、口を歪めてなんとなく皮肉な笑い方をした。クロウリーがそれに気づいて両眉を上げた。

「いやね、ゴールデン・ドーンにも、いろいろストレスがあるのさ。団員内の対立、派閥争い、喧嘩腰の論争・・・」

「そうかい、でもそれは、組織が生きている証拠だよ。活発な議論があるのは良いことさ」

「ただ、それが黒魔術の掛け合いになってしまうこともしばしばあってね」

「・・・ありうるだろうね。きみは、巻き込まれたことがあるのかい?」

「いや、巻き込まれないように、僕は八方美人でいることを心がけているのさ。君ほどではないが、防御魔術も抜かりなく常に実行しているよ」

「ふっふっふ。僕は防御魔術には自信があるよ。ともかく、早くゴールデン・ドーンに入会したいな」

「・・・君さえ良ければ、次回の会合で、皆に紹介するよ。君のほかにも、十名の団員が入会の意思を示している」

「例の十五人のリストの中からかい?」

「そうさ。でも、十人が入会しても、本当に興味があって入会するのは五人ぐらいじゃないかな。元々魔術に興味が無くても、秘密結社への興味で入会する人もいるしね。そういう人はすぐに脱会してしまうことが多い」

「まあ、そうだろうね。有望な子弟といっても、君たちが勝手に決めたことだからね」

クロウリーは、出来上がったマティーニをマックスに渡した。

「うん、いけてるね。やっぱり柑橘系で割ると、甘くて飲みやすいね」

その後、クロウリーとマックスはロンドンで昨今激しいデモや、ケンブリッジ大学のキャンパスライフについて雑談に興じた。


【註解】

※一 ゲーティア…ソロモン王が使役したという、七十二体の悪魔を召喚して様々な願望を叶える手法が示された魔導書。

※二 ソロモン七十二柱…『ゲーティア』に記載されている、ソロモン王が封印した七十二体の悪魔のこと。それぞれの悪魔が複数の軍団を率いているとされる。

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