優しく、触れていいですか。(仮)

まこと

井上沙織

認識

1-1



 短い機会音を合図に、飛び込み台に立つ選手たちが宙を舞う。


 雑多な観客席とは対照的に、音一つ聞こえない静かな水面には、仕切りとなる黄と赤の浮きが反対側の終着点を目指してぷかぷか浮いている。


 照明の光が反射して、ゆらゆら揺らめく水面に魚影が8つ。

 選手が飛び込んでから、水中に潜っているこの時間はなんとも言えない緊張感が走る。


 鍛え抜かれた肉体が背中から浮上してくると、すぐさま。ぴんと張りつため糸のように伸びた二枚重ねの手の一枚が水をかく。


 その途端、水面は表情を変えた。


 四肢によって波が立ち、加わる水しぶきが荒々しく力強かった。

 水をかき分け、あっと言う間に50mに達する。


 まばたきするのさえ躊躇わせる。

 目を瞑ったら、試合が終わってしまっていそうで。


 コースの半分を過ぎたところで、トップを泳ぐ第5レーン・第6レーンが勝負に出る。


「行けー!大和やまとぉ!!」


緑高みどこうファイトォ!!」

 

 観客席とプールサイドで待機している水泳部員たちの声が館内に響いて、つい少し離れた隣の応援団に目がいってしまう。


 こんなにも本気になって応援している姿を見て、文化部に所属している自分との温度差に圧倒された。

 それと同時にそんな彼らが羨ましくさえ思えた。目の前のことに本気になれるその熱量が、私にはなかったから。


 会場が湧いた。


 何事かとプールに視線を戻せば、選手たちが既にゴールした後だった。

 ゴールの瞬間を見逃したことに少し落胆する。

 別に結果がどうなろうが、私には関係のないことなのに。


「大和先輩1位だって」

「さすがだな」

「県大会通過は決まったな」


 どうやら同じ学校の水泳部の部員がこの大会通過の有力者らしい。


「ハァ、やっと終わったぁああ」


 隣でスマートフォンをいじっていた友里子が、天井に向かって大きく伸びをする。


「ちょっと、いくら出席のための総体の応援だからってあからさまなのはまずいって」


 水泳部に聞こえたらどうするのと、周りの目など気にせず自由な友里子を咎める。


「あ、そうだった。いっけね」


 束になっている水泳部を私越しに見ながら、伸びた腕を下ろす友里子。


「大丈夫。聞こえてないっぽい」


 顔の前に左右に手を振る友里子はケロッとしている。

 私を盾にして言うんじゃないと思いつつ、わざわざ口に出すのも面倒くさくて小さく鼻で溜息をついた。


「そろそろ行こうか」

「うん」


 その場を立ち上がると、出口に向かった。

 すると、隣の水泳部の歓声の色が急に濃くなった。


「うおっ、何だなんだ?」


 歓声に驚く友里子も肩を跳ね上げて振り返る。

 水泳部の視線の先にその中心があった。


「大和先輩、1位通過おめでとうございます!」


 プールサイドを歩く、半裸の男に水泳部員は女子を中心に浮足立っているのが分かる。


「ありがとう」


 大和先輩と呼ばれるその男は、後輩に笑顔で応じていた。

 肩にタオルをかけて、プールからあがったばかりの黒い短髪は水が滴っていた。


「きゃあ!!」


「『きゃあ』て」


 右に同じ。


「さっすが、学年でもイケメンと言われる男は部活でも人気なんだね」


 手すりにもたれて見下ろす友里子にならって、私も手すりに手をかける。

 タオルで塗れた髪を拭いているその人の顔は、よく目にする顔だった。


「大和連、180㎝の高身長に水泳で鍛え上げた逆三角形のあの肉体美。そして、クリっとした大きな目が特徴の端正な顔立ち。運動だけじゃなく、成績も上位ときたら、そら女子は放っておかないわな」


 手すりに頬杖を突く友里子が次々と、大和連のプロフィールを説明していくのを聞いて耳を疑う。


「何でそんなに詳しいわけ?」


 一番興味なさそうなのに珍しい。


「あいつのファンクラブに友達が入っててさ。毎日のように聞かされてたら覚えた」


 ファンクラブ。


「実在するんだ」

「らしいよ。アイドルかよって」


 手すりから離れて今度こそ館内を出ようとしたとき、聞き慣れた声が私たちの後ろ髪を引いた。


「飯田ぁ」


 水泳部の赤城くんがプールサイドから友里子に手を振っている。

 友里子はそんな赤城くんの姿を見つけると、あからさまに嫌な顔をして見せた。


「げ。赤城」


 友里子と仲の良い赤城君は、一緒にいる私の顔も覚えてくれている。

 優しく手を振ってくれる赤城くんに、応えるように私も小さく手を振り返してすぐに下ろした。


「お前らここの応援だったんだな」

「おー。今から帰るところだけどね。『午前の部が終わるまでいろ』って先生たちが見張っているし」

「お前、目つけられてるもんな」


 悪戯に言う赤城くんはケタケタ楽しそうに笑っている。


「うっせ」


 いつものやり取りに私も少し口元が緩む。

 普段ならもっと楽しく聞いていられるのだけれど、今日は周りの目が気なって仕方がなかった。


「俺この一つ前の200m自由形出てたんだけど、見た?1位だったんだぜ。すげぇだろ」

「あー、ごめん。スマホいじってて見てなかった」

「お前ここに何しにきたんだよ」


 赤城くんは学年でも運動神経がよく、ルックスも良いことから女子にも人気がある。

 その上水泳部での女子からの人気の高さも耳に入ってきていた。

 だからなのか、隣の水泳部からなんとなく聞こえてくるヒソヒソ声が居心地悪くて、顔を見られないように友里子の方に体を向けていた。


 ああ、早くここから出たい。


 特に何をしたわけでもない。

 もっと言えば関わり合いすら持つことのない水泳部なのだけれど、なんだか品定めでもされているような気がして、変に目立ってしまうこの状況がすごくイヤだ。


「ねえ」


 大和の声が後輩たちに向けられる。


「この後、顧問の話があるから元の荷物ある場所に集まれってさ」

「はい!分かりました!」


 その言葉に嬉々として後輩たちはぞろぞろと移動していった。


 軍団の去っていく後ろ姿を見て、ほっとして胸を撫でおろす。

 ふと彼の方に視線を移すと、視線が重なった。

 

 彼はすぐ視線をそらして赤城くんに一言声をかけて屋内へ行ってしまったけれど、もしかしたら、彼は私が抱えている居心地の悪さに気がついていたのだろうか。


 そんなことあるわけないのに、我ながらどうかしている。


「今帰るなら少し待てねえ?借りた漫画返してえんだけど」

「えー、荷物増えんじゃん」

「えー、じゃあ明日学校で渡すわあ」


 仲良しか。


「じゃあな」


 赤城くんの言葉に友里子が片手を上げて応じると、満足そうに笑みを携えて赤城くんは、屋内へ消えた水泳部を後を追いかけていった。



 赤城くんの後ろ姿が消えていくのを見て、となりにいる友里子に視線を移す。



「…あんたたち本当に付き合ってないわけ?」

「あいつだけは、無い。」



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