歴史小説「太閤と悪魔のブルース」

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歴史小説「太閤と悪魔のブルース」

 ときは戦国。誰もが天下を狙える時代。

 しかしそうひとことに言っても、そうそう簡単にいくものではない。

 戦国大名により近い身分に生まれた者であれば、さだめし下克上の願いも天に通じやすい地位にいるといえるだろう。織田信長などはその典型だ。

 しかし田畑を耕す一農民が天下を志すとしたらどうだろうか。

 それは容易なことではないはずである。究極の道だ。

 しかし、それを成し遂げた男がひとりいる。

 この話は、その男が体験した奇妙なできごとから幕を開ける。


 真夏であった。

 天道が光り輝き、まぶしい光線が水の張られた田畑に映える。

 広がる田畑のなかに、一本だけ大きな木が立っていた。

 夏の青葉を茂らせた広葉樹である。

 日吉丸はこの木の木陰でうたた寝をしていた。

 いや、うたた寝というのは正しくない。

 彼は、自分が天下を取ったときのことを考えていた。

 天下は彼のものではなかったが、彼は天下を取る気でいた。だから彼のなかで、すでに天下は彼のものだったのである。

 農民だとかなんだとか、そんなことは関係ない。

 彼の閉じたまぶたの裏では火花が散っていた。

 と、日吉丸は人の気配を感じて、眼を開けた。

 目の前に、侍が立っていた。

 くたびれたような甲冑具足を身にまとっていたが、しかしそれはしっかりと使い込まれた、誇りさえも感じさせるものだった。

 顔は影になっていて、よく見えない。

 侍は突然、日吉丸に問うた。「ぬしは天下を欲するか」

 唐突な侍の出現に驚いていた日吉丸だったが、立ち上がって姿勢を整えるや、張った声でしっかりとこう答えた。「わしは天下を取りたい! 取るつもりじゃ!」

 「そうか。ならば天下を取れる力をそなたに授けようか」

 「なんと。本当か、お侍どの」

 「うむ。しかし、おぬしはその力と引き換えに、男として大切なものを失うことになる」

 「大切なものとは、なんじゃ。いのちか」

 「さにあらず」

 「では、おれのちん棒か。ははは。そんなもの、くれてやっても何の役にも立たぬわい」

 「いやちがう」

 「なんであろう」

 「それは教えられん」

 「しかし、死ぬのではないのだな、お侍どの」

 「死にはせん」

 「ではわしの腹づもりは決まった。その力をくれ」

 瞬間、空が真っ暗になったような気がした。雷鳴がとどろき、豪雨が地を打ち、嵐に吹き飛ばされそうになった気が、日吉丸にした。

 しかし、その一瞬後は、なんともなかったような田畑の風景が戻ってきた。頭上の木に止まった鳥がちち、と鳴いていた。

 侍は言った。「これでおぬしは天下を取れる。思うがままに進むがよい。それだけでよい」

 「まだ信じられぬが」

 「天下はとても大きなもの。それゆえ瞬時には手に入らぬ。しかもおぬしは一耕作人からの出発じゃ。しかし、長い時間を経て、きっと天下を取ることができようぞ」

 そして立ち去ろうとする侍。

 「待ってくだされお侍どの。名を、名をお聞かせくだされ」

 しかし侍は、風のような速さで田畑の向こうまで歩いていってしまった。日吉丸は走って追いかけたが、それでも追いつかなかった。侍の姿は夏の蜃気楼の向こうに消えた。


 茶々は不満であった。自分ほど不幸な女もいないだろうと思っていた。

 自分は、秀吉も足元に及ばないほどの器量の大きさを、今でもなお称えられている織田信長の妹、お市の方の長女として生まれた。

 それこそ、信長の次の高貴な天下人の妻となるべき格を備えた女なのだ。

 しかし、現実はどうだ。

 信長の次に天下を取ったのは、高貴な侍出身の者ではなく、もとは一農民の猿人間ではないか。

 その猿に、誰が抱かれたいだろうか。誰がその猿の子を生みたいだろうか。

 しかし、その猿が天下一の権力をもったことは確か。だから、その猿が自分を側室に迎えると言い出したことに、背くことはできぬ。

 ああ、気持ちが悪い。秀吉のあの唾液をまとった舌が私の首に張り付く瞬間! 農民の血! あれが私の体液と混ざるのだ。それこそ、気を失いそうになる。

 茶々は不満であった。不満は自身の運命への憎悪に変わり、そして最後には諦めと絶望に変わった。

 私が子を成せと抱かれているのは、田舎農村出の猿なのだ。

 その猿の子を産むなど。

 茶々は、表面上は平静でいた。城にいるときや、秀吉の前にいるときなどは、さすが信長の姪っ子らしい利発さを見せていた。

 しかし、ひとりになると狂おしいほどの絶望感が茶々を襲った。自分の純潔は田舎の猿に引っ掻き回されるように奪われたのだと。しかも、子を産むことまで望まれている。

 だが、子は産めない。秀吉以外の周囲の誰もがわかっていることだ。秀吉には子種がないのだ。それではいくら誰を抱こうとて、子供はできない。

だから、百歩譲って、猿の子でも天下人を産むならば、という望みさえ、茶々には絶たれてしまっていたのだ。

 では、自分は何のために生まれてきたのだ。何にも救いを求められない、この身など滅びてしまえばいいのに! そのようにさえ思った。


 茶々はある夜、女中を共に連れて密かに城を出た。

 女中が止めるのも聞かず、馬を駆り、夜駆けをして、城下から離れた農村にやってきた。

 村の端に馬を停め、女中もそこにいるようにと命じた。

 もちろん女中は茶々を一人で行かせようとはせず、体を呈してこれを止めようとした。しかし、茶々は懐刀でためらいもなく女中を斬り殺した。

 村の中心にある小さな荒れ寺の屋内では、村の若衆が集まって、酒を飲んでいた。

 そこに突然茶々が現れた。絶世の美女である。若衆は「あッ!」となった。

 茶々はやおら腰の帯を解くと、服を脱ぎ始めた。萌黄色の着物の下に肌襦袢。それもすぐにすとんと床に落ちた。

 神々しいほどの美しさを持った裸体が若さほとばしる愚かな農民たちの前に姿を見せた。

 若衆たちは一同ごくりと唾を飲み込みそれを眺めた一瞬のそののち、服を脱ぎながら一斉に茶々に踊り襲いついた。

 薄汚れた床に横たわった茶々のなかには、男たちの子種の「もと」があふれていた。茶々は狂ったように、いや、もはや狂ってしまっていたのかはわからないが、ヒャハハと声高らかに笑った。


 城へ帰ってしばらくしてから、茶々は乳兄妹である大野治長を呼び出した。そして自分を抱けと命じた。

 秀吉の家臣である治長は無論拒んだが、「ならばここで死ぬ」という茶々の本意気の脅しに負け、しぶしぶ彼女を抱いた。

 しばらくして、茶々の懐妊がわかった。

 秀吉は赤子の如く喜んだ。天にも昇る気持ちだった。茶々は冷静だった。

 秀吉は、愚かではなかった。

 あのとき、あの侍に「天下を取る力を授ける」と言われてから、がむしゃらに天下への道を駆けてきた。そして天下を手に入れた。

 侍の言葉を真に信じていたわけではなかったが、そんな力もあるのかなとは思っていた。

 だが、自分意自身の胆力と知恵がなければここまでこれなかったという自負もある。

 ただ、秀吉がひとつだけ悩んでいたのが、世継ぎのことだった。

 自分には子供ができない。どんな女子を抱いても子供ができない。それは、十数年前に気付いていた。

 ただ、絶望のなかに希望を見出そうと、たくさんの女子を抱いてきただけだ。

 そして秀吉は疑っていたのだった。あのとき、侍の言っていた「男として大切なものを失う」とは、自身の子種のことだったのではないか、と。

 それは、天下を取るまでの秀吉にとっては、些細なことだったのかもしれない。

しかし、天下を取り、世継ぎが必要になった彼にとっては、自身のいのち云々よりも重要な事柄になってしまいつつあった。

 そこに、茶々が懐妊したとの知らせだ。

 秀吉は、愚かではなかった。

 だから、こう疑うはずであった。「ずっと子供ができなかった自分に、突然子供ができるなどということがあるのだろうか」

 しかし、秀吉はもうろくしていた。

 秀吉は、疲れていた。

 秀吉は、安心したかった。

 秀吉は、世継ぎの問題を早く解決して、さらに天下の高みに手を届かせたかった。

 だから、秀吉はもう、子供さえできればなんでもよかったのだ。

 茶々はうれしくもなかったし、悲しくもなかった。

 ただ、能天気な秀吉の喜びようを見て、愚かだと思い、自身のこれまでの口惜しい気持ちを慰めた。

 実はその子供の親が愚かな百姓だということは、自分しか知らない。だから、とうとう田舎猿の後ろ頭に「呆け」と白墨で描いてやったような気がした。

 やがて、茶々は子供を産んだ。

 名は秀頼。しかし親は秀吉にあらず。そして懐妊の時期からいえば治長の子にもあらず。治長は自分の子だと思い込んでいたようだが。治長の件はもしも子が秀吉の種ではないとわかったときのための予備策である。治長に無理に襲われたと言って治長の子だとごまかせばいいからだ。


 秀吉が死んだ。天下は揺れた。次の天下は誰のものかと。

 軍勢が西と東に分かれて、大地の真ん中で激突した。関が原の戦いである。ときに徳川秀頼、数え年で七歳。

 結果、徳川家康率いる東軍が勝ちを収めた。天下は家康のものになった。

 しかし、関が原で破れたのは豊臣勢の先鋒隊と西部諸国の諸大名勢力。まだ豊臣の名のもとに集う兵たちもいた。

 そして関が原の戦いから十四年後、家康は難癖をつけてとうとう豊臣方を徹底的に潰しにかかり、秀頼の居城、大阪城を攻めてきた。大阪の役、冬の陣である。

 戦いに負けた豊臣方は、秀頼の命こそ救われたものの、大阪城を堅固な城たらしめた堀を埋められ、再度攻められたら次はないという状況に立たされた。

 そして翌年、徳川は再び攻めてきた。もう城は守れない。

 もうすぐ城に攻め入られようというところで、茶々は秀頼を呼んだ。

 「秀頼、落ち延びて生きるのです」

 「母上。それは部門の恥、豊臣の嫡子として、それがしそのようなことはできませぬ」

 「よいのじゃ。そなたは秀吉様の子ではない」

 「なんと? いきなり何を申される」

 「だから、豊臣のために生くる必要も、また豊臣を再建しようなどという考えもいらぬ。ただ生き延びて、どこかでゆっくりと余生を暮らせばよい」

 「母上。それはどういうことにござりまするか」

 「これまで母のこころのねじれが産んださだめのために生きてくれて、ほんとうにかたじけない。これからは、自由に生きるのじゃ」

 「母上の言うこと、秀頼はとんと解せませぬ!」

 そこに突然赤い鎧の壮年の兵がやってきて、ふたりのそばに侍った。

 体中に傷を負いながらも、しっかりとした動きに足取り。決意に引き締まった表情。これこそ、大阪の役において家康の喉笛にまで迫る勢いと強さを見せ、日本一の兵といわれた、真田源次郎幸村であった。

 彼は最後の最後まで、豊臣に付き従うつもりでいた。そしてその忠義を買われ、茶々から特別の令を受けたのであった。

 「真田よ。秀頼を頼むぞ」それは、秀頼を生きてこの城から逃すことであった。

 「はっ。しかし、奥方様はいかがなされまするか。影武者は秀頼様と奥方様、両名の分を用意してございますが」

 「私はもういい。身分だのうらみつらみだの、呪いの連鎖はもう十分じゃ。織田の血を引く姫として、ここで朽ちよう」

 「母上っ!」

 「さらばじゃ秀頼。そちはたしかに私の子じゃ。それだけわかってくれ。幸村、行くがよい」

 「ははっ。秀頼様、失礼つかまつります」幸村は秀頼の腰をつかみ、部屋の出口へと引っ張っていく。

 「母上ーっ!」涙を流しながら母の顔を見る秀頼。母の顔はやさしく穏やかであった。今生の別れである。

幸村に抱えられ、引きずられるようにして秀頼は城内を駆け下りた。そして幸村によって城の地下に密かに掘られていた穴を伝って城下に脱し、そのまま船で西方へと向かったのである(現在でも大阪城の周囲には、幸村が作ったといわれる抜け穴の出口と見られる遺構がいくつか発見されている)。

 淀君、つまり茶々は、秀頼の影武者とともに自害して果てた。徳川は秀頼、茶々、真田幸村は死んだと公表した。そして豊臣の物語は終わったかに見えた。


 加藤清正は秀吉に可愛がられた武将である。しかし彼は関が原において、家康率いる東軍に付いた。

 これは秀吉への恩顧を忘れたわけではなく、西軍の指揮をとっていた石田三成とそりが合わなかったからである。

 政権が豊臣から徳川へ移り、徳川の信を得て譜代の大名として九州、熊本を治めるようになってからも、清正の秀吉への思いは変わらなかった。

 だから、真田が秀頼を連れて密かに熊本城にやってきたときにも、何も言わずに城内に招き入れ、城の最上階にかくまった。清正にとって、家康への忠義と豊臣家への忠節は、別物ながら、それぞれにとても重要なものだったのである。

 秀頼はしばらく熊本城にかくまわれていた。真田は九州のほかの場所に安住の地がないかと、諸国を行脚しているはずだった。

 そのうち、熊本城の最上階は、なぜ徳川の勅使が来ても開かないのだと、疑いがもたれるようになった。

清正は涙ながらに、秀頼にこの城を離れてくれるようにと乞うた。さもなければ、秀頼は殺され、加藤家もお家取り潰しになるであろうからだ。

 そのうち、真田が秀頼を迎えに来た。

 さて、城を出て行くというその直前、秀頼はそれまで自身のものだった部屋で、清正に礼の言葉を述べた。

秀頼は秀吉の子ではない。たしかに母は茶々であるが、父は農村の誰とも知れぬ愚かな男である。

 それでも清正は秀頼の威厳のある礼に声を上げて涙を流しながら、ありがたい、もったいないお言葉、と頭を畳にこすり付けてひれ伏してよろこんだ。

 秀頼も、母の残した「自分は秀吉の子ではない」という言葉に煩悶しながらも、それでも秀吉という人物の子供として生きてこられてよかったと、思うことができたのだった。

 秀頼と真田幸村、そして幸村の息子を含む数人の随行者の一行は、熊本から西へと進み、天草へ向かった。


 天草は真田幸村が九州諸国を行脚して見つけた、終生の隠れ家として適した地であった。

 真田はこの地にキリシタンが多いことは知っていた。そしてそれらが認知されていながらそこまでの弾圧を受けていないため、秀頼の身にも危険が及ぶことは少ないと考えたのだ。

 秀頼は真田の口添えによってその地方の豪族が建ててくれた、小さな一軒家に住むことになった。もちろん、秀頼の身分は明かしてはいない。

 これが秀頼の最後の城であった。

 真田たちはそのすぐ近くに自分たちで小さな家を作り、そこで暮らしていた。

 彼らは日々を農耕の暮らしに費やしていった。最初はそれを見ているだけだった秀頼も、次第に手を土色に染め始めた。家臣たちも何も言わなくなった。

 月日が過ぎていった。

 秀頼はその土地に住むひとりの女子と恋仲になった。そして、小さな家で仲睦まじく暮らし始めた。

 秀頼は思った。なにか、あの大きな大阪城のなかにいるよりも、ここでゆっくりと田畑を耕しているほうが、自分らしいような気がする。

 ただ、母のことだけが心に残る。それがときたま、とくに満月の明るい夜などにはこころに浮かぶことがあったが、それももはや悲しさを通り越した思い出になりつつあった。

 女子が懐妊したのは秀頼がその地に来てから五年ほど経った頃だった。

秀頼はうれしかった。母の言葉からすると、自分は太閤秀吉の子ではない。しかし、今から生まれてくる子は、まごうことなく、「自分の子」である。

 秀頼はそれだけでうれしかった。

 ときに、その懐妊がわかった後、突然女子が言い出したことがある。

 曰く「自分は実はキリシタンである。これまで言い出せずすまなかった。そして自分は子供をキリシタンとして育てたい。どうか許してはくれないか」

 秀頼は別に構わなかった。もはや俗世は捨てた身だ。

 だがしかし、キリシタンを禁止したのはかくいう豊臣秀吉。形式上ではあっても、秀頼の父親である。

 だから秀頼は、女子が「あなたもキリシタンになってくれ」という願いには応じなかった。自身の定めがこの地で終わるとはいえ、最後まで侍でいたかった。父の子でありたかった。

 ただ、生まれてくる子供をキリシタンにすることには、反対しなかった。ねじれた運命の輪は、自分のところで断ち切れればいいと思った。


 しかし、子が生まれてまもなくして、秀頼は死んだ。享年二十八歳。病死にだったが病名はわからぬ。ただ、孤独死ではなかった。女に看取られながらの死だった。

 そして、真田たちも後を追って殉死した。

 真田たちのうちの何人かもキリシタンの女子たちを妻に娶っていたが、彼らも秀頼と同じく、キリシタンになることはなかった。

 そして女たちは、秀頼が死に、その後を追って男たちが短刀で腹を割いて死んだときにやっと、彼らがもともと侍であったことを知ったのだった。

 さて時代は飛んでゆく。

 秀頼の子はすくすくと育った。

 神をこころから畏敬する、キリシタンとなった。

 また、正義感も強く、若くして人から敬われること多く、将来有望な若者として、評判になった。

 彼も秀頼と同じく、ゆっくりした暮らしのなかで、苦しいながらも平和に、それからも田畑を耕していくはずだった。

しかし、事件は起こった。

 島原の乱である。


 苛烈な年貢の取り立てなどの藩主の圧政と、キリシタン弾圧に我慢できなくなった島原と天草の農民や漁民たちが一斉蜂起し、一揆を起こした。

 その一揆の先頭に立ったのが、正義感あふるる若きカリスマ、天下人豊臣秀吉の嫡男秀頼の息子、天草四郎時貞であった。

 四郎を首魁とした三万余の一揆衆は島原の原城に立てこもり、幕府軍十三万と対峙した。そして最後の一兵まで戦って散った。

 これは徳川幕府が成立して乱世が幕を閉じてから起こった戦いだとは信じられぬほど、荒々しい争いであった。

 もちろんその戦いの動機は、苛政に対する不満が第一である。しかしさらに、そこには戦いに向かうプラスアルファのエネルギーがあった。

 島原、天草に数多くいたキリシタンが自分たちの信ずる教えを守ろうとしたことである。

 一揆衆は皆殺しにされた。

 しかし、幕府軍も甚大な被害を被ったのである。

 無論、天草四郎も討ち死にした。最後の最後まで城を守り、仲間たちを鼓舞して、自らは陣頭で指揮を取り続けたが、最後に死んだ。

 だが、たとえキリシタンであり、一揆の分子のひとりでしかなかったとしても、その勇敢なる魂は、どのような勇将のそれと比類しても劣らぬものだったといえる。

 そして、わずかに生き残ったキリシタンの女子供は、その後も島原周辺で、密かに隠れてキリシタンとして生きていたという。

 さて、物語の作者として、最後にひとつの疑問を呈したい。

 話の根本に立ち戻るようだが、秀頼は本当に秀吉の子供ではなかったのか?

 愚かな農民の遺伝子を持った人物に、あの日本一の兵、真田幸村や、猛将、加藤清正が命を賭して従うものか?

 そしてまた、天草四郎のカリスマを思うと、彼には天下人としての資質が会ったのではないかと考えさせられる。

 ふたりは秀吉の血を引いていた?

 しかし、こうも考えられる。なぜ四郎はそこまで熱い正義感を持って、農民を守ろうとしたのか。

 これも、秀吉がもともと農民だからこそ、という理由で片付けられるだろうか。

 それともやはり、茶々が言うように、その血は農村の若衆から来ているからなのか。

 今となってはわからないことだ。

 ただ、これだけ伝えておこう。

 私は秀吉に「天下を取る力を与える」と言っただけだ。あれは暗示である。秀吉は、天下を取る力があったから、天下を取れたのだ。「男として大切なもの」? ああ、あれはプライドを捨てても天下取りを志せるかという試問だ。

 それに、秀吉にほんとうに子種がなかったかどうかは、私にはわかるはずもない。

 さて、そろそろ私も疲れてきた。どうやら長く生き過ぎたようだ。

 少し、眠るとしよう。

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