MISO MAGIC(女魔法使いがうまい味噌を作って世界が平和になる話)
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MISO MAGIC(女魔法使いがうまい味噌を作って世界が平和になる話)
美樹は魔法使いであった。
かつての悪魔大戦では、成人の魔法使いがみんなやられて死んでしまったがために、魔法使い見習いの少女までもが実戦投入されることとなった。
それでも彼女たちは恐れを押して雄々しく戦った。そして次々に散っていった。
だが、彼女たちの活躍により、とうとう魔王は倒れたのだった。
しかし、あの最後の戦いで、ほぼすべての魔法少女が命を落とした。つまり、美樹を除いて。
美樹は回復系の魔法使いなので、後方支援に徹していたのだ。魔王に最後の一撃をくれたのも、美樹の肉体強化魔法を受けた魔法使いだった。だが、それによって美樹は親友までをも失ったのである。
そして唯一生き残った魔法使いである美樹は、一躍時の人となった。ちやほやされた。おいしいものも食べた。若い美樹の処女を得たのは、当時新進気鋭のイケメン歌舞伎俳優だった。
あれから七年。人の記憶は簡単に風化するし、そもそも他人のことに本当に興味がある人間などあまりいない。もはや美樹のことを覚えている者はほとんどいなかった。
彼女はどうにか二流の短大を出たものの、二百社以上の求人に応募したにもかかわらず、就職は決まらなかった。一時期、履歴書に「世界を救った魔法使い」と書いたことがあるが、面接官に爆笑されたために、その後はそういうことを書くのは控えていた。結果がこれだ。
親からは、世間の目があるから早く家を出て行ってほしい、どこでもいいから遠方で働いてくれと言われた。
そしてさらに、彼氏にふられた。曰く「普通の女の子と付き合いたい」だそうだ。
美樹だって、魔法が使えるというだけで、普通の女の子だ。しかし男は、魔法使いというネームバリューに引かれて美樹に近づいただけのようだった。それに、魔法を駆使した激しい痴態を堪能したかっただけなのかもしれない。
美樹は絶望した。生きていても意味がないから、死のうと思った。
死ぬならなるべくさびれたところがいい。もう魔法使いだから云々、という扱われ方は嫌だ。普通に死んで、他の人々と同じように、ひっそりと「今年度の自殺者」の名簿に載れればいい。美樹はそう思って、東京から新幹線に乗って、北陸へ向かった。
世間的に自殺の名所とされている岩場にたどりついたのは、夜半を過ぎたころだった。最寄りの駅から乗せてもらったタクシーの運転手には、五万円を握らせた。たぶんばれない、大丈夫だろう。
ここから海に身を投げて死のう。当たり前の場所で当たり前に死ぬのだから、世間も当たり前の自殺者にするような当たり前の反応をしてくれるだろう。
しかし美樹は知っていた。自分は簡単には死ねない。なぜなら回復魔法の使い手である美樹の自己治癒能力はすさまじく、腕がもげても足がとれても体が吹っ飛んでも、すさまじい自己治癒能力ですぐに回復してしまうので、簡単には死ねないのだ。四肢が粉々に吹き散るほどの衝撃を受けるか、大きな傷口がいつまでも塞がれないでいる、もしくは脳みそが一瞬で蒸発するなどの、相当のダメージを受けねば死ねないのだ。
美樹は崖の下を見降ろした。ちょうど鋭い岩が海から突き立っている。あそこに体を突き刺せば、いくら頑丈な自分でもきっと死ねるだろう。美樹は飛び降りた。
ああこれでやっと終わるこのつらい人生が。しっかりあの岩に体を突き立てよう。
しかし中空で美樹がそう思ったとき、岩の横に、一人の人間が浮いているのが見えた。
美樹は岩を避けた。人助けが好きだった昔のことを少し思い出してしまったのだ。美樹は涙がにじんだ。左半身が岩に擦れてもげて吹っ飛んで行ったための痛みではない。心から来た涙だ。その証拠に、ほら、なくなった左半身は、数秒後には元通り再生していた。
海面に浮いていたのは、白髪の老人だった。彼のものであろう、近くに小型のボートが転がっている。
老人は息をしていなかった。が、まだ助かる。美樹は久しく使っていない回復魔法によって老人を蘇生させた。そして彼を背負って、陸に上がれる海岸まで泳いだ。途中で何度か足や腹を鮫に食われたが、その都度回復すればいい話なので、問題はなかった。
老人はその日の昼前に釣りに行くと言って出て行ったきり帰って来ず、そのため家族は大変に心配していた。警察が美樹たちを老人の自宅に届けると、大勢の家族がみんな拝み手をして、美樹に感謝の言葉を述べたのだった。美樹は数年ぶりに、他人からの気持ちのこもった言葉を聞いた気がした。
しかし美樹がほんとうにうれしかったのは、意識をとりもどした老人・吉三郎が彼女に、穏やかにかけた一言「お前さんが助けてくれたのか、ほんとうにありがとう」だった。それは、人はここまで素直に気持ちを表すことができるのかと信じれらなくなりそうなほどすっきりとした、ストレートな感謝の言葉だった。
その後、すぐに彼の家を辞そうとする美樹の様子を見て吉三郎は思うところがあった。
そもそも、あの崖下で自分を発見したというところからおかしい。彼らを送ってきた警官たちは、上司はパトカーの中で風俗の話しかしていないし、部下は部下で堂々と懐からマリファナをとり出して吸っているし、何も疑っていないようだが、明らかに美樹は自殺に失敗して、自分を助けることになったはずだ。
彼は美樹に後ろから優しく声をかけた。「しばらくここで遊んでいきなさい」
「遊ぶなんて。私はいい年です。東京に戻らなければ」
「東京でなんぞお仕事でもされているのかな」
「……」
「それならここで働けばいい。なあに、わしは小さな会社をやっておってな。ちょうどなにがしかの人手が必要だったところなんだよ」美樹の就職が決まった。
吉三郎は味噌蔵の経営をしていた。
彼の蔵では、かつては最高の味噌ができるというので、全国に知れ渡るほどの評判だった。
しかし今は、安価でそれなりの味を提供してくれる有名食品メーカーの味噌の台頭が著しく、吉三郎の蔵でつくるような手作りの味噌はあまり売れないのである。確かに自動化されたラインで作られた味噌は、味は均一で安くもあがるだろう。しかし彼は、今の世の中でも、何か「人が作ったもののぬくもり」のようなものを信じている、古い男なのであった。
実際、彼の味噌は吉三郎と同じように、素朴で、優しい味わいだったので、美樹は大好きだった。確かに、作るのに手間はかかるし、味噌自体が主食になるわけでもなかったが、一度好きになると、この味噌でなくてはたまらないと思わせるような魅力があると、美樹は感じていた。
ある日、美樹がいつものように出勤してきて味噌蔵に入ろうとすると、事務所のほうから言い争う声が聞こえた。
「親父のやり方じゃメーカー品には勝てない、このままじゃ蔵はつぶれるぞ! できるところは機械を使ってコストを下げなけりゃいけない!」
「そんなことをしたら社員はどうなる!? 食に携わるもんが食に困って、そんな会社に未来などあるか! それに、これがおれの味噌の作り方なんだ、お前に何がわかる!」
「もういい、知らん! おれは出ていく!」
吉三郎の息子で、次期社長である吉之助が後ろ手に乱暴にドアを閉めて、事務所から出てきた。彼はそこで立ちすくんでいる美樹に気づいて、うつむいて言った。「おれだって、親父のやり方が嫌いなわけじゃない。でも、このままじゃ、みんなを食わしていくことはできない。君をここにとどめておくことも、できないんだ」
吉之助の言うことはよくわかる。昨日国道沿いのラブホテルで、何度吉之助が美樹に「君を離したくない」と言ったことか。千八百二十四回である。美樹は数えていたのだ。
吉之助は悲しそうに、蔵を出て行った。
美樹は吉三郎が心配になって事務所に入った。ソファに座りこんだ吉三郎はそんな彼女を認めて、「見苦しいところを見せてしまった」と、しょんぼりと笑った。そして「すまんがちょっと手を貸してくれんか。どうやら腰が抜けたらしい」吉之助が真っ向から言い返してきたのは、初めてのことだったらしい。
吉之助が出て行ってから、蔵の経営が危うくなるのに、そんなに時間はかからなかった。
というのも、味噌の製造こそリーダーシップをとっていたのは吉三郎だったのだが、営業流通に采配を振るっていたのは吉之助で、彼がいないと、この蔵はまったく回らないのである。商品力がずば抜けていても、現在の流通社会の状況では、流通に力がなければ、商売は続かない。これまで蔵が保っていたのは、アメリカ帰りの吉三郎がハーバード仕込みの商業知識を元に辣腕をふるっていたからこそなのである。
とうとう蔵をたたむかどうかというところまで、状況は押し迫ってきた。そこで美樹は、最後にひとつ試させてほしいと、吉三郎に言った。
それは、味噌を生成する鍵である麹に回復魔法をかけ、発酵を活発化させて、味噌によりコクを与えるというものだ。
確かに吉三郎の味噌はうまい。しかし、それはまるで吉三郎のような、まろやかな味である。ここに吉之助のような、濃厚でパンチのある味わいが加われば、きっとこの味噌は全国区で認められる味になるに違いない。
それは美樹の思い込みだったが、自信はあったのだ。
美樹は魔法使いだったが、勉強はすべからくできたためしがない。英語、国語、数学、理科、社会、家庭科、技術、美術、音楽、SPI、その他もろもろ、さっぱりわからないのだ。頭が悪いわけではない。それでは魔法使いなどになれるはずはないのだ。ただ、学校で学ぶ勉強には、それらがなんの役に立つか、見いだせなかったからだ。
しかし、味噌のことは別だった。味噌は自分に生きる意味を与えてくれた象徴であり、敬愛する吉三郎の生きがいであり、愛する吉之助の魂の注ぎ口であり、また、吉三郎と吉之助をつなぐ架け橋であった。
それに、味噌は日本人の心のふるさとなのだ。常に需要がある。必要性がある。美樹は味噌に確かな意味を見出すことができた。だから彼女は、脳神経がちぎれるほど一生懸命に、味噌の勉強をしてきた。吉之助とのピロートークはいつも、どうすればもっといい味噌を作って、たくさんの人に届けられるかということだった。
吉三郎も美樹の味噌への愛を知っていた。だから、最後はお前さんの好きにやればいいと、美樹にすべてを任せたのである。
美樹の作った味噌は飛ぶように売れた。
回復魔法で発酵を促成された魔法の味噌――商品名「MISO MAGIC」は、意味が分からないくらいうまかった。
蔵の知名度はかつての全盛期を超えて、全国津々浦々にまで広がった。犬や猫も好んで食べた。
そして吉之助が、恥ずかしそうな顔で帰ってきて、吉三郎に謝ったのだった。吉三郎は快く彼を許した。
吉之助は研究者を呼び、美樹が魔法で作った味噌の発酵原理を解き明かし、これを自然発酵で実現・量産することを可能にした。その年、研究者はノーベル賞をとった。
これにより、吉之助の蔵の味噌は日本だけではなく、世界にまで認められ、全世界で「MISO MAGIC」が流通することになった。この空前の味噌ブームにより、全世界の朝の食卓で、味噌汁が飲まれることが常識化した。紛争地帯の人々は味噌汁を飲んで感じる安息感により戦うのがばからしくなって、戦争をやめてしまった。アフリカの子供たちも、味噌汁のおかげで元気になった。マフィア社会では、コカインやシャブを味噌であえてエシャレットや根ショウガにつけて食べるのがもっとも粋な姿だと言われるようになった。
蔵の株価が世界一のIT企業と肩を並べたとき、吉之助は美樹にプロポーズした。
美樹は幸せだった。かつて日本を救った魔法使いとしてほめそやされたときなど、かすんで見えるほど、幸せだった。すべて吉三郎のおかげだった。美樹は本当に、心の底から彼に感謝をしていた。
しかし、もう表舞台に吉三郎が姿を現すことはなくなっていた。社長もすでに吉之助に引き継がれていた。
確かに味噌をうまくしたのは美樹だし、会社を大きくしたのは吉之助だ。しかし、それらのすべてのベースとなる味噌を作ったのは誰だったか。誰も吉三郎のことを口にしない。かつて世界の主人公であった美樹が世間の陰に隠れてしまったように、世界の誰しもが味噌のことをほめそやしても、吉之助のことを知らないのだ。
吉三郎はもう動けない。病気ではない。老衰だ。
寝たきりでもうほとんどしゃべれない。
美樹は何度も何度も彼に回復魔法をかけた。自分の精神なんか、削れてなくなってしまってもいいと思いながら、吉三郎に魔法をかけた。魔法は聞かなかった。吉三郎は体が悪いわけではない。けがをしているわけでもない。ただ、老いているのである。
美樹はほとんど息をしているようにも見えない吉三郎に、泣きながら言った。「おじいちゃん、ごめんね、ごめんね。私、直してあげられない。おいしいお味噌が作れても、おじいちゃんが助けれらないんじゃ、私、私。ごめんね、ごめんね」
吉三郎が、静かに口を開いてゆっくりしゃべった。
「わしは救われた。あんたは魔法が使えるようだが、それは大したことじゃあない。わしはあんたに助けられて、一度はあきらめかけていた、大きな夢が見れた」
「でも私、おじいちゃんのことを有名にできなかった!」涙が止まらない。
「有名か。わしにも名を売りたいと思うことがこれまでに何度となくあったよ。でもな、せがれと、おまえさんと、孫がいれば、わしはもう、何にもいらない。十分に、幸せ」
「おじいちゃん、死なないで!」「おじいちゃん!」「じいちゃ!」美樹にはもう子供が三人生まれていた。
「それに吉之助も戻ってきた。なんでこんな幸せになれたのだと思う? それは、おまえさんの優しさじゃ。あのときあんたは死なずに、わしを救ってくれた。おまえさんの優しさが、わしを救ったんじゃ。おまえさんの魔法というのはな、魔法なんかじゃない、おまえさんの、優しさ。それがおまえさんの魔法なんじゃ。だから、自信を持って、この世を、幸せに、生きるんじゃぞ」
「おじいちゃん……、おじいちゃん……」
「あんたに会えて、よかった。よかったよ」
「…………っ」
「ありがとう。ほんとうに、ほんとうに、ありがとう」
吉三郎はそこまで言うと、ふと笑って、いのちを落とした。彼の床の周囲に鳴き声があふれた。
飲みこむような嗚咽の中で美樹は、本当の魔法使いは自分ではない、吉三郎だと、これまで何度も何度も何度も何度も心の中で繰り返してきた言葉を、再びかみしめたのだった。
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