「瞳の中のアルバム」

日々人

「瞳の中のアルバム」

 

店を出ると、寒空には月が浮かんでいた。

ちょっとだけ、洋服のバーゲンを覗いてみるつもりが、もうこんな時間に。

彼氏を誘ったが、どうやら荷物持ちになることをやっと学習したようで連れ出せなかった。

次に誘う時には、もう少し良さげな餌を撒く必要がありそうね。

 

白い息を吐きながら、駅から自宅までの帰り道。

住宅街を進んでいると灯りが途切れ、暗闇があらわれた。

ぽっかりとした空き地があるのだ。

普段は立ち入らない、その足元の悪い空き地を今日は通り抜けることにした。

一日中動き回った上に、寒さからなのか足の感覚が鈍くなってきていた。

足早に。もうすぐで空き地を抜け出すというところで、突然強い風が吹きつけてきた。

 

「いたいっ」

 

目にゴミが入ってしまった。

なんとかして取り除きたいのに、両手は紙袋でふさがっている。

どうしたものかと。

体をかたむけて片手に荷物を預け、空いた手を使って、まぶたのふちを指でなぞる。

でも、やっぱりそう簡単にゴミはとれない。

もう少しだけ我慢することにした。

家に着いたら目薬を差そう。洗面所の鏡で確認しつつ、水で洗い流そう。

引きつった片目、ごろごろする片目。

まばたきを極力避けながら、なんとか部屋の前にまでたどり着き、鍵を手にした時だった。

あれ。

さっきまでの違和感が消えている。

あたしはこういうとき、目の裏側にはこういったゴミが延々と蓄積されているんじゃないかと、時折り想像しては不安になるのだった。

 


 ー ー ー ー

 

 

かみさまは、いいました。

瞳の中に「異物」があってはならぬ。

そして、ひとさまの瞳の中の「異物」をとりのぞくのがおまえたちの仕事だよ、と。

でも、きょうはその仕事がうまくいかずに、かみさまにおこられました。


「即刻、返却なさい。…なに?言葉の意味がわからない?

 これを、とってきた場所にもどしてきなさい」


ぼくたちは、ひとさまの瞳に入った異物をとりのぞくという使命を、かみさまから受け賜りました。

でも、どうやらぼくたちは持ちかえってはいけないモノまで、持ちかえってしまったようです。

それで、かみさまはおこったのです

ぼくたちの部隊は五人へんせいです。

そのうち、ぼくを含めてけいけんの浅いものが四人というしんじんの多い部隊でした。

ところがちょうどその日はリーダーのおにいちゃんがかぜをひいてやすんでしまっていた日でした。

ぼくたちはいつもリーダーのおにいちゃんにめいわくをかけていたので、なんとかぼくたちだけで一日のしごとをこなそうとがんばったのですが、残念ながらうまくいかなかったようです。

ぼくたちがうつむいていると、リーダーのおにいちゃんがよろよろしながら、みんなの前にすがたを現しました。

おにいちゃんのトレードマーク、赤いバンダナを身につけています。

どうやら一晩しっかり休んで、かぜがなおったようです。

おにいちゃんはぼくたちを連れて、もとの場所に戻すさぎょうにとりかかろうとしました。


ぼくたちがまちがえて持ちかえったモノは『瞳の中のアルバム』というものでした。

ぼくたちのはたらく場所、ひとさまの目の奥には部屋があって、そこにアルバムがあります。

ですが、しんじんのぼくたちはそれをはっきりとは知りませんでした。

そのアルバムを管理するのがリーダーの役目で、それがどんな形なのかさえ実はあいまいでした。

だから瞳の奥で、ゴミや砂ぼこりにまじった一冊を目にしても、その時はなんとも思わなかったのでした。

そしてかなしいことに、集めたゴミといっしょに、もみくちゃにしてここへ持って帰ってしまった。

どうもその時、ひとさまのたいせつな「瞳の中のアルバム」を傷つけてしまったようです。

とくに背表紙の部分、それは今にも裂けてばらばらになってしまいそうでした。

だから、そう。

やっぱり、それはどう見ても、ゴミや砂ぼこりとあまりかわらないように思えたのでした。

 


 ー ー ー ー

 


また、同じひとさまの元へ、ぼくたちはやってきました。

このひとさまは年老いたおばあさんです。

アルバムの中を覗いてはいけませんとかみさまから言われていたので、おにいちゃんをはじめ、ぼくたちも決してアルバムをめくりませんでした。

ところが、大事にアルバムをかかえていたおにいちゃんが、瞳の入り口をまたいだところでつまづいてしまったのです。

きっとおにいちゃんの身体の調子がまだばんぜんではなかったからだと思います。

幸い、そのしょうげきではおばあさんは眠りから覚めることはありませんでしたが、ぼくたちはかみさまの言いつけを守れませんでした。

パラパラとページはめくれて、アルバムは開かれたままぼくたちの目の前にぱたりと落ちたのです。

中身がすこしだけ見えてしまいました。

あわててぼくたちはとなりどうしで目をふさぎあいました。

ゆびのすき間からアルバムをのぞきながら、なんとか閉じようとしたのですが。

おっちょこちょいなしんじん隊員たちです。

一人がアルバムの手前でつまづくと、それに押されたもう一人がアルバムの上に乗り上げてしまってアルバムが二つに裂けてしまいました。

さらにそれを慌てて追った二人がぶつかり合い、気付けばアルバムは宙にまっていました。

ぼくはその内のどれかです。

アルバムは空中でくずれて、瞳の中で散らばってしまいました。

もうこの部屋はたいへんなじたいです。

その一連の流れを見送ったおにいちゃんはあたまをかかえてうずくまり、しずかに、めそめそと泣き出しました。

ぼくたちはどうしたらいいのかわからず、誰からということもなくおにいちゃんのそばで輪になると、わんわんと泣いてしまいました。

 

 

「…小さなぼくちゃんたち、だいじょうぶ?」


とつぜん、声が辺りにひびきました。

おどろきました。

この部屋におばあさんの声がこだまします。

そういえばかみさまがこんなことを言っていました。

ひとさまは起きてはいなくても「意識」というものでぼくたちの仕事をながめていることがあるのだと。

だから手を抜くことなく、しっかり使命を果たさなければならないのだと。

仕事おわりには、ぼくたちの働く姿をひとさまは忘れることになるのですが、おっと、今はその話をするときではないようです。

ともかくおばあさんはぼくたちが騒いだことで、ぼんやりと眠りのふちから意識が戻ってしまったようです。

ぼくたちはパニックになり、一目散にこの部屋からたいしつしようと出口に向かっていたのですが、また声がします。


「ねぇ、ぼくちゃんたち。その散らばったものをみせてくれない?」


おにいちゃんがどことなく上を見上げて話しはじめました。


「ごめんなさい、おばあさん

 ぼくたちはおばあさんのアルバムを壊してしまいました

 それに、ぼくたちはアルバムの中をみてはいけないとかみさまにきつくいわれているのです

 だから、そばにはちかよれません

 だから、ごめんなさい」


おにいちゃんはそういうとうつむいて、またぽたぽたと涙をながしはじめました。


「だいじょうぶよ

 かみさまにはあたしから事情をせつめいさせてもらいますから

 だから気を落とさないでね

 元気をだしなさいね

 誰にだって失敗はあるもの

 これまでもあたしたちのためにがんばってきたじゃないの

 ほら、そこにあなたの姿があるじゃない?」


うながされるようにして、ぼくたちはそのことばの先を見つめてしまいました。

けっして、見てはいけないもののはずなのに。

ぼくたちはアルバムの中におさめられていた「寫眞」というものを囲んでまじまじとみつめたのでした。

その中の一枚。

そこにはおにいちゃんのすがたがうつり込んでいました。

今よりも少し幼く見えますが、トレードマークの赤いバンダナがなによりもの証拠です。

どうやら、おにいちゃんは、仕事終わりにスプレーをまくのを忘れたようです。

そう、スプレーをまかなければ、ひとさまの記憶に残ってしまうのです。

みんながおにいちゃんを見つめると、おにいちゃんは恥ずかしそうにごめん、とつぶやき、うつむいてしまいました。

ぼくたちはおにいちゃんから視線をそらすと、それぞれ背負っていたリュックをひらいてスプレーが入っていることを確認しました。みんな、ほっと一息ついてまた元に戻しました。

よだんですが、ぼくたちはスプレーが大好きです。

指で缶のさきっぽを押すと蒸気がふきでます。

それがおもしろいのです。

しゅーっと部屋中に吹きかけ、きょうも無事に仕事がおわったことをかみさまに告げるのです。

おっと、このたびはアルバムを持って帰ってしまって無事に終わってはいなかったです。ごめんなさい。

 


 ー ー ー ー 

 


それはなんとも不思議なものでした。

散らばったページに収まっていた「寫眞」には、これまで見たことのないひとさまやどうぶつ、風景や絵などが描かれていて、そこからいろいろな場面が浮かび上がってきたのです。


「おばあさんがこれまで生きてきて、思い出に残った瞬間が「寫眞」として切り取られて『瞳の中のアルバム』にまとめられているんだ」


おにいちゃんがみんなにせつめいしてくれました。

おにいちゃんはいぜんにも、このおばあさんの瞳の中に入ったことがあって、仕事終わりのスプレーを忘れてしまった。

だから、その時のおばあさんの記憶がそのままアルバムの中に残ってしまって、ぼくたちのような存在を覚えていたのです。

あんなに楽しいスプレーのひとときを忘れるなんて、おにいちゃんって変わっているなぁと思いながら「寫眞」をながめます。


「あぁ、こんなこともあったわねぇ

 日付をみると随分と昔のこと

 あたしも歳をとるわよね」


ぼくたちはおばあさんの指揮のもとに、アルバムをふっかつさせることになりました。

せいとんしながら、ぼくたちが手にした「寫眞」について、ときどきせつめいをしてもらいました。

おばあさんによく似ているという、おばあさんのおばあさん、おじいさん、おとうさん、おかあさん、ともだち、好きになった人、おばあさんが若かったころに似ているというおんなのこ。

ひとさまが入れ替わりながら、いろいろな場面が写っていました。

とざん、かいすいよく、うんどうかい、よくわからない言葉やせつめいも多かったけれど、どれも見たことのないものばかりで、ぼくはスプレーと同じくらいにそれを見ることが楽しかったのです。

だから、おばあさんがそろそろお片付けしましょうね、と言われたときはざんねんな気持ちでいっぱいでした。

 

「寫眞」のせいとんは、めじるしとなる日付というものが印字されているそうですが、残念ながら、ぼくたちはひとさまの使う日付というものがよくわからないのです。


「そっちの方が前の方だね

 これはもっと後の方に

 これはそれとそれの間」


それぞれが身近にある「寫眞」を上に向かってかかげては、おばあさんの言うとおりに動きまわりました。

おばあさんはなかなか思い通りに動かないぼくたちを叱ることもなく、笑いながら優しくおしえてくれました。


「それにしても姿の変わらないあなたたちは、ずいぶんと長生きなのねぇ」


「寫眞」は日付が若いほどまえにあって、そこからうしろに向かって順番にならべて置いてあります。

そういえば、おにいちゃんがうつっていた「寫眞」はずっと前の方にならんでいます。


 

 

「みんな、ありがとう

 きれいにならべられたねぇ

 さて、あとは「寫眞」をアルバムのポケットにもどさないといけないんだけど…

 くずれてしまったアルバムを張り合わせないといけないねぇ…どうしたものかねぇ」

 

 

一通りならべおえると、なれない作業ということもあって、みんな疲れてしまいました。

おばあさんの提案もあって、みんなで休憩をとることにします。

リュックから水筒を取り出して、大好きなバナナジュースを輪になって飲んでいる時でした。

とつぜん、うしろの方でどさりと音がしたのでおどろきました。

新しい、ぴかぴかのアルバムがいつの間にかぼくたちの後ろに置かれていました。

おばあさんのしずかな笑い声がきこえます。

おばあさんがかみさまに事情をせつめいしてくれたそうです。

 

休憩がおわると、ぼくたちはその新しいアルバムに「寫眞」を順番におさめていきました。

とちゅうでおにいちゃんがうつり込んでいる一枚がありました。あの、うっかり「寫眞」です。

ぼくたちがピタリと動きを止めると、おばあさんはいいました。

 

 

「かみさまには内緒にしておきますから。

 この思い出はそのままに、そのままにね」

 

 

そのおかげで、またぼくたちは手を動かすことができるようになりました。

やがて、そうこうしているうちに、ようやくアルバムが元に戻ったのです。

おばあさん、おわりました、とおにいちゃんが上に向かって言うと、おばあさんのごくろうさま、という言葉がふってきました。

それから、おにいちゃんは決意した顔をして、上へ向き直しました。



「…では、おばあさん。

 そろそろかみさまのもとへ帰らなければなりません」

 


おにいちゃんのその言葉を耳にした隊員の一人が、いやだいやだと顔を振り、もう一人は口をとがらせ、のこりの二人は静かに泣き出しました。

ぼくはその内のどれかです。

 


「ちいさなぼくちゃんたち、ありがとう

 また、あたしのところへ

 いつでもいらっしゃいね」

 

 

おばあさんからの声は、それから、なにもきこえなくなりました。

みんなでしばらく手を振っていましたが、一人、また一人とリュックからスプレーを取り出します。

手にしたのはいいものの、みんな、なかなかスプレーをおせません。

いつもはおたのしみのスプレーが、今日はなんだかとてもさみしいのです。

 

すると、上から一枚の「寫眞」が降ってきました。

のぞきこむと、ぼくたち五人が楽しそうにして、アルバムをかこんでいるようすがうつっています。

おばあさんと一緒にアルバム作りにはげんだために、おばあさんのなかに新しい記憶がうまれてしまったのです。

「寫眞」はアルバムのほうに向きをかえると、ゆっくりとすい込まれ始めました。

ぼくたちは、その「寫眞」がアルバムの中におさまってしまうことを止めなければなりません。

 

 

 

「これがぼくたちの仕事なんだ、」

 

 

おにいちゃんはそういうと、きびしい顔をしながらスプレーをまき始めました。

ぼくたちもおにいちゃんに続いて、スプレーをします。

しゅー、という音と蒸気が部屋にひろがっていきます。

みんな「寫眞」が気になって、なんどもふりかえっては様子をうかがっていました。

やがて、「寫眞」の色が薄まりはじめると、しずかに音もなくきえてなくなってしまいました。

ぼくたちのことを、こうしておばあさんは忘れてしまったのでした。

 

…でも、あの。

今より少し若いすがたの、おにいちゃんの「寫眞」はアルバムに残っています。

だからぼくは。

ぼくたちはそれでいいのです。



 

赤いバンダナをしめなおして、おにいちゃんは最後に部屋をでてきました。

そして、ぼくたちのそばにかけよると、いつもの言葉をなげかけます。


「みんな、忘れ物はないな?

 

 よし、かみさまのところへ戻ろう!」

 

 

 


 ー ー ー ー



....妄想話でした。

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「瞳の中のアルバム」 日々人 @fudepen

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