円陀Bケンプ共和国
第45章 憧れの魔術師との別れにウンザリ
夕闇の南極海上は穏やかな波だった。
海面すれすれを仰向けに寝そべって優雅に漂いながら、アプサラスは水晶板で話している。
「救世主はやり遂げたわ」
腹上に載せた大金の入った布袋からガンパチ金貨を一つ取り、指で弾いて同じ手で受ける。
「誘惑して侵入を許させたスプリガンにも、念は押しといた。……危険になれば、あなたの伝で暗殺者でも動かせばいいじゃない。……うんうん、神仏霊道にも賛同者はいるからねぇ。外世界の神話で蔑ろにされた神霊なら多くがそうでしょう」
海の向こうには水平線から天上の彼方まで伸びる入道雲が窺える。アンタークティカを囲う永遠の嵐、〝絶叫する五〇度〟だ。
反対側には、大陸の影が薄っすらと確認できた。いつか自身もこの地から出られるときを空想して、アプサラスはほくそ笑む。
もう一度弾いたガンパチ金貨に彫刻された
「次の一手も楽しみにしているわん、
夜になった。
すっかり晴れた円陀Bケンプ共和国の唱和京は静寂に包まれ、そんな中で果心は重たい目蓋を開けた。
架け橋で分断された天の川が瞳に映る。そこに問うように、開口した。
「……拙僧は、敗れたのか」
「おっ、目が覚めたか」
隣に座っていた聖真が、顔を覗き込んで答える。
「たぶん、おれが勝ったみたいだな。これもあなたの幻術でなければだけど」
「フッ、心配はいらんよ」
笑声を洩らしたあと、幻術師は自白する。
「主が防ぐ前に幻術を掛けたというのははったりだ。本当は間に合わなんだ」
彼は身体を起こそうとしたが無理だった。辛うじて動かせた首で辺りを見回す。
チェチリアとフレデリカとルワイダと隼瀬が、離れたところに並んで横にされていた。
彼女たちには邪魔をされないよう別に幻術を掛けて成功していたが、聖真がソーマの余力で戦いの傷も含めて治療し寝かせているらしい。
果心は尋ねる。
「一つ聞かせてくれ。主はなぜ拙僧の嘘を見破れた?」
聖真は、果心にも儀式なしの回復魔法を施しながら答えてくれた。
「あれなら、あなたの魔力値に偏りがあったからだよ。六四卦で2の
単なる男子高校生であるはずの少年の言葉に、果心は目を丸くした。
易占いではそうかもしれない。
だから、果心が突飛な行動には出ずもう一度同じ術を試みるのではと予測して、戦いの初期に連続した不動金縛りの法に対処されたというのだろう。煙幕の中でソーマを得たのを感じても、いきなり接近などせず用心深く近付いたであろうからと、聖真が防御する前に即座に駆けつけて幻術を掛けたというのも嘘と見抜いたらしい。
しかし、それはとんでもないことだ。
あの一瞬で最大魔力値だけでも伝われば脅しになると踏んだが、完璧に記憶され、六四卦を組み合わせた
幻術師は感心した。
「表向きの評価に欺かれるとはな。拙僧を表舞台から抹消せんと謀った織田信長や豊臣秀吉が三英傑などと崇められるように、表面だけでは不可視なこともあると自覚していたはずが。単なる高校生の
隣に胡座を掻いて座っていた聖真は、首を振った。
「いや、単なる高校生のガキだよ。自分と完全に同じ他人なんていないからな。それぞれの主観でしか世の中を眺められないなら、みんな生まれながらに異世界に生きる主人公みたいなもんだろ。そこを自覚すれば、自分にしかできないことは誰にも真似できない特技になるんじゃないかって、ここに来て気付いただけだ。できることを頑張っただけ。……過去の英雄が認めなくても、おれが憧れた魔術師の一人があなたなように」
そこで首を傾げる。
「でもおかしいな、体調はよくならないか果心? 悪いが魔法は封じさせてもらってるけど、こっちの回復魔法もあんまり効いてないみたいなんだが」
果心は自嘲したようだった。
「ふふ、ちと本気を出し過ぎたのだ。三百年前に復活してより、長年魔術を用いて準備を整えてきた疲れが押し寄せてきたのだろう。拙僧は長くない」
言っているそばから、彼の身体は着衣ごと半透明になりだしていた。
「え、ちょ」聖真は混乱する。「どういうことだよ!」
「主とて、意識を失っている間はどうにもならなかったろう」
「あなたは消えてるようなんだけど!?」
「およそ一万年発見されなかったように、日出十字路団の眠りはちと違うのでな」
どうにか果心を留めようとした聖真の手は、老体をすり抜けてしまった。何度やっても同じだ。
そこで、訊くことにした。
「……また、戻ってくるのか? 考えは変わらなかったのか?」
「少なくとも、次に現れる日出十字路団員は拙僧ではない。それと、忠告しておこう」
幻術師は、高校生の目を真っ直ぐに見据えて言う。
「拙僧は十字路団員の中で、最も遅くに眠り最も早くに目覚めた。新たなアンタークティカ大陸の創造において、最も負担のない弱い魔法での協力しかできていないということ。日出十字路では、最弱ということだ。これから先、拙僧に近い野心を秘めて覚醒する超神人たちはさらに強い」
「それは、伝説の魔術師に会えるなら楽しみだけど。おっかないな」
正直に吐露した聖真に、果心は優しく微笑み掛ける。
「……もう一つの質問にも答えておこう。考えが変わらなかったかと問うたな」
彼は視線を天涯に戻して告白したのだった。
「主の試みも少々信じてみたくなった。これからの行く末を、制した者に託すとしよう」
「……果心居士」
聖真は最後にもう一度手を差し伸べてみたが、伝説の幻術師は幻のように消えてしまった。
しばし漣の音と虫の声だけが取り残された。
街や城は、聖真と果心が最後の衝突をする寸前のとき以上には破壊されていない。幻術師の業が実現していれば滅亡が現実となっていたのだろうが、打ち破れたのだろう。
故にか、人々の声が混じってくる。
穏やかさを取り戻した海、反対側の街の奥から市民たちが帰って来るらしかった。無事だった家屋に籠っていた民も顔を出し始める。
忘れられていたように、青薔薇炎があちこちで灯りだした。普通の松明や蝋燭のような灯りを頼りにしていた人々は、安堵の囁きを発する。
フレデリカたちの唸りがそこに混じった。もうすぐ、彼女たちも目覚めそうだ。
聖真は察して、仲間たちの元へと駆け寄った。
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