エリザベス・コーツ王女国

第44章 終戦の状況にウンザリ

 エリザベス・コーツ王女国西部、ケアード地方ソブラル。


「こ、これはいったい!?」

 ソブラル駐屯騎士団の先頭で魔法を振るっていたヴィクトルは刮目して動きを止めた。

 ルキフェルの大禁呪法が発動して以来荒れていた天候が鎮まりだしたのだ。暴風と豪雨は止んでいき、黒雲は晴れていく。

 フェンリルの着地跡が刻まれた大地では、戦っていた魔物たちが黒い煙を身体中から噴出させながら動きを止め、苦しげに呻きだしていた。人類側の兵士たちは距離を置き、気味悪そうに見守る。


「ヴィクトル様ー!」

 デーモン兵を善霊で退けた天馬術士の北欧巫女エステルが、空を旋回しながら呼び掛ける。

「様子が変です。晴れてきただけでなく、見渡す限りの悪魔たちが苦しんでいます!」


 地上からはまだ六〇万以上いる悪魔の全てを俯瞰はできないが、そのようだった。


「……戦意が失せている」

 魔物の内陣で、両手の苦無くないで戦っていた上忍の虎丸八津彦。彼も異変に気付いて後方転回や側転で魔帝軍の隙間を縫い、騎士団側に戻って敵を観察する。


「原因はわからないけど、迷惑ありがただわさ」

 女樫神官スラトーは、掲げていた杖を下ろした。雷雲を利用する天候制御の稲妻で攻撃していたが、使える雲はすっかり雲散霧消してしまったのだ。


「退避するようですね」エッカートは、ぐにゃぐにゃの眼鏡を直しながら言及する。「一帯に聖水でも撒かれたかのように、破邪の効果が満ちています」


 確かに、魔物たちは影に溶けるように消え始めていた。それは瞬く間に全軍に広がり、まもなく全ては幻のごとく消滅する。

 最後の一体まで撤退すると、久方ぶりに遠くで小鳥の囀りが聞こえた。それが合図であったかのように、


「……勝った」

 駐屯騎士団内で誰かが言った。

「助かった、食い止めたんだ!」

「国と民を護りきったぞー!!」

 一瞬の沈黙を挟んで、人類側の兵士たちは快哉を叫んだ。

 円卓の騎士団はやがてそれらが見通せる一ヵ所に集まって、静かに戦いの終わりを噛み締めていた。


 『ソブラル防衛戦』。

 ディアボロス魔帝国側死傷者43万8570人。

 エリザベス・コーツ王女国側死傷者1万1603人(非戦闘員を含む)。



 エリザベス・コーツ王女国の北東、ノイシュバーベン・モード女帝国との国境付近。クロンプリンセッセマーサ平原。


「撤退! 撤退だー!」

 ルキフェルのもたらした暗雲が退きだしたのに呼応するように、モード女帝国側には角笛による合図が響き、号令も掛けられた。

 瞬く間に、全軍が帝国領土方向に引き返し始める。


「深追いするな、防衛態勢の維持に務めろ!」

 国を護ることを第一としたコーツ王女国側も追う理由はないので、司令官が戒め、防御の構えだけを崩さずに見送る。


「逃がすか!」

 ところが、従わない百人ほどの兵士一団が騎乗突撃を掛ける。

「帝国軍が調子に乗りやがって! 友の仇だ覚悟しろ!!」

 血気に逸る経験不足な新兵たちだった。


「よせ! ホーコン辺境伯が駆けつけてる――」

 コーツ東部方面軍総司令官は制止したが、遅かった。


 敵陣から、気光星アストラルライトを纏った椰子の実がとてつもない速度で飛んできたのだ。

 それは最前列で横並びになっていた数十人の新兵の頭を貫通しながら砕く。最後の一人は半分砕くだけで、椰子は元来た距離を跳ね返って戻った。

 主人を失った馬も、離れたところにいる東部方面軍総司令官も戸惑うばかりだ。

 椰子を女帝国軍最後尾で受け取ったのは、脇の下に複数のそいつを生やした身長七メートルの巨人。

 ミナタ=カライアのホーコン伯アウラ・ロドリゲスだった。


「いい判断ですね、司令官」

 称えた彼は下半身にマロ一つ、上半身には胸と腹にのみ部分鎧を装着していた。

「なのに部下が無能とは勿体ない、よほど戦力不足だったんですな」


億人おくにん隊長、〝椰子狩り〟アウラ・ロドリゲス!」

 東部方面軍総司令官は、悔しげに呟いて敵を睨む。


「あるいは――」

 アウラは血塗れの椰子を頭で割ってココナッツジュースを一口飲むと、捨てて踏み潰す。さらに右手で左脇の、左手で右脇の新たな実をもいだ。

「愚かな若輩者は、芽を摘んでおいた方がいいのかもしれない!」


 彼は双方に気光星を纏わし、戦意を失って立ち尽くす新兵たちへ投げつける。

 怯えた顔の兵にぶつかる直前。

 二個の椰子の実はそれぞれ真っ二つとなって、あらぬ方向の地面に落ち、勢いのまま地を削った。

 ただし、破片は三つ。


「無益な殺生はよせ」

 警句と共に最後の一片を手にしていたのは、斬った当人。

 いつの間にか新兵たちを庇うように立っていたひげもじゃの黒人壮年男性、ランドルフ大公だった。

 援軍として駆けつけた円卓の騎士団内で最強の彼は、顔以外を包む全身鎧とマントを着用し、片手に自分の身長ほどの大剣を握っていた。

 半分になった椰子の実からココナッツジュースを一口飲むと捨て、背中にもう一振あった同じサイズの大剣を抜いて二刀流で構える。

「殺し足りぬのならば、相手になろう。遺体になるのは貴君だろうがな」


「……ふむ、お開きとしましょう」アウラは肩を竦めておどけた調子で返した。「大神等階梯以上が日に四度も放たれる異常事態だ、確かに人類同士で殺し合っている場合ではないのかもしれません」

「貴国の元老院にも忠言して頂きたいものだな。ともあれ、停戦は望むところ」

「あとで正式に申し入れることになるでしょうな。では、失礼いたします」

 あっさりとアウラは背を向け、国境を越えて戻りゆく自軍を追う。


「……相変わらず底知れぬ男だ」

 コーツ軍は警戒を解かぬまま見送り、一言洩らしたランドルフは両方の剣を背中の鞘に収めた。


 アウラがモードの領土に入った頃。

 もはやコーツ軍は数キロほど後方で、あえて自軍からも一キロほど遅れて付いていく辺境伯。彼は登頂部の穴から笛のような音を鳴らしながら、徐に部分鎧の内側から水晶板を出す。

 それに話しかけた。

「戦場はおさめました。そちらは? ……残念。東の方は? ……ならば万々歳といったところですな。これでまた一歩夢に近づきましたね」

 不敵に微笑んで。

「エカテリーナ女帝陛下」

 彼の水晶はまるでスマートフォンのように加工してあり、拍車を模ったヒヒイロカネがストラップとして飾られていた。


 『クロンプリンセッセマーサの戦い』。

 神聖ノイシュバーベン・モード女帝国側死傷者4万250人。

 エリザベス・コーツ王女国側死傷者3万9787人。



 トランスアンタークティック山脈、エリザベス・コーツ王女国側。

 暗雲が退いていく空。最盛期には月の倍以上に見えるほど接近していた金星は、月より小さくなりさらに遠ざかりつつあった。

 同時に、そんな金星を呑むほど巨大になっていたフェンリルも元の全長一キロほどの背丈に戻りつつある。

 巨体からは、蒸気のような黒煙があちこちから立ち上っていた。


「……なるほど」

 巨狼神と対峙して宙に浮くルキフェルも、身体から黒煙を発しながら推測する。

「余らを穢れとして祓い、在るだけで魔力を削いでいく神等階梯か。ディアボロス魔帝国に帰還せねば辛いな」


「ならば地獄に帰れ!」

 めげずに喰らいつこうと飛び掛かるフェンリル。そこで狼と魔帝の間に、突如何者かが現れて唱える。


「神等階梯禁呪法、〝蠅の王バアル=ゼブブ〟」


 ベルゼビュートであった。

 四枚の翅で飛びながら、髑髏の杖を掲げて巨狼を威嚇し、黎明魔王に進言する。

「敵の実力は測れたはず、退こう」


 蝿人間の魔帝から一キロほどの球状空間で、ルキフェルを除く全てが死に向かっていた。

 空は淀み、草木は枯れ、大地は腐って沈む。目前で停められたフェンリルもしかり。

 獣の前肢は腐敗して骨を露出する。

 やむなく後退して即座に傷を回復させる狼に、ルキフェルが呼び掛けた。


「余は目的を達した、帰って策を練り直さねばならん。もはや互いに利はないはずだ、フェンリル」


 魔帝たちも巨狼神も、どちらも身体から黒煙を上げている。やや考えたのち、巨獣は言葉を紡いだ。


「……敢へ無し、同意しよう。我狼もユグドラシルに帰還する」


 返答を聞くや、堕天使は一度だけ十二枚の翼で羽ばたいた。

 だけで台風のごとき暴風を巻き起こし、ベルゼビュートと共に数キロも急上昇。二つの流星となってトランスアンタークティック山脈を越え、ディアボロス魔帝国へと去っていった。


「すまぬなエカテリーナ。仕留めきれなんだ」

 敵が充分に離れてから、フェンリルは独白した。


「今回は仕方がない」

 否、独り言ではなかった。応える者がいたからだ。もう一つの声は、彼の背の黒い毛並み内部から聞こえてくる。

「次席六魔神以上の戦力を削れれば万々歳であったが、真魔帝自らが出てくるのは最悪の想定だ。お陰で女帝国側の戦闘を予定よりも早く切り上げてしまった、尻拭いをさせたことを奴に謝らねばならんな。ともあれ、魔帝国も敗戦ではある」


 みるみる縮んでいく狼によって、やがて背に股がる逞しい中年女性の姿が見えてきた。

 ドレスの上に部分鎧を身に付け、マントを羽織った女帝。携帯式の水煙草を吸う、エカテリーナ・暁麗だった。

 彼女は、クリスタルタブレットに話した。


「ルキフェルは逃がしたが、フェンリルにも大きな傷はない。貴公との結託にも気付かれてはいなかった。不仲の演技でアガリアレプトも欺けたらしい。役者になれるやもしれぬな。……水晶で救世主たちの成果も聞いた。今後はこちらも魔帝国と対峙するだろうが、滑り出しはまずまずか」


 やがて、天候は自然なもの。普通の黄昏となった。

 金星も本来の大きさとなり、夕闇に宵の明星として輝きだしている。

 そんな中で馬程度の体格となったフェンリルに股がる女帝は、モードの旗に描かれた巨犬に股がる女戦士の実物のようだった。


「此度の秘匿作戦、元老院と諸侯にはわらわから説明しておく。共に覇道を突き進もうぞ、アウラ」


 エカテリーナは山腹に沈む夕陽を見据えながら、焼け野原となった山の麓で、水晶の奥に決意を述べた。

「大陸を統一し神界テラアースをも統べるのは、他国でもなければ神でも魔でも、無論超神人どもでもない。神聖ノイシュバーベン・モードとまつろわぬ神々だ」

 それから女帝がしっかりとしがみつくと、フェンリルは助走をつけて高く跳躍。モードの方角の空へと去っていった。


 『第四次トランスアンタークティック山脈戦争』。

 ディアボロス魔帝国側死傷者、4万2684人。

 コーツ・ビクトリア西国同盟側死傷者、15万9人。

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