円陀Bケンプ共和国

第39章 幻術師と高校生の対立にウンザリ

 海面を行く小舟の上で、果心居士の襟首をつかもうとした聖真。

 しかし一歩踏み出したところで、相手に握り拳から人差し指と中指を伸ばす刀印で切りつけられた。

 たちまち、身動きができなくなる。


「〝のうまくさんまんだばざらだん〟」

 果心が唱えたので、男子高校生は悟る。

「〝不動金縛ふどうかなしばりの法〟か!」


「さよう。拙僧らに賛同してくれたならば、活躍の場もあったのだがな」

 不動明王ふどうみょうおうにあやかり、相手を呪縛する技だ。修験道の開祖ともされる役小角えんのおづぬほどになると、これで神をも束縛できたという。


 聖真はとっさに囁く。

「〝オンキリキャラ ハラハラ バソツ ソワカ〟」

 不動金縛りを解く呪文だ。それを三回繰り返す。

 本来は術を掛けた者がするが、この世界ではかなり改変や省略していても効果があったからだ。

 なのに、呪文を詠唱しているあいだ果心は傍観している。

 嫌な予感がした。そもそも止めようとすれば、口を利けないほどにもできたはずだ。

 追い討ちをかけるように、手のひらだけがなぜか動かせるようになる。もはや結末が見えてきたが、聖真は正式な手続きに従って最後まで試みた。

 陀羅尼だらにを「オン バザラドシャコク」とし、パチンと指を鳴らす。


 ……なにも起きなかった。


「理解したろう、霞ヶ島聖真よ」

 愕然とする男子高校生に、幻術師は告げる。

「拙僧らは、アンタークティカ世界を創り直した神にも等しい。単なる高校生程度が敵う道理はない。真に魔術知識を極限まで活かせる者を呼ぶなら、学者辺りを選んでおる。万一反抗することも考慮して、主程度の者としたのだ」


 考えてみれば、ただの高校生である聖真が救世主と呼ばれるほどになる異世界だ。そんな仕組み自体が元世界ですら伝説の幻術師である果心の産物なら、差は歴然だろう。


「さて、着きそうだな」幻術師の言葉を体現するように、舟の速度は落ちつつあった。「この舟の名は〝うつほぶね〟だ」

 日本の古くからの伝承に登場する舟だ。

 此岸と彼岸とを結ぶような説話が多い。乗った者が異界に渡ったり、異界の者が乗ってきたりする。

 ここを異世界とするならば――


「おれを元世界に帰すつもりか!?」


「そのくらいはわかろう」

 聖真の指摘に、果心は明かす。

「助力を得られんのならば、退場を願うのみだ。うつほ舟は違う世界への出入口を自動的に探して止まってくれる。アンタークティカは妖精輪の使用に制限を設けておるが、拙僧らはそれ以前から存在したのでな。規制前から利用し続けられるようにしておいた輪がいくつかあるのだよ。例えば、主を転送した南極点の氷床下のもの。この海底にも一つだ」


「ちくしょう!」動かない身体で、聖真はもがく。「冗談じゃない、こんな状況で帰れるかよ!!」


「安心せい、ここでの記憶は未練と共に消去しよう。南極がどうなっているかは、まだ外の連中に知られとうない。時が来れば外界も変容し、いずれみな自然に理解するであろう。魔法と科学の融合を」


「くそっ。じゃあもう、今しかねえ!」

 男子高校生は覚悟を決め、独特の呼吸を始める。

「うん?」

 異変に幻術師が気付いたときには、唱えていた。


「〝シッディ〟!!」


 金縛りが解け、聖真は倒れ込む。


「なんと! 〝綜制サンヤマ〟を極めたのか!?」

 驚いて後ろに飛び退いた果心に、手の平が向けられる。

「ルワイダに精神力が低いって聞いてから、どうにかしようとしてたんだ」高校生が種を明かす。「ここなら短期間でも、習得できるんじゃないかって!」


 綜制はハタ・ヨーガの内的行法だ。

 本来のヨーガは多岐に渡り、数日で極められるものではない。それでも、アンタークティカならば複雑な術も簡略化できる。であれば、短期でも精神の鍛練になるのではと試みていたのだ。

 中でも、座り方で行う坐法アーセナ、呼吸の仕方で行う調気法プラーナーヤーマを、日常の動作に取り込んできた。

 その成果が出たわけだ。

 〝シッディ〟には、自身の肉体を完全に支配することで何ものにも侵されなくなる効果もあるのだから。


「脅すような真似して言うことじゃないかもしれないけど、考え直してくれないか果心」

 いつでも魔術を放てると、突き出した手を軽く振ってアピールし、聖真は説得を試みる。

「正直、あなたも憧れの一人だった。外が問題だらけだってのもわからないでもない、魔法をもたらせばよくなるかもしれないってのも。でも、もっとうまいやり方があるはずだ。世界を創り変えられるほどなんだろ。みんなを助ける方向で力を貸してくれないか?」


「……ふむ」

 警戒しながらも聞いて、肩を落とした果心は静かに答えた。

「幻術師であるこちらが吃驚させられるのは、久方ぶりだな。だが聖真よ、実のところ拙僧とて苦渋の決断なのだ。どうにせよ遠くないうちに、魔族たちは攻めてきおった。日出十字路団の他の超神人たちも覚醒していたなら、あるいは対抗できたやもしれん。されど、間に合わんのだ。お主が助太刀した程度では敵わん」


「やってみなきゃわからない!」

 男子高校生は激しく否定する。

「あなたはおれに驚いたんだろ? 予想外のことがあるってことじゃないか。勝てる可能性はあるってことだ!!」


「相手はルキフェルだぞ」

 充分だろうと言わんばかりに、一言で済まされる。


 ルキフェル。ルシファーは、もとはあらゆる点で唯一神に次ぐほどの天使だったともされる。

 故に神になり変わろうとして天を追放され堕天使となり、悪魔の首領になったという。

 逆に言えば、神がいなければ宇宙を支配しうるほどの存在。異教の天地創造にも係わる神々を悪魔ということにしてきた歴史もあるアブラハムの宗教を考えれば、頂点に立つルシファーも相応の実力を秘めていてもおかしくない。

 たかが南極を中心に世を創り変えただけで一万年も眠っていた果心、ましてたかが数千万の星を消しただけで二カ月も眠っていた聖真では話しにならないのかもしれない。

 それでも、


「あきらめない。悪魔たちだって、おれを警戒して防御してたって聞いてる!」


「主の欠点を知らんかったからだ。むざむざ奴らの前に姿を現せば、最悪の場合拙僧も記憶を探られ、日出十字路団の仲間たちにも危険が及びうる。主が友を想うなら、拙僧も同じ。こちらこそ頼もう、了得してはくれぬか」


「だったら、あなたの仲間も一緒に助けよう!」


「子供の理屈じゃな」

 男子高校生は必死に訴えたが、果心は見切りをつけた。

「こんなことはしとうなかったが。許せ」

 警告して、彼は刀印を足下に振るう。


 船底に穴が空いた。


「うわっ、ちょ!」

 焦る聖真を置いて、数メートル上空に浮遊した果心は、浸水する小舟を見下ろしながら言う。

「おとなしく帰るのだ。自覚したろう、舟が沈むだけで騒ぐようでは、とても魔帝になぞ敵わん」


「いいや!」聖真は踏ん張る。「おれは、あきらめない! ……〝シッディ〟!!」


「……小癪な」

 驚嘆する果心の下で、聖真は僅かに宙へ浮いていた。これも、シッディにある効果の一つだ。


 舟はもう止まっていた。やがて、沈みながら消えていく。

 よく見通せる透明な水深にあるうちに、幻のように溶けたのだ。

 さすがに海底までは窺えないので、ちょうど底にあるフェアリーリングの上に位置していたがために、元世界に去ったのかもしれない。


「やった」

 もはや海面に立ちながら、自分でも呆然としていた聖真はやっと喜ぶ。

 次いで、己より高いところに浮遊する果心を見据えて指摘してやった。

「また驚いたな果心。やっぱり、やってみなきゃわからないことがあるんだろう?」


「あくまで邪魔立てするか。ならば心を折ろう。主は所詮、不完全なシッディを修得したのみ。精神力はたいして成長しておらん」

 果心居士も、ついに覚悟したように金襴の羽織りを翻して構え、宣告した。

「拙僧の魔力値はこれだ。主には充分だろう。本物の魔術師の実力に、戦慄するがいい!」

 彼が宙をなぞると、そこに光で卦が描写された。


 ䷁䷂䷂䷓䷓䷟䷱䷳䷴


 確かにそれだけで、最大値が聖真のものを何十倍も凌駕しているのを当人は自覚できた。


 ――5兆5533億3322万2000である!


 だが衝撃を受けきる間もなく、新たな衝撃が襲っていた。


『神等階梯大禁呪法、〝失墜する明けの明星〟』


 世界に威厳ある声が轟いたのだ。


 西方から不気味な風が押し寄せて鳥たちが逃げ、波が荒れだして魚も逃げ、羽民たちも去るか隠れだす。

 聖真はこれまでにない第六感を覚える。あの、敵意を持つ魔力に感じていたもの、うち最も強大なものに全身の肌が泡立った。


 魔王が、本格的に動きだしたのである。

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