エリザベス・コーツ王女国

第38章 魔王と巨狼と円卓の騎士団にウンザリ

 エリザベス・コーツ王女国北東、ノイシュバーベン・モード女帝国との国境に広がるクロンプリンセッセマーサ平原。

 コーツ軍は、数箇所ある東部方面軍国境警備基地近辺に軍を展開し、どうにか堪えていた。

 元より五万の兵力に対して、ノイシュバーベン・モードは五〇万。圧倒的劣勢をなぜ覆せたのか。それは、


「くそっ、噂には聞くが円卓の騎士団は化け物だ!」

 ノイシュバーベン・モード西端方面軍仮設前線基地のテント内に怒号が轟く。


 机や椅子に書類などが散乱した内部を、兵士たちが慌ただしく駆け回り、内外を出入りする。

 まさしく。西方に向かった円卓の騎士団の残り、うち十人がこちらには派遣されていた。

 彼らの実力はやはり高い。最前線ではモード兵たちが薙ぎ倒され、噴水のように跳ね上げられては自由落下している。


万人ばんにん隊長以上を投入せねば、兵力を消耗するだけだ!!」

 机を囲んで兵棋の並ぶ地図と睨み合いながら会議する幹部たちが、頭を悩ませる。

「この際遍歴者でも奴隷剣闘士でもいい、元老院はなぜ派遣しない!?」

「フェンリルで充分というご判断だそうでして」

 と、部屋の角で絵画のように掲げられた大きめの水晶板と向き合う通信兵だ。

「何度言わせる!」机を叩いてがなったのは、モード西端方面軍総司令官だった。「あの化け物がいたら足りていた、いなくなったから要請してるんだ!!」

「あり得ないとのご返答で」

「水晶を持って戦場を映せ! あんなバカでかい怪物がどこにいるのか向こうの愚図どもに聞け!!」



 他方。ケアード地方ソブラル。


「こんなものとはな」

 ルキフェルは、片手で血塗れのワレンチンの胸ぐらをつかんで身体を持ち上げていた。

「魔族に効果的な銀の弾丸シルバー・ブリッドに聖典の文句を刻み、魔力を乗せた拳銃使いガンナーか。面白くはある」


 アンタークティカでもリボルバー程度の銃までは発明されていたが、製造の手間や威力を比較すれば魔法の方が有用なので、そこで開発はほぼ止まっている。せいぜい、場合によっては魔法を超える局面もある大砲が軍で実用化されている程度だ。

 故に銃使いは珍しく彼の銃捌きもリスクをカバーするような凄みがあった。ルキフェルは、そこへも酷評を浴びせる。

「それだけだ。叫び足りない断末魔はあるか?」


 ワレンチンは、くわえていた葉巻と一緒にルキフェルの顔へと吐き捨てる。

「射撃の的に遺言はない」

 魔王の額に片手で拳銃を突き付け、もう片方の手で銃口から別の弾丸を差し入れ抑える。

 発砲。

 内部で二つの弾を衝突させ、火薬と魔力の腔発を生じさせての自爆だった。

 煙がある程度晴れたとき、築かれたクレーターには黒焦げになったワレンチンだけが倒れていた。

 ルキフェルは元と変わらぬ位置に無傷で悠然と立ち、人間たちに訊く。


「次は誰か」


 これで、もう五人の円卓の騎士団が倒れた。

 ケアード公ウィリアムはハンマーを砕かれて首を折られ、マリーバード女教皇市国女教皇庁司祭枢機卿カレンは腹部を貫く大穴を空けられ、ノイシュバーベン・モード衛兵団長テオドシアは影しかなかった。

 残る魔帝軍と騎士団はそんな戦いを挟んで対峙したまま、息を呑んで見守ることしかできずにいる。


「……救世主様が戻るまでの辛抱です、希望はあります」

 ぼろぼろの文部魔法大臣ヴィクトルがみなを励ます。

「なくとも、帝王が現れたときから覚悟していますよ」

 女教皇庁司祭枢機卿エッカートは、ひび割れ下がり掛けた眼鏡を上げながら応じる。

それがしは、戦に身を投じたときからの覚悟だ」

 上忍の虎丸八津彦は、折れた忍刀を捨てて懐から手裏剣を出しつつ言う。

「ならばわしは、もっと前からだわさ」

 片膝をついていた女樫神官スラトーは、樫の杖を支えに立ちながら言い張る。

「訂正します」司祭枢機卿は対抗した。「わたしはもっと前からでした」

「なれば、某はさらに以前からだな」

「じゃあ、わしはもっと昔からだわさ」

 そんな様に、ヴィクトルは呆れつつも微笑んで安堵を吐いた。

「この局面でおかしな揉め方ができるなんて、勇気が出ますよ」

「ううっ、短い人生でした」

 一人めそめそと泣きながらも、近衛北欧戦巫女隊副隊長エステルも構える。

 誰もが満身創痍だったが、やがて残存する円卓の騎士団はさらなる戦闘体勢を整えていった。


「もうよい」

 だがルキフェルは、肩を落として冷たく言い放つ。

「飽いた。貴様らから学べることはなさそうだ。街もろとも、滅せよ」

「まずい」悟った文部魔法大臣が提言する。「全力でぶつかろう!!」

 円卓の騎士団のみながいっせいに魔王へと飛び掛かった。

「神等階梯禁呪法」ものの、ルキフェルはより早く唱えだし「〝トラウィスカルパンテクウトリの投げ――」


 ドォォンッ!


 やにわに、街の上空を凄まじい速度で黒雲が通過。

 否、雲ではない。

 そいつは円卓の騎士団の後方から飛んできて、彼らの目前に墜落した巨大な物体だ。勢いのまま、ルキフェルを巻き添えに地を削り、百万の悪魔軍団を掻き分けはね除けて彼方へ直進していく。

 短い大地震が起き、膨大な土煙が立ち込める。

 大打撃を受け、突然襲来した影と共に地平の彼方へ指揮官が消えた悪魔軍団は大混乱に陥った。

 衝撃でソブラルの街もいくらか崩れたが、騎士団は逃げることもできず倒れる以外は地面にしがみつくので精一杯だ。


「な、何が起きた!?」

 うつ伏せに転倒したヴィクトルが尋ねると、立て膝で耐えていた八津彦が答える。

「視力に狂いがなくば、黒き四足の巨獣がルキフェルを突き飛ばしたようだ」

「ふ、ふえええぇ」

 仰向けに倒れていたエステルが謎の悲鳴を上げ、横向きに倒れていたスラトーが杖でその頭を小突く。

「何をこんなときに可愛い子ぶってるんだわさ!」

「ち、違いますよぉ」幼女は涙目で、ぶたれた頭を撫でながら言及した。「ふえぇ、ふえんりる。フェンリルなんですよあれは!」

 屈んで耐えていたエッカートが、落ちた眼鏡を拾って掛けながら驚嘆する。

異端者ペイガン……ヴァン・アース教の巨狼神ですか、なぜ!?」

 ふと、そこでヴィクトルは数十万体ほどが踏み潰されて慌てふためく魔帝軍に気づく。

「……詮索は後回しだ」

 述べて、彼は円卓の騎士のみならずソブラル騎士団全員に号令を発した。

「好機だ! 敵軍は浮き足だっているぞ!!」

 僅かの間、味方も戸惑った。だがすぐに役割を思い出し、みな立ち上がってときの声を上げ、魔物の群れへと突進していった。



 一方。ルキフェルは背中から、トランスアンタークティック山脈のコーツ側にめり込まされた。

 山と同等ほどの大きさの巨狼神フェンリルが、突っ込んできたまま頭の先を真魔帝ごと埋めたのだ。

 フェンリルは、クロンプリンセッセマーサ平原から実に一五〇〇キロ以上も一度の跳躍で越えてきたのである。


「〝トラウィスカルパンテクウトリの投げ槍〟」

 魔王は先ほどの続きを口にする。

 西の空。山脈の上に金星が出現。

 放たれた閃光が斜めにフェンリルを撃ち抜いた。

 爆炎と共に、巨狼は数キロ後方に飛び退く。

「どういうつもりだ、異教巨狼神フェンリル」

 山に空いた穴から浮遊しつつ出てきたルキフェルが尋ねる。なお、魔帝には傷一つなかった。


我狼がろうは主神オーディンをも喰らいし者」狼も爆炎から出てきて吼える。「最も強大で最も近き神を喰らいに来たまでよ」

 彼もまた無傷だった。


「ようわかった」

 ルキフェルは片腕を天に掲げて詠唱する。

「〝明けの明星 曙の子よ 槍を渡せ〟。神等階梯禁呪法、〝滅神槍めっしんそうトラウィスカルパンテクウトリ〟」

 今度は金星から放たれた光が的皪てきれきと輝く槍となり、魔王の手に握られる。


 対するフェンリルは口を天と地に着くほどに開き、

「神等階梯禁呪法、〝破壊の杖ヴァナルガンド〟!!」

 己の異名を唱え、咆哮と共にそれを体現したような凄まじい光線を吐く。


 強大な二柱の神の衝突は、天地開闢を想起させるほどの閃光で辺りを満たしていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る