ディアボロス魔帝国

第27章 帝王の正体と救世主の行き先にウンザリ

「いつ対峙しても感服しますわ」

 ディアボロス魔帝国の天上を覆う雲の上に黒翼を羽ばたかせることもなく立ち、分断された天の川を眺めながら、長く太い蛇を身体に巻いたゴスロリドレス姿のアシュタロスは感嘆していた。

 晦冥だというのに、フリルとレース付きの日傘を差している。


 二カ月前。ハ・サタン城塔の最上階玉座の間で、ベルゼビュートは空に何かあることを示唆した。あのあと実際に確かめて以来、アシュタロスは幾度となくここを訪れている。


「また展望していたのか」

 後背の雲を掻き分け、蝿人間が雲海の上に上半身を現した。


「ええ」振り向かずに少女は応対する。「これほどの相手と向き合うことになるなんて――」

 やっと、ベルゼビュートを視界に捉えて彼女はほくそ笑む。

「――楽しみですもの」


「救世主と殺し合いたいのならば好都合だ」

 それでも、ベルゼビュートは平然として伝える。

「ときに、死ぬ間際のブエルより報があったそうだ。ルキフェル宛にな」


「無断で姿を消したから何を血迷ったのかと思っていたけれど、最低限の仕事はしてくれたのかしら」


「そう言ってくれるな、奴なりの覚悟だ」


 王女都での預言救世主とアガリアレプトの戦いスヴェア攻防戦がもたらした結果以降、重傷を負ったブエルは失踪していた。「自軍を壊滅させられ半身を失いつつも生き永らえたことへの清算」との言伝を残して。

 彼は真魔帝ルキフェルの指揮下を離れ、自分についてくることを選んだ配下を率いて独自に救世主捜索に出掛けたのだ。

 現在のディアボロス魔帝国の方針は防衛だ。救世主周りの戦力が判然としないためである。

 内からは外を見通せるが外からは内を見透かせない防御魔法の結界をドーム状に半島全域へと施し、こちらから攻める隙間さえない状態だった。

 ブエルはこうした態勢が整う前に東側へ移動したきり戻っていなかったのだ。


「で」アシュタロスは訊く。「彼の遺言はなんですの?」


「ブエルは人間の悪党どもと組んでいたようでな」

 ベルゼビュートは語る。

「連中に召喚印章しょうかんいんしょうを配り、救世主を発見し次第呼ぶように命令していたらしい。成果として、ある盗賊たちが遭遇した。奴は己が体内に水晶を埋め、それを通じて魔力を流し部下に自動書記プランシェットで戦闘情報を送信しながらエレバス山の半分もろとも玉砕したようだ。解析は先ほど完了した」


 配下の死は意に介さずに、少女悪魔は言及する。

「救世主はまだコーツ内にいましたのね。ただし、同盟国ビクトリア女王国との国境近く」


「おそらくな」

 述べて、ベルゼビュートは雲の下にあった二本の脚を蠢かせた。余った四本の手足で、雲海の下でつかんでいたものを上へと引き上げたのだ。

 四肢を切り落とされた毛むくじゃらのハイエナ。グールだった。

「進行ルートを推定し、貴姉がかつて有した権威をちらつかせて尋ねたところ、こやつらが抗えずに自白しかけた」


「ああら」アシュタロスは蝿人間に首を締められるハイエナにうっとりする。「グールちゃんじゃないの。救世主の行方、ご存知なのかしら?」


 ベルゼビュートは、話せるように腕力を緩めた。


 途端、ハイエナの頭は咆哮を上げる。

「唯一神を裏切りし汚らわしき魔女ヨハンナに、災いあれ!」


 徐に、アシュタロスは日傘を閉じる。

 遠く離れているはずのグールの首は、呼応するように飛んだ。


 ……そう、アシュタロスは少女であって少女ではない。彼女の肉体は、かつてこの地に栄えたマリーバード女教皇国の女教皇。


 ヨハンナ十三世、当人だ。


 アンタークティカ最大の宗教国家にして、大陸三大宗教の一つであったアブラム正教の総本山。それがマリーバード女教皇国だった。

 アブラム正教は神界テラアースのアブラハムの宗教に関する諸々を信仰し、元世界では異端とされたものも多分に含む宗教的知識も膨大に集め、中には禁忌とされたものもあった。他の国々も所有している禁じられた書物に相当する、第弐死だいにし禁書地獄室に封印された禍々しい代物たちだ。

 とはいえ、あくまでそれは禁断のもの。封じている女教皇国とは対をなすものに過ぎなかった。

 ヨハンナ十三世が誕生するまでは。


 生来のサイコパス。


 神界のしかるべき医者の手に掛かれば、彼女はそう診断されたかもしれない。

 うち多数の犯罪者ではない者でもなく、自己のために他者を死傷させる行為をも平気で行える人物。異常な良心の欠如、罪悪感なく行動でき、自尊心が過大で自己中心的であるが表面は魅力的で社会の成功者にも多いとされる者。

 違いは、ここには魔法が実在すること。さらには、悪魔に魂を売ればより大きな魔力を得られるということ。自分のためだけに、それを躊躇なく選択できる者がそんな世界にいたならばどうなるか。


 彼女は、最悪な形での実例といえた。


 読み書きを覚えた頃から神界の邪悪な側面に惹かれ、邪神を崇拝した狂人。同時に、稀代の天才でもあった。そして、宗教権力に支配された国では良家に誕生した彼女の暴走を止められる者がいなかった。

 幼くして宗教的才覚を発揮した彼女は外面のよさも相まって、史上最年少の十歳で教皇となった。以後は権力を乱用し、側近たちを生贄に神等階梯禁呪法を行使。十二歳にして不老となり、自らの肉体にアシュタロスを召喚、同化した。


 ヨハンナ=アシュタロスとなった彼女は、魔界の知識をも用いてさらなる禁呪を発動。マリーバード女教皇国全土を生贄に悪魔たちを召喚、この地を魔界へと変貌せしめたのだ。

 自身の精神を癒そうと試みた霊鳥をも、利用し尽くして捨てたほどである。

 あらゆる神話の悪鬼たちが実在しうる地で、なぜアンタークティカに満ちるのがアブラハムの宗教関連の者共なのか。


 つまりは、彼女がそうしたからであった。


「どーせ群れなして襲ったんでしょう。救世主たちが陸路で通ったのなら代わりに訊ける輩なんて山ほどいますのよ」

 五体を失った食屍鬼へ、アシュタロスは冷淡に吐き捨てる。


「……貴様は死ぬ」

 されど、グールは弱点を攻撃されぬ限り基本的に不死身。すぐさま頭部を復元させるや、吠えた。

「フレデリカ、ルワイダ、チェチリアが、救世主と共に貴様を殺すだろう」


「……あなたたち、お腹が弱点ですのよね。ベルゼビュート」

 冷たく、アシュタロスは同格の帝王に声を投げる。


「戯れはほどほどにしておけ」

 理解したベルゼビュートは、グールを天高く投げた。


「幾千万の星々を消し去った、か。こんな風にかしら?」

 アシュタロスは大きく上体を捻りながら唱える。

「〝淫婦どもと 大地の憎悪すべきものらとの母 悪魔の住居 あらゆる霊と憎むべき汚れた鳥の巣窟〟」

 両腕でつかんだ傘を薙ぐ。


「神等階梯大禁呪法、〝大淫婦だいいんぷバビロン〟!!」


 少女に巻き付く蛇が刃のように変じて伸び、グールは弱点たる腹から真っ二つに両断された。


 だけではない。


 切り口に沿うように、遥か背後。月を含む星々が直線上に光ごと爆散して消滅した。――幾千万も。

 大蛇が七つの頭と十本の角を持つとてつもなく長大な緋色の竜となり、結界を貫通し宇宙を破壊していたのだ。


 済むと、彼女は逆回転に上体を戻しつつ唱える。

「〝さあ 都市と塔を建設し 頂上を天に到達させよう 全地に散り 悠久に 我々の為に名を掲げよ〟」

 すると、破壊された結界はおろか星々も月まで含めて逆回し映像のごとく復活した。怪物も蛇に戻って再度アシュタロスに巻き付く。


「〝バブ・エルの塔〟!!」


 まもなく全ては何事もなかったかのように元通りとなった。

 とはいえ、この天変地異に聖真が成したときのように気付けた者はいまい。

 なぜなら、時は止まっていたからだ。

 グールの別れた身体が空中で静止していたのがそれを物語っていた。


「〝汝が我に尋ねるべく遣わすは 他に神なき為 故に汝は生きる〟」

 世界をそうした犯人たるベルゼビュートは詠唱した。


「神等階梯大禁呪法、〝高き館の王バアル=ゼブル〟」


 やがて時間が動きだす。

 食屍鬼の上半身と下半身は分断されたときの勢いで反対の方向に飛び、炎となってかき消えた。


「霜巨人殺しのフレデリカ、霊鳥聖女ルワイダ。さらには、剛毅勇者のチェチリアか」

 ベルゼビュートは同行者とされた者の名を再確認。最後の名前を口にするときは特に語調を強めていた。

 それだけ、チェチリアは大物なのだ。救世主以前に、魔帝軍はアガリアレプトと同格の次席上級六魔神の二柱と下位十八魔属官の四柱とを失っていたが、うち三柱を倒す戦果を挙げたのはかの勇者なのだから。


 雷が一つ鳴った。雲の上だというのに、地震のごとく大気を酷く揺らめかせるほど強大なものだった。


「そして預言の救世主、セイマ・カスミガシマ」

 そんな中で嫣然として口角を吊り上げ、少女悪魔アシュタロスは感想を洩らした。

「ルキフェルがどう出るか、楽しみが増えましたわ。あたくしは、高見の見物をさせてもらいましょうかね」

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