第9章 王女国と女帝国のホットラインにウンザリ

 一組の立派なテーブルと椅子が置かれただけの個室。けれども豪美な装飾で彩られた部屋に、王冠を被り、ドレスで着飾ったエリザベス二九世は宴を離れて訪れていた。


 彼女の掛ける座席の背後には、トランスアンタークティック山脈を背景に世界樹ユグドラシルとケルト十字が交差した、エリザベス・コーツの国旗が掲げられている。

 卓上には立派な台座に備え付けられた大きな水晶玉があった。

 それに手を翳すと、内部には似たような部屋が映った。違うのは、飾りと旗と人物。


 向こうの国旗は、日蝕する太陽の内部で巨犬おおいぬに跨った武装した女性が描かれている。

 神聖ノイシュバーベン・モード女帝国のものだ。


 その前の座席にいるのは、エリザベスよりずっと年上の中年女性。ドレスの上に白銀の部分鎧を身に着けていた。

 日焼けした黄色人種のような彼女は、勇ましい風貌でセミロングの緑髪と、縦に細長いスリット状の瞳孔を持つモード女帝。エカテリーナ・暁麗シャオリーだった。

 小さめの水煙管シーシャを吸っており、すでに室内は紫煙が漂っていた。喫煙自体は女帝国の礼儀として無礼なわけではない。むしろリラックスしていることを示す文化的背景もあるが、対面前に嗜み始めるのは煙で最初に姿を確認しにくくなるので、やや挑発的な意味合いを孕んでいた。


 ために、エリザベス二九世は身を引き締める。


 水晶透視魔術はそれぞれ異なる水晶が放つ魔力の波長を、聖真の世界でいうなら電話番号のようにして送受信する。そんな中において、この二つの水晶玉は互いにしか繋がらないよう部屋全体に結界を施されて調整されていた。

 いわば、王女国と女帝国の二国間直通回線ホットラインだ。


「ご機嫌麗しゅうございますか、エカテリーナ女帝陛下」

 まず、エリザベスが呼び掛ける。


「ええ、お蔭様で息災に過ごしております。エリザベス王女陛下」

 エカテリーナは応答し、小首を傾げて問うた。

「ご用件というのは、どういったものでしょう?」


「はい、一週間ほど前のことです」

 厳かに、エリザベスは語りだした。

「中央未開地域にて、我が軍が氷塊巨人フリームスルスの襲撃を受けました。同時刻に、コーツ北東部で貴国の領土侵犯を受けて小競り合いが発生したため、混乱に見舞われて中央への対処に遅延が生じたのです」


「報告は受けております。ですが、こちらとしては我が国の領土と判断している地域ですので、これまでにも何度か繰り返されてきた認識の差異かと」


 モードとは領有権の主張が異なり、土地を巡った諍いなどが何度かあった。それは確かだ。

 だが今回は事情が違う。このせいでチェチリア遊撃隊をどちらの援軍とすべきかで一時揉め、フレデリカたちは追い詰められたのだ。救世主の助けがなければどうなっていたかわらかない。


 エリザベス王女は肩を落とした。そうして、慎重に切り出す。

「……あくまで、フリームスルスの襲撃とは無関係であると?」


「わらわが蛮族と気脈を通じていたとでも?」


「断定しかねますが」寸分の間も置かずに返した女帝へと、エリザベスは食い下がる。「ここ数年、フリームスルスとも貴国とも衝突はありませんでした。それが同じ日に重なったのが気掛かりなのです。蛮族によるものほどではありませんが、東部国境警備隊にも死傷者が出ております」


「そちらの報告も受けております」モード女帝は怯まなかった。「ご冥福をお祈りいたしますわ、我が国の国境でも死傷者が出ておりますもの」


「わたくしも哀悼の意を捧げます。ですが、貴国の軍は戦備態勢を解除しておられないようですね」


 両者譲らぬ駆け引きだった。

 実のところ、エリザベスはモードを疑っている。

 救世主とされる霞ヶ島聖真の出現は、コーツ王女国と同盟国ビクトリアしか把握していないはずなのだから。


 根本的な原因は、三百年ほど前に遡る。

 大陸が今の形とほぼ同じおよそ七大国による統治で纏まった当時。七つの国に天から金属板がもたらされた。

 ドワーフにしか加工できない緋緋色金ヒヒイロカネという大陸で最も強固な金属による板には、〝人類を危機に陥れる魔族が出現し、それに対抗できる救世主も現れること。かつ、その行く末〟についての預言が刻まれていた。

 ただし暗号化されており、七つを合わせねば完璧には解読できないという代物だった。例えばエリザベス・コーツにもともとあったのは、円卓の救世主以外が座ると死ぬ席についての記述などだ。

 ところがそんな状況に置かれながらも、様々な問題で争っていた人類は預言を共有することはなかった。どころか、多くの国が魔族や救世主を戦力として利用できないものかと企み、他国の預言を狙ってさらなる争乱を巻き起こす始末だった。


 そうこうしているうちに、百年前ついに南極半島ほぼ全域を統治していた七大国の一つマリーバード女教皇国に魔族が出現。瞬く間に現地の人々を殺傷するか奴隷とし、半島全域を支配してディアボロス魔帝国の樹立を宣言した。

 これを受けて、東アンタークティカの六大国はようやく共同で戦力を結集しての人類防衛六カ国連合軍を組織、トランスアンタークティック山脈でディアボロスの侵攻を食い止めた。


 が、根本は変わっていない。


 むしろ魔帝国の凄まじい力を目の当たりにしたことで、対抗できるという救世主の軍事利用への期待が高まったほどだ。二年前に剛毅勇者チェチリアが名を上げだしたときも、みな戦力として彼女を欲した。

 とうの勇者は、どこの国にも属することなく人々を護るために戦い続けていたが。今回は、そんな中立性を信頼したエリザベス・コーツに救世主の出現を知らされ、彼に何かを期待していた勇者は始めて迎えのためだけという条件で一時的に軍へ属したのだった。


 では、なぜコーツは預言の救世主降臨を察知できたのか。


 実のところマリーバードは滅亡の際、魔族に奪われるくらいならばと自国の預言板よげんばんを隣国コーツに託していたのだ。

 それでも全容を理解するには不充分であり、連合軍が駐留しているとはいえ直接魔帝国と隣接する恐怖に曝されていたコーツ王女国は大きく動いた。

 地理的にも国のあり方としても似通っていたビクトリア女王国と同盟を結び、他の国々には極秘で三つの預言を共有したのである。

 結果得られた情報が、救世主の出現する日時と場所だった。

 なのに、ノイシュバーベン・モードとフリームスルスは示し合わせたように同時に動いた。とても偶然とは思えなかったのだ。預言を密かに二つ以上独占しているという後ろめたさが、疑心暗鬼を後押しもしていた。


「お答えしていただきたいものです。どうして、国境に軍を展開されたままなのでしょうか」


 故に攻めるエリザベスへと、そこで女帝が反撃してきた。水晶玉のあちらで、テーブルの下から上質な羊皮紙を出してきたのだ。

 球面に翳されたそこには、コーツとビクトリアの輝く家紋とおのおのの統治者によるサインが魔法のインクによる光る筆跡で刻まれている。輝きが鈍っているところから、別な魔法での転写らしい。


「コーツとビクトリアによる西国同盟の議定書」女帝は自信に満ちて問い詰めた。「ご存知ですね」


「なっ!」


「ここに、救世主に関する情報の共有と独占に関する締結が記されています。どういうことでしょうか?」


 相手の指摘は事実だったが、王女国にも正当性がある。エリザベスは机を叩いて立ち、抗議した。


「極秘の書類を盗み写したのですか! そのような諜報活動は連合国間で禁じられているでしょう!!」


「得られた結果がそれを上回る問題ならばこちらが優先」モードは落ち着き払って反論する。「預言板を限られた国だけで二つ以上独占することは禁止事項です。これは、人類の結束を揺るがしかねないが故に魔帝軍との対立に際して結ばれた六カ国間最大の条約。他国への不法な諜報活動より遥かに重大な国家犯罪、疑いをもって望んだわらわの行為はむしろ正当となります」


 してやられたとエリザベスは思った。

 諜報員ならどこの国も秘密裏に他国へ派遣しているだろうが、ここまで極秘文書に迫れた国などおそらく女帝国が初だ。どんな手段を用いたのかは不明だが、状況は不利となった。

 もし同盟の所有する議定書だけでなく預言板をも奪っていたなら、自国のものと合わせてモードは最低四つ持っていることになる。最悪、同盟の条約違反が先にあったために止むを得ずとなれば、残存する四カ国もそちらを支持するかもしれない。


「猶予をお与えしましょう、ただちに救世主を引き渡してください。おられるのですよね?」


 絶句して立ち尽くすしかないエリザベスに、モード女帝は煙と共に言い放った。


「率直に申し上げましょう。わらわは、コーツ・ビクトリア同盟が魔族に左袒さたんしたのではないかと疑っております。バードを滅ぼし、預言を集めたのではないかと。そんな危険な国に、彼を置いておくわけにはいきません」


「冤罪です! むしろ事前にわたくしたちの預言まで入手していたのならば、そちらこそフリームスルスに襲わせる理由があったはず!!」


 王女の弁明は無駄だった。女帝が、一方的に宣告する。


「あなた方の自作自演かどうかなど興味もありませんが、我が軍へは第二戦備態勢が発令されています。預言の救世主様を引き渡せば手を引きましょう。要求が満たされなかった場合、直ちに第一戦備態勢へと移行し、宣戦を布告させていただきます」


 もはや、エリザベスは脱力して席に座り直すしかなかった。

 そこへモード女帝は薄ら笑いさえ浮かべて最終通告をする。


「以上です。よい返答による再対面を期待していますよ、エリザベス王女陛下」


 返事さえ待たなかった。

 わざとらしく吹き掛けられた紫煙を最後に水晶玉は曇り、向こうが見えなくなる。ホットラインは帝国側から切断され、一方的に途切れたのだ。

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