第3章 王女との謁見にウンザリ

 室内では、西洋風の甲冑に身を包んだ兵士たちに挟まれた絨毯が入り口から真っ直ぐ延び、最深部で掲げられた大きな旗の下に立派な玉座があった。

 胸元の空いた煌びやかなドレスを纏い、王冠とマントを身に付けた銀髪金眼の少女が座している。

 威厳に満ちた態度で大人びてはいたが、彼女はまだ聖真より少し年上な程度の王女。エリザベス二九世だった。


 両脇には、男女が一人ずつ別々の座席に掛けていた。布製鎧に派手な外套を羽織ったひげもじゃの黒人壮年大男なランドルフ大公と、豪奢なローブに身を包みリネン製の冠を被った細身の妙齢女性メディシス司教枢機卿である。


 エリザベス王女は短い階段の上の壇から、ヴォルヴァたちに囲まれる学生服姿のままな聖真を見下ろした。


「この方が、〝預言の救世主オラクル・メシア〟なのでしょうか?」


 王女は目前に来た聖真にではなく、付き添ってきたフレデリカへと訊いた。


 問われた巫女は跪き、報告する。

「畏れながら王女陛下、おそらくはそうじゃねぇかと。彼こそが、預言の日時と場所にご降臨しやがりましたので」


 聖真は呆れていた。

 預言だの救世主だの、まるで自分が特別のように扱う。チート系か? 悪いが元いた世界の特別な技量なんて持ち合わせちゃいないぞ、と。


「では」エリザベス王女が尋ねてきた。「あなたのお名前は、セイマなのですか?」


 明らかに聖真へと向けられていた。


「……」


 対する男子高校生はこれまで通り無視することにした。夢に答えても意味がない。

 早く覚めろよ。と思う。

 もう何日も経った気がするが、夢の中では時間の感覚が違うらしいし。

 しかし、覚めない。周りの沈黙だけが増していく。

 気まずい。気まず過ぎる。


「……おれ?」


 どうにか、自分を指差して一言だけ返す。

 王女は神妙に頷いた。


 いいさ、黙っていても無駄なら逆に積極的にいってやる。

 決意して、聖真は答えることにする。


「おれは、霞ヶ島聖真といいますけど……」


 途端、ざわめきが広まった。玉座付近以外の、室内にいたあらゆる人員が囁き合う。


「〝カスミガシマ〟とは言及してないのに!」

読心魔法テレパシーかもしれんぞ」

「王女陛下の御前でそんな真似ができるか。第一階梯の魔封まふうを打破せねばありえん、とすれば特別階梯以上の使い手に違いないが」

「巫女たちから預言を聞いたのかもしれんだろう!?」


 彼らの魔法は修得の困難さや威力の大きさに応じて、階梯という段階分けがされていた。主に上位のものから順に


 神等しんとう階梯

 特別階梯

 第一階梯

 第二階梯

 第三階梯

 第四階梯

 第五階梯


 といった具合で、階梯が低いものであっても術の練度が上がれば強力になるが、基本的に上の階梯のもののほうが習得し難くかつ強い。


「静粛にしやがれです!」

 フレデリカがみなを一喝した。

 場の喧騒が小さくなる。それを待って、彼女は改めて王女へと断言した。

「陛下、わたしたちはここに到るまで彼に名も尋ねていなければ預言も洩らしてはいねーです。付加するならばこの方は、第五階梯の〝小瓶の悪魔〟ごときでソロモン七二柱の魔神フラウロスをも使役し、フリームスルスの一団を一掃しやがったのです。そのような奇跡を実現できるのは、オラクルメシアでしかありえねーんじゃねぇかと」


 彼女は自分の豊満な胸の前で、片手で十字を切ったあとに円を描いた。


「このフレデリカ・ライコネン。ダーヌ神族トゥアハ・デ・ダナーンに掛けて誓いやがります」


 室内がしんと静まった。

 彼女の言動は、それほど重みのある行為だったのだ。

 宙に描写されたのはケルト十字。ケルト神話の神々を崇拝するネミディア教の祈りだ。

 フレデリカは北欧神話の神々に仕えるヴァン・アース教の巫女で、王女はネミディア教徒だ。

 どちらも寛容な多神教なので他の信仰を否定はしないが、自身の神でなく王女の神に誓ったのである。嘘であれば、双方の神々に無礼となる宣誓だった。


「他のヴォルヴァたちも、異存はありませんか?」


 王女の問いに、フレデリカにずっと同行していた巫女たちは一斉に「はい!」と返事をする。


(やっぱヴォルヴァか? 低級霊のヴィッティルがやっと見えたと思ったら軽々しく使役してるとか、これまでのおれの努力はなんなんだよ)

 などとうんざりする男子高校生を差し置いて。


「信じましょう」

 エリザベスは了承した。

「ですが、証拠としてはいささか不足しています。救世主様自体の才も未知数。その立場を称するのであれば、試練を受けていただきましょう」


「救世主とかじゃないんで結構です」

 聖真は即刻拒否した。


 わけのわからない世界にいきなり放り込まれた上たいそうな肩書きを与えられ、試練なんてめんどうなものを押し付けられたらたまったもんじゃない。

 だいたい、周囲のヴォルヴァが簡単に魔法を使ったのだ。ならこれまで成功しなかった自分は無能だと思う。


 重たい沈黙が訪れた。空気読め、と部屋全体が訴えているようだった。


「で、でも」とっさにフレデリカは、慌てふためいて口にする。「実際目撃しやがりましたから! 突然出現して巨人たちを一掃しちまいましたから!!」


「そ、そうですそうです!」

 仲間のヴォルヴァたちが、ほとんど声をそろえて同調する。

「わたしたちも証人です!」

「謙遜しないでください、救世主様!!」


 まるで助けを求めている雰囲気だ。

 そりゃそうだろう。あれだけ意気込んで嘘だったらヴォルヴァたちの立つ瀬がない。

 さすがに察して、しかたなく男子高校生も溜め息を一つ。次いで、一応できるところは肯定した。


「た、確かに。いきなりあそこに現れたのは事実ですよ。フラウロスが巨人たちを倒してもいた。でもそれをおれがやったとか救世主だとかいうのは実感ないですけど。まあ魔法は勉強したかな。あなたたちの知ってるやつとは違うだろうけど」


 少し、安心が広がったようだった。


「例えば」エリザベス王女は静かに追求する。「どのような魔法学を勉強なされたのですか?」


 ごくり、と聖真はフレデリカが唾を飲む音を確かに聞いた。ヴォルヴァたちも冷や汗塗れだ。

 あまりにあっけらかんとした男子高校生の対応に、彼女たちも勘違いだったらどうしようという危機感を覚えだしたらしい。

 そんな中で、聖真は言ってやった。


「えーと、タットワ行法とかホムンクルスの製造とか四大天使の召喚とか――」


「「まさか!」」


 指折りつつ適当に並べたところで、王女の傍らにいるランドルフ大公とメディシス枢機卿がそろって声を上げた。

 二人は顔を見合わせたあと、ランドルフが先に聖真へ怒鳴る。


「そんなもの、高位術師以上にのみ学習が許可された最上級魔法学でも受講せねば習得できんわ! 事前に水晶で報告を受けざっと調べたが、貴様のようなどこの術師名簿にも登録されていない若造が試せるものではない!」


 どうやら、彼らは初めから疑っていたようだ。王女の方を向き、今度はメディシス枢機卿が進言する。

「これで明白ですね、この偽救世主は大法螺吹きでしょう」

 彼女は、ローブの尻の辺りから毛のない尾のようなものを背後に露出させ、激しく振りながら捲し立てる。

「ランドルフ公とわたしめは、元よりあらゆる信仰から独立した預言の救世主に懐疑的です。ともすれば、悪魔の策略かもしれません。中央蛮族と結託し、フリデリカ戦巫女いくさみこ隊長を欺いた可能性もあります」


 周囲のリアクションが特にないことを考慮すると、どうやら尻尾はみなに既知のことらしい。亜人の種族、『和漢三才図会わかんさんさいずえ』とかに載っている繳濮げきぼく人みたいなもんかな、と目星を付けながら男子高校生は聞き流す。


「フリームスルスによる通行自由協定破棄がなによりの証拠! 王女国の危機には、実力と人柄が明白な〝剛毅勇者ごうきゆうしゃ〟を中心に対処すべきです!!」


「いやいや」

 エキサイトする二人を尻目に、聖真は気だるげに否定する。

「おれの知識なんて図書館でも本屋でもネットでも、誰でも学びたきゃ学べる程度だから」


 みんな、ポカンとした。


「この期に及んでよくも、わけのわからん戯言を!」

 ややあって、激昂したランドルフが高校生に詰め寄り、唾を飛ばす勢いでがなる。

「だったら、おまえが述べた魔術の詳細を説明してみろ!」


 耳を塞いでどうにか轟音に耐えた聖真。

 ここまで罵倒されて、彼の中でもついに何かが切れた。

 うるさいし汚い。この不快感、さすがに夢とは流せなくなってきた。


「……ふざけんなよ。一方的に異常な状況に放り込んで持ち上げといて叩き落とすって、卑劣じゃないか?!」


 怒り返した彼に、部屋中の人員が警戒する。武装した魔術師と兵士たちは、杖や剣に手を掛ける。

 けれども、そんなことなぞ構ってられずに聖真は怒鳴った。


「いいよ、教えてやる!! まずタットワ行法だったか? これはユダヤ教神秘主義哲学カバラの密儀だよな! 四大元素と第五元素エーテルの図形を門にして、生命の木を霊的に昇ってくんだろ!! 王国マルクトから王冠ケテルまで! いや、原因なき原因アイン無限光アイン・ソフ・オウルまで含もうか? の前の小儀式としての聖別やカバラ十字から教えてやろうか――」


 彼の知識は膨大かつ正確だったが、大昔には密儀とされたものの科学が席巻する時代では迷信とされ、ある意味で軽く扱われてきた情報ばかりだった。

 なのに、聖真がひと通り語りつくす頃には、当人以外のみなはただひたすら圧倒されていた。


「――で、どうだ?」


 しゃべり終えた男子高校生は得意げに胸を張った。

 そこでようやく、みんなが小刻みに震えて静まり返っていることに気付く。ランドルフ大公なんか腰を抜かしている。


「ど、どうしたの?」

 辺りを見回し、わけもわからず頭を掻く聖真。


「……素晴らしい」

 やっと、小さく発声したのは王女だった。

 彼女は起立して、大声で広間中に問い掛けた。

「みなさん、もはや異論はありませんね。彼こそ、預言の救世主候補筆頭でしょう!!」


「はい!!」


 ほぼ全会一致で、聴衆が返事をした。

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