スサノウパズル
@kzbeet
第1話 邪馬台国
邪馬台国
倭人 の国は東方にあり三十の国々に分かれている。帯方郡から倭人の国に至るには海岸に沿って水行し半島を通り過ぎ東へ行き南に行く。そして倭人の国の北岸に至る。その距離七千里。
倭人の三十の国で最大の国が邪馬台国である。邪馬台国は従うその他の小国に邪馬台国の兵を置き配下の国々を従えようとした。
邪馬台国の王はもともと男子であったが、この男子王の元、いつの日か国々は邪馬台国がありながら邪馬台国に従わず乱れに乱れ憎しみの中、争いの年月を幾年も過ごした。
そこで倭人たちの王は邪馬台国の元、話し合い、一人の若い女をたてて邪馬台国の王としてて三十の国々を束ねて一つの新しい邪馬台国として治めようとした。
新しい邪馬台国の王となった女は卑弥呼と名乗った。卑弥呼は色白で息を呑むほどの美貌を持っていた。卑弥呼は三つ子で姿形が全く同じ姉と弟がいた。卑弥呼は霊力のある亀の形の黒い石を使い全能の力で全ての民と富を支配した。
卑弥呼の姉の名は恵羽「えば」
弟の名はスサノウと言った。
恵羽は狡猾でその魂を悪魔に魅入られた女だった。誰からも愛されず、誰をも愛さなかった。
そこで周りの男の王たちは恵羽でなく妹の卑弥呼を邪馬台国の王とした。
景初二年六月、邪馬台国の卑弥呼が我が国に朝貢したいと伝えてきた。
我が国の帝は卑弥呼に詔書を発し、次のように言った。
「汝を親魏倭王卑弥呼として任命する。今、汝を親魏倭王とし金印と紫綬を与えようと思う。
また魏の国が汝の国を愛することを知らなければいけない」
知らせを聞いた卑弥呼、恵羽そしてスサノウは何故か「時の海」に浮かぶと言う高天原に行くと言い残して亀の形の黒い石と共に倭人の前から姿を消した。
そして恵羽の命令のもと自由に空を飛べる戦船を操る金髪の少女たちの軍隊も一緒にこの地上から消え去った。
その後二度と倭人の前には現れなかった。倭人たちは三人が死んだと思い深く嘆き悲しみ大きな塚を作った。
塚は亀の様な形だった。倭人たちは奴婢となって卑弥呼たちを称えた。塚は直径百余歩ほどあり、その際、殉葬された者は奴婢十三人であった。亀の様な塚もある時何処かに消え去った。
その後、再び邪馬台国はばらばらになり国々は乱れ、お互いに殺し合った。そこで卑弥呼の侍従の壱与「いよ」という十三歳の少女を立てて邪馬台国の王したところ、国々はやっと治った。
壱与の死後、何代もの後、遠く離れた異界の地に毛むくじゃらの野蛮人が住む国が現れた。その国を美国と言う。
美国の若い王は卑弥呼が亀の形の黒い石を月に持って行ったことを何故か知っていた。
若い美国の王は我が国が唐の時代に発明した火薬を詰めた筒に家来の美国人を乗せて黒い石を探す為に月へ向けて打ち上げた。
筒は月に着くことなく宙で燃え尽きた。そして燃え尽きた美国人の亡骸は地上に落ちてきた。
亡骸は炭の様な「黒い石」になっていた。
美国人はそばに控えていた倭人にその黒い石を与えて、この黒い石こそが卑弥呼の霊力の源の黒い石であると偽った。
卑しく愚かな倭人たちは喜び感謝して美国人を神の如く敬った。
西暦 三千百五十二年 三月十一日
上海国
中国共産党 人口冬眠安置施設
最初は紫の点の様な炎が見えた。
網膜上に微かな光を仇夢「あだむ」は感じた。
続いて前頭葉の日立製チップスに電気反応が起こった。
紫の点は黄色の炎に変わり、徐々に変化して赤みを帯びた木である事が分かった。
木が燃えているのだ。
その木に纏わり付いている自分の身体に意識が飛んだ。
何故か熱くはない。あたりに霧が立ち込めてきた。そして火が消えた。
白くもやっている向こうに人らしい影が見える。凹凸が確認できる。
輪郭が段々はっきりしてくる。
若い女性の裸体だ。
白い肉体と長い黒髪が確認できる。
えも言われぬ笑顔を浮かべている。黒髪の逆三角形の陰毛が見える。
仇夢は自分の身体が黒い細かな鱗によって覆われていることに気づいた。
蛇である自分が木の上にいることに気づいた。
仇夢は知っている。この木に近づいてくる女は自らの運命に背いた女だ。
知恵の木の林檎をかじってしまう女。その女が自分に近づいてくる。
ふっと意識が飛んだ。闇が広がった。そしてまた紫の光る点が見えた。光は広がって、やがて紫は緑色になり、その緑色は段々薄く白っぽくなっていった。白い空間が広がってきた。
脳が徐々に常温に向かって解凍してくるのを感じる。
ほぼ完全に解凍した仇夢の前頭葉を貫いて電流が走った。
白い光の中に微かな光を感じた。
光の中に端正な安鈴「あべる」、自分の息子の白い顔、仇夢と全く同じ顔が網膜上に映像となって現れた。
仇夢と寸分違わない容姿で安鈴は立っていた。
仕立ての良い紫のチャイナスーツを着ている。
胸に金糸で刺繍が施されている。
「仇夢父さん、お目覚めはいかがです」
網膜上の安鈴が広東語で切り出した。安鈴の脳からの電子メールはファーウェイのサーバーを経由して仇夢の脳に届き三半規管で音声となって響いた。
「おはよう総書記」
「今度はどんな夢を見ましたか。また高天原の夢でしょう」
「いや違う」
「では、キリストとなって磔の刑になる夢を見た」
「蛇だ。自分が醜い蛇となって木の上にいる夢だ総書記」
脳の表面に新鮮な酸素が漂ってきた。
「安鈴でいいですよ。私はあなたのクローン。即ち息子なのだから。総書記と言う呼び方はよして下さい」 そして安鈴は右手を上げ指先で何かのサインの仕草をした。
そのサインに呼応して仇夢が横たわるベッドの背もたれがカチッと音を立てて立ち上がり、同時に膀胱に溜まっていた尿が勢いよく排出された。
排出される快感が別の電気信号となり、いつもの様にパズルを解くゲームのスタートのサインとなった。
「分かった安鈴。またパズルだな」
「そうです父さん。パズルです。そしてパズルを解けるのは父さん、仇夢しかいない。それと自分は久しぶりに肉眼で父さんの顔を見たい。誠に申し訳ございませんが私の部屋にご足労願います」
「了解だ。安鈴」
自分の声が三半規管に共鳴した。
部屋の扉の処で電磁シャワーで厳重に殺菌された。
そして強烈なエアカーテンの風圧が上の天井からおきて細かな塵ちりが飛ばされた。
それが済むと自動チェアは仇夢を乗せて真っ白なオフィス内の廊下にむかった。廊下の窓から上海の景色が見える。
人工雲から雨のシャワーが降っている。その雨の中に古代の遺跡が見える。球形の下品な銀色のタワーが鈍く不気味に輝いている。相変わらずの趣味の悪さだ。
「何年ぶりのお目覚めです」
前からやってくる息子の加員「かいん」の広東語の振動が空気中に伝わってきた。
音声振動が龍 仇夢の鼓膜をゆるがした。
加員も同型の自動チェアマシンに乗っている。
白い人工皮膚の表皮に覆っているがその顔も仇夢と寸分違わない、全く同じだった。
「加員。元気そうだな」
「あとでお茶でも付き合って下さい。それと、たまには働いて下さいよ仇夢父さん。父さんには才能がある。だけど怠け者だ。そのうち悪魔の山本の様になってしまう」
「例の悪魔の山本か」
「そう。例の悪魔の山本」
「話したいこととは山本の事だな」
「そうです」
加員の科白に日立製のチップスは網膜上に「息子」そして「安全」と示す緑色のサインを示している。
「父さん、元気そうですね」
安鈴は中国共産党総書記室で切り出した。
安鈴の背中に先ほど見た趣味の悪い銀色の球体を持つ古代の塔の遺跡が見える。
「安鈴もな」
息子安鈴はいくつなのだろうか、人工冬眠を何故か嫌う安鈴の「起床年月」は既に九十年は過ぎているはずだ。いくら最新の整形手術、オペレーションが進んだとはいえ天然の皮膚では間違いなく、既に限界なはずだ。
人工骨格の頭蓋骨が人工皮膚を透してスキャンされた頭部の中に見える。
中には紛れもなく年老いて濁った紫色の脳の表皮が見える。
前頭葉、左脳、右脳に何万本とある補助血管が見える。脳下垂体から背骨に流れる髄液はどう装っても若者の物ではなく、紫というより土色の濁りを感じる。
「僕の脳をスキャンしてるでしょう」
「何が」
「父さん。とぼけなくても良いです。父さんが僕の脳をスキャンしているのは分かっている。自分は確かに年老いた。もう僕は永くない。いや、本当のことを言うともうこれ以上生きたくない」
「生きたくないとは随分弱気だな総書記。新しいゲーム、パズルを解かねばならんのだろう。だから安鈴は俺を人工冬眠からおこした。どうだ、図星だろう」
「お察しの通りです。そうパズル。しかし自分にとっては人生最後のパズル」
「人生最後って。最後って。しかし、まだ安鈴総書記、おまえの起床年月は百年にも達していない。ドールから新しい臓器を取り出して移植すれば手術で充分百二十までは生きることが出来る。いや百五十、いやもっと。二百だって本人に意思があれば、もしかすると永遠にも生きられるかもしれない。未だ出来てはいないが脳の記録を全て新しい脳に移すことも将来に可能になるはずだ。即ち、我々人類は永遠を得る一歩手前迄来ているのだ。よもやそんなことを知らぬ訳はなかろう。死ぬなんて、そんな愚かなことすべきではない。永遠に生き続ける。感じることが出来る全ての快楽を捜し求める。これこそが人生ではないか。違うのか。生きることこそ、快楽を永久に求め続けることこそが人生、そして人生の解放ではないか。絶対に間違ってはいない。間違いないじゃない。生きるのをやめるのは全く損な話だ」
「全く仰せの通り。確かにその通りです」
「総書記よ。ではなぜ、そんな損なことを」
「損。損得ですか。父さん、自分は損得ではなくて自らの本当の解放、即ち命から、いや運命からの解放を得たいのです」
「運命からの解放」
「そうです。運命から解放されたい」
「しかし運命でも命でもいい。そもそも命とは何か、 安鈴は何と思うのだ」
「継続です」
「継続」
「即ち循環、滅亡して再度復活して更に滅亡して更に復活する、その間に時と言う流れが当然起きる。その流れを超越して存在する、それが運命、生命である。そうですよね。仇夢父さん、貴方の論文の最初の切り出しですよ」
微かすかに興奮して早口となった安鈴に仇夢は冷静さを失わなかった。
微かすかな気まずさの中で安鈴は続けた。
「そう、仇夢父さんの論文を実際に証明するためにも永遠と時間の概念からの解放を得ねばならない。その為に」
「その為に」
「高天原に行く」
「高天原」
「そうですよ、あの話の高天原ですよ。亀の黒い石のあるという、あの伝説の」
「伝説、亀。そんな馬鹿なことを言うな。黒い石の話は極めて非科学的な迷信だ。迷信にしか過ぎない黒い石を手に入れてどうするのだ。それに黒い石が高天原にあると何故分かるのだ。実際に存在しているのかいないのかすらも分からない場所、高天原に行けるとでも思っているのか」
「いえ父さん。人は行きたいと思えば人は何時でも何処にでも行けます」
「何処にでも行けるのだと」
「我々人類は全ての場所に行ったではないか、月を最初に他の星にも」
「ええ」
「それが、何になったのか。火星に行っても何も無かった。僅かな苔こけしかなかったではないか。この地球以外に生命など何処にも無かったではないか」
「そう、何も」
「そう、何も無かったし誰も居なかったのだ。誰も、そして何も無かった。月を初め、全ての惑星が実際には死の星でしかなかった、確かに火星にも生命の痕跡はあった、彗星からもアミノ酸の痕跡は見つかった。確かに生命という物は地球外からもたらされたのだ。しかし今は地球外には形として生命は存在しない。生命は我々人類中華以外いない。誰もいないのだ。何も存在しない。誰も我々以外には全く生命としては現実には存在しないのだ」
「存在しない」
「そうだ存在しない。解明されているのだ。
TO BE、 OR NOT TO BE THAT IS A QUESTION.
ハムレットはもう悩む必要がないのだ。存在も不存在もない。そもそも存在がないのだ。生命として存在しているのはこの星、地球、地上に存在する我々中華だけなのだ」
「それでも僕は行かねばならないのです。迷信の黒い石、亀の形の黒い石。即ち永遠の謎。即ち命の謎。パズルを解かねば、それこそが至高のパズル。史上最高にして至高のパズルのです」
仇夢は再び
「黒い石、永遠」
と言いかけて、いきなり奇妙な衝動が仇夢の肉体に沸き上がってきた。
頬の人工皮膚に痙攣が走っているのを感じた。
自分の唇が自分の意思の制御を無視して勝手に動き左右の肺の回りの横隔膜がゆるみ大量の酸素をふくんだ大気が肺に送り込まれ網膜を含む眼球表面の水分の分泌が激しくなって人工皮膚の中に蓄えきれずになり自分の顔面を覆う人工皮膚の表面に流れた。
全て動きに呼応する様に脳から通常の何百倍以上電流が走った。
何の意味もなく、無意識に動いた唇が空気中に何語でもない音声、クワックワッというセンサーでは制御不能の音声を作り出した。
制御不能の音声と共に目の縁。涙腺が予期せぬことに緩み水分を発し出した。
「父さんは大笑いが出来るんだ。自然な大笑い。本当に自然の大笑いが出来るんだな。涙まで出すことが出来る。上海国にはもう父さんしかいなんですよ。笑ったり泣くことが出来る人間なんて。唯一古代人の長所、感情や衝動そして愛情と言う情愛をもっている。本当にそれは素晴らしいことです」
「いや、大変失礼、いかに自分の息子とはいえ、これだけの偉大なる中国共産党総書記の前で取り乱してしまって誠にすまない。平に陳謝する」
「仇夢同志、父さん。決して謝る必要はない。本当に。実は本当は自分には羨ましいのですよ、そんな父さんが。その仇夢父さんの天賦の才能が。本当に素晴らしい才能ですよ。昔は誰でも自然にそうすることが出来た能力があったはずなのに。そう本来は人間とはそう言う物として神が創造してくれたのに」
「神が」
「そう、神が」
「神がって安鈴、おまえ、まさか神の存在を信じているのではないのだろうな」
「神は僕にとって存在します」
「神は存在しない。神が存在する理由も現実もない。神を信ずることは宗教だ。分かっているだろう、宗教を信ずることは罪悪なのだ。忌み嫌わなくてはならない人間自身の弱さと愚かさなのだ。宗教こそが古代人を滅亡に追いやったことを。イデオロギーより宗教こそが悪であり罪なのだ。無い事をあると信ずる事、宗教こそが古代人を破滅に導いたのだ」
「おっしゃるとおりです。確かにそうです。だからこそ、今こそ我々人類は神があると愚かにも信ずる宗教から解放されねばならない。そのことが正に父さんが神だと言うことなのです。それが今度のパズル」
「俺が神だと、それがパズルだと」
「父さん。仇夢父さんは神として分かっているはずなのではないですか。あなたこそが神でないのですか。党のみならず、この一億人の全てのクローンのオリジナルではないですか、文字通り神ですよ」
「ば、馬鹿な」
「旧約聖書には神は人を自分、そう神に似せて作りたもうたとある、この上海の人間は全て父さん、あなたこそ、そう仇夢を基にするクローン、複製に過ぎない、だからこそ父さん、あなたこそが神なのですよ」
再び笑いそうな衝動が起きてきた。
今度は脳内のセンサー制御機能がすばやく反応した。センサーは仇夢の感情と言う古代人類が持ち合わせた野蛮で全く無意味な動きを完全に封殺した。脳から用心深く単語を羅列して次の言葉を発した。
「人の話を笑うなんて全く失礼な事だった。いや全く申し訳ない」
「父さんは何年ほど眠っていましたか」
「正確には五十二年と二十五日及び二時間四十四分三十五秒」
「人工的な冷凍冬眠は脳の活性化には一番ですよ。自分も本当は眠りたい。本来眠れば夢をみることが出来る。自分には夢を見ることが出来ない。もう残念ながら自分の脳は人工今度冬眠したら二度と目覚めない。偉大なる人工氷結脳技術を発明し人類を睡眠と言う無益な時間から解放させた仇夢父さんには誠に申し訳なく思っているのですが、もう、僕は人工冬眠をしたくない」
「安鈴」
中国共産党総書記安鈴の言葉に仇夢は思わずつぶやいた。センサーが動く前に自動的に脳が単語を並べた。
中国共産党総書記安鈴はドールの血から作ったワインのグラスを傾けながら仇夢を見つめていた。
肉眼で仇夢あだむの息子安鈴を見つめると、その顔はいかに脳がよどんでいるとは言え表面上、肉眼で確認する限り確かに陶磁器の様に白く輝きその目は穏やかだった。
まるで悟りの境地に達している様だ。
安鈴のそばに見慣れたタイプのドールがいた。
金髪の欧米タイプのエバだった。
中国共産党が南京のクローン牧場で量産している愛玩用ドールだ。愛玩用とはいえ食肉としても美味で刺身でも水炊きでもいける。仇夢は薄く小麦粉をつけたドールの天麩羅てんぷらが大の好物である。
仇夢は必ず解体した直後のドールを薄い衣で揚げた天麩羅てんぷらを少々の塩と倭人の酒、日本酒でやる。正に至福の瞬間だ。
エバは本来の一番の楽しみである性交用としても悪い出来ではない。膣内の粘膜は適度な湿り気を帯びていてペニスに程よくまとわりついてくる。膣内の感触はざらざらとしているが逆に肌はきめ細かく他の欧米種白人種のような荒い感触ではない。
また膣口を含めて匂いもなく。悪臭がしない。尿も糞もそれほど臭くない。そんなところから愛玩性交ペットとして人気で中国共産党の利益の七割を稼ぎ出す屋台骨の商品なのだ。
エバは透明の衣服をまるで「人間」の様に着ている。柔らかそうな黒く輝く陰毛が見える。
エバがひざまずいて仇夢の方を見て脅えている。 エバの脳内にある信号装置に仇夢の脳下垂体から信号を送るとエバの朱色に染まった唇が半開きになった、そして鮮やかに輝く唇が仇夢の股間に近づいた。
仇夢は体を覆う黒い人工皮膚の衣服から自分のペニスを引き出してエバの口元に添えた。
仇夢はペニスの先端にルージュで湿っているエバのひんやりした唇の感触が伝わってきた。
前を見ると安鈴が別のエバの体を抱えてチェアに座りなおしている。
気がつくと仇夢の唇を求めてもう一匹のエバの顔が仇夢に近づいてきた。
そのエバとの接吻、舌と舌との絡み合いが仇夢の人工冬眠で眠っていたペニスを目覚めさせた。
亀頭が微かすかに反応した。ペニスの反応と同時に脳の指令が日立のチップスに送られ心臓の左心房からヘモグロビンを多量に含んだ血液が無数の血管を経て下半身の海綿体で出来た陰嚢いんのうに送られて更にペニスの先端の亀頭まで達していく陰嚢を経由してペニスの先頭の亀頭に血液が上っていくのを感じながら仇夢あだむは気づいた。
そうだパズルを解く「サイン」が出たのだ。
「分った総書記。もう一度繰り返す新しいゲームだろ安鈴。亀の黒い石、永遠の命を探す」
「そう新しいパズル。黒い石、人類永遠の謎。命を探すパズル」
「黒い石、永遠の命は見つかると思うのか」
「それは父さん次第」
「俺次第」
「そう仇夢父さん次第何故なら」
「何故なら」
「何故なら先ほど言った通り父さんこそが神だからですよ」
「総書記。冗談はそこまでだ。その亀の黒い石。生命の謎となる黒い石はどこにあるのだ」
「だから、神が行くべき高天原ですよ」
「そうか」
「そう、高天原」
「さっき言っていた。高天原」
「そう、高天原。本来はそこには父さん、仇夢しか行けない。神である父さんは我々中国共産党のオリジナルですよ。即ち人類のオリジナル、そう、祖先、いや神です。人類の宝ですよ。神なのです。神たる仇夢ほど優れた人材は後にも先にも、いや未来永劫、地上には現れない」
安鈴の声が電気信号となって二人の間にある空気を揺らしその衝撃がさらに新たなる電気信号となって内耳に届いた。その声は明らかに興奮していた。
仇夢は安鈴の声を聞くと同時に仇夢の股間でペニスを咥えているエバの喉の奥に精液を発射した。奴隷にしか過ぎないエバは仇夢の新鮮な精液をその口で一息に飲み干した。
安鈴に別れを告げてそのまま仇夢は久しぶりの上海の街へ出た。
上海の街はまばゆい光に満ち溢れていた。バーチャルとリアルが錯綜する上海。
光合成で二酸化炭素を吸い酸素を作成する新緑が鮮やかな緑を見せている。
自然のまま生れた命に満ち溢れる街にして都市国家上海。周りに緑輝く木々が見える。桃色に輝く果物が道路の脇を華やかに彩っている。
光合成によって豊かな酸素が絶えず作られている。光合成で作られる酸素が命の源を作成する新緑が鮮やかな色彩と影を作っている。
空調は程よくコントロールされバーチャルな人工映像なのか、それともリアルなのだろうか脳内のセンサーを解除した状態では分からないが無数の彩どりの揚羽蝶ちょうが花の中を飛び交っている。
見上げると真っ青な空に広告宣伝の飛行船が浮かんでいる。月面不動産の販売宣伝だ。
路上には塵ちりひとつ無い。どこからか、つぐみの鳴き声が聞こえる。鳴き声もバーチャルだろうか、それともリアルだろうか。
何れにせよこここそが間違いなく正に地上の楽園なのだ。そうなのだまさに此処上海こそがエデンの園なのだ。そのエデンの園に遂に人類はたどり着いたのだ。
嘘でかためた旧約聖書に書かれたエデンの園。
神の戒めに逆らいエバが知恵の木の林檎を齧かじったばっかりに追放されたエデンの園。
そう、ここ上海こそがエデンの園ではないか。地球は既に長い氷河期に入っている。この上海と北京以外の地表は今や氷の下にしか存在しない。美国も天竺(インド)も欧州も全て死に絶えた。
疫病のコロナウイルスが幾度もおこり、その最中に加速度的な人口の減少がおきて全ての宗教に基づく国家は国家としての体をなさなくなったのだ。
宗教を否定する我が中国共産党が開発し商業化した人間を再生産する完全なるクローン技術こそが人類滅亡のコロナウィルスに打ち勝ったのだ。
我々中国共産党員は古代宗教国家とは違う。
遥かに合理的にはるかに理知的に全ての物の変化を冷静に見ていたのだった。それこそが我らが中国人だ。それがこの楽園たる世界、理想社会を生み出したのだ。我が中国共産党の我が家、上海こそが正に最終的な人類のラストリゾート。地上の楽園なのだ。
エデンの園。
人工的に作られた常に温暖な気候。豊富に植林された植物や樹木、そしてどこまでも続く水田に溢あふれる稲穂。それらが作り出す光合成によって生み出された潤沢な酸素、そして宙に浮く人工太陽からの溢れる光。
どんな時でもおのれの欲望、そう一番の欲望の放出である性欲を受け止める器である美しい奴隷ペットのドール達が何万匹もいるのだ。
全ての欲望をなんのためらいもなく満たすことが出来る理想の世界だ。
この上海こそが旧約聖書でエバが邪悪な蛇に惑まどわされて林檎を齧かじったばっかりにアダムと一緒に神から追放されてしまった物語の中にある「エデンの園」そのものではないか。
働かずとも、一切の労苦、苦役をせずともこの世の快楽を瞬時に得ることが出来る理想の楽園。このエデンの園。
上海を捨てて高天原などと言う幻想の都を目指すことに意味などあるのだろうか。
これ以上我らが最高にして神に唯一選ばれた民、人類最高の叡智えいちを持つ我ら中国共産党員が何を望もうというのであろうか。
安鈴の言うことは到底、いや生まれ変わっても自分にはわからないと仇夢は思った。何十匹、何百、いや何千もの愛玩用のペットの女達、ドールがゆっくりと移動する自動チェアに座っている男達、我々人類、仇夢あだむと全く同じ顔のクローンが愛玩用ドールを連れて自動チェアで移動している。
愛玩用のドールにはそれぞれの首に鑑札の首輪が付けられている。
鑑札は避妊手術済みの合格証明番号と所有者のシリアルナンバーを赤や緑色に点滅させていた。
それぞれのドールは透明の衣服を着せられ大きく膨らんだ乳房とピンクに愛らしく輝く乳首と同じくピンクに染めら切りそろえた陰毛を見せていた。黒髪のモンゴリアンタイプ、金髪や真っ白い髪に染められた大柄な欧米種は抜けるような白い肌をしている。欧米種の陰毛も赤や金髪にその主人の趣味に合わされて染められていた。
愛玩用ドールの寿命は二十二年である。
それ以上の年数をドールが生きることはない。
それ以上の年齢のドールは全て食肉として人類、即ち男性人類の食欲を満たす為に血抜きをし食肉や燻製くんせいにされハムなどに処理加工されるからだ。
街中の道路を無数の自動チェアが行き交っている。広東語、北京語、そして英語の怒鳴り声が聞こえてくる。青い空をさえぎる様に巨大な別の遊覧飛行船が飛んできた。マイクロソフト、ヒュンダイ、マツダ、三菱、太田胃酸の色とりどりの文字に輝く毒々しいネオンが遊覧船の表面に見える。
自動チェアのセンサーが加員の居所をさして点滅していた。
仇夢と全く同じ顔をした加員はクラシックなカフェで一人、飲茶でくつろいでいた。
「安鈴と新しいパズルの話をしたでしょ」
二匹の欧米白人種のドールを侍べらした加員は刺繍の施した赤いチャイナスーツで決めて機嫌が良さそうだった。
「加員もパズルに絡んでいるのか」
「自分にはパズルの謎を解く才能が全くない。父さんと違って」
「才能が無いって、そんなはずはない。冗談を言うな加員。おまえは俺の息子だ。正真正銘の俺のクローンだ。おまえは俺なのだ。それでおまえは俺でしかないのだ。俺のDNAから出来たのではないか。俺がお前の父でありマザーだ」
「確かにそう。自分がこの世に存在しているのは父さん。仇夢のおかげなんだ。分っている。感謝している。しかしクローンの息子はコピーの一つにしか過ぎない」
回りくどく皮肉な笑みを浮かべながら加員がチャイニーズティーをゆっくりと飲み続けている。
「加員。脳の記憶を全て別の脳に転移させる研究はどこまで進んでいる」
「転移ね」
「そうだ人工的な輪廻転生」
「輪廻転生」
「輪廻転生し永遠に魂として生き続ける。人類最後の夢だ。到達すべき未来である正にそれこそが理想社会だ。脳の記録を全て別の新しい脳に転移さえ出来れば人類は更に完全に解放される。秦の始皇帝の時代から人類が夢見てきた不老不死が実現する」
「その論文の内容を我々に実現することは無理ですよ、しかし、確かに。もしかしたら父さん、仇夢父さんなら完成させることが出来るかもしれない」
「加員、俺はお前の冗談も世辞も聞きたくない。論理的には脳の記録を全て別の新たなる脳に転移させる技術は実現可能なはずだ。俺が書いた北京大学の輪廻転生論文をもう一度読み返すがいい」
「その通り、輪廻転生は実現可能です。父さんの仰せのとおりです。素敵ですよ。最高ですよ。いつも父さんは」
「加員、つまらん世辞はいい。俺は事実。結果としての真実が知りたいのだ」
仇夢の言葉に加員は上うわの空で上海の街を眺めている。
「加員、では話を変えよう。例の話、例の話だ。党北京支部の連中が勝手に新型のエバを別ルートで流しているって話は本当か」
「本当ですよ」
加員は仇夢の方に顔を向きなおしてあっさりと答えた。
「まさか加員がやっているのではないな」
「そんな才能、才覚なんか、先ほど言った様に僕に有る筈がないじゃないですか。そんな事が出来るとしたら仇夢父さんしかいない。そう、安鈴兄さんをはじめ全ての人類皆が神と認め崇あがめる父さん、仇夢しかいない。しかし父さんは人工冬眠をしていた。完璧なアリバイがある」
仇夢と全く同じ顔の加員が薄ら笑いを浮べた。美しく下卑た表情だった。
「しかし何にも無いのに安鈴が俺を起こすはずが無い」
「確かに。そりゃそうです。安鈴兄さんにも手に負えないことがおきたから、マザーでオリジナルの仇夢父さんを起こした。そう、それは間違いない」
「亀の形の黒い石、永遠の命の話のことを安鈴は話していた」
「そう、黒い石こそが永遠の命。亀の形をした黒い石こそが新型のエバのことですよ」
「エバがどうした」
「党北京支部のうち即ち党のクローン工場が開発した新型のエバは単なる愛玩兼食肉用性交奴隷ドールではないらしいのですよ。すでに出回っている従来型のエバより更に性能の良いタイプです。しかも北京支部の連中は党本部には秘密にやっている。何しろ、自分たちの正式に情報が流れてこない。ただ噂としてしか流れてこないのですから。だから新型エバを北京支部にいる連中が秘密裏に別ルートから流しているのではないかと」
「何故黒い石、永遠の命の話とエバが関係していると言うことになるんだ」
「そう、そうなんです。正にそこなんです。そここそが秘密裏であることが問題なんです。何故なら新型のエバは我々人類と同じく言葉を話すことができると言われている」
「言葉を」
「そう、おまけのそのエバのマザー、オリジナルは俺たち人間より遥かに頭が良くて、そして黒い石、永遠の命を自分の体内に持っているらしい。そして繰り返し永遠の命の源である。黒い石を産み続けることが出来るらしい。即ち自ら輪廻転生をやってのけていると」
「輪廻転生」
「そうです。輪廻転生」
「ま、まさか」
「仇夢父さん。もっと驚くことがある」
「何だ」
「奴ら、その新型のエバ達が龍を使って俺たち人類を滅ぼすと言われているのです」
「龍を使って人類を滅ぼす」
「そう、この人類の繁栄にジ・エンドの文字を刻むのです」
「ば、馬鹿な」
「そう。馬鹿なですよ」
「永遠の命と人類の滅亡がどのようにして何故つながるのか」
「分りません、北京大学の首席論文、人工輪廻転生論を書いた仇夢あに分らないことがこの愚かなクローン息子、加員に分るはずがない」
加員から発せられる言葉に激しく反応して脳内にアドレナリンが発射されている。加員の驚愕すべき言葉に網膜上の日立製チップスから信号が発せられた。
(思考中止)
(躊躇)
クラシックなカフェで透明な衣服に身をつつんだモンゴリアンタイプのドールで黒髪のクミコが新しい烏龍茶を持ってきた。BGMにルイ・アームストロングのホアット ア ワンダフルワールドが流れている。
仇夢にあるのは微かすかな沈黙だけだった。
性交用奴隷にして食用の家畜に過ぎないエバ、いかに新型とは言っても家畜のエバが人間の様に言葉と意思を持つ。しかもそのクローン元、オリジナルは永遠の生命を持つという。どう考えればいいのだろう。
複製即ちクローンによって次から次へと中国共産党の生産工場「牧場」と呼ばれるクローンの工場の人工子宮「マザー」で生産されるに過ぎない食用にしてペットの愛玩用の家畜女、人形(ドール)の新型のエバ、そのオリジナルが何故そのような人類がこれだけの時を経ても持ち得ない輪廻転生を可能にしたのか、永遠の命を持つのか。確かに言葉に関して言えば古代人の時代には確かにエバは言葉を持っていたらしい。
家畜が話すことは恐るべき不幸を古代人にもたらした。多くの悲しみを古代人にもたらしたのだ。古代にはおしゃべりな馬鹿と利口な無口しかいなかったのだ。
そして最も神に近づいた我ら人類の代表である中国共産党はおしゃべりで馬鹿な雌から言葉を取り上げたのだった。
当然の帰結だった。家畜、ペットの雌に過ぎない女が話すことは不幸な事なのだ。エバが愛玩物として生産されて二十二になればその肉は食用として直ぐに廃棄される。
それが最も人類の繁栄の為になるのだ。
極めて効率の良い仕組みなのだ。
これこそが合理的な結論なのだ。これこそが人類の浄化である。
それこそが雌のエロスであり、雌の幸せなのだ。それには一点の疑問もない。これこそが究極のリサイクルなのだ。我ら選らばれた中国共産党が築きあげたこの理想社会。中華共産主義社会のたどり着いた理想社会、ユートピアだ。
家畜に過ぎないドールが言葉を持つことは災いの元なのだ。全ての罪悪につながるのだ。
古代人の諺ことわざに「雌鳥鳴いて家滅ぶ」というのがある。それこそソフィア。智恵、叡智えいちなのだ。叡智の上に立つのが最高度な文明社会である。
それこそが今、現代社会、中華思想の根幹なのだ。我ら選ばれし民、我らが人類として最後に生き残った種族。誇り高き中国共産党、中国人があまたの血を流して数百年いや千年以上の月日を経てたどり着いたこの現代の理想社会だ。
管理され、そして消費される動物にして家畜の身分に過ぎないペットの愛玩用エバが我々人類を超えた能力を持つことはドールそのものの不幸だ。
そして全ての人類の不幸なのだ。そしてたと加員の話が噂としてもそのドール達が人類に終末を迎えさせると言う。
仇夢にはある迷いが芽生えてきた。
「馬鹿な、いや、もしかして」
仇夢は再び「輪廻転生」とつぶやいた。
錯綜する思考を脳内で纏まとめ上げながら仇夢は更に質問を構成する単語の配列を考えていた。
(エバのマザーは何故言葉を話すことが出来る様になったのか)
この組み立てられた質問は(何故ドールは言葉を失ったのか。誰がドールの言葉を奪ったのか)
二つは同義の質問であることが仇夢の脳内で感じられた。
即ち、この質問を加員にぶつけることの無意味さを仇夢は感じていた。そうなのだ、骨格も生物学上も本来ドールは全くと言って良いほど我々人類に似ている。本来極めて近い存在のはずなのだ。内臓や器官も人類である自分達に移植可能である。話すことは物理的に、いや現実的には可能なはずなのだ。
そう考えた方が本来は無難なはずではないか。混乱する思考の中で更に仇夢は考えを巡らせてみた。いや更に単語の配列を変えればいいのだ。
(何故エバは話すことが出来ないのか)
違う、この質問も存在そのものが無意味だ。
(では何故北京の連中の商品は言葉を話し、どうやら超能力とやらを使うエバのマザーがいる場所に行けたのだろう)
本来はそうではないのだ。それを自分は知っているのだ。仇夢はそう感じていた。
言葉を最初に持っていたのはエバの方なのではないか。エバがまずあり、そして自分がいるのだ。本来そうなのだ。しかしそれは自分自身では絶対に認められないのだ。
そうだ、そのそれでいい。いや、そうではない。それは悪魔との問答の様に仇夢の脳内を駆け巡っている。
(何故、自分は言葉を話すのか。何故言語を使うのか。何故しゃべる事ができるのか)
自分が話すのに、その新型エバとは別のドールのエバは話さないのか。何故話さないのだろうか。脳内で質問に対して仇夢は回答不能状態が続いていた。
「加員、新型のエバのオリジナル、マザーは永遠に生き続けているとしよう。マザーを北京の連中は何処でどうやって見つけたのだ」
「高天原ではないかとの噂がある。あくまでも噂ですけどね。俺は信じていない。そんな場所、高天原がある筈がないのだから。ただそういう噂があるんだ。我ら中華の中に」
加員が呟きながら遠くを加員が呟きながら遠くを見つめた。
気を取り直し仇夢は息子の加員に更に質問してみた。
「とにかく、加員は黒い石、永遠の命の話を知ってるんだな」
「それは童話、いや寓話に過ぎないでしょ。子供のころ、党の育成プログラムであるクローン養育カプセルにいるころ脳がまだ発育しきっていないころに脳内に警告として刷り込まれる寓話に過ぎない。きっと仇夢父さんがクローンの幼虫でしかない僕に話してくれたに違いない。いわゆるすり込みってやつだ」
二人がいるカフェの前を無数の自動チェアが走り去る。ゆっくりとゆっくりと左右から現れて走り去っていく。人工骨格を持ったスリムで長身な赤や紫の色とりどりのチャイナスーツに身を包んだ仇夢(あそして加員と全く同じ顔をした男性人類だけが乗っている。
中には後ろ髪を弁髪に編みこんでいる男たちもいる。仇夢の顔をアレンジした皆其々明らかに東洋人であるが鼻が高く彫りの深い、まるで絵に描いた、いや絵だ。
絵そのもののような美男。長身で痩せぎすの筋肉質の仇夢と寸分たがわない美男しかいない。
顔面に光る刺青をしていてもその顔は全て同じ顔である。
「仇夢父さんはその噂を面白い話だって思ってるんだ。僕にはつまらない。美国の野蛮人が持ってきた偽の石を本物の石と思ってしまう黒い石の話。下らない。誰でもが知っている話。でも」
「でも」と言いかけた加員の顔が真面目な表情を作っている。
「加員、おまえも知っている。そうだ誰でも知っているが単なる寓話だが、でも、それがどうした」
仇夢の言葉に龍 加員は一瞬の間をおいた。そしてゆっくりと口を開いた。
「いや、あの話が仮に真実だとしても仇夢父さん、どうやって探すんですか、黒い石、人類永遠の謎。生命を」
「ゲームだからさ。パズルを解くゲームだからさ」
「ゲーム、パズル」
「先ずはパズル。俺たち人類の滅亡を救うパズルだ」
独り言を言うように仇夢は加員に語りかけた。
そうだ、それこそがパズルだ。今脳内で錯綜しているエバのマザー、永遠に生き続けているマザーの所在とエバが何故しゃべれるのか、いや何故しゃべれないのかと言う問題と黒い石、永遠の命話が何の関係があるのか。黒い石、永遠の命の話を持ち出した仇夢そのものが分からなくなってくる。
しかしそれこそがパズルだ。謎、加員が言ったパズルを解くことが出来れば、即ちパズルを解けさえすれば繁栄は続く。それが自分の、そして中国共産党の存在意義なのだ。導くべきファーザーとしての使命なのだ。全てのクローンのオリジナルの宿命であり義務なのだ。そうだ、神と誤解されている者の義務なのだ。
仇夢の網膜上に新たなる信号がでた。
「山本」
網膜上に新たなる緑色の文字が浮かかんだ。
「正解」
「なるほど、パズルですね。何れにせよ父さん。黒い石、永遠の命の話は愚かな倭人に聞くのが一番ですよ」
飲みかけのチャイニーズティーのグラスを残して加員が自動チェアに乗って二匹のドールを連れてカフェから去っていった。
少し筒遠くなっていくと加員の自動チェアを見送りながら「命、輪廻転生、黒い石か」と独り言呟きながら仇夢は自分の自動チェアの行く先を「中国共産党上海空港」にセットした。
ゆっくりと自動チェアのフックが中国共産党上海本部とは逆方向に続く道に再びセットされ街の中心をゆっくりと回るコンベアの様に続く道路の上に戻った。
道路の下にやはり透明な衣服を着せられている一匹のエバがいた。可愛らしい緑色に染らた陰毛が正面に見える。
他のドールと同じくご主人の自動チェアの横にポツリ立っていた。その愛玩用エバの視線を感じてそちらに目をやると愛らしい笑顔が返ってきた。そのエバの笑顔を見ながら仇夢は勃起するペニスに再び尿意を感じた。尿道の先端に腎臓から吐き出された尿が湧き出るのを感じた。その感触はヒュンダイのメインコンピューターで電気信号として解析された、そしてヒュンダイのメインコンピューターは一つのヒントを仇夢の脳に送った。
「山本」
仇夢はまた声を出してつぶやいた。
自動チェアはゆっくりと海底トンネルの入り口に向かった。
中国共産党上海空港の巨大な格納庫には仇夢がカーボンコンポジットの巨大な銀色の翼を休めていた。そして仇夢は自らの脳内よりイリューシンの脳、日立製の電子頭脳に行き先を告げた。
「東京(とうきん)」
消滅していた正解の文字が網膜上で再び点滅していた。
中国共産党上海空港の滑走路に引き出されたイリューシンはまるで巨大な怪鳥だった。
白亜紀の翼竜プテラノドンそのものの巨大な銀色の飛行物体だった。
その翼竜プテラノドン、イリューシンが格納庫から自動的に引き出されて先端部分から自動チェアを引き上げるフックの様な機械が下がってきた。
機内に入り自動操縦装置がオンにされると金髪の白人種エリカが透明な服を着て赤ワインのボトルを持ってやってきた。
仇夢は躊躇せずに抱き寄せた。エリカの体が崩れた。驚いた表情を一瞬見せたエリカが精一杯の愛想笑いを浮べたと同時に仇夢がエバの舌を吸った。
そして透明なスカートをたくし上げ背後から己のペニスを出産としては機能しなくなったエリカの女性器、紫色の陰毛に飾られている膣の入り口にあてがった。常にゼリーで塗れている膣の入り口から強引に自分の勃起したペニスでこじ開け挿入した。ペニスはスムーズにエリカの膣の奥に挿入された。
亀頭の先端がざらざらした膣内の壁を感じた。
仇夢は前後に腰を動かしてエリカの膣の肉壁の感触を更に確かめようとした。
そして最後に仇夢はペニス、亀頭の先端からカウパー腺に導かれて白濁した精液をエリカの膣内の奥に発射した。発射された精液は既に退化したエリカの子宮に達した。
エリカは痙攣しうめき声をあげるような仕草をみせたが言葉は発することが出来なかった。性交は単なる排泄としての儀式として行われた。
フライトは僅か三十分だった。イリューシンは飛び上がったと思うと直ぐに下がり始めていた。
気がつくと既に滅び去った中国共産党の属国である下等人民の国、倭国の空港羽田に着いていた。
雑草が生い茂る小倭国の厭らしい土地に着いていた。辺りに埃が舞い上がっている。空は抜けるように碧い。
自動チェアからは埃を防ぐ防御エアーが激しく発射され、仇夢の口元には自動的に防御マスクが装着された。
以前は中国共産党人民解放軍の基地として使用されていたこともあるこの羽田も今や既に廃墟でしかない。
遠くに母国の象徴である五星紅旗をつけた古代の鉄屑が見える。かつて汽車と呼ばれた原始的な美国人が発明した移動装置である。複数の人間を同時に運ぶことが出来るとは言え危険で無駄の多い原始的かつ幼稚な機械である。
そんな無数のくすんだ鉄の汽車の残骸が赤茶けた無残な状態で雑草の中に佇んでいる。
雑草の生い茂る滑走路を抜けて仇夢の自動チェアは大昔には何千万匹もの蟻のような倭人達によって繁栄していた街に出た。既に廃墟となって倭人は一匹もいない。下品な倭人の廃墟のビルが墓石の様に残っている中を仇夢の自動チェアは進んだ。
一時間ほど走ると赤い巨大なビルが見えてきた。仇夢の自動チェアは紅いビルを横切り小さな運河の傍にたたずむ古びたビルの前に止まった。
蔦の絡まっている巨大な建物だった。そのビルの壁に埃をかぶった銅版のプレートがあった。仇夢がその埃を手で取り払うとそこに文字があった。
「帝國ホテル」
帝國ホテル内のらせん状の廊下を自動チェアはゆっくりと登っていく、仇夢以外には誰もいない。
不気味なほどの静けさだ。頂上のペントハウスからピアノの音が微かに聞こえてくる。
微かに響くピアノの音はショパンのノクターンだった。
ノクターンに導かれる様に螺旋状の階段を上ると頂上に大きな部屋があった。扉は開いている。
山本は黒く光る木製のピアノに向かっていた。軽やかな音色が小刻みにピアノから流れていた。
山本はただ座っているだけだった。
ピアノを弾いている訳ではなかった。自動ピアノが鍵盤を勝手に上下して音を作りノクターンを弾いている。古代からある黒い自動ピアノだった。
山本が住む帝国ホテルのペントハウスの窓の外に柊の木が見える。遠くに蒼い山の峰が見える。
水が流れる音がする。ゆっくりと木製の水車が回って木製の木槌が緩やかに落とされた。
「仇夢だな」
山本が仇夢の方に向かってしゃがれた声で切り出した。
「どうして分かる、目がみえないのに」
「匂いだ。仇夢の匂いを感じる」
皮肉な笑いを浮かべながら山本は仇夢の方に顔向けた。整形手術を一切施していない顔は水分が抜け切り干からびた土の様だった。所々に黒い染みを作った頬は地上からの重力に逆らえず下にだらしなく伸びきっていた。
薄い唇の端には唾液が流れて閉じ合わされた両目に黄色い目やにが付いている。白い頭髪はほぼ抜けきり残った頭髪は肩まで伸びきっている。皮膚には幾つもの黒い染みがあり、顔そのものがまるで月の表面の様に見える。そして山本は古代の倭人が纏っていた黒い布を着ている。
「山本、元気そうだな。ところでもう何年生きている」
回りの空気すら乾いて干からびそうな山本に仇夢は切り出した。
「何年とな、さて忘れてしまったな」
仇夢の網膜上のスクリーンに九十五と数字が示された。
(俺と同い年か)
仇夢はしみじみと山本の顔を見た。
「なあ、山本。何故整形しない。何故人工皮膚に着替えない」
「偉大なる中国共産党主席仇夢。ぬし、そのような話をしにこの年老いた醜い肉塊に会いに来た訳ではなかろうが」
「山本、おまえこそが悪魔と言う噂が俺たち偉大なる中国共産党の中にある。本当の処はどうなのだ」
「偉大なる中国共産党員の皆様の中に俺が悪魔であるとな。では、俺たちいや、俺しか残っていないが倭人の俺にはおまえ、ぬし。仇夢が神だとの噂がある」
「神、馬鹿な、戯言は聞き飽きた。悪魔の山本よ」
「この山本が悪魔でぬしが神ならどうするね。仇夢よ」
「どうもしない」
「どうもしないし出来ない。まず話を元に戻す。俺はあることを知りたい」
「黒い石の話だな」
「何故分かる」
「そのヒントになるのはドールか」
「ぬし、牧場にいた三人の子供たちの話も聞いてるな」
「ファティマだな。何故分かる」
「この山本も同じ光景を見た」
驚愕すべき事実なのだろうが仇夢は冷静だった。相手は悪魔と噂される山本だ。自分の脳の中の幻影を見抜くなど簡単な所作に違いない。
努めて冷静に仇夢は言葉を続けた。
「余計な話をするな、山本。本題のエバのことを聞かせてくれ」
「エバの事か、さてはぬし。女を抱いたな」
「抱いて悪いか、家畜を抱いて。今度貴様を抱いてやろうか、山本」
「ぬしはこの老醜を抱くというのか」
仇夢には自分の酸っぱい胃液が食道に逆流してくるのを感じた。山本は醜い。余りにも無残に醜い。
腐った様な皮膚に卑しいほど小さな骨格。そんな山本との会話にここまで弄ばれている自分が仇夢は悔しかった。
仇夢は気を取り直して言葉を発した。
「そうだ、ドールだ。まず、新型のエバの事を知りたい。エバのオリジナル、マザーのいる高天原とやらは何処にあるのだ」
「高天原の場所を何故この山本が知っていると思う」
その通りなのだ。山本の言う通りなのだ。いきなり核心をつかれて仇夢はうろたえた。
自分の考えをみすかされた事にうろたえながら答えた。
「卑しい倭人の家畜の事は倭人の家畜に聞くのが正解たからだ」
「何故そのエバ。そのエバのオリジナルが倭人と分る」
質問に一瞬仇夢は更にたじろいだ。
そうだ何故エバのマザーが、オリジナルが倭人と決め付けるのだろうか。別の可能性があるはずではないか。
仇夢はその迷いを打ち消すように続けた。
「悪魔、いや山本、答えろ。おまえが本来俺より優れた脳を持っていることを悔しいがここで認めてやる。しかし脳、そして脳が蓄えた情報というものは自分ひとりが使うものではない。他人にも使う権利がある」
「名回答だ。さすが中国共産党北京大学の卒業論文で輪廻転生論を書いた仇夢だ。さすがだ。
ぬしは家畜の倭人の山本に問うている。この小さく卑しいそして愚かなる倭人に問うている。今の問答にぬしの網膜上のセンサーは反応したかね」
仇夢は答えられなかった。
しかし山本は間違いなく高天原の場所を知っている。仇夢は自分の考えを見透かされない様に大きく息を呑んだ。そして質問を変えてみた。
「なあ、山本、高天原に行ったことがあるのか」
暫くの沈黙の間、山本は顎に生える白い髭を皺だらけな右手で掻きわけてながら仇夢(あだむ)の質問への答え考えているようだった。
仇夢にとって山本といると、自分の脳までが腐ってくるようだ。激しい吐気すら感じる。
吐き気を感じても決して疑問に対する答えは見つからない。何故、醜いままいられる。何故美しくなれる能力や技術が確立されているのに醜いままでいる。何故自分と同じ様に美しく、そして若くなろう。若くいようとしない。何故、人工毛細血管と人工骨を移植しない。何故完全に計算されつくしたDNAから導かれた人工の分泌液を補わない。
何故、どうして人工冬眠しない。人類が科学文明で手に入れた最高の技術を使わない。いや本当は仇夢自身も既に答えが分かっているのだった。山本は緩やかに眠り。本来の命を全うしようとしているのだ。
そうだ永遠の眠りにつこうとしている。永遠の眠りにつくことが永遠の命に近づけるのだと言う事に気付いている。
山本は何の施術も施さない脳しか持たないくせに仇夢の気持ちを見透かした様にその皺だらけの唇を開いた。
「行きたいと思うがね。自分が行ったかどうか自分でも分からない。それより仇夢、再びぬしに聞く。何故わしを食わぬ」
苛立ちを押さえながら仇夢は再び山本に質問した。
「食うって」
「そうだ。食う」
「悪魔かもしれない山本を俺が食う」
「そうだ、何故食わぬ、お前たち中国人は人も女も食うたではないか。それがお前たちの文明ではないか。
富も資源もこの世の全て財産を食い尽くしたではないか。地上にウィルスを撒き散らして全て、民を滅ぼしたではないか。僅かに生き残った免疫のある人間を食肉として貪り食べ尽くしたではないか。
まさに輪廻転生を信じる民である仏を信ずる弱いが美しい心の、善良なる民の国、隣国のチベットを地震兵器で滅ぼし、世界で一番美しい白い肌を持つ女のいる国、俄罗斯 (ロシア)にもおまえたたちのウィルスで滅ぼしたではないか。
氷のツンドラの下に眠る資源を狙いウィルスを撒き散らして無垢の民を滅ぼした、
そして白い民の同胞の欧州を、天然資源に満ち溢れた黒い民の大陸アフリカにもウィルスを撒き散らしてを起こして資源を貪り食うたではないか、そして奢り高ぶったとはいえ自由の国、美国を民もろとも全てお前の姉は滅ぼしたではないか。
よもや忘れはしまい。ぬしらが悪魔よ。悪魔の化身よ。そして神に選ばれし我らが民、われら倭人までも全て食い尽くしたではないか。そしてこの地上の富をイナゴのようにはびこり全て食い尽くしたではないか。それに飽き足らず人類浄化などと悪魔の様な計画を更に実行して人類を食肉として食べたではないか。人類を食い尽くして食肉用人類のクローンを作った。クローン同士の共食いを今でもし続けているではないか」
山本は口から唾をたらしながら仇夢に話しかけた。
閉じられた目には涙が浮かんでいる。
「確かにウィルスは作った。俺達はお前たちを全て滅ぼした。それが俺たちの本質だからだ。我らが中華の特権だから、その特権は我々だけが神から与えられたものだからだ。そして神をも支配する地上最高の人民である中華、そう支配者の中国共産党人民解放軍の使命だからだ。
そうだ神も実はいない。何故なら我らこそが神に代わる存在だからだ。それが摂理だ。だからこそこの世には我ら中国人のみが生き残ったのだ。
旧約聖書で神が言った産めよ増やせよ、この地上に満ち溢れよと言った人口増加幻想こそが間違いだったのだ。この地上の人類の数は限定されるのがそもそもの前提なのだ。そして生存すべき人類は我らが中国人以外ない。我らこそが迷信の神をも超えた最高の存在、絶対の価値なのだ。分るか、神の国の民と自惚れながら、結果的に滅び去ってしまった倭人。愚かなる家畜の末裔に過ぎない倭人の山本よ。そして、もう一度おのれが作った言葉の無意味な羅列を考え直すのだ。さて、貴様の様な皺だらけの肉が美味いとでも思うのか」
「神がいなくて悪魔のこのわしがいるのか。さりとて古代では肉を干して食う習慣があったはずだ、知らぬ訳がなかろう」
「山本、貴様は自分が食えるとでも思っているのか」
「そうだ、悪魔の肉は美味いぞ」
古代人のごとく笑う皺だらけの薄い山本の唇から唾液が流れた。そして再び激しい吐き気が仇夢に襲ってきた。苦く酸っぱい胃液が食道を逆流し口からあふれてきた。
「仇夢、ぬし、黒い石の秘密、輪廻転生を本当に知りたいのだな」
仇夢は山本の言葉に苛立ちを覚えた。そして静かに、ゆっくりと一番肝心な質問。そうだ。この質問が一番肝心なのだと感じながら言葉をつないだ。
「その高天原とやらは遠いのか、方角はどちらだ」
山本が木製の椅子から立ち上がり右手を垂直に上げた。その体は驚くほど小さかった。指した右手の指先は天を指していた。山本がいるペントハウスには天井が無かった。そして山本の指先の方角には白く輝く満月があった。
帝國ホテルの螺旋状の階段を自動チェアで下りながら仇夢は思案した。
月に何かがあるのだろうか。
月は死の星に過ぎない。古代の星にしか過ぎない。何もない星だ。遥かかなた昔に月の回りを遊覧飛行する遊びがあった。ただそれだけだ。現代は脳の中にその映像を送り込めば、そんなことは簡単に出来る。今や古代の人工衛星などの塵の捨て場所にしか過ぎない。しかし行かねばならない。誰かが間違いなく仇夢を待っている。
月へ行かねばパズルは解けない。
仇夢にとってそれだけは間違いなさそうだった。幾つかあるメインコンピューターの一つファーウェイに解析させた最終結論も肉脳で仇夢が考え出した答えと同じだった。
自動チェアを羽田で待つイリューシンに向けた。そしてイリューシンの中から目的地を月にセットした。ヘリウムで膨らんだ銀色に輝く離陸用飛行船に支えられてイリューシンは羽田空港を垂直に離れた。そのまま地上二十万メートルの成層圏まで徐々に上って行った。
トンキンの荒れ果てた土地が氷河期の氷の世界の眼下に見えた。暫くして軽い衝撃がおこった。
そして離陸用飛行船が外された。ヘリウムを自動的に抜きながら離陸用飛行船が落下傘になって地上に下りていく。
気がつくとイリューシンの先端は真っ暗な闇の宇宙の中に突き進んでいった。
どれくらいの時間が経ったのだろう。短めの人工冬眠から覚めてまどろみの中で微かな衝撃を仇夢が感じるとイリューシンは月面のターミナルにその先端をつけていた。上空に無数の星が見える。背後に巨大な水の惑星、地球がその姿を地平線に見せていた。
氷河期に入っているとはいえ地球は確実に青く輝いていた。その姿は紛れも無く生命のある星、母なる惑星だった。仇夢の乗る自動チェアは何台もの他の自動チェアに乗る地上人を掻き分けてエアターミナルの中を突き進んで行った。
人工的に植えられた植物によって光合成が行われている月面には大気がある、幾ら人工的に大気を作っているとは言え、地上の楽園上海と比べると息苦しく感じる。そんな月に他の自動チェアの連中は大方、無益に長い人生の暇な時間を持て余して死の星、月に観光旅行に来たに違いない。
月面で愛玩用ドールを調達して今となっては既に排泄行為と快楽にしか過ぎない男性生殖器の女性生殖器への挿入行為、性交を繰り返して、その性交相手のドールに飽きたら食用として食べて又別の愛玩用ドールを購入する。月までやってきてやっていることは地上の上海国と全く変わりない。尤もその愚かなる行いによって仇夢の中国共産党がこれほど栄えているのだ。
ふと、仇夢が肉眼で前方に目をやると、ターミナルの奥に金属製で銀色に鈍く光る扉が見える。
扉がゆっくりと開いた。扉の背後から髪の長い小柄な少年が現れた。少年は痩せていた。
抜ける様な白い肌をしている。その顔の大きな目、長い睫を持った眼の視線は明らかに仇夢に向けられている。
大きな黒い瞳で仇夢をはっきりと見つめている。睫が長い。黒髪を後ろに縛り、見たことも無い白い布を身に纏っている。
この少年。いや、見たことがある。仇夢はこの少年を間違いなく見たことがある。スサノウだ。あの少年はスサノウだ。
確かに間違いなくスサノウなのだ。
何故自分はスサノウだと知っているのだろう。そんなことを感じながら仇夢の脳に妙な信号が浮かんだ。
その妙な信号はセンサーが感知しない。自分はエバのオリジナルを探しに月に来たのではない。そうだ、この少年、この美少年のスサノウに仇夢は会いに来ているのだ。しかしこのスサノウは網膜内の日立のセンサーか、ファーウェイのメインコンピューターに画像を送り分析しても世界中のクローン登録にも全く存在しない顔だった。それはこの世の物とは思えない程目鼻だちの整った完全な左右対称の美しい顔だった。
そして仇夢は間違いなくこの少年をスサノウだと知っているのだ。
スサノウの美しさは尋常ではない。整形を施したドールでもこれほどの美しさはない。仇夢のペニスは勃起した激しい射精欲が全身をつつんだ。直ぐにカウパー腺が亀頭の先端から溢れてきた。
スサノウと性交がしたい。なんとかスサノウの体の中に己の精液を注ぎこみたい。激しい劣情から思わず体が自動チェアから離れようとなった。しかし肉体が動かない。いや違う。
動かないのは肉体ではない。全てだ。全てが動かない。周りの他の全て自動チェアも止まっている。金属の壁の至る所にあるモニターに貼られている看板、たえず映像が変化しているはずの看板の映像が止まっている。ターミナル内に自動的に保たれいるはずの空気そのものが動かない。
微かな意識だけが脳の奥の意識だけ、いや仇夢の魂だけが微かに、そして確実にこの少年を感じている。
時間だ。時間をスサノウは止めている。美少年スサノウからの視線に反応し仇夢はたまらなくなって射精した。そして仇夢の意識は薄れていった。
再び人工冬眠に入っていった。今回の人工冬眠は仇夢自らが望んだものではなかった。
仇夢はふと気が付いた。意識がぼんやりとしているが自分が古代の女性が着る青い絹の着物を着ている。
前に三人の子供たちがいる。三人の子供たちは怯えた様に仇夢、いやスサノウを見ている。
以前見た映像だ。
スイッチを入れていないのにファーウェイのメインコンピューターが勝手に作動して仇夢の口から音声が発せられた。その音声は仇夢の記憶にある自分の声ではない。
はるかにヘルツが高い声だ。それがスペイン語であることをファーウェイのメインコンピューターは瞬時に解析した。
「人々は罪を重ねるだろう。そして何万いや何百万と言う罪無き子供たちが命を落とすだろう。しかし誰もその罪を裁くことが出来ない。新たなる世紀の始めの年に裁きの日が訪れる。裁きの日が訪れた時にドラゴンが現れる。誰もドラゴンの出現を止めることが出来ない。ドラゴンはその口から火を吹く。その火は大地を震わすだろう。そして罪ある者も罪無き者も全てを焼き尽くす。
そうドラゴンがこの世界を焼き尽くす。ドラゴンが吹く火によって海は水蒸気をあげて雲をつくるだろう。そして龍の口から放たれた毒で汚された雨を地上に降り注ぐだろう。その雨は全ての民の命を奪うだろう」
ファーウェイのメインコンピューターから音声が発せられた。またしても同じ幻影が網膜上に再現された。
三人の子供たちは恐れおののいて仇夢の言葉を聞いていた。映像はそこまでだった。仇夢は更に深く人工冬眠に落ちた。
人工冬眠はそれほど長いものとはならなかった。日立製のセンサーに信号が送られてきて網膜上に又映像が蘇ったのだった。そして鼓膜にどこかで聞いた声が蘇った。
「仇夢」
「誰だ」
「仇夢、目覚めよ」
「誰だ、おまえは」
「倭人よ」
「山本か」
「ぬし、スサノウに呆けたな」
「スサノウ」
「そうだ。あれがスサノウだ。仇夢、本当の悪魔とはあやつだ」
「悪魔」
「そうだ。わしはあやつの手先にしか過ぎぬ」
「手先」
網膜上に山本の姿が映し出されてきた。そしてゆっくりとゆっくりと人工冬眠から仇夢は目覚めた。
「そんなことはどうでもいい。山本。奴は何故あの龍の話をした。話をしたのは俺か、それとも」
「龍がどうした」
とぼけた様な山本の答えを聞きながら仇夢は山本の姿を見て驚いた。
「山本、おまえ手術をしたのか」
そこに仇夢の知っている山本の姿なかった。
それはかっての醜い盲目の老いさらばえた肉壊ではなかった。どう見ても十代後半にしか見えない美くしく生命力に溢れた少年がそこにいた。
山本は二本の足でしっかりと仇夢が座る自動チェアの前に立っていた。
「いや、手術はしていない」
「では、何故だ、何故その姿なのだ」
「亀だ」
「亀」
「そうだ。亀」
「亀がどうしたのだ」
「亀に乗ったのだ」
「亀に乗った」
「そうだ、亀に乗ったのだ。スサノウの姉が操る亀だ。卑弥呼が亀の甲羅を貝で割る。やがて亀は黒くなる。そして未来を占う、スサノウの姉がだ」
「スサノウの姉が」
「そう、その亀に乗ってスサノウのいる国まで行った。旅をした。そうさ。旅だ。旅をした」
「旅って」
「そう旅だ。ぬしが行きたがってやまない高天原への旅だ。黒い石を手に入れる旅だ」
「高天原へか。高天原は何処にある。お願いだ。教えてくれ山本。高天原はどこにあるのか。どうしたらその高天原に行けるのか。山本おまえが行けるなら、この俺を連れて行ってくれ」
「仇夢よ。ぬしらしくないな。高天原はぬしが惚れた少年のところだ。そこが、そう人類全ての故郷だ」
「故郷」
「そうだ。故郷」
「高天原か」
「そうだ高天原だ、古代の毛猿どもはエデンの園とも呼んでいたがね」
山本は仇夢に答えた。山本は少年と言うよりむしろ幼い子供のようにすら見える。
「スサノウがいる高天原」
「そうだスサノウだ。スサノウがいる場所だ」
「エデンの園、高天原は何処にある」
再び少年の山本の右手を真っ直ぐにあげた、右手の指先は再び天を指していた。
「ぬしが捜しているエバのオリジナルは高天原にある」
「高天原」
「ぬしが高天原の場所を知りたいと願うから、高天原にいるスサノウが現れたのだ」
「高天原は遠いのか。高天原はこの月にあるのではないのか」
「高天原は月にあるともないとも言える。しかし確実にこの月から行ける、ぬしも行くことが出来る」
「高天原は別の星なのか、すると月の惑星なのか」
「高天原は月の惑星ではない、全く別の世界だ」
「別の世界」
「いや、世界と言うより空間と言った方がいいかもしれない。星ではない、誰かが作った空間だ。もしかすると月の裏側に作ったものかもしれない」
「作っただと。月に」
「いや月に作ったと言っても我々人間が作ったものではない」
「では誰が作ったのだ」
「分からん。いや、まずその空間、高天原。別名をエデンの園。そのエデンの園があって、我々がそこから追われたのだ。追放された理由はドールの罪。そうドールの罪で我々はそこを追われた。
そしてエデンの園を産んだ母なる星は廃墟の星となり、そして月となった。そして月は自らを廃墟の星となることを厭わず己の最後の力を振り絞り我らが故郷の地球を産んだのだ。それが全てだ。物語は全てそこから始まる。そしてそこに戻る。それがぬしらの言うゲームだ。そう、そしてぬしらの好きなパズルの答えだ」
仇夢の頭は混乱してきた。
アクセスをしている自動メインテナンスが施されているファーウェイのメインコンピューター頭脳も解析が出来ない。全く答えが出ない。コンピューターは別のバックアップ、レノボにもアクセスしている。しかし全く答えが出ない。
「もう一度聞く、教えてくれエデンの園でも高天原でもいい、それは何処にある、山本の指差す天の何処にある」
「だから、ぬしが行きたいと思えばそこが高天原なのだ」
行きたいと思えば、何処かで聞いた言葉だ。いや絶対に聞いている。そうだ息子の安鈴が仇夢に言った言葉だ。仇夢はそう思った。
その後仇夢は安鈴には会っていない。
どうしているだろうか我が息子の安鈴。仇夢は再びファーウェイのメインコンピューター頭脳にアクセスして記録を確認してみた。
いきなり中国共産党総書記室の加員が現れた。
加員は総書記室の大きな机で自動チェアにふんぞり返っていた。
「仇夢父さん、忘れたのですか」
「忘れた、何をだ」
「安鈴は死んだんですよ」
「死んだ」
「死んだと言うより死ねたと言った方が正しい言い方かな。しかし全く馬鹿な話だ。自然死だと。脳の記録をファーウェイかSONYの最新メインコンピューター頭脳に移して自分のクローンの脳に移し変えさえすれば、いつの日か蘇る事も出来たかもしれないのに、それさえせずに死んでしまった。本当に馬鹿な奴だ。訳の分からないことを唱えて自ら滅び去っていった」
「加員、安鈴は何処かへ行くと言っていたはずだ」
「何処へ。ああ言ってましたよ」
「高天原か」
「そう、そう。そうです。高天原へ行くって言ってましたよ。全く馬鹿な話だ」
映像はそこで消えた。そして網膜上の映像が切り替わった。そこは華やかな中国共産党謝肉祭の風景だった。
人が死ぬと施される中国共産党謝肉祭。死んで滅びた肉体を小さく切り刻み、葬式に参列した者に饗される儀式、そう葬式だ。いわば死肉の食祭だ。
何百、いや何千台もの自動チェアが集まっている。全ての中国共産党員の参列者が黒い喪服を着ている。その自動チェアの合間を黒いリボンと透明な衣服に髪と陰毛を黒く染め直された何匹ものドールがワインやつまみを運んでいる。
辺りをホログラフの何万と言う数の黒いカラスが飛び交っている。そのカラスの下でドールのエバの解体が行われている。年老いて死んだ人類よりも新鮮なドールの生肉の方が何倍も精がつき美味いということを参列者は知っている。金属製のベッドに縛り付けられているエバに喉にロボットアームの巨大な包丁が叩き落された。血しぶきともに笑顔のままエバの頭部が勢い良く仇夢の 方角に飛んできた。自動チェアのセンサーが瞬時に反応して自動チェアの前面に金属製のシールドを立てた。ドンと鈍い音がして頭部が床に垂直に立った。
胴体から切り離された顔の表情は笑顔のままだった。ロボットアームがが切断されたエバの頭部に電磁メスをあて一本の横線を引いて頭部を切り開いた。ロボットアームは電磁メスで脳の奥の部分を切り開いて行った。僅かな血しぶきが出てエバの白い前頭葉が現れた。すかさず自動チェアに座っているそばの男が生の前頭葉をほうばった。前頭葉を奪われたエバは相変わらず笑顔を浮かべたままだった。
中国共産党謝肉祭の会場のその奥の真っ白い空間に巨大な舞台が設けられている。
その舞台の上に青白い安鈴のホログラフが現れている。ホログラフの龍 安鈴自ら挨拶をしている。
「お集まりの誇り高き中国共産党員同志の皆様、ご列席の皆々様、この度旅立つ事が許された安鈴であります、生前は党員の皆様に言葉に尽くせぬご厚情を賜り、誠に感謝にたえません。ここに安鈴、新たなる旅立ちの日を迎えました。おのが安鈴の肉体が滅びようとも我が中国共産党は永遠に不滅です。党は国家を超えた存在です。人類が作りえた最大にして最高の組織であり家族なのです。
中国共産党こそが至上の救世主なのです。未来永劫我が中国共産党はこの地上に栄えていきます。我々はクローン技術の最大の問題点、即ち母体からクローンにする際の内臓の拒絶反応を完全に除去した人類最初の組織であります」
安鈴はあたかも生きているがごとくホログラフの立体映像となって謝肉祭の会場の正面に備えられた舞台の上で演説を続けている。
その声は明らかに高揚している。
「我が中国共産党こそが完璧な計画人造をが可能にしたのです。計画人造こそが人口統制につながったのです。現在この地上には選ばれた極めて健全なクローン男性人類一億しか存在しない。
あとは愛玩用家畜であり食肉としてののドールが数億匹生きているに過ぎない。確かにそれは余りに長い人類の愚挙の繰り返し、富の奪い合いによって幼い子供までを殺戮する様な戦争の繰り返しの悲劇の何千年の歴史を経て最後に我々中国共産党によって最後にやっと到達することが出来た理想社会の入り口なのです。
中国共産党こそ、我が中国共産党こそが世界中人類に飢えることのない世界をもたらした。殺し合いと言う戦争の無い平和で豊かな人生を誰もが、いや産まれることを許された誰もが感じ取ることが出来る理想社会、西洋の民が夢にみたアダムとエバが神によって追われたエデンの園、理想郷である地上の天国を作り上げたのです。迷信や科学的無知が生む宗教。宗教革命を経て神からの束縛から人類が開放されたにも関わらず更なる幻影の幻想にしか過ぎない宗教に惑わされることなく克服し、この地上に楽園、生きながらにして我々は神の国を築くことが出来たのです。
ここにおいて我々は神を超えたのです。人類が到達すべき最後の場面に近づいたのです。原始共産主義を経て部族間の恐ろしい殺し合いに過ぎない戦争。そして産業革命と資本主義。
理論的には机上の論理としては完璧に素晴らしいマルクスによって作られた共産主義思想。
それを基に我らが先祖毛沢東同志によって始められた古代共産主義を経て我々新中国共産党がこの理想社会に辿り着いたのです。
とにかく、祝おうではありませんか。再度申し上げます、誇り高き中国共産党員の皆様。そして我らが神を超えた党と完全に人口が統制された理想社会を作り上げたのです」
喪章をつけた男達が自動チェアで集まってくる。
「偉大なる中国共産党の皆様、我々が遂にこの人類、即ち選ばれた民。中華の世界で頂点にたったと言う素晴らしい報告を今まさに自分の声で発声出来るということを誇りに思うのであります」
安鈴の声は会場となったペニンシュラホテル上海の外まで響き渡った。ホログラフの安鈴の演説は更に終わり無く続いた。
「我々は人類を造ると言う能力を手に入れたのです。遥か昔に高慢ちきな英国人どもが実験を始めた。高慢ちきで下品な英国人によって始められたと言う事ははなはだ我々の誇りを傷つけますが我々こそが人工的に人を子宮外で製造する完全にして完璧なクローン技術を開発したのであります。卑しい奴隷に過ぎないドール、本来は食肉にしか過ぎないドール。そんな奴隷の身分にしか過ぎない女の子宮でしか受精出来なかった人類。その為に人類の排泄欲、射精欲によって増え続ける宿命を背負ってそまった愚かなる古代の民、そしてその増え続ける民、滅亡に向かう民を救うことが出来たのが、そう我らが偉大なる仇夢が創業した中国共産党なのです。
人類を我々の裁量で計画的に生産することが出来る神の技術を手に入れることが出来る様になったのであります。我々は何千年以上の間互いに憎しみ合い、殺し合い滅ぼしあってきました。
何故でしょうか。何故我々は同じ人類なのに殺しあわねばならなかったのでしょうか。その様な殺戮の時代を何千年も経て英国が十八世紀に産業革命を起こしました。あのアヘン戦争と言う策略をしかけた、いやしくも下劣な毛唐に過ぎない英国がです。その英国によって今までは人力や水力、風力などの極めて脆弱に過ぎなかった動力に石炭、そしてやがて石油という化石燃料によって人類は高度な文明を築き始めました。それは忌まわしい宗教と言う麻薬を前提にした西欧で起きたことがまるで歴史的皮肉でしかありません。そうなのです本来は文明の祖、黄河の源に人類最初の文明を築き上げた我が国で起きるべきことだったのですが、しかし残念ながらそうはならなかった。そして二十世紀となった。
産業革命の息吹は更に進んだ。皆様、一つ問題を出してみましょう。二十世紀即ち千九百年初頭の人類の人口。地上にいる人間の数は何名であったことを。分かりますか」
ホログラフの立体映像の安鈴の演説に場内が微かにざわめいた。
「静粛に。答えてしんぜましょう。十三億であります。この十三と言う数字を党同志の様の頭に刻んで欲しいのであります。この十三と言う数字は滅び去った愚民。そう西欧人、キリストを信じている愚かなる古代の西欧人が忌み嫌う数字でございます。そうイエスを含むイエス キリストの弟子の数であります。そしてその十三億の人類が百年後の二十一世紀に何人になったかを分かる方はいらっしゃるでしょうか」
一瞬の間を置いて安鈴が続けた。
「六十七億です。僅か百年、そう人の寿命の百年間に実に五倍以上に増えたのでした。これは何を意味するか分かりますか、これは普通の情報ネットしか持たない皆様、いやこれは大変失礼な発言なのですが、この安鈴の 最初にして最後の中国共産党謝肉祭ということでご容赦願いたいのですが極めて回答困難な質問であります。そしてご来場の中国共産党同志の皆様がお分かりにならなくても無理も無い事だと思います。これぞ物事の本質なのです。不要な命の繁栄こそが文明を終わりに近づけたのです。人口の爆発的な増加こそが帝国主義の勃発の原因なのです。軍事力と言う暴力を持った国家が弱い国に攻め弱い国の民を奴隷にして自国の利益だけを望んだ。
暴力のある国、国家が弱い国の富を奪い去ると言う恐ろしい世の中。時代になったのです。悪魔の時代が人類に訪れたのです。その象徴として欧州ではナチスが現れました。あのヒットラーです。そしてナチスを真似た卑しく小さな倭人の国。我が国の属国に過ぎなかった倭人の国でもヒットラーを真似たファシストが現れました。そして小さく愚かな倭人のファシスト。卑しい邪念に満ちた愚かなる倭人ども、魔女と契約したあの愚かなる倭人どもが我が国に攻め入ったことがあるのです。あの小さく愚かで卑しい倭人達までもが偉大なる我が国の領土。この偉大なる中国人の愛すべき領土に攻め入り。あろうことか言うのも忌々しい満州と言う倭人の偽造国家を作ったことすらあるのです。ほかにもいやしき欧州の毛の生えた蛮族が偉大なる国家、中国に攻め入ったこともあるのです。何故こんな理不尽なことが起きたのでしょうか。それは全て人口の爆発的な増大により引き起こされたのです。増えてはいけない蛮族、そして倭人によって人類の不幸がおこされたのであります。不要な種族、ゴキブリに等しい倭人そして散漫な美国や欧州にいた蛮族。この不要な命の繁栄がこの地球環境の破壊を助長し、全ての民の共通の不利益になったのです。そうです。命は神ではなく、この我ら龍一族率いる中国共産党によってのみ統制されるべきなのだと。
そう我々が気づいたのです。そこで我らの偉大なる始祖達が人類の浄化につとめて現在の人口一億にウィルスを用いて統制することに成功した。その始祖こそが我が父にして新生中国共産党の中興の祖、仇夢、今ここにいる仇夢の北京大学最高の論文、輪廻転生論なのです」
拍手が起きた。自動チェアに乗っている男達がいっせいに仇夢の方に振り向いた。
さらに安鈴は続けた。
「人類の支配者中国人を束ねる中国共産党によって人間の総数は一億に統制されねばならない。これこそが人類の最後の革命なのです。戦争と言う殺し合い、他人の財産、命の奪い合いによって統制するのではなく、最初からこの世界に生まれる人口の統制。
人間の数をウィルスで一億に統制すること。これこそが全ての鍵なのです。それこそが英知、智恵、ソフィアなのであります。人口統制こそが正しく適切な文明の繁栄をもたらすのであります。その為にこそ、快楽と食用のみの性交用の奴隷ドールエバを生産することが我々の智恵であり、正義なのであります。そして全ての無秩序から開放されて、素晴らしい世界が今皆様に訪れたのであります。その理想社会を更に発展させることこそ我々中国共産党の使命なのであります。そう我ら中国の最後にして永遠の人類である中国共産党の使命なのであります。皆様の今後のご努力を天高く高天原からこの安鈴、永遠の命を持って見続けたいと思う所存であります。
本日は何の御持てなしも出来ませんが我が安鈴の肉体を思う存分食して頂き、生前の皆様のご厚情に応えたいと思います」
ホログラフの立体映像として演説している安鈴の亡骸は既に解体されて脳だけがセラミックの頭蓋骨から外されて食卓の上に置かれていた。仇夢の自動チェアが何百台も連なる自動チェアを書き分けながら斎場の中に入って行く。あちらこちらで女体の解体ショーが行われている。血貫きされた冷凍されたドールがロボットアームのレザーメスですばやく解体されていく。一瞬にして刺身の切り身となったドールの赤い肝臓をすする男が見える。串刺しになった眼球をほおばっている男はドールの血液から作られた真っ赤なワインで眼球を飲み込んだ。
また謝肉祭の中央部に黄金色に輝くドールの丸焼きがゆっくりと回転している。肛門から口に真っ直ぐに銀色の鉄の串が刺し貫かれて下から松明の炎で焼かれている。あたかも野趣溢れる豚の丸焼きの様であった。煙とともに串 焼きにされているドールの肉体の表面は茶色の飴色に輝き、えもいわれぬ香ばしい匂いを辺りにまいていた。その匂いに誘われる様に群がる男達が舌なめずりをしている。
加員が目ざとく、仇夢に気づいて肉声で声をかけた。
「仇夢父さん、まだ安鈴の前頭葉が残っているよ」
白い食卓に残る塩漬けの安鈴の脳は桃色をしていた。皿に備えられている銀のスプーンですくって口に運んでみると、薄い塩味の肉の甘みが口いっぱいに広がった。
「安鈴は馬鹿だよ」
同じく安鈴の前頭葉の肉を法張りながら加員が切り出した。
「馬鹿とはなんだ。仮にも党同志であり、おまえの実の兄のクローンではないか。あれだけの演説が出来る奴はそうはいない」
「演説ではああ言っているが、とにかく、人工冬眠を嫌っていた。せめて人工冬眠でも一年のうち半分でも過ごしていれば、まだ十分脳は生きることが出来たのに」
「確かに人工冬眠を嫌っていたみたいだったな」
「そうなんだ、理由が分からないが。のべつまくなしに亀の形をした黒い石、永遠の命の話をしていた」
「亀の形、黒い石、永遠の命の話」
「そう、その黒い石、永遠の命が高天原に行けば手に入るって。そんなことを言って、とにかく高天原へ行きたがっていた」
「高天原はどこにあるか安鈴は知っていたのか。高天原に行けといったのは加員、おまえではないのか」
「自分がですか、もしそうだったらどうします。何れにせよ、仇夢父さん、自分が知るはずがないじゃないですか、そんなものある訳がないんだから。それより仇夢父さん、山本、例の悪魔の山本に会ったんですか。やはり噂どおり山本は悪魔なんですか」
「悪魔、悪魔だと、あんな者はただの老いぼれだ」
そのとき仇夢の網膜上に予期せぬスパークが走った。それは電流の火花だった。網膜上におきたのか現実の空気内で起きたのか仇夢にも誰にも分からなかった。仇夢の視線の先に先ほど前頭葉を食われたエバの頭部が見える。
毛髪はロボットアームの電磁メスでそられ、脳漿も前頭葉も綺麗に食されている。頭蓋骨は空洞となっていて目は閉じている。仇夢は脳を食われたエバを見てふと眩暈がおきた。微かに目を閉じた。そして目をあけると。脳を食われたエバの頭部が消えていることに気がついた。
脳を食われたエバの頭部が本来おかれている筈の食器、既に何も置かれていない食器が置かれている白いテーブルクロスが掛けられている食卓の傍に小柄な少年が立っていた。
スサノウだった。スサノウの顔は頭部と胴体を切断されたエバに似ていた。
いや遥かに美しい容姿を持っていた。スサノウはエバの一種なのだろうか。いや違う。エバではない。いや明らかに人工ではない。天然の持って生まれた真っ白な皮膚の神々しい、この世のものとは思えない美少年だった。
人工骨格を移植していないためドールよりも小柄な背丈しかない。背中に見たことのない金属の棒の様な物。いや剣だ。剣を背負っている。エバだろうと他のドールではこの美しさは出せない。下等で下品な家畜兼性交奴隷に過ぎないドールではここまでの美しさは出せない。そしてこの美少年は何故か奇妙な白い布を纏っている。この布は見たことがある。
山本だ。山本が纏っていた布だ。何故だ。何故山本が着ていたのと同質な布身に着ている美少年が仇夢の網膜上に現れる。
ゆっくりと肉眼で確認してみると確実にその美少年は加員の自動チェアの横に立っていた。
「おまえ、山本か」
仇夢はその雅やかな美少年に聞いてみた。
少年は答えなかった。口元に笑みが見える。
その笑みは神々しい様な笑みだった。なんとも言えない衝動が仇夢の脳におこってきた。それは不可解な感情だった。現代人にはあるはずがない感情が沸き上っているのを仇夢は感じていた。仇夢の脳から放たれた情報が東芝製の解析機は正確にそれを分析していた。そして仇夢はその情報を払いのけながらスサノウに問うてみた。
「お前は誰だ」
Who are you?
脳のメール機能が全て反応して前方に立つスサノウに飛んでいった。
What is your name?
仇夢の質問に美少年はにやり口元で笑い答えた。
「我が名はスサノウ」
少年はそう名乗り、一歩前に出た。不思議なことに明らかに肉眼で確認されているにも関わらず自動チェアに座る加員達の幾人もいる男たちやドールがこのスサノウと名乗った少年に気づかずに完全にその動きを止めていることだった。確かにこのスサノウと仇夢以外の全ての動きが止まっている。いや、動きだけではない。空気すら動かない。時間だ。
時間の動きが失われている状態になっている。周りがまるきり動かない状態、そうだ。これは間違いない確かに時間が止まっているのだ。時をスサノウが止めていることをこの時初めて仇夢は気がついた。
「スサノウ、おまえはどこから来た」
聞きながら仇夢は生まれて初めて自らの脳内に湧き上がった感情に気がついた。
それは今までになかった感情だった。そしてそれは抑えきれない激情だった。ただの射精欲、排泄欲とは異なる感情だった。それは「恋情」と言う感情だった。なんとしても仇夢はこの美少年に触れたい。
何としてもその唇を己が唇で塞いでみたい。その舌先の湿り気、ぬくもりを自分のものにしたい。緩やかにペニスに血液が流れていき亀頭が血液でふくらみ勃起が起きた。カウパー液が緩やかに尿道からあふれてきている。その亀頭の先をスサノウの肉体のいずこでもいい、つないでみたい。その思いが爆発しそうなほど仇夢を包んだ。その時、スサノウは右手で背中の剣を抜き去り垂直に差し上げしながら宙に浮いた。そして仇夢に剣を向けて空を切って飛んできた。スサノウが着ている白い布が翻った。
一瞬にしてスサノウの半開きの唇が仇夢の唇に重なった。
ざらっとした舌先が仇夢の舌先をまさぐった。
それはほんの一瞬だったが、しかし永遠のごとく時間は完全に止まった。温もりと湿り気を感じた。それは悪魔との接吻だった。そして同時に仇夢は一気に射精した。
そしてスサノウは生暖かな温もりを確実に仇夢の舌に残した。気がつくとスサノウは消えていた。舌に残る湿り気と微かな感触は仇夢を狂おしい気持ちにさせた。
仇夢は連続して射精した。
再び目を閉じて仇夢はセンサーを使わず自分の脳で考えてみた。しかし答えは出なかった。
目を開けると年老いた元の老醜に満ちた山本が仇夢の自動チェアの前に木の椅子に座っていた。
仇夢は全ての問題を整理してみた。
自分はスサノウに二度会っているのだった。
しかも二度とも初めて会った印象しか持てなかった。
そして二度とも射精した。そして激しい恋に落ちている。
スサノウの肉体に己をつなぎたい。そしてつないだ状態で己の精液をスサノウの美しい肉体の何処でもいい。肛門でも口でもいい。いや目でもいい。己の勃起したペニスを差し込みたい。そして己の欲望の化身、精液を注ぎ込みたい。人工海綿体を埋め込まれた龍 仇夢(あだむ)のペニスは激しく射精を続けている。自動チェアに備え付けられている予備のタンクから無限とも思える人工精液が仇夢の陰嚢に注ぎ込まれてきている。気がつくと自動チェアの前にいるはずの山本は姿を消していた。
その時初めて仇夢は気がついた。自分が月面にある中国共産党の巨大な倉庫の中にいることを。山本は何処に行ったのだろうか。
トンキンの帝国ホテルに戻ったのか。 いや、醜く腐った肉壊の年老いた山本が本物なのか、それとも神々しい美少年の姿が山本なのか。その美少年の山本がスサノウなのか。いや、違う。スサノウは山本ではない。スサノウはスサノウだ。
しかし、スサノウに辿り着くのには山本まで戻らなければならない。
何故。何故だ。何故自分はスサノウに会わねばならないのか。何故。エバのマザーを探しているのではないか。エバ、安鈴、山本、そしてスサノウ。
「亀だ」
仇夢は 思わず口にした。山本は亀に乗ったと言った。年老いた老醜の醜い肉壊に過ぎなかった山本が亀に乗ることによって美しい少年に戻った。そうだ。間違いない。
では、その亀はどこにある。どこに亀があるのだろうか。その場所をまず見つけなければパズルは解けない。亀に辿り着かねば黒い石の謎が分らない。そして人ではなく場所でこの黒い石、そして亀の問題を解析してみなければならない。ゆっくりとゆっくりと仇夢は問題を整理してみた。上海、トンキンにある帝國ホテル、月、高天原。
四つの場所の内、どこかが共通の場所なのだ。そうだ。間違いない。
名前だけが違うのだ。考えるのだ。
考えるのだ。今、自分が何処にいるのか。月だ。月に謎を解く鍵があるのはどうやら間違いない。それが証拠に山本が右手で天を指差していた。山本が指差した先は二度だ。月でも天を指差したのだ。それが先ず回答だ。その指先に。高天原だ。
高天原は極めて死の国と呼ばれる黄泉の国に近い。それは間違いない。では、高天原が黄泉の国なのか。日立の電子頭脳もファーウェイも答えない。グーグル検索機能でもヒットしない。仇夢は思考を止めた。
再び自動チェアを愛機イリューシンに向けた。月面上空十万メートルまでとイリューシンの電子頭脳に指令をだした。
中国共産党の月面倉庫から再びターミナルを抜け月面格納庫に戻ると巨大なイリューシンが仇夢を待っていた。イリューシンの脇に一匹のドール、エバがいた。イリューシンの中で飼っているドールではない。間違いなく別のドール、エバだ。何処かで見たことがある。その顔の中にかすかにある共通項を見出した。それは狂おしい程の激情を起こした。スサノウだ。スサノウの血を引いている。あのドール、エバはスサノウとつながっている。
(そうか、あのエバのマザーはスサノウなのだ)
歓喜が仇夢を包んだ。
自動チェアのギアをマニュアルでシフトアップして最速モードでイリューシンの脇に立っているスサノウに似たドールめがけて仇夢は突き進んだ。もう少しだ。もう少しで、あのドールに触れる。あのドールを背後から抱き己のペニスで貫くのだ。膣の奥深くに挿入して射精するのだ。あのエバ、スサノウと繋がるドールの膣でなくても口でも肛門でも、たとえそれが本物のスサノウでなくても、そうすることによって、己の満足が得られるのだ。猛スピードで仇夢の自動チェアはイリューシンに向かっていた。バウン。と激突音が響いた。
仇夢の自動チェアがイリューシンの尾翼の下の金属製の車輪カバーに激しく激突した。金属と金属がぶつかり合い。激しい火花が上がった。そして僅か数千分の一秒の瞬間に危険を察知した自動チェアの電子頭脳から指令が出されて仇夢の肉体が垂直に空中に放り出された。巨大な月面格納庫の天井近くまで仇夢の肉体が舞い上がった時、格納庫の銀色の天井近くで真っ白い大きな花が咲いた。パラシュートだった。
仇夢の背中に供えられているパラシュートが空調の整った月面の格納庫の天井近くで花開いたのだった。ゆっくりとゆっくりと気を失った仇夢の体が地上に降りてきた。
別の自動チェアが何処から出てきて地上で空中からゆっくりと落下してくる体をスッポリと収めた。格納庫の床にだらしなく広がった真っ白いパラシュートの布がスルスルっと自動的に仇夢の背中に備え付けられいる袋に戻った。
自動的にファスナーが閉まり、何事も無かった様に別の自動チェアはイリューシンの下に向かった。イリューシンから既に扉の開いたエレベーターが下りてきて自動チェアをその中に迎えた。何処からか機械、自動ハンドと車輪を備えた機械が現れてイリューシンの尾翼の下のまさに仇夢の自動チェアが激突した箇所を修理し始めた。
仇夢が見たエバは何処にか消えていた。イリューシンの機内に戻った仇夢は何も分からなかった。分かるはずが無かった。仇夢は気を失ったまま再び人工冬眠に入っていたのだった。
どれくらい眠ったのだろうか。網膜上のスクリーンに再び山本が現れた。やはり年老いた山本ではない。瑞々しい肌をした美少年に蘇った山本だった。黒い布を身に纏い、スサノウと同じように剣を背中に背負っている。山本の唇が動いた。
「仇夢、聞こえるか」
「聞こえる」
人工冬眠の最中、意識の奥で仇夢は山本に答えた。
「問題を最初から整理してみよう」
「問題を」
「そうだ問題だ」
美少年の山本は諭すように仇夢の網膜上の画面に映像を送ってきている。山本の背中から得たいの知れないエネルギー立ちこめている。それは山本を包むように妖気のごとく、いや間違いなく妖気だ。圧倒的な妖気のエネルギーが仇夢に達してきている。その妖気に逆らうだけのパワーを人工冬眠中の仇夢にはなかった。網膜上に幾つも光がスパークした。
「続けてくれ山本」
消え入りそうな声で仇夢がゆっくりと切り出した。
「何を」
「山本、説明してくれ」
「説明ね」
美少年の山本の口元に皮肉な笑みがうかんだ。
「先ずは山本。まずは最初からだ。新型のエバとは何だ」
「兵隊のことだ。邪悪なぬしらの世界を滅ぼすためにはるか古の時代から氷の世界に生き続けている」
「滅ぼす」
「そうだ。滅ぼす。神を信ずることのない愚かなぬしら。中国共産党を滅ぼす」
「その兵器のエバは言葉を話すことが出来るのか」
「話すことも考えることも出来る、いや蘇ることすら出来る。ぬしらを滅ぼして新たなる世界を作るために蘇る」
「蘇る」
「左様、蘇る」
「どうしたら我らは滅びから救われるのだ」
「スサノウに救いを求めるのだ」
「スサノウ」
「ぬしが恋焦がれる者だ」
「スサノウ」
「そうだスサノウとだ。悪魔のスサノウとだ」
「スサノウは時間を止めて現れた。スサノウは本当に悪魔なのか。いや悪魔でもいい。スサノウが我ら中国共産党を救うのか」
「そうだ」
「どうしたら俺はスサノウにまた会えるのか」
仇夢は懇願した。
「スサノウはぬしが会いたいと思えば会える」
「何処でだ」
「高天原」
少年に姿を変えた山本が表情を変えずに切り返した。
「高天原か」
スサノウは時間を止められる、しかしそれは現実なのか。本当は止められないのではないか。いや確かに仇夢の前で止めて見せた。
仇夢に接吻をした。しかし、それなのに、現実ではないのかもしれない。何故ならスサノウが時間を止めたのは仇夢の脳の中にある記憶と記録の中の映像の中にしか過ぎない。あれは現実なのか幻なのか。いや現実に相違ない。
実際に起きたことを自分の仇夢の脳が記録しているからだ。どうやっても、いかなる、どのような技術を使っても現実には時間を止めることは不可能だ。時は流れている。水が高いところから低い処に流れるように。
(待てよ)
では水の流れを止められるだろうか。止められる。
簡単なことだ。水を凍らせて氷にすれば水は高い処から低いところには流れない。
「その通りだ。仇夢」
脳内に山本の声が響いた。肉声ではなく、脳波信号で山本は脳内に音声メールを送ってきた。
「スサノウは時を凍らせることが出来るのか」
「左様」
「どのような力をもって凍らせるのか」
「黒い石だ」
「黒い石」
「しかしその石もそろそろ古くなってきている。しかし石は自らの意思で何度も何度も再び蘇る」
「蘇るか。古くなった石とは黒い石のことだな、山本を少年に戻した亀こそが黒い石、永遠の命ではないのか」
「そうとも言える、そうでないとも言える」
「俺は黒い石、永遠の命のある場所に行けるのか。亀に乗ればいいのか」
「ぬしが望めば亀は黒い石の在る処へ行くことが出来る。亀は高天原に行く」
「高天原、亀が黒い石の処へいける。」
「では亀はどこにある」
「龍と亀が一緒になる処だ」
「龍と亀」
「山本、その龍と亀はどこにある。山本。おまえこそが悪魔なのではないか」
「悪魔」
「そうだ悪魔だ」
「その通りだとしたらどうする仇夢」
「おまえこそが本当は悪魔なのではないか」
「悪魔であったら、どうする」
「分かった。悪魔であろうと、そうでなかろうとも構わぬ。その龍でも亀でもいい。どちらでも」
再び龍 仇夢は肉眼を開けた。肉眼で見た山本は再びレオナルド・ダビンチの肖像画のごとき醜い老醜に姿を戻して木の机に座っていた。そしてそれは三度目だった。山本は自分の右手を垂直に掲げた。その指先。悪魔の指先は又しても天を指していた。
龍 仇夢(あだむ)は己の意識が覚醒して自分がまたしても振り出しのトンキンの帝國ホテルの山本の部屋に戻っていることに気がついた。
仇夢は振り出しに戻ったと感じた。いや構わない。謎は解ける方向にあるのだ。
山本が三度にわたり天を指差した。指先の先に黒い石があり、天の方角は仇夢が望んでいる方角なのだ。その方角の先に黒い石とスサノウに繋がる何かが存在するのだ。スサノウ、そうだスサノウなのだ。本来はエバのマザー。話すことが出来、自らの意思を持つことの出来るエバのマザーを捜すゲームを始めているのだが。ゲームの回答はスサノウの傍に間違いなくある。
「なら、俺は月に行く」
「そうか、では俺も一緒に連れて行こう」
山本はにやりと笑った。再び仇夢と山本はイリューシンの客室に戻った。そして月面に向かった。
月面のターミナルに再び仇夢と山本は戻った。
「さて、まずはその前に何処へ行こうか」
皮肉たっぷりに山本は仇夢に切り出した。
「それはこっちの台詞だ。悪魔いや山本、まず亀に乗るのではなかったか」
「何故分かる」
「亀がその場所へ行けるのだろ」
にやりと踵を返して山本がついて来いとでも言うように仇夢を導いた。
仇夢は 従うしか無かった。
自動チェアを降りて自らの足でターミナルから地下へ地下へと羅螺旋状の道を下り月面の地下深く降りていく。螺旋状の巨大な階段は僅かな明かりしかないほぼ暗闇の中を永遠に続くような感じがした。そして行き着く先に僅かな光の中に水の流れる音がした。そこには黒い闇があり、水音がした。海の様な豊かな水があった。龍 仇夢(あだむ)も話には聞いていたが月面の地下に作られた運搬用の運河だった。龍 仇夢(あだむ)も初めて見る巨大な運河だった。途方も無い大きな運河だった。
運河の岸辺に手漕ぎの船が一艘もやいでいる。二人はその船に乗った。手馴れた手つきで山本が舵を取り、船は運河をつき進んでいった。辺りはそう暗くはない。人工太陽なのだろうか僅かに明るい。僅かな明るさの中にぼんやりと霧がかかる。二人の顔を確認するには十分な明るさは保たれていた。光が揺れる水面に反射して幻想的な景色を作り出している。
「まるでベニスだな。山本」
「龍 仇夢(あだむ)、ぬしはロマンチストだな」
「ロマンチスト、悪魔に言われれば世話は無い」
運河は何処までもつながっていた。これほどの巨大な運河とは龍 仇夢(あだむ)も想像もしえなかった。脳からヒュンダイ、日立のコンピューターにアクセスしてもグーグルの検索機能でもこの運河の情報がゲット出来ない。辺りは霧につつまれているが、これは紛れも無い大河だ。文字通り海の様な大河だ、向こう岸は全く見えない。波はほとんどなく、流れも微(かす)かだ。微(かす)かというより流れているのだろうか、そして本当に運河なのだろうか。船尾に腰をかけた龍 仇夢(あだむ)が運河の水を僅かに掬い口に含んでみた。微(かす)かに、いや確かに塩の味がする。海水だ。塩分を含む海水だった。そして何処までも透明な海底に魚影が見えた。海だ。ここは紛れもない海であった。運河の様に思えたがそこは紛れも無い海であった。「時の海だ」
山本が龍 仇夢(あだむ)に告げた。
「時の海」
「そうだ。時の海だ。全ての命を最初に戻す。全ての命が生まれるのがこの時の海だ。時の海、ここには時間はない。過去にも未来にも存在する。永遠に生き続ける豊饒の海だ。亀はここで生まれたのだ。それは女の中にもある。そうだ子宮だ。女の体には永遠がある。そう永遠の海。時の海がある。
女は海だ。
お前たちが性の奴隷として食物としか信じない蔑視し蔑む女。そうそれがお前たちを滅ぼす女だ。女が海で亀と龍を生んだ。亀と龍は永遠に戦い続ける。愚かにもな。何れにせよこの月にある時の海が全ての母だ。永遠にな」
二人を乗せている小舟は音も無く流れていった。運河だと思った岸辺を離れるときは櫓の様な棒で岸辺を山本が付いたきり、何ら操縦らしきこともせず、小舟は何処へか導かれる様に引き寄せられていく。龍 仇夢(あだむ)には恐怖はなかった。これが運命なのだろう。不思議な心持が龍 仇夢(あだむ)を包んでいた。
エバのマザーの事もスサノウへの恋情も遠い昔に思えてくる。自動チェアに座っている時ならこのような心持になった時は何の躊躇いもなく人工冬眠に入るはずだが、自動チェアから離れてしまった今となってはこの引き寄せされる運命に我が身を委ねるしかなかった。
時の海に船出して四日目が経った。
いや時の海には時間そのものがないのだから龍 仇夢(あだむ)の脳センサーが四日経ったと感じた朝の紛れも無く地底の海面がまばゆく光る時間だった。
船影が見える。いや島かもしれない。巨大な物だ。巨大な黒い影が海に浮かんでいる。小舟が近づくにつれ、それがただの島ではないことが分かってきた。いや島ですらない。何かしら得たいの知れない巨大な建造物の様に見える。更に龍 仇夢(あだむ)が目を凝らして見るとその正体が分かった。それは海上に浮かぶ黒い巨大な軍艦だった。
明らかにその存在が歯向かう敵を破壊し葬りさる意思をもっている。
恐らくセンサーだろう無数の針金の様な細い棒が緑色の船体の表面に生えている。そしてその無数の針金が影を作り緑色の船体を黒くみせているのだった。
その姿はあたかも巨大なハリネズミが敵意を持って身構えている様に見える。センサーの先端から電流が流れているのだろうか、あちらこちらでビっと音がして火花の様な光を出してスパークしている。
「山本、あれは何だ」
「亀だ」
「亀」
「そうだ、あれが亀なのだ。亀に乗れば何処にでも行ける。黒い石をもたらす」
「亀。あれが山本の言う亀なのか」
それは確かに巨大な亀の様に見える建造物だった。
張り巡らされたセンサーは黒や銀色に輝き、二人の存在を確認したのか、ますます火花を散らしている。
想像を絶するとんでもないエネルギーをその内部に持っていると思われる。一体誰が何の目的でこの亀の様に見える物体いや船、亀を創造したのであろう。
「そうだ。あれこそが亀とよばれる物なのだ」
「あの亀でどこへ行く」
「だから何処へでも行ける。行きたいと思えば」
「高天原(たかまがはら)にも行けるのだな」
「ぬし、龍 仇夢(あだむ)よ。ぬしはその高天原(たかまがはら)に行きたいのではなかったか」
「そうだった」
「高天原(たかまがはら)、そしてそこはエデンの園につながる。いや高天原(たかまがはら)がエデンの園、それはどうでもいい。そう思えばそうなる。分かるか仇夢(あだむ)」
改めて山本に己の心の底を見据えられて龍 仇夢(あだむ)は微(かす)かにうろたえた。するするっと亀と呼ばれた軍艦から細長い梯子が下がってきた。梯子を上りデッキから扉を開けて中に入るとそこは見覚えのある部屋だった。がらんとした巨大な部屋の真ん中に古ぼけた木の椅子が置かれていた。
そこは帝國ホテルのペントハウスの山本の部屋だった。
「こ、ここは」
「そうだ。お察しの通りのこの山本の住処だ。あの扉を出て行くとトンキンの廃墟に出られる。ドアの外にはぬしの自動チェアが置いてある。それに乗って外に出て帰れば羽田にぬしのイリューシンが待っている。ぬしがイリューシンに乗れば又しても上海に戻ってしまう。物語、ぬしらの言うゲームは再び振り出しに戻る」
龍 仇夢(あだむ)に躊躇う必要は無かった。ここが帝國ホテルだろうとなかろうと、月であろうと、前に進まねばならないのだ。己の間違いに今気がついたのだった。自分は決して前に進んでいない。
立ち止まったり、戻ったりしていることに初めて気がついた。あの時、そうだあの時山本が天を指した時、龍 仇夢(あだむ)はそのまま天を目指すべきだったのだ。いや、違う。いやそうに違いない。
「龍 仇夢(あだむ)よ。ぬし、やはり迷うているのだな」
ふと気がつくとまたしても山本は年老いた老醜にその身を変化させてペントハウスの真ん中に置いてある木の椅子に座っていた。
「迷う」
「左様。迷うている」
「ああ、迷っている」
「良い。良いのじゃ、迷うていて良いのじゃ。その迷いが己を導く物語。過去にも未来へも行ける物語をつくる場所。それこそがぬしが行くべき高天原(たかまがはら)だ」
「物語、高天原(たかまがはら)」
「そうじゃ。物語、しかしぬしらは物語とは呼ばなんだ」
一瞬、龍 仇夢(あだむ)は山本が何のことを言っているのか分からなかった。
「だから、パズルだろ」
「そうだ」
「パズル」
「ぬしらはそう呼ぶ」
「パズルか」
仇夢がポツリと呟いた。
呟きながら仇夢 にふとある妄想、いや考えが浮かんだ。同じ台詞を聞いたことがある。極めて近いシーンが己の脳に記録されている。
「もう一度繰り返す新しいパズルだろ」
安鈴のパズルだ。
安鈴が長い人工冬眠からおきた仇夢に話した台詞に極めて近い。
パズルを解きたがっていたのは安鈴だった。
安鈴は本当に死んだのだろうか。いや肉体は確実に死んだ。
仇夢は安鈴の前頭葉を食べた。
仇夢の息子にして安鈴の兄加員も舌鼓をうっていた。
安鈴の肉体は確実滅んだのだ。
しかし安鈴は黒い石を探しに行く。高天原に石を探しに行くと言っていた。死んだ安鈴がどうやって高天原に行くのか。
いや死なねば高天原に行けないのか。ゆっくりと部屋が動いている気配がした。亀が動き出したのだった。考えることはない、そうだ前に前に進むんだと思いをめぐらせると、自分が再び自動チェアに座っていることに仇夢は気がついた。チューブから栄養剤が血管に流れている。
帝國ホテルが亀なのか亀がどこにあろうともはや問題ではなかった。いずれにせよ亀と呼ばれた軍艦が月面の地底の海からゆっくりと動き出したのだった。
仇夢は自動チェアで既に何度目かの人工冬眠に入っていた。亀は自らの意思を持ち月面下の海上に巨大な水柱を作った。海底に深く沈んでいった。
暗い闇夜が何日も過ぎると夜が明けた。
誰がつくったのだろうか人工太陽に再び明かりがついた。山本は意識を失っている仇夢を背負いながら亀から降りてきた。
再び月面の下で使った小舟の縁に仇夢を腰掛けさせた。小舟は亀から放たれて静かに海面を進んでいった。
暫く行くと海面に赤い巨大な鳥居があった。鳥居は幾つも幾つも連なっていた。小舟はその幾つもある鳥居を潜り抜けていった。そして鳥居を抜け切ると海面の奥に巨大な建物が見えた。
その建物は神殿だった。山のようにそびえる巨大な神殿だった。幾つ物のやぐらの様な建物がその神殿の周りを取り囲んでいた。そして海面から何層も重なる階段があり、奥に赤い門があった。山本は仇夢を小舟に残して岸辺に上がり勝手知ったるがごとく神殿の階段を駆け上がっていった。
その姿は見えなくなった。
仇夢は小舟の上で意識を失ったまま残された。山本が小舟を去ったあと、山本の重さの重力を失った小舟は小波にさらわれる様に岸を離れて沖に押し返させられた。辺りに霧が立ち込めてきた。真っ白でほんの僅か先も見えなくなってきた。
その時白い霧の中から別の小舟が現れた。小柄な少年が櫓を操り静かな海を進んできた。白い着物を身に纏い長い黒髪を後ろで束ねている。真っ白く女の様な顔をした十代の少年だった。
それは紛れも無いスサノウだった。スサノウが櫓を操り小舟で何処よりか戻ってきたのだった。スサノウは海面に漂う龍 仇夢の小舟を見つけて自らの小舟を仇夢の小舟に寄せ、そして二艘の小舟を器用に岸辺に導いた。意識を失っている遥かに巨漢の仇夢をスサノウは軽々と抱えあげて小舟を降りた。神殿の階段をゆっくりと上がって行った。辺りには霧が立ち込めている。
霧の中を行くと神殿の頂上の奥に朱色に輝く巨大な門があった。門は木を幾重にも幾重にも組み合わされて作られていると見える。そしてその巨大な朱色の門がゆっくりと音も立てずに開いた。門の奥に巨大な敷地があった。
その敷地は石畳が敷き詰められていた。その石畳の上に黒髪の美しい少女が立っていた。白い装束と赤い袴というのだろうか着ている。意識を失っている龍 仇夢(あだむ)には全く分からぬことだった。
「壱与殿、仇夢を捕らえましたぞ」
壱与と呼ばれた小柄なまだ十代にしか見えない美少女が頷いた。
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