第3話 ミニマリズムについて僕の考えること

 僕はいわゆるミニマリストだ。自分でミニマリストとテキストに打ち込むのはなんだか気恥ずかしいが、実際そうなんだと思う。持っている物の数が少ないのだ。

 僕はもともと物が捨てれない人間だった。お菓子のケースが綺麗で、それに大事なものをしまっていたくらいである。服もいっぱい買っていた。ゾゾタウンでお気にいりのブランドの服を買いあさっていた。

 服を買うためにバイトをしていたが、実際、服が大好きなのではなくて、服を買う自分が好きなんだったと思う。それは、自分に自信をモテない裏返しだったのかもしれない。今ならそんなに服を買う必要がなかったこともわかるし、服を買って自信がつくわけがないこともわかる。結局、自分の体で経験することだけが、精神を向上させるのだ。

 そんな僕がものを捨てようを考えたのは、ベットのフレームが壊れてしまったことに起因している。

 ある日、ベットのフレームが壊れて、ベットの上で眠れなくなったのだ。これはベットを捨てなくればならないとなった。

 ベットを全部捨てた時、なぜかすっきりした。それはランニングでゴールした後に飲むビールがもたらす感覚に似ていた。

 本棚を捨てたらどうなるんだろう、本なら、服ならと思い、いらないと思った物を全部捨ててみた。

 そしてこれを機にいらないこともやらなくなり、今では自分のやりたいと思ったことをやり続けるように努力している。捨てることも難しいが、継続するということもなかなか難しい。

 今残っているのは、厳選した服、下着、寝具、冷蔵庫、食器類だ。どれも最低限の量を持つことを意識している。


 ミニマリストである僕がいうことではないかもしれないが、ミニマリズムはもてはやされ過ぎているのではないだろうか。もちろん物を最小限にだけ持つことは気持ちがいいし、財布にも優しい。家も広く使えるし、なんだかミニマリストという響きもかっこいい。

 

 しかしミニマリズムの原点はやりたいことに集中するということである。物を最小限にするということは、やりたいことに集中できているのであれば全く必要ない。ミニマリストになんぞなる必要なんてないのだ。そのことに気づいていない人がいることが嘆かわしい。さらに言えば、やりたいことがない人もミニマリズムなんて意識しないでいいと思う。

 

 ミニマリズムを先導している人がいる。そういった人たちは素晴らしいと思うのだが、それに便乗して愛用商品を売り出している人もいる。そもそもミニマリストが愛用している商品を使うということがミニマリズムの精神に反しているのだ。ミニマリスト愛用商品なんて糞食らえだ。

機能性もあんまり無くて小さいだけだ。全部なくなってしまえ。もしくは捨ててしまえ。

 もしミニマリストに本当になりたいのなら、まずは自分と対話し、やりたいことに注力する覚悟を決めることが必要である。

 君がやりたいことはなんだろう。

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