私とあなた

@bethiehem

私とみんなと、優しい心

 一人、苦しんでいる少女がいた。彼女に救いはあるのか。彼女にヒーローは現れるのか。もしくは、彼女は苦しみ続けるのか。


 これは、環境が招いた、ある少女の物語。




 昼食の時間、にぎわう教室。みんなが机を囲んで、一緒にごはんを食べる。私も一緒に、ごはんを食べる。だけど、私は一人。誰も話してくれない。誰も目を合わせてくれない。


『それは君のせいだよ。』


 この子は、私の優しい心。私と話してくれて、私の疑問に答えてくれて、私の身体を守ってくれる。私の、嫌いな心。


『君が、まさとくんがいじめられているのを黙って見ていたからいけないんだよ。』


 確かにこの子の言う通りかもしれない。これは罰なんだ。テレビでもよく言ってる、加害者と傍観者は同罪なんだって。でも、私はそうは思わない。テレビの人たちは、どうして簡単に傍観者は悪いって言えるんだろう。黙って、何も考えずに、いじめを見ているわけじゃないのに。いじめられている人を守ろうと、一歩踏み出すのはとっても難しいことなんだよ?罪悪感に締め付けられて、身体が震えて、脚が全く動かなくなるのに、汗だってすごいかくのに、何でテレビの人たちはそんなに簡単に言えるの?一度でも私みたいな立場に立ったことがあるの?

 私はテレビが大好きだ。私に嫌なことを言わなくて、痛いこともしない。そんなテレビが大好きだ。だけど、そういう番組の時は大嫌い。テレビなんて壊れてしまえばいい、とまで考えちゃう。


『それがどうしたの?もうまさとくんはいないんだよ?君が悪いんだ。』


 勝手なこと言わないで!私がどれだけ悔やんでいると思うの!?私がどれだけその時のことを思い出して、胸が痛くて苦しい思いをしてると思うの!?その時のことを思い出して、どれだけ私は私を嫌いになると思うの?


『知ってるよ。だって僕は君だもの。』


 私は私が嫌い。この子が嫌い。


 私は食べ終わるのが速い。誰とも話さないから。私はそそくさと、食器を片付けるために席を立つ。そのまま配膳台に行き、食器を置くだけ。ただそれだけのはずだったのに、私は転んだ。


「大丈夫?立てる?」


「うわ、紗季ちゃんやっさしー。一人で勝手に転んだドジな美由紀ちゃんのこと、気遣ってあげるなんてー。」


 ウソだ。やさしさのかけらも感じない。蔑んだような顔をしている。そもそも私は勝手になんて転んでない。紗季ちゃんに転ばせられたのだ。それにはみんなも気づいているはずなのに、笑う。ただただ笑顔で、私を笑う。でも私は知っている。本当はみんな笑いたくないんだ。本当はこんなことしたくないんだ。止めたいんだ。だけど、勇気が出ないんだ。自分を犠牲にして、他人を守る勇気が。私はその気持ちが、痛いほどよくわかる。だって、前は私もそっち側にいたから。だからこそ、私はみんなを責めない。みんなを憎まない。

 一瞬、私はなんて言おうか迷った。だから、私は私の優しい心に聞いてみた。


『無視しちゃえば?』


 だめ。また嫌なことされて、嫌なこと言われる。


『なら、立ち向かってみれば?勇気を出して、もうやめて、って叫ぶんだ。』


 だめ。前にまさとくんが椅子を蹴って怒ったけど、逆効果だった。より面白がられていた。きっと、同じようになる。


『じゃあもうどうしようもないじゃないか。どうするつもりだい?最後に選ぶのは君だよ?』


 何をしても結果は同じ。どれだけひどいか、ただそれだけ。だったら、私はなるべくひどくならない方法を選ぶ。何も言わず、反論しない方法を。


「・・・ありがと。」


 お礼なんて言いたくないのに。私が悪いわけじゃないのに。私の口からは、自然にその言葉が出ていた。私が選んだわけじゃない。とすれば・・・


『さってねー?』


 やっぱり嫌い。私は起き上がりながら食器を拾って、配膳台に片付けに行く。立ち去ろうとした私の背後で、私だけに聞こえるように、舌打ちをしている音がした。おそらく紗季ちゃんだ。それでも、私は聞こえなかったことにしておく。きっと、それが一番いい選択肢だから。


 私は本が好きだ。特に、魔法を使ったりするやつ。本を読んでいると、周りの音が聞こえなくなる。自分の世界に入ることができる。そこでは、私は物語の主人公で。つらいこともあるけど、結局はハッピーエンドで。楽しくて、嬉しくて、幸せ。だから、私は本を読むのが大好きだ。

 あ、まただ。また筆箱取られた。筆箱を、まるでみんなに見せびらかすように高々と掲げる紗季ちゃん。自分はヒーローとでも言うつもりなのかな?私は紗季ちゃんが嫌い。私が本を読んでいるときに限って、私の筆箱を取る、紗季ちゃんが嫌い。それも、全部の放課の時間にするから嫌い。私は、家では本が読めないから、学校で読んでるのに。はあ、筆箱を取り返さないと。前の筆箱はどこかに行っちゃった。紗季ちゃんに取られて、盗られた。もうどこにあるかなんて、わからない。私の筆箱は安物だ。100円ショップで売っているような安物だ。でも、人のものは取っちゃダメなんだよ?紗季ちゃん。その言葉が、喉まで出かかって、口から出ない。何で?またあなた?


『どーだろーねー?』


 嫌い。私は筆箱を返してもらうために追いかける。でもだめだ。みんながみんな、爆弾ゲームでもするかのように、私の筆箱を他の人に渡していっちゃう。だから、私は追いつけない。筆箱を持った人が、ほかの人にパスしていっちゃうから。でも、追いかけなくちゃいけない。もし追いかけなかったら、筆箱は盗られちゃうから。めんどくさい。こんなの無駄でしかない。こんなのに、私の放課の10分間が盗られちゃうなんて、馬鹿げてる。つらいなあ。つらいよ。こんなの、いつから始まったんだっけ?


『君はわかってるはずだよ?ほら、あの雲一つない、陽気な晴れの日に、さ。』


 そうだ。きっかけは、まさとくんが死んじゃった日だ。まさとくんは、屋上から飛び降りて死んじゃった。紗季ちゃんたちは、その原因が自分たちだって、わかっているはずだ。だけど、やめない。私は、こう思うんだ。紗季ちゃんたちは、認めたくないだけ。そのつらさを、苦しさを、まぎらわせようとしているだけ。その罪悪感を、私にぶつけているだけなんだって。なんでその言葉が出ないんだろう。これもあなたの仕業?


『あっはっはっは、はははははははははは!』


 嫌い。やっと、長い長い学校が終わった。今日はノートがなくなっていた。隠しておいたはずの、使っていない予備のノート。使っているノートには何もしない。そこが嫌だ。卑怯で、卑劣で、たまらなく嫌だ。さらに、蹴られたせいで背中が、転んだせいで膝が痛い。ヒリヒリする。そんな中にも、救いはある。紗季ちゃんの家と私の家は、場所が全然違う。だから、通学路は好きだ。鳥や虫を観察したり、あてもなく雲を見つめていられる。ああ、なんて楽しいんだろう。

 その時間ももう終わり。家についてしまった。どこにでもあるような、普通の一軒家。その玄関のドアを、カギを取り出してそーっと開ける。今日は・・・いない!やった!今日はゆっくり本が読める!

 そんな砂漠の中のオアシスのような時間は、一瞬で消え去った。お母さんが帰ってきた。


「ただいまー。」


 その声が聞こえた瞬間、私は読んでいた本を、押し入れに放り投げる勢いでしまい、玄関へと一目散に走った。


「おかえり!」


 私は、無理矢理に笑顔を作る。苦しい。


「あら、美由紀。いたの?はい、この買い物袋持って。」


「・・・うん。」


 苦しい。


『がんばれー。』


 うるさい。

 私は野菜がいっぱい入った重い買い物袋をキッチンまで持っていって、中身を冷蔵庫に入れる。全部入れ終わったとき、私はお母さんに呼ばれた。いつも食事をしているイスに座らせられた。前の席には、お母さんが座ってる。


「あんた次は四年生よね?」


「うん。」


 声色がきつい。怖い。だけど、笑顔は崩しちゃいけない。崩せない。


「部活が始まるわよね?」


「うん。」


「運動部入りなさいよ?あなたのためを思って言ってるんだからね。有意義な生活を送りなさいよ。問題を起こさないでね。」


「うん。」


 いつもこうだ。私は学校になるべくいたくない。だから部活なんて入りたくない。お母さんは有意義って言葉の意味知ってるの?私の生活は、私が決めるからこそ有意義になるんじゃないの?お母さんに決められたら、それはもう有意義じゃないんじゃないの?そんな言葉も、口からは出ていかない。


『そんな言葉、お母さんに言ってごらんよ。お母さん傷つくよ?』


 嫌いだ嫌いだ。お母さんが嫌いだ。嫌いだ嫌いだ。私の優しい心が嫌いだ。嫌いだ嫌いだ。私が嫌いだ。


 なんだか頭が痛くなってきちゃった。


『人に迷惑をかけるな、って学校で習ったでしょ?』


 うん。そうだね。少し寝たら良くなるはずだよね。私は二階に上がっていく。そして、壁に寄りかかって、寝る。いつの間にか、涙が出ていた。苦しいな。つらいな。悲しいな。


 私が起きたら、良く日の当たる部屋は、真っ暗になっていた。カーテンが閉まっているわけじゃない。私はカーテンを閉めていない。そもそも誰かが二階に上がってきたら、壁からの振動でわかるはずだ。何でそんなことを、私はしたんだろう?


『君を守る為さ。』


 よくわからない。だけど、私が何で起きたかはわかった。誰かが二階に上がってくる振動で起きたんじゃない。


「何であなたはいつもそうなの!」


「うるせえな!お前には関係ないだろ!!」


 まただ。ああ、嫌だな。せっかく、頭が痛くなくなったと思ったのに、また痛くなってきた。いつも思うけど、何でケンカしているんだろう。聞いたら怒られるし。あなたは何か知らない?


『さあ?君が知らないことを僕が知るはずないじゃん。でも、悪いのはいつもお父さんなんでしょ?お母さんがいつも言ってるじゃん。』


 そうだね。そうだよね。お母さんが間違いを言うはずないもんね。それに、今のお父さんは、私の本当のお父さんじゃないしね。本当のお父さんは、私が3歳の時にいなくなっちゃったもんね。その時もお母さんが正しかったもんね。そうだよね。お母さんがいつも正しいもんね。でも・・・本当に?


『本当だよ。それに、怖いのはどっち?好きなのはどっち?』


 どっちもお母さん。そうだよね。お母さんの方がいいに決まってるよね。お母さんの言うことは、聞かなきゃいけないもんね。学校でも、幼稚園でも、そう言われたしね。

 はあ、嫌だな。私は本当のお父さんとお母さんがケンカしているのを、3歳にして止めた覚えがあるけど、もうその時のみたいな勇気が出ないよ。二人の怒鳴り声が、槍のみたいに私の心を刺す。耳が痛い。頭が痛い。静かにしてほしい。私がどれだけ耳をふさいでも、声が聞こえる。嫌だ嫌だ嫌だ。あのまま寝ていたかった。何も考えずに、寝ていたかった。その方が、幸せだった。

 ああ、もうずっと眠っちゃおうかな。死んじゃおうかな。その方が幸せかもな。もしも、こんな日々がずっと続くなら、私は壊れるよ。もしかしたらもう壊れているのかもしれないけど。いつまで続くかわからないこんな毎日が続いていくなら、もう全部投げ出しちゃってもいいよね。もう耐えられないんだよ。いつまで待ってもつらいんだよ。ねえ、ねえ、私は待ってたよ。ずっと待ってたんだよ。誰か、助けてよ。もう、いいよね。もう、待てないよ。私は、自分の力で、誰にも迷惑かけずに、救うよ。私を。いいよね。

 どうやって死のうかな。電車や車に飛び込む?


『ダメだよ。電車や車に乗ってる人が可哀そうだよ。テレビで見たでしょ?どれだけの人に迷惑かかるかわかってる?』


 じゃあ、首吊りは?


『ダメだよ。前にテレビで見なかったっけ?重力の関係で、体の中の排泄物とかが全部出てきちゃうんだよ?誰が掃除すると思ってるの?君じゃないんだよ?』


 じゃあ、どうしたらいいの?もう、いいよ。あなたになんか相談しない。私は私で、やり遂げて見せる。


『僕は君なんだけどなー?』


 そんな言葉は無視して、押し入れの中から道具箱を取り出す。その中に入っているカッターナイフを取り出すと、私は自分の手首に向かって振り下ろした。これで死ねる。これで解放される。そう、思ったのに。

 私のカッターナイフを握った手は、手首の上のギリギリで止まっていた。どれだけ力をかけても、小刻みに震えるだけで、動かない。ねえ、やめてよ!これもあなたの仕業なんでしょ!私は死にたいの。楽になりたいの。わかってよ。お願いだから。あなたも意地悪しないでよ。あなたも嫌い嫌い。大嫌い。もう、嫌で嫌で、涙が出てくる。止まらない。ねえ、わかるでしょ?あなたは私なんだから。私は疲れたの。学校に行くのも。家に帰るのも。つらくて、嫌で嫌で、もう疲れたの。


『・・・。』


 ねえ、なんとか言ってよ。私を楽にさせてよおおおおおおおおおおおお!!

 嫌だ嫌だ。学校が嫌だ。家に帰るのが嫌だ。嫌だ。苦しい思いなんてしたくない。嫌だ。蹴られるのが嫌だ。嫌だ。自分の時間が盗られるのが嫌だ。嫌だ。何もかもが嫌だ。生きるのも。ただただ、待ち続けるのも。


 どれだけ、時間が経っただろう。一階からは声が聞こえなくなって。私は、カッターナイフと道具箱をもとの場所に戻して。いったいどれくらいの時間が経ったんだろう。私の涙は、どうして枯れないんだろう。学校で、家で、いろんなところで泣いて。人前では笑って。心の中で泣いて。いつになったら枯れてくれるんだろう。

 私はヘタレだ。まさとくんはすごいな。私は死ぬのが怖いよ。でも、生きるのはつらいよ。私は、まさとくんのこと、尊敬する。会ったこともない偉人さんたちより、よっぽどすごいよ。勇者だよ。私とは、全然違う。いいな。うらやましいな。本当、うらやましい。私にも、そんな勇気があったら。私も、楽になりたいなあ。

 事故とかで死にたいな。飲酒運転の車にはねられるとか、通り魔に偶然出会って刺されるとか、地震にあって私だけ死ぬとか、私の頭に落雷するとか。痛いのでもいいな。きっと、この心の痛みよりは痛くないだろうし。誰か、誰か、私を殺してくれないかな。


 ・・・プツン。


 気が付くと、外は少し明るくなっていた。いつの間にか私は眠っていた。かけたはずのない毛布が体からずり落ちる。


「?」


 そこで私は気が付いた。

 何か・・・変。

 強烈な違和感と、不安感に。それらを抱いたまま、不気味なほど静かな階段を下りていく。

 そして、階段の最後の一段というところで、あることに気付く。物が少ない・・・?

 ふと視界に入ったのは、テーブルに突っ伏して寝る、お母さんだった。ぐっすりと眠っていて、ほんのそこらじゃ起きそうにはなかった。

 うそ、うそうそうそ・・・。私は、気づいてしまった。認めたくない、認めたくない。いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ。

 机の上には、一枚の紙が置かれていた。お父さんの名前と印鑑が押された、離婚届という名の紙が。

 そう、物が少ないのは当然だった。だって、お父さんの分がないから。

 私は再び二階に上がった。そして、固いフローリングの床に倒れこむと、胎児のように身体を丸めた。


『ねえ、僕一つ気になったんだけどさー?』


 こんな時でも、優しい心は話しかけてくる。お調子な声で、語りかけてくる。


『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・思考が、停止した。

 よくよく考えてみればそうだ。何が悪いの?どこがいけないの?私には理由が出てこなかった。しいていうなら、お母さんがそう言ったから。


『なら、さ。君が信じるべきはどっちなの?』


 私には、答えることが出来なかった。その後も、何度も何度も同じ質問をされ続けた。

 そして、外がすっかり明るくなって、学校に行かなくてはならない時間になった。一階からはお母さんの声が聞こえた。恐る恐る降りてみると、


「あら、早かったわね。朝ごはん出来てるから、食べっちゃって。」


 恐ろしいぐらい、普通だった。いや、お父さんがいないから普通ではないけど・・・それでも、何事もなかったかのように、お父さんなど初めからいなかったみたいに。

 私はひどい頭痛がして、吐き気を催した。すぐにトイレに駆け込み、胃の中のものを全て出した。昨日の夜ごはんを食べていなかったからか、固形物は少なかった。

 ここからの記憶はあまりない。ただ、ひどい頭痛と優しい心の質問責めで、フラフラになりながら学校に向かったことだけは覚えてる。


『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』


 うるさい。

 学校に着いたら、恒例の爆弾ゲームが始まった。私はもう、相手にする気すらなかった。というかできなかった。頭が輪っか状の万力のようなもので締め付けられるような痛みがして、視界がチカチカした。相手にされなかったからか、リーダー格の紗季ちゃんは私の髪を掴んできた。きっと私は痛かったのだろう。だけど、そんなのが可愛く見えるくらい頭の中が痛かった。だから特に反応しなかった。そうしたら、紗季ちゃんが私の耳元で何かを囁きだした。

 

「ねえ、何で何も言わないの?」


『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』


 うるさい。


「こっちは遊んであげてるんだよ?」


『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』


 うるさいうるさいうるさい。


「一人ボッチのアンタをせっかく一人にしてないんだから、」


『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』


 うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!


「感謝しなさいよね。だいたい、」


『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』『お父さんのこと、嫌いじゃなかったの?』


 うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!


「あなたはまさととは違う、壊れにくい私の人形なんだから。」


『おと・・・


 うるさあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああい!!


『ふふ・・・ザザ、ザザザ、ザ・・・ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザ!!』


 頭の中で、テレビの砂嵐のような音が鳴り続けた。そこから私の記憶はぼんやりとしかない。


「私に一生従ってればいいn、」


「黙れ。」


 ・・・。

 ・・・・・・。

 ・・・・・・・・・。


 私が覚えているのは、私が何かを叫ぶように喚き散らしたこと。後から聞いた話だと、普段からは想像もつかないような口調で、とんでもないことを言ったらしい。

 そして、そのあと三階の教室から飛び降りたこと。その時の気持ちは、今でも鮮明に覚えている。恐怖は感じない。勇気なんて少したりともいらなかった。ただ、無心で、窓から鳥のように軽やかに飛んだ。実際、身体は軽かった。きっと、言いたいことを言って、心が軽くなったからだと思う。

 結局、私は助かった。目覚めたのは、飛び降りてから三日後だった。医師からは奇跡的だったと言われた。その時は、言われた意味がわからなかった。飛び降りて助かって、それが奇跡?最悪の間違いじゃないかとまで思った。

 だけど、不思議と幸せだった。胸のつかえがとれたような清々しさで、頭も身体の中も全く痛くなくなっていた。それがただ、嬉しくて、幸せだった。

 その後、私の周りはめまぐるしく変化していった。お母さんが、自殺未遂を図るような娘はいらない、と言って、親権を放棄したことで、お父さんと一緒に暮らすことになった。お父さんの実家は愛知にあって、私は転校することになった。その時、紗季ちゃんとかの私をよくいじめていた子達は私が目の前で飛び降りたことで引きこもってしまったんだという話を聞いた。他の傍観者側だったみんなは、ごめんねと泣きながら謝ってくれた。

 正直、みんなには謝ってほしくなかった。それに、紗季ちゃんたちにも謝られなくてよかったと思ってる。だって、もう二度と会いたくないから。会ってしまったら、嫌な思い出がフラッシュバックしてしまいそうだから。

 お父さんとの生活は、〝普通〟そのものだった。今までの私の〝普通〟とは違う、みんなと同じという意味での〝普通〟。辛いことなんて一切なくて、お母さんの言っていたことは全てデタラメだったってわかって。とても幸せな日々が続いていった。


 そして私は、小説家になった。

 紗季ちゃんに、お母さんに奪われた時間を取り戻すために、あの地獄の日々を無駄にしないために。それら全てを糧として、私のような、まさとくんのような人を生み出さないために。


『へえ~、なかなかかっこいいこと言うじゃん~。』


 私の優しい心はまだ私の中にいる。あの時期に生まれた優しい心。それが消えないってことは、私の無意識の中に傷をまだ持っているのかもしれない。

 だけど、もう大丈夫。


『ほらほら、まだ書くんでしょ~?』


 優しい心は、私に対しても優しくなった。本当の優しい心になった。

 だから、大丈夫。私はもう幸せだから、大丈夫。


 私は、前を向いて歩いて行ける。

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