青春スーパーノヴァ

テナガエビ

青春スーパーノヴァ



 2020年夏、とうとうその日が来ると報道された。


 オリオン座の赤い一等星、冬の大三角を形作る一角、ベテルギウスが超新星爆発スーパーノヴァするというのだ。


「天文部としてこれは観測しないとダメでしょ!」

「超新星爆発いつ見るの? 今でしょ?」


 勢いのいいメッセージが、同一人物から携帯電話のチャットアプリに連続投稿されたのは、コロナウィルスの影響で一学期がずれ、短縮された夏休みのいつも通りのある日の朝だった。送ってきたのは同じ高校の天文部の観月みづきという女子だ。


「あいつ……なんだと思ってアプリ立ち上げてみれば突然何言ってんだ?」


 超新星爆発の直前に出るニュートリノをスーパーカミオカンデが感知し、マックスプランク電波天文学研究所などもベテルギウスの爆発を今夜から明後日と発表したらしい。


「今夜、超新星爆発を見に行こう!」


 うちの天文部はそこまでガチではない。だが、観月みづきはのりのりだった。花火大会など夏のイベントが、コロナウィルスのせいでブラックホールに吸い込まれたかのように軒並み消滅したせいだろうか。早速、部員たちから「爆発すんの今夜じゃねーし!」など突っ込みがアプリ上で飛んで来ている。


 天文部の部員は俺を含めても四人だ。


 まず、部長の日輪ひのわ。天体に詳しく一番真面目に天文部の活動をしている男だ。俺の幼馴染で背も高く頭もいいが、いつも俺がエッチなDVDを貸している。別の言い方をすれば男同士だけの会話ができる仲とも言える。

 副部長が観月みづき。さっきのハイテンションのメッセージを送って来たアホの子だ。いや、成績はいいのだが、ちょこまかしておりやっぱりアホなのだ。

 口数は少ないが優しい女子の星丘ほしおか。元々は星が好きでいつか星をテーマに小説が書きたいからと入部してきた変わりものだ。しかも、国語の成績はダメというやっぱり変わり者だ。

 そして、ただSFが好きという理由で溜まり場を求めて入ってしまった、俺、空野そらの。これで四人、全員高校二年生だ。


 その後、また観月みづきがメッセージを乱発し、明日と明後日、指定の時間に集まってベテルギウスを観察することになった。


 俺は興奮し、そして緊張した。一つはもちろん超新星爆発の現場に立ち会うためだ。俺たちの人生にとってはこれほどのビッグな天体イベントは金輪際ないだろう。

 もう一つの理由は、俺は次の天文部の活動日に星丘ほしおかに告白する、そう決めていたのだ。星丘ほしおかはよく本を読んでいるだけあって俺と趣味が合う。それだけでも得難い友人だが、ボブカットの髪に空色のカチューシャが似あう。その目元は白鳥座ノーザンクロスのように涼やかだが、心から笑うとプレアデスのようにはじけるのだ。彼女と俺だけの時間が欲しい。これはきっと俺が歳を取った時に苦虫をかみつぶしたような顔で思い出す感情なのだろう。だが、今の俺にとっては大きなことなのだ。


 それにあまり信じたくない話だが、星丘ほしおかはとある男子に告白して振られたという噂がある。悪い言い方をすれば、振られた後はチャンスとも言う。それに俺自身がこの一件で星丘ほしおかのことを強く意識した。今の関係が壊れたら怖いからとごまかし続けたらきっと後悔する。男なら突撃あるのみ。花火のように開いて、桜のように散って、流れ星シューティングスターのように消えていくものだ。そうだ、そうに違いない。


彼女いない歴十七年、おとこ空野そらの、覚悟完了である。


 そう心の中で宣言して机に向かい、告白と同時に何をプレゼントしたらよいかネットで検索をしようとした時、携帯電話がなった。星丘ほしおかが何か返信したかと飛びついたが、届いていたのは旧友にして悪友バイナリースター日輪ひのわからの次に貸してほしいエッチなDVDの指定だった。



   ☆彡



 八月某日、その日は深夜零時半まで夜更かしして家を出た。俺は告白のこともあいまってとても眠れなかった。


 オリオン座は冬の星座と言われる。だが、八月にも朝の三時くらいに見える。よって、三時前に見晴らしの良い丘の上の公園に集合することになった。

 狙うは夜明け前の東の空だ。四時過ぎには空が明るくなるため、日の出後は部員で時間を決めて交代制で昼の空を見張る。もし、ベテルギウスが爆発すれば昼でも見える。


「行ってきまーす!」


 両親に事情は話してある。起きて見送ってくれた母に出発を告げ、夜の静かな街を丘へと向かった。




   ☆彡




 二時半には三人が揃い、三時を少し過ぎた頃に星丘ほしおかがやって来た。


「ごめん、寝坊しそうになっちゃった!」

 

 既にオリオン座は東の空に姿を現していた。だが、まだその右肩にあたるベテルギウスは見えない。心なしか、オリオン座の周囲が明るく照らされているように見える。


「ああっ!」


 最初に絶叫したのは日輪ひのわだった。やっと姿を現したベテルギウスの色が変わっている。赤い星のはずなのに青くなっていた。爆発により温度が上昇したのだ。日輪ひのわが急いで撮影を開始する。次第に輝きは増し、一時間後にはシリウスと同じくらい明るくなった。この間、はしゃぐ観月みづきを除いて俺たちはほとんど無言でベテルギウスを見つめていた。夜が明け切った頃には満月よりもずっと明るくなり、太陽が昇ってもその輝きははっきりと分かった。


 朝六時になり、それぞれ自宅へと帰ることになった。睡魔に対する力ももう尽きつつある。ただ、日輪ひのわだけが自宅にもカメラをセットし、その後のベテルギウスの様子を動画で記録してくれることになった。


「せっかくの大宇宙イベントなのに、もう眠くなったの?」


 元気なのは観月みづきだけだ。


 俺の心臓はただひたすら高鳴っていた。これで解散したら、星丘ほしおかと丘を降りるまでは帰る道が二人っきりになる。この邪魔者がいない状況で「決戦ジャイアント・インパクト」を迎えるのだ。


「じゃあな!」


 丘の上で解散し、必死に何気ない風を装って星丘ほしおかに声をかける。


「丘の下まで一緒に行こうぜ」

「ん……そうね」


 星丘ほしおかも眠そうだ。いつもは涼やかでありながらもぱっちりとしている目元もどことなくとろんとしている。


「すごかったなー、ベテルギウス。将来、小説書く参考になりそう? 以前、そんなこと言ってたよな?」

「あははは、覚えてるの?」


 そうね、と星丘ほしおかは考える仕草をする。


「自然ってすごいよね。あの光景、果たして文章で表現できるのかな……どんなに私が筆をふるっても、あの再現は絶対にできない」

「いいんじゃないかな。音楽であれ文芸であれ、再現はできないよ。作者というフィルターを通して作られるんだから」


 もう俺の心臓は本当にバクバクだった。正直、何を話しているのか自分でも分からない。そして、分かれ道が見えてきた。俺の自宅と、星丘の自宅への分かれ道だ。


「あのさ……」


 立ち止まる。それ以上進まれると大事なことが話せなくなるから。星丘ほしおかは振り向いた。本当にゆっくりと振り向いたように見えた。


「あ……」


 真っ白になる。頭の中が。いろいろ考えた言葉が、昨夜五時間かけて添削した言葉が。こんな状況で出せる言葉は何だろうか。


「好きなんだ」


 言ってしまった。口が震える。手先が震える。声が震える。心も震える。星丘ほしおかの口が一文字に結ばれた。驚いた時の癖だ。


星丘ほしおかが好きだ。お、俺と付き合ってくれないか?」


 言ってしまった。賽を投げてしまった。望んだことだが、もう戻れなくなってしまった。大きな期待と不安、そしてわずかな安堵と悲哀とが心の中の溶鉱炉でぐずぐずと溶け合う。


「……ごめんなさいっ!」


 星丘が深々と頭を下げた。ストレートの髪がだらんと下がる。まるで俺を憐れむかのように。体の中で心臓が弾けたような気がした。


「そうか、ごめんな……」


 なぜか俺は謝っていた。赦してほしかったのだ。告白という過ちを犯して部活の友達という関係にひびを入れた俺を。


「なぁ、よかったら教えてくれ。なんでダメ……?」


 情けないことだが、聞かずにはいられなかった。星丘は一瞬逡巡した後、まっすぐにこっちを見て語ってくれた。


「……秋からね、留学するの。ニュージーランド」


 衝撃だった。卑しくもこれから友達に「戻る」ことを期待しても、それすら叶わないところに行くというのだから。


「俺、待ってるよ……?」

空野そらの君はいい人だと思うけど、そう言う風には……」


 いい人だと思う


 出てしまった。一番恐れていたワードが。誰かが言っていた、こういう時のいい人は「恋愛対象としてはどうでもいい人月の裏側」なのだと。俺は諦めるしかなかった。

 俺の様子を見て察したのか、星丘ほしおかは一礼すると足早に去っていった。俺はいつの間にか肩にかけていた鞄を地面に落としていた。気だるげに拾うとそこに星丘ほしおかのために用意したプレゼントがあった。


 これで終わりなのか……


 いや、俺はまだ燃焼し尽くしていない。あの星のようには。


 俺は走った。もう一度ちゃんと気持ちを伝える。あんなに彼女のことを想い続けたのだから。それでダメなら今度こそ引き下がろう。星丘ほしおかにとって迷惑かもしれないが、俺がまっすぐ生きるためには絶対に必要なプロセスだった。


 星丘ほしおかはすぐに見つかった。少し先の郵便ポストにもたれかかるように考え込んでいたのだ。何を思っているのだろう。


星丘ほしおかっ! すまん、せめて、せめてちゃんと……!」


 驚く星丘ほしおかに包み紙を渡した。


 「これを受け取ってほしい。俺が星丘ほしおかのために……!」


 そう星丘ほしおかのために選んだ写真集だ。彼女が憧れていた極地の厳しくも美しい写真がおさめられている。


 「あ、ありがとう……」


 星丘ほしおかは断らなかった。気圧されたのだろうか。その包み紙をそろそろと開ける。


 そこから出てきたのは日輪ひのわに貸すためのエッチなDVDだった。



   ☆彡



 その先の記憶は曖昧だ。星丘ほしおかに引っぱたかれた気がする。発狂して日輪ひのわを追いかけ、まだ公園近くにいた日輪ひのわと一緒に川へダイブした。しばらくして、泣きながら日輪ひのわに謝罪し、俺のエッチなDVDコレクションの秘蔵品を渡して赦してもらった。そう、全部吹っ飛んだスーパーノヴァのだ。あの日吹っ飛んだ星のように。今も超新星は少し明るさを落としたが輝いている。


 俺の青春は、もう知らんダークマター

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