第2話 恋②

「キス……しちゃった……」

無論男性とお付き合いした事のない私は、キス一つで心の中が大騒ぎ。

ただ一つ思えるのは、初めての相手が、先生でよかった。


そんなある日の事だった。

「千奈!」

「先生……」

珍しく先生が、大学のキャンパス内にいた。

「どうして先生がここに?」

「どうしても、千奈に会わせたい人達がいてね。」

「私に?」


その時、先生の影から褐色の肌の二人が、顔を出した。

「留学生のアムジャドと、イマードだよ。」

先生が紹介してくれると、二人は私に頭を下げた。

「アムジャド・サッタールです。よろしく。」

長い髪を一つに結び、甘いマスクをしていた。

「イマード・ヴァファーです。お見知りおきを。」

眼鏡をかけて、知的そうな人だった。

「森川千奈です。こちらこそ、宜しくお願いします。」

私も一応、頭を下げた。


「アムジャドとイマードは、日本語が上手いだろ?」

「うん。」

「国にいる日本の医師に習ったそうだ。」

「日本の医師?」

私の中で、トクンと心臓が鳴った。

「はい。Dr、ドイ。私の日本語の先生です。」

アムジャドが、ニコッと笑いながら答えた。

「アムジャド。千奈は医学部に通う、未来の医師だよ。」

「ほう。」

改めてそんな風に紹介されると、照れてしまう。

「それはすごい。女性の身で、医師になるなんて。」

私もニコッと笑った。


「アムジャドの国には、女性の医師はいないの?」

「それどころか、医師さえ足らない。」

「そうなの。」

綺麗な瞳。

アムジャドと話していると、スーッとその瞳に吸い込まれる。

「チナはどうして、医者に?」

「ああ、ええっと……」

アムジャドに話しかけられると、心がざわついた。


「小さい頃、私体が弱くて、入院してばかりだったの。その時のお医者さんにとても良くしてもらって。それで私もそうなりたいって思ったの。」

「へえ。そのお医者さんは、チナの話を聞いたら喜ぶだろうね。」

その途端、津田先生が笑った。

「実はその医者、僕なんだよね。」

「おお!Dr,ツダが!」

アムジャドもイマードも驚いている。

「それで今は、一緒にいる。」

津田先生は、私の肩を抱き寄せてくれた。


「二人は、恋人同士なんですか?」

イマードが眼鏡を押し当てた。

「そ、そんなものだ。」

津田先生は、とても嬉しそうに話していた。

でもどうしてだろう。

アムジャドには、先生と恋人同士なんて、知られたくなかった。

私、どうかしているのかな。


「じゃあ、千奈。また明日。今日は二人に紹介した人が、山ほどいるんだ。」

「うん。先生また。」

津田先生に手を振ったら、アムジャドが振り返って私を見ていた。

ドキッとした。


アムジャド・サッタール。


その名前を私は心の中で呟いた。

瞳の綺麗な人。

綺麗な日本語を話す人。

そして、私の心の中に住み着いた人。

胸が痛かった。

痛くて痛くて、私は胸を押さえた。

一緒にはいられない人。

それが悲しかった。

なぜ、悲しいのだろう。

その答えは、案外あっさりと分かった。

私はアムジャドに、一目惚れをしたのだ。

決して付き合えないのに。

同じ世界で生きて行けない人だと言うのに。


そして津田先生と、デートの日がやってきた。

「なんだか、元気ないね。」

「そんな事ない。」

アムジャドに恋をしたのに、こうして先生と会っている。

私は、悪い女なのかもしれない。

ううん。アムジャドとは付き合えないんだもの。

このまま先生と一緒にいるのが、私の幸せなのかもしれない。


「悩みがあるのなら、相談してほしい。」

先生が、私の手の上に自分の手を置いてくれた。

「これから一緒に、生きていくんだから。」

「先生……」

それはある意味、プロポーズ?

「先生、私まだ……」

「ああ。まだ早かったね。まずはいい医者になる事が先決だね。」

「はい。」

誤魔化すように、話題を反らしたけれど、先生の気持ちが押し寄せるように分かる。

私を大切にしてくれている事。


「今日は、このまま帰したくないな。」

「えっ?」

私は先生を見つめた。

真剣な眼差し。

何も言わなくても分かる。

私は、自分の体を抱きしめた。

「私……」

「分かってる。でももう、抑えきれないんだ。君を僕のモノにしたい。」

付き合ったら、こんな日が来る事は分かっていた。

でも、心が重い。

「ちょっとお手洗いに行ってきていいですか?」

「ああ、いいよ。」

私は席を立って、トイレに行った。

体を冷ますように、手を洗う。

大丈夫よ。先生は優しい人だもの。

身を委ねても、いい人だわ。

そう自分に言い聞かせて、トイレから出てきた時だ。


「チナ。」

振り返ると、アムジャドがいた。

「偶然だね。こんなところで会うなんて。」

「アムジャド……」

ああ、こんな時でさえ、アムジャドの深い瞳に吸い込まれる。

「今日は?」

「……先生とデートなの。」

「そうか。じゃあ、俺はお邪魔だね。」

そう言ってアムジャドが、背中を向けた時だ。

「ア、アムジャド。」

振り返る彼が、セクシーに見えた。

「……アムジャドには、恋人がいるの?」

「どうして?そんな事聞くの?」

私は逸る気持ちを抑えた。

「私……アムジャドを……」

慌てて口を押さえた。

先生と一緒にいるって言うのに、私は何を言おうとしているの?


「チナ……」

するとアムジャドは、私を抱き寄せてた。

「それ以上は、チナが苦しむよ。」

勝手に涙が出た。

「泣かないで。Dr,ツダは、チナを幸せにするよ。」

「アムジャド……」

抱きしめたかった。

アムジャドを、抱きしめたかった。

やっぱり私達は、一緒にいられない?


好き。アムジャドが好き。

こんな気持ちを抱えたまま、先生と一緒にいるなんて嫌。


「チナ……」

アムジャドが、ぎゅっと抱きしめてくれた。

「分かっているんだ。Dr、ツダのモノだって。」

私の胸が、トクンと鳴った。

「でも、僕はチナの事を……」

その後の言葉は、言われなくても分かった。

「私も……私も……」

私達は見つめ合うと、キスをした。

「チナ……」

「アムジャド……」

お互いがお互いを、ぎゅっと抱きしめた。

「ああ……奇跡なんじゃないか。チナが僕の事を好きなんじゃないかって。」

「私も思うよ。アムジャドが私を好きだなんて。」

嬉しくて涙が出た。

「Dr,ツダと別れられる?」

「うん。」

もう、迷わない。

私はアムジャドと一緒にいたい。

「じゃあ、ここで待っている。」

アムジャドは、私の額にキスをした。

「うん。待っていて。」

私は、先生のいる場所に、走って行った。

早くアムジャドの元に戻りたい。


「先生……」

津田先生は、寂しそうな顔をしていた。

卑怯な事は分かっている。

でも涙がポロポロと流れ出た。

「ごめんなさい。先生とは、深い関係になれない。」

泣きじゃくった私に、先生は手を差し伸べてくれた。

「分かっていたんだ。」

「先生……」

「君は、僕の事を恋とは違うと言ったね。」

「はい。」

「もしかして、恋する人ができたのかな。」

嗚咽を漏らして、私は泣いた。

「ごめんなさい、ごめんなさい。」

「いいよ、仕方ない。僕は無理を言って、君と一緒にいたんだ。」

どうしてこんな時も、先生は優しいのか。


「私、先生と再会できて、よかった。」

「千奈……」

「先生と出会えてよかった。」

いい訳かもしれない。

でも、心からそう思えた。

「もう、行って。今は君の顔を見るのが辛い。」

私は頭を下げると、再びトイレへ戻った。


「チナ。」

そこには待っていてくれたアムジャドがいた。

「アムジャド……」

私は勢いで、アムジャドに抱き着いた。

「これから、二人で過ごさないか?」

「うん、そうだね。」

私達は、そのままホテルの部屋を取った。

エレベーターの中、私はアムジャドを見つめた。

「ん?」

「ううん。なんだかアムジャドの瞳が。」

「うん?」

「綺麗だなって。」

アムジャドは、私にキスをしてくれた。

「ありがとう。この瞳は、もうチナのモノだよ。」

私達は、貪るようにキスを何回も交わした。

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