なぜ彼女は365日「好き」を伝えるのか

蒼井青葉

プロローグ

「好き、大好きだよ。大地くん」


 彼女は涙目になりながら必死に思いを伝え、そして長い黒髪をはためかせて走り去っていった。なぜか彼女は俺の家に告白しに来たのだ。しかも俺の名前を知っている。しかし俺は数日前に階段を踏み外したはずみで高校入学以前の記憶を失ってしまっている。けれど俺が誰とか、親のこととかはなぜか覚えている。医者にもいつ治るかわからないと言われた。中学の時のアルバムを見ても誰か分からない。後に残ったのは胸に重くのしかかる痛みだけ。

 高校1年生の春。これが始まりだった。


 次の日。同じ時間に。

「好き、大好きだよ。ずっとこれが言いたかったの、大地くん」

「悪いけど、君のことは分からないんだ。名前を教えてくれるか?」

 そう俺が聞くと、何も言わずに彼女はまた走り去ってしまった。

 誰、なんだよ。


 また次の日。同じ時間に。

「好き。これさえ言うことができれば私は他はどうでもいいの」

「ちょっと待てよ。いったいどういうことか説明してくれよ」

 俺はそう言って彼女の手を握った。握ったその手は細く、しなやかだったが、同時にはかなく、もろい印象を与えた。彼女は何も話そうとせず、ただ悲しげな微笑をたたえていただけだったので手を離すと、また走り去っていった。


 こんなことが雨の日も、風の日も、雪の日も続いた。普通、こんなことが何日も続けば気味が悪いと感じるだろう。しかし、不思議とそんな感情は生まれなかった。代わりに日に日に胸の痛みが増している気がした。


 俺は実家から少し距離のある高校に通い始めた。何かと不便だろうからと親が高校近くでの一人暮らしを許可してくれた。俺の家は小さいアパートで、部屋は2階にある。彼女は毎日夕方の時刻に現れる。そして俺に「好き」を伝えてすぐに階段を降りて走り去ってしまう。こんなことが何日も続くので、彼女を追っていこうとしたときがあったのだが、部屋を出て数歩のところで足の重さと胸の鈍痛に襲われてくずおれてしまった。彼女のことは近所の誰に聞いても、学校の生徒の誰に聞いても分からなかった。


 日に日に増す胸の痛みに耐えかねて、ある日から俺は彼女がインターホンを鳴らしても出ないようになった。それでも彼女は


「好きだよ、大地くん。大丈夫だよ顔を見せてくれなくても。これは私の自己満足だから」


そう告げて去っていくのだった。


 またある日から俺はその時間にバイトを入れるなりして家を空けるようにしていた。それでも彼女は俺の家のポストに手紙を入れていた。


「好きです。大地くんが思い出すまで待ってます。」


もちろん名前は書かれていない。だがこんなことをするのは彼女しかいない。


「俺に何を思い出させようとしているんだよ、君は」


 彼女からの手紙は途絶えることはなく、俺は思い出せないままもうすぐ一年がたとうとしていた。


 そして彼女からの365回目の告白を手紙で受けた日の夜、俺はすべてを知ることになるのだった。





 

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