姉の思惑はいつだって誰にも分からない

@6ame

壮大な計画

「ねぇ、このクダクラゲって人類の理想形だと思わない?」

 姉が弾んだ声で、僕の顔面にスマホを突きつけた。

「どれどれ、みるみる育って、気づけばアナタもDカップ……。確かに豊満な胸は人類の夢ではあるけれど」

「それ違うって、さてはバナーのところ触ったでしょ――私が言っているのは、こっち」と僕からスマホを引っ手繰って操作し、再び僕に突き返す。

 スマホ画面には、とあるニュースサイトが表示されていた。《全長百二十m、シロナガスクジラを抜く世界最長生物の発見か!?》という見出しとともに、ヒモ状の生物画像が添付されている。

 内容は世界中の研究機関等で結成された調査隊がニンガルー・リーフ深海域を調査したところ、クダクラゲ目のアポレミアという超巨大生物を発見したというもの。

「これのどこが人類の理想形なのさ?」

「ん~、ムカデ人間なところ?」

「意味わかんねぇよ」

「だってさあ、クダクラゲって無数の個体が融合して、一つの生物みたいに活動している訳でしょ、それって人間の嫌いな孤立と無縁じゃん」

 何故に人類の理想形とムカデ人間のディストピア感が繋がるのか、姉の思考回路に頭を悩ませていると、テンションの上がった姉が、部屋の隅にあったバランスボールに飛び乗った。

 昔から姉の思考と行動は僕には理解できない。

 姉が高校三年のとき、何の前触れもなくパデュー大学に行くと言い出し、猛勉強を始めた。親は大反対したのだが、本人はまったく聞く耳を持たず、そのまま受験。そして見事一発合格。

 その後、寮を爆破したり、フットボールスタジアムに車を突っ込んだりと様々な事件を起こしながらも、なんとか無事に卒業し、研究職に就いたと思ったら三年で日本に帰ってきて、大学生である僕の部屋に転がり込んできた。

 現在の姉の身分を語るなら、デイトレーダ。

 研究職で貯めた資金を運用し、日々パソコンと睨めっこしている。

 姉に何故帰ってきたのかを訊ねると、自分には象牙の塔の住人である資格がなかったのよ、なんてもっともらしいセリフを垂れていたが、僕の見立てでは研究三昧に飽きてしまったのではと睨んでいる。

 姉の興味はミーハーな若者のように移ろいやすく、冷めやすい。

 だが、一度やると決めたものは必ず実行してきたし、これからもそうなのだろう。

「ん~、人間の融合体って面白そうだけど、私の研究してきた分野と違うし、またイチから勉強し直すとなると、時間かかるなぁ……。そうだ、アンタ生物情報科学科に所属していたわよね、ちょっとやってみない?」

「え、嫌だよ気持ち悪い。それにそんな得体の知れないものに博奕を打つ気なんてないよ」

 バランスボールの上でゆらゆらと揺れていた姉が、芝居がかった笑みを浮かべ、

「でもさ移行中なのかもしれないよ」と手にしていたスマホを指さし、続いてパソコンをさす。

 直後、バランスを崩してひっくり返り、ベッドの角に頭を強打した。

 調子に乗ってカッコつけたりするからだ。


 コンビニの自動ドアが開き、僕はレジ袋を片手に自宅とは反対方向へと歩きだす。

 レジ袋の中身はカップアイスが一個。

 別に夜中に突然アイスが食べたくなったとかではない。

 姉があの後、人の悲劇を笑うとは何事か、と激怒し、僕のスマホを強奪。今すぐアイスを買ってこなければコイツを水没させてやると脅してきたのだ。

 僕は通路脇のベンチに腰をおろし、時間を潰すことにした。なんのための時間かというと、アイスをどろどろに溶かすための時間だ。さいわい季節は夏で、夜間といえど気温はそれなりに高く、十分も待てばアイスは液体状になるだろう。

 僕は悔しがる姉の顔を思い浮かべながら、ひとりほくそ笑んだ。

 とはいえアイスが溶けるまでの時間は暇だ。暇つぶしの必須アイテムであるスマホは姉に奪われている。

 しょうがないので僕は人間観察に勤しむことにした。

 スーツ姿のおじさんが通話しながら、駅の方へ足早に去っていく。高校生くらいの男子三人組が猫のオブジェの前で自撮りし、エフェクトをどうするかについて相談している。欧米人カップルが一つのスマホを覗き込み、時折周囲に視線を彷徨わせている。会話の節々に聞こえてくる単語から察するに、近くの居酒屋を探しているみたいだ。

 僕が観察しているかぎり、みんながなにかしらのネットワークを介して、誰かと繋がっている。

 姉の提唱した“クダクラゲ理想論”もあながち間違いじゃないのかもしれない。

 もしデバイスを操作する手間を省き、脳内で全てが完結するとしたら?

 人々は思考するだけでネットにアクセスし、まるでテレパシーのように意思疏通をする。

 そうなれば人類は個でありながら、集団になり、群生生物の機能を獲得するだろう――

 なんて我ながらアホらしい妄想に浸ってしまった。

 それでも僕はこの妄想に確かな未来を垣間見た気がした。




 ――五年後――

 僕は起業し、『アペレーバ』を完成させた。

 まぁ、正確には優秀な頭脳を持つ社員が開発したのだが……。

 このアペレーバはカチューシャ型のウェアラブル端末で、網膜に特殊な光線を照射して誰かの見ている景色を――耳の蓋膜を直接振動させて、聞いている音を共有することが可能だ。

 仕組みとしては脳波を感知するセンサーが、受信したデータを読み取り、別の端末に送信。これを受信した端末がそれぞれの反応に適した脳の部位を刺激することにより、五感や感情を他人と同化させる。

 この機能は企業に大変重宝された。なにしろ社員全員の情報は常に共有状態にあるので、伝言ゲームのような情報の齟齬がなくなり、情報交換がより確かでスムーズなものになった。

 おかげで時間ばかりを浪費する会議はなくなり、永らく社会人の基本であったホウレンソウは過去の慣習になった。

 勿論アペレーバは企業だけのものではない。

 体験や感動を仲間とシェアできるうえに、加工処理を施し、疑似体験型の映画みたいに仕上げることも可能だ。中には専用サイトにアップし広告収入を得ている者もいる。

 二〇二〇年の夏、クダクラゲから始まった計画は、今や第三の情報革命とまで呼ばれるようになった。

 だがそれと同時に大きな問題も孕んでいた。

 個人のプライバシーを守るために脳内フィルターという機能があるのだが、疚しいことがあるから隠すのではないかという疑念を抱いた人間が、開示を強引に迫るアバハラが社会問題となった。他にも学校で意識共有の承認を解除して孤立させるアバイジメ。個人の端末にクラッキングを仕掛け、よりディープな情報を盗み出す被害。

 どれもがアペレーバが開発されなければ、存在しない問題ばかりだ。

 生みの親の一員であり、責任者でもある僕には一国の首相並みの重責がつきまとった。

 何か問題があるたびに糾弾され、被害者への謝罪と賠償を求められた。

 連日メディアでは、訳知り顔のコメンテーターが、ああすればよかった、こうすればよかったと非難し、最後に責任を丸投げしてコメントを締め括る。

 そんな批判をまともに受け続けた僕の精神はすっかり消耗してしまった。

 僕の疲弊ぶりを見た、大学時代からの仲間である戸田から休養するように言い渡された。

 戸田いわく、

「そんなしょぼくれた顔をしている奴に重要な仕事は任せられん」

 僕はこれを断固拒否した。なにしろアペレーバのおかげでレスポンスが上がった分、初動対応が遅れれば指数関数的に問題が膨れ上がってしまうからだ。

 互いに主張は平行線のまま、最終的にじゃんけん勝負に発展した。

 大学時代から、揉め事の決着がつかない場合はじゃんけんで決めることになっている。

 結果は僕がパーで、戸田がチョキ。

「折角だし、実家に帰ってやれよ。きっと親も喜ぶぜ」

 

 僕は四年半ぶりに姉と一緒に帰省した。

 懐かしい一家団欒を過ごし、久しぶりのだらけた生活を満喫した。

 家族は、気を使ってか誰も仕事の話題に触れようとしなかった。

 とはいえ姉にだけはアイデアを拝借した手前、報告しない訳にはいかない。

 姉の部屋をノックし、ドアを開けるとそこには天体望遠鏡を覗き込む姉の姿があった。

「なにやってんの?」

「ん、月面観測」

 沈黙。

 僕は決心して、

「ごめん、アペレーバは人類の理想形にはなれそうにないや」

「いえ全く問題ないわ。寧ろ大成功よ」

 ポカンとする僕を尻目に姉は続ける。

「ほら私って昔から運転ヘタクソだったでしょ? だから私でも扱える月面作業機が欲しくてね」

 全く話が見えてこない。

「つまりどうゆうこと?」

「つまりは私のお月見サプライズ計画には、アンタの開発したアペレーバが必要だったって話しよ」

 計画の全容は不明だが、月に何らかの手を出したのだとしたら、姉は恐ろしく壮大な計画を実行したことになる。

 月の土地購入、機材の運搬、それから各国のお偉いさんへの根回し等々。とにかく膨大な時間と資金が必要だ。

「どんなサプライズか気になったでしょ?」

 姉は僕の袖をぐいぐい引っ張り、

「ほらアンタも見てみなさいよ、ちょっとしたガリレオ気分を味わえるわよ」

 天体観測なんて一ミリも興味は無いが、姉の強引さに負けて僕はしぶしぶ望遠鏡を覗き込んだ。

 レンズの視界は月面に浮かぶ兎の杵にあたる部分に固定されていた。

 万里の長城のように建造物をたてたのか、はたまた地球からでも観測可能な程の深い穴を掘ったのか、方法は定かではないが、それはイラストだった。

 それもとんでもないラクガキだ。

 姉が何やらべらべらと喋っているが、驚き過ぎて話が全然頭に入ってこない。

 呆然としている僕を見て姉は快活に笑った。

「あはは、これぞムーンショックだね」

 笑い事ではない。

 ソフトクリームのコーンを描き忘れたとかでなければ、間違いなくそれはウンコだ。

 こんなくだらないことのために僕はずっと頑張ってきたのかと思うと、やるせないやら情けないやら……。

 そんな僕の心情も知らず、姉は弾んだ声でスマホ画面を突きつける。

「ねぇ宿主特異性って、ロマンチックだと思わない?」

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