1:b.再始動

 薄暗い。

 天然の光が届かないその部屋は、暗さと冷気、そして鬱屈した空気に覆われている。

 溶けゆく蝋燭ろうそくの先端で、小さな光が揺らめく。それはまさしく風前の灯火、消え入りそうな微弱な光。

 壁につるされた幾本ものか細い光のみがその部屋を照らし、その場にいる人間の内心を代弁するように闇の帳を下ろしていた。


 部屋の中には、三つの人影があった。

 その内の一人は煌びやかな装飾が散りばめられた豪奢なドレスを身に纏う女性で、頭には黄金で形作られたティアラを付けていた。ティアラの中央には大粒の白い宝石が嵌め込まれ、豪華絢爛さと共に威厳を見せつけている。

 しかしその顔立ちや体付きは若く、それほどまでの派手な装飾を身に着けるには幼過ぎるという印象も受ける。

 それ以外の二人の男性も、ドレスの女性ほどでは無いにしても指輪やネックレスなど派手な格好をしているが、明らかに年齢では女性よりも上である。


 そんな男性の内の一人、恰幅の良い方が、どう見ても彼より年の低い女性に対して”報告”した。


「……やはり駄目ですな。いくら配備する兵を増やしたとしても被害者は増えるばかり、先週は犠牲者も二桁に上りました。根本の解決をしない限り、状況は好転しないでしょう」


 小さく首を左右に振り、いかにも残念そうにその男は告げた。


「そうですか……何か、案はありませんか? これ以上、見過ごすわけには……」


 女性はそう尋ねる。その表情には多分な憔悴と憂慮、そして疲労が色濃くあった。

 するとその恰幅の良い男が何かを答える前に、その場にいたもう一人、体格の良い筋肉質の男性が口を挟んだ。


「恐れながら、殿。奴らは”獣”です。話が通じる相手でもなければ、外交など出来るわけがありません。そこで我々に出来る苦肉の策として、臨時の徴兵及び警備の任を負わせたことは殿下もご存じのはず。これ以上と申されましても、我々には手の施しようが」


 苦言を呈した男の表情も優れたものではなかった。

 ”皇女”と呼ばれた女性はため息の後で、その男性に対し謝罪した。その中には重厚な責任感から来る精神的な疲労が如実に現れていた。


「……そう、ですよね。ごめんなさいヒューズ公爵」

「いえ、出過ぎたことを申しました。しかし幸いなのは、周辺住民の避難及びその空白期間中の補填、住民への支援策などの目処が早期に立ったことです。住民への損害は大幅に解消されましたから」

「ブライト卿の言う通りです、殿下。それに、我らの思いも殿下と同じ。何か案を出せれば良いのですが……」


 三人共に視線を落とし、黙り込む。皆一様に疲労やあるいは苦悩に表情が彩られ、話の話題にすら窮していた。


 その時だった。


「——皆、大儀である」


 扉が突然開かれ、更に一人の男性が部屋に入って来たのは。

 その男性を見た二人の男性は声を上げて席を立ち、女性は力なくその男性を仰ぎ見た。


「陛下!」

「陛下!?」

「お父様……」


 部屋に入って来た”陛下”と呼ばれた男性は、頭に女性と同じく金で形取られた冠をかぶり、その体を上質な布で出来た服に包んでいた。

 顔には三人と同じように疲労が見え隠れしているが、強靭な精神力で抑え込んでいる。

 彼は三人を見ると、それぞれに労いの言葉を掛けた。


「礼はいい。ヒューズ公爵、そしてアルベルト侯爵。其方そなたらの働きには感謝をしてもしきれぬな」

「「勿体なきお言葉です、陛下」」


 揃って頭を下げる男二人に、男性は苦笑を漏らす。


「礼はいいと言った。その忠義だけで十分だ。これからも頼むぞ」

「「はっ」」


 二人はもう一度礼をしてから席に着いた。

 男性はそれを見てから、女性——自身の愛娘の傍に歩み寄り、その肩に手を置いた。


「……娘よ、大丈夫か。すまないな、これほどになるまで責務を負わせて」

「お父様……はい、大丈夫です。これは私が望んだことなのですから」

「そうか……しかし、無理はするな」


 それだけ言うと、その男性は娘から離れ、その隣の席に腰掛けた。


「……さて、様子を見る限り、あまり進展は無さそうか」

「「「……」」」


 三人は黙りこくり、目を伏せた。


「……いや、責めているわけではない。しかし、そうか。やはり策は浮かばずか」

「申し訳ありません、陛下」

「謝ることはない。むしろ其方らは懸命に働いてくれている、これ以上を望むことは出来まいよ。……ファウレルに出した遣いはどうなった?」


 男性に尋ねられたヒューズは顔を上げ、切り替えて言った。


「数時間前にフリューアルに到着したと報告がありましたが、そこから先はまだ。あまり当てには出来ないでしょう。出来たとしても、時間がかかるのは致し方ありますまい」

「そうか。……やはり、舐められておるな」

「悔しいですが、事実でしょう。今回の援軍要請も、前回の検問についての協定の時もそうですからな……ここまでとなりますと」


 男三人は顔に手を当てて唸る。


「……今は人間同士でいがみ合っている場合ではないというのに」

「全くですな……」

「致し方ない側面もあるがな。"神器"も——ましてや"聖具"ですらも使い手が居ないとなれば、どこであれ下に見るだろうよ」


 自嘲気味に笑う男性は、その考えを振り払うように首を左右に振る。


「……ともあれ、無いものをねだっても仕方がない。我らは我らが出来ることをせねばな。ヒューズ公爵、ファウレルとの進展があれば最優先でこちらへ回せ。アルベルト侯爵、現在の戦力状況と被害統計を算出して最高議会へ提出せよ。やらねばならぬことは多い。これからも頼むぞ」

「「承知しました」」


 二人に素早く指示を出し、男性は隣の愛娘に視線を移した。

 もう一週間は働き詰めの娘の顔は、本来の美貌も薄れてしまっている。

 それを見かねたのだろう、ヒューズは男性に進言した。


「……恐れながら陛下、殿下は少し休まれるべきかと」

「……いえ、大丈夫です。私はまだ——」


 その言葉に男性ではなく娘の方が反論しようとしたが、続けてアルベルトも口を開く。


「殿下、私からもお願い致します。どうか少しはご自愛なさって下さい」


 言葉を遮ってまで止められた娘は言葉に詰まる。そこへすかさず、男性もまた彼女を諭す。


「ルネリットよ。お前は頑張りすぎだ。心配なのも、居てもたっても居られないのもわかる。しかし、お前がどうにかなってしまっては元も子もない。皇帝としてではない、親として心配だ」

「……ですが」


 なおも食い下がろうとする女性、ルネリットだったが、男たちの言うことを理解していないわけではない。やがて、渋々というように頷いた。


「……わかりました。ご心配をおかけして申し訳ありません」

「お前の気持ちがわからないわけではない。お前も私と同じように、いずれは国を背負わねばならぬ立場にある。お前は優しい子だから、強く責任を感じてしまうこともあるだろうが……自身が万全でなければ、その責任すらも負うことは出来ぬ。肝に銘じておきなさい」

「……はい」


 優しく、それでいて強く諭された彼女はしっかりと頷いた。その表情は疲労はあれど、思いつめたような焦燥感は消えた。

 それを見てもう大丈夫だと見て取った父は、再びヒューズとアルベルトに視線を戻した。

 先ほどの愛に満ちたものとは違い、険しさを幾分増した視線だった。


「……しかし、課題は課題だ。国境の話もそうだが、何より問題なのは人間の国家同士で未だにいがみ合っているという点だ。ここ数年、世界中で”魔獣”関連の被害数が増え続けている。中には壊滅しかかった町や村もあると聞く。にもかかわらず、大陸国家は利権や領土をめぐって対立しつつある。それ以上に優先すべき問題が目と鼻の先まで迫っているというのにだ」


 その言葉を聞いて、その場の全員の表情が引き締まる。


「最近ではブレーンへの政治的な介入も起こりつつあるようだ。これ以上は我々も静観することは不可能だ。至急何らかの手を打つ必要がある」


 男性はそう言い切ったが、それに反応したのはルネリットだった。


「ですがお父様、それではかつての”大戦”と全く同じ構図になってしまいます」

「ああ。そして、もしそうなってしまえば、かつてほどの力は無い我らは早々に滅ぶだろう。それだけは絶対に避けねばならない」


 男性はそう明言するも、結局のところ話が行き着く先は一つ。


「……とはいえ、何かしら手を打つにしろ、課題を解決するにしろ、より大きな力がいる。其方らも知っての通り、我が国には"神器"も"聖具"も使い手が居ない。繰り返すようだが、神器はともかく聖具までもが使えないとなれば、国家そのものが下に見られて当然だ。故に、私が帝位についてから積極的に探し求めていたのだが……その結果は、残念なものだ」


 男性の言葉を、ヒューズが引き継ぐ。


「神器——"雷帝"は誰に対しても心を開かず、それ以外の数多の聖具たちも沈黙を保ったまま。選ぶのはですから、どうしようもありません」

「その通り。しかし、あれらが今の我らに必要不可欠な存在であることもまた事実。何か出来れば良いのだがな……」


 男らは唸りながら考えるが、何も浮かばなかった。これまでもずっと考え続けていたことに、今この瞬間に突然答えが閃かれるというような現象こそ信じがたいだろう。

 だがしかし、そこに光明をもたらす存在があった。


「……お父様、一つ、よろしいでしょうか」

「どうした、ルネリット?」

「……これをご覧下さい」


 それは男性の娘、ルネリットだった。

 彼女はスカートのポケットから、部屋の蝋燭の今にも消えそうな光を反射してさも当然のように煌めくペンダントを取り出した。真鍮しんちゅう色をしたチェーンの先には黒紅色の宝石が嵌っており、そこだけが一切の光を反射せず昏くあった。

 それを見たアルベルトが、随分な驚愕と共に彼女へ問いを投げかけた。


「……殿下、それはまさか……聖具?」


 それを聞いた男性は瞠目し、アルベルトと同じ様に尋ねる。


「なんと……ルネリット、それはまことか?」

「はい。身勝手をお許しください」


 そう言うや否や彼女はそのペンダントを持ち上げ、首の後ろに手を回してチェーンを繋いだ。その間、彼女に何の変化も及ばなかった。

 一抹の不安と共にそれを眺めていた男三人はより一層の驚愕と期待に顔を染める。


「……おお、殿下。遂に聖具に認められたのですね」

「はい、数日前にわかったことです。……勝手な行動をしました」

「いや、お前のことだ。その行動は国の事、そして民の事を思ってであろう。良いのだ」


 男性は笑う。ルネリットもそう言ってもらえることについては喜ばしく、小さく笑顔になる。

 しかしすぐに表情を引き締めると、男性を真っ直ぐに見据え、覚悟を決めたような表情と共に言った。


「……お父様、一つお願いがあります」

「言ってみなさい」


 内容は薄々理解していながらも、男性は彼女の口からそれを言わせることにした。

 彼女はより決意を固めた表情になる。


「この聖具の使用を、許可して頂けませんか」


 男性は自分の勘が当たっていたことを素直に喜ぶべきか迷った。

 国にとってはまたとない機会チャンス。何より素晴らしき朗報。彼自身も手放しで称賛したいと思う勢いだ。

 しかし同時に、それを躊躇えるだけの理由も存在する。

 彼はルネリットへの答えを言う前に、ヒューズへ目配せした。


「聖具の使用……確かにその効果次第では状況の打開も、使いようによっては他国への示威にも用いることが出来るやもしれませんが……昨今の状況を鑑みれば、それはむしろ他国を刺激することにもなり得ます」

「ですな。ご存知の通り、聖具そして神器については、"ガルダ条約"の下、全国で管理保護しております故、少なくとも一国は口を挟んでくることは想像に難くありません」


 二人の見解が自身と異なるものではないことを確認した男性は、顎に手を当てて長考する。

 数分か、はたまた数十分か、体感ではそれ以上の深く長い思案の果てに、男性はルネリットを見据え、言った。


「……ルネリット、我が娘よ。お前の覚悟、そしてその力……信じてよいのだな」


 そう問われたルネリットは、確かに頷いた。そして、決意を表明するように返す。


「はい。必ず成し遂げてみせます」

「そうか」


 男性もまた頷き、その表情を引き締める。

 彼の意向をすぐさま理解したヒューズとアルベルトは、確認するように問うた。


「陛下。よろしいのですね」

「構わん。どの道この国を、そして世界を生かす手段は少なくなる一方だ。その内の一つをとるまでのことよ」

「他国への対応はいかが致しましょう」

「私から話をつける。弱くとも一帝国の皇帝の言葉、無下にはすまい」


 そう言った後で、彼は二人に対し更に付け加える。


「ヒューズ公爵、そしてアルベルト侯爵。これは皇帝たる私の決断であり、その責任の全ては私にある。皆に伝え、周知を徹底させるのだ」

「「承知しました」」


 二人の返事を確かに聞いた男性はルネリットの方に視線を戻した。


「よし、ではルネリットよ、聞かせてもらおう。その腹案とやらを」

「はい。まず……」


 そうして彼女は語りだした。

 如何にして世界を救うかを。

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