第1808話 魔の理解者達は、更なる高みを見据える
最強の妖魔召士と謳われてきた『シギン』だが、そのシギンが放った『魔』の技法の数々を見事に打破するだけではなく、あっさりとこれまでの生涯を『魔』に費やしてきたシギンに対して『魔』での駆け引きを見事に成立させた『
あの日、シギンが妖魔召士の長の座を降りてから凡そ数十年――。
あれからも『魔』に対する『疑問』と『解答』を延々と繰り返してきたシギンは、彼の研鑽分野の『魔』の区分ではもう、この世界に生きる『魔』の概念を持つ者達では、解決は不可能だろうという領域にまで辿り着いてしまっていたのである。
数ある『魔』の概念の系統の中でシギンが特化しているのは『空間』の技法であり、その『空間』の到達している領域区分は『魔』における『時空干渉』の領域となる。
その至った『魔』の領域をもう少し言語化して分かりやすく説明するのならば、とある空間に干渉する事でそれまでにそこにあったものに影響が及ぼして、それまでにはなかったあらゆる要素を含んだ現象が強引に発生させられてしまっている。
質量を持ったものが、その空間に干渉する事で歪みが出来て重力というものが発生する影響を及ぼすが、これが『魔力』を例とするような『魔』の概念が空間に干渉する事では、その周知の事実となる重力場といったモノではなく、対象となる『空間』に『魔力』が干渉する事で重力場のようなものではない、まさに目では見えない影響が及ぼされる事となる。
それを観測するのに必要な、数ある『魔』の『技法』の一つが『透過技法』である。
この解に神斗が至った事からも、彼が『透過』こそが『魔』という概念の根本にある部分であり、逆説的にその『魔』の概念の本質を解明するのに、一番必要な所謂『物差し』としての役割だと理解しているようである。
シギンが解を出した『空間』における『魔』の干渉の研究結果では、少なくとも神斗の出した『透過』こそが解決の糸口になるという解そのものを否定するつもりはない。
だが、それはあくまで立証に基づく理論の解が示されているというわけではなく、単なる互いの『透過』に関してのこれまでの研究に基づいた、単一の結果に過ぎない。
そして神斗がいくら『魔』の概念に対して、この『透過』さえ『時空干渉領域』という現時点における最終到達ラインに足を踏み入れる事で『魔』の概念にさらに深く理解が及ぶのだという言葉を投げかけても、シギンはその神斗の研究の末に出した結論には、素直に頷く事が出来なかった。
だからこそシギンは、その神斗の『透過』の持論を妖魔山の頂付近の空で聞かされた時、あくまで『魔』の概念の一つの結論として出せる解答といえる範疇内でのギリギリの合格点と考えたが、実際に口にした言葉は、その研究の結果では、ある時を境に必ず頭打ちとなり停滞するだろう。という神斗への助言だった。
このシギンの神斗に告げた助言の言葉はまさに本音であり、何も彼を惑わす為でも、研究の末の結論を遅らせる為であったわけでもない。
何にでもあてはまる話だが、たった数回程度の正解を出したからといって、これはそういうものなのだと結論を出して決めつけてしまう事こそが、大きな間違いへの第一歩へと繋がってしまう可能性が高い。
特に『魔』の概念に関してであれば、八割や九割の正解率を保持した『解』が用意出来たとしても、それは一つの選択肢に過ぎないのだという考えを同時に『解』に内包させておかねばならない。
たった一割の誤り、否、たったコンマ数パーセント程度の誤りでさえ、海よりも広大な『魔』の概念全体からすれば生じるズレが致命的であり、そのごく僅かなズレによって、いずれは取り返しのつかない程のズレにまで広がってしまい、もう研究そのものを断念しなければならなくなる可能性すらもあり得るのだ。
しかしだからといって、全てに疑いを持って解を提示していけば、逆に今度は何が正しくて何が間違っているかが分からず、その指標となるものを見失った挙句、結果が伴わずにその場合にも研究結果を用意できないという現実が起こり得てしまう。
この疑念こそが『魔』の理解者達を大きく苦しめる最大の要因であり、研究を行う上でいくつも出て来る疑問を解消出来ない原因なのである。
『魔』を理解しようとするのならば、要所、要所で妥協する事が必然となる。
だからこそシギンは、他の『妖魔召士』達から、全ての『魔』を理解した天才などと口にされても素直に喜ぶ事はない。
――否、天才だと口にされるたびに不満を募らせてきた。
実際には『魔』の概念の事を八割、九割しか分かっておらず、その先に続く『魔』の概念にもその八割、九割の解で得た知識しか持っていない状態で、更に用意された疑問に八割、九割の解答で得ていく知識で挑んでいくしかないのである。
そのまま疑問を抱えたままで、その先にある『魔』の概念の道に進んでいけばどうなるのか――。
その『魔』の概念全体の疑問に行き着いた時、僅か一割に満たぬ程度の知識で、これまで以上の難解な疑問に対して、解を用意しないといけなくなってしまうという結論に至るのである。
では、神斗が『透過』技法に対して全幅の信頼を寄せるように、間違っているかもしれない可能性を捨てたその上で、十割の知識だと思い込んで、更なる『魔』の疑問に挑んだ場合はどうなるのか。
――それは間違った知識の末、誤りの解でその『技法』に着手する事で取り返しのつかないミスに気付かず、何処からが間違っていたのか、何処からが正解だったのかを思い返す事が不可能となり、その挙句に大怪我を負ってしまいかねない。
別にそれで死んでしまったのであれば、それでも構わないと考えるような『魔』の理解者程度であれば、この話は終わりであるが、シギンや神斗はそんな結末で納得しようと考えて『魔』の概念を研究しているのではない。
だからこそ彼らは日々難解な疑問と向き合い、そして決してその疑問を手放すような事をせずに研究を続けているのである。
――最早、このシギンや神斗は、強くなろうという目的で『魔』の概念を突き詰めているのではなく、そこにある『疑問』そのものの解消こそが生きる意味であり、研究こそが生きていく上での意味なのである。
そして図らずもその『魔』の理解者である『シギン』と『神斗』は、現在は互いに同じ場所で『煌阿』と相対している。
神斗も最初こそ、突如として再び目の前に現れた『煌阿』が、自分よりも『魔』の理解が深い事に、驚きと信じられないという感情が彼の中で渦巻いていたが、目の前で繰り広げられる自分の理解している『魔』の概念の遥か先をいっている両者の『魔』の応酬を見て、心の底から湧き出てくる興奮を感じて『生』を実感している最中であった。
神斗からしてみれば、妖魔召士シギンという人間と、煌阿という一体の妖魔は、自分の求めるあらゆる『魔』の概念に対する『答』を持っているのである。
そこに種族や年齢など全く関係がない――。
素晴らしい『魔』の概念を知る教材たちが、目の前で自分を誘惑するように
神斗は『シギン』と『煌阿』を垂涎の的と見て、この二度と見る事が出来ないであろう崇高なる死闘を目に焼き付けるかの如く、熱い視線を両者に注ぎ続けるのであった。
そしてシギンもまた、神斗と根本にある感情は同じものであり、目の前に居る『煌阿』に対しては、神斗とは少しだけ異なり、自分と同程度なのか、それとも少しだけ進んでいるのか、否、全く自分が想像するより先へ行っているのか。いずれにせよ、最低でも自分と同じ分だけは『魔』の理解を終えていると見て、長らく忘れていた喜びの感情を露わにして『煌阿』を見るのだった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます