第1604話 数多の視線

『イダラマ』達の見張りを行っていた『鬼人』の一体が、自分達の縄張りの中を平然と歩いている事に苛立ちを募らせていたが、その人間達の中に居た一人の少年の姿『エヴィ』の欠伸あくびをするところを見て、遂に我慢が出来ずに襲い掛かろうと立ち上がり、そのまま茂みから身を乗り出したところであった。


 ――しかし、飛び出した『鬼人』は、唐突にその足を止めたかと思うと、愕然とするように身体を硬直させる。


 『鬼人』の視線の遥か先、人間の視力では捉える事が困難となる程の距離――。


 妖魔である彼だからこそ、その『魔族』の殺意が宿る視線と、交差させる事を可能とした。


「あ――? うっ、ぁ……!」


 その『鬼人』は地面にへたり込むと、慌てて大魔王『エヴィ』の視線から隠れるように、手足をもがくように動かしながら、先程飛び出した茂みの中へと這って戻るのだった。


「お、おい! し、しっかりしろ!!」


 飛び出した同胞の『鬼人』の後ろ姿に注目していたせいで、彼は幸運にも同胞が見た金色に光り輝く、まさにから逃れる事に成功していた。


 だが、そのせいで同胞が何にこんなに怯えているのか理解が出来ず、唐突に謎の変化を遂げた同胞の様子に驚きの声をあげるのだった――。


 …………


「どうかしたか、麒麟児?」


 急に背後を振り向いたエヴィに、イダラマはその場で立ち止まりながら声を掛ける。


「ん? いや、ちょっと視線が鬱陶しいから『もう向けるな』と警告しただけだよ。もう大丈夫みたいだから、さっさと先を急ごう、イダラマ」


「あ、ああ……」


 エヴィの前を歩いていたイダラマ達は、終ぞ彼がどんな視線を向けていたのか、それを確認することは出来なかったが、ゆっくりと自分を追い越して前を歩いていく大魔王の堂々とした姿に、無意識に鋭利な笑みを浮かべるイダラマであった――。


 そしてエヴィやイダラマ達は監視を行うような視線も向けられる事もなくなり、襲われる事もなく『鬼人』の縄張りを無事に抜けるのであった。


 ……

 ……

 ……


 人間達が『禁止区域』と定めた『妖魔山』の最奥さいおう――。


 崖の前に立って静かに山を見下ろしながら、一体の『妖魔』が口を開いた。


「変わった生物が、この山に紛れ込んでいるようだ」


 その『妖魔』は九つの尻尾を持つ狐の姿をしていたが、ゆっくりと人型の姿になると同時にそう呟いた。


「だが、周りに居るのは人間のようだな。それもあの赤い狩衣かりぎぬは『妖魔召士』で間違いない」


 いつその姿を現したのか、独り言ちていた九尾の妖狐の隣に、額にも目がある大きな身体をした三つ目の鬼がこちらも人型の姿で妖狐に返事をする。


「うむ。山の麓には似たような格好をした人間がよく入り込んでいたが、中腹まで姿を見せる人間は十数年ぶりといったところだな」


「まぁ、人間達の寿命は短いからな。どうやら今回もまた世代が代わる頃合いの時期という事なのだろう」


 彼らが今居る『妖魔山』の『禁止区域』まで入り込んでくる人間はあまり居ないが、山の中腹付近まで登ってくる『妖魔召士』の人間はそれなりに多いようである。


 九尾の妖狐や、三つ目の鬼達は、どうやら世代が代わる時期に思い上がった若い『妖魔召士』が、自分達であれば『妖魔山』を変えられるとばかりに、勘違いをして登ってくるという事をよく知っているのだろう。


 彼らはそれだけこの山に長く居座り続けている、最高ランク付近の『妖魔』である事は間違いがなかった。


「だが、例外というのは常に存在するものだからな。あの者達がまたあの時のように、ここまで来る事の出来る勇気ある者達である事を期待して待とうではないか」


 九尾の妖狐がそう告げると、三つ目の鬼の表情が緩んだ。


「皮肉が効いておるわい。お主の言うここまで来る事の出来る勇気ある人間は、実際にお主を一目見てあっさりと人里へ逃げ帰ったではないか。そう言えばあの時のお主の唖然とした顔は中々に面白かった」


 三つ目の鬼は、かつての『ゲンロク』達の事を思い出しながら笑みを浮かべるのだった。


「まぁ、そう言うなよ……。あの時ほどガッカリした覚えはないぞ。ようやくここまで登ってくる事の出来る人間の実力者と戦えると思ったところだったのだからな」


 九尾の妖狐は当時の事を思い出してそう告げると、大きく溜息を吐くのだった。

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