第930話 ヌーと酒と人間

 ソフィとテアが宿で襲撃をされている事など露程にも思っていないヌー達は、利用するように言われた裏道通りの町の端に建つ酒場で、ノックスの世界の酒を呑んでいた。


 開店してからそこまで経ってはいないというのに、既に店の中は満席といえる程に人が集まっている。どうやら旅籠の町というだけあって宿を利用している客が多く、この酒場にも集まっているようであった。


 妖魔が蔓延るこの世界では、外を自由に歩くことも出来ない為に、娯楽といったモノに乏しいノックスの世界では、酒は相当な娯楽であった。


 そしてエイジが旅籠屋と呼んでいたこの旅籠町には、多くの物売りが宿を利用するだけあって、多くの品々が手に入る。旅籠町の酒場や食べ物屋は、非常に人気のあるスポットといえるのだった。


「へい、お待ち」


「おし、きたか」


 店のカウンター席の一番奥側に座ったヌーは、店員に注文していた酒を上機嫌で受け取る。そして後から出された皿には、どうやらヌーの好物である焼き魚がのっていた。宿を利用すれば一杯目は無料になると言われた為、大きなグラスになみなみと注がれた酒を一気に呑み干した。


 この世界の酒は『アレルバレル』の世界や『リラリオ』の世界とは違い、相当に度数が高い酒が一般的であった。冒険者ギルドといった施設も無く、妖魔と戦う事の出来る人間もまた限られている為に、限られた資源と限られた素材を活かして何とか大量生産できる配分で作られた酒。


 こんな世界の現在の実情では贅沢もいっていられないが、他に娯楽も無く日々を生きている酒飲みにとっては、このきつすぎる酒こそが、唯一の楽しみと言っても過言ではなかった。


「むっ、ヌー殿は相当にいける口だな」


 ヌーの豪快な飲みっぷりを隣で見ていたエイジは、笑みを浮かべながらそう言って、自分の酒も呷る。


「ふんっ、魔族が酒を飲めねぇでどうする。ったく、あの馬鹿テアの野郎、何が酒は嫌いだ」


 アテ代わりに頼んでいた魚を頬張りながら、宿に残してきたテアの愚痴を吐くヌーであった。


「はははっ、まぁそう言うものではないぞ。人には好みというものが存在するのだ。お主が逆に嫌いなものを、テア殿は好んでいるかもしれぬ事を忘れてはならぬ」


「ちっ! テアは人間じゃねぇけどな」


 そう言って店員に視線を送って次の酒を頼むヌーは、頬杖をついて寂しそうな目を浮かべる。どうやら余程この男はテアと酒を飲むことを楽しみにしていたのだろう。


 このヌーという魔族の事を良く知らないエイジは、単にそういう感想を抱く程度ではあったが、アレルバレルの世界でのヌーという魔族の本性を知っていれば、こんなにも他者に対して興味を示す事は驚くべき事であった。ケイノトの町でソフィが驚くのも無理はなかったのである。


 再び店員から酒を受け取ったヌーは、次々と呑み干していくのであった。ヌーの愚痴に付き合う形で、エイジもまた酒と仄かな香りとうっすら甘味を感じる『ノックス産』の木の実を齧る。


 宿を利用する代わりにこの店へと案内した男は、どうやらこの店の主人のようだが、ヌー達がこの店に来たのを確認した後、そのまま姿を消してしまった。


 何やら確認をするような視線をヌー達に送ってきたが、テアと呑めない事になって苛々してたヌーに睨み返されて慌てて店から去っていったようである。


 しかし約束通りにしっかりと一杯目の酒は無料と店の者に言われた事で、少しだけ気分を良くしたヌーは、店を吹き飛ばしたりする事無く、こうして愚痴を吐きながらもどうやらノックスの世界の酒が気に入ったようで、エイジに愚痴を言いながらも酒を楽しんでいるようであった。


 酒の席としてのこの場のエイジは、聞き手に回っているようだが、その聞き手としてエイジは相当に優秀な様子であり、ヌーに気持ちよく話を切り出させては望むような回答をしてみせていた。


 どうやらエイジは人の話を聞く事には、相当に長けているようで、その理由は彼の師である『サイヨウ』が関係しているのだった。


 サイヨウは妖魔召士として、大変優れている師であったが、どちらかといえば戦闘を自身で行うよりも説法を得意とする人間で、過去の『妖魔召士ようましょうし』達の会合では、多くの有識者が集う『妖魔召士ようましょうし』を相手に妖魔とは何か『妖魔召士ようましょうし』とはどうあるべきかなど、まるで説法を説くかの如く持論を唱えては、聞く者達を納得させていた。


 そんなサイヨウを師として仰いでいた以上、普段からエイジはサイヨウの説法に耳を傾け続けて熱心に話を引き出しては知識を吸収していた。


 そういった経緯もあって彼は『妖魔召士ようましょうし』の心得だけでは無く、他者から話を聞くという、聞き手としての技術もまた相当に磨かれていったのだろう。


 こうしてこれまで他者を信用せず、自身の種族である魔族でもない、むしろ毛嫌いしていた傾向のある人間に対して嬉しそうに身の上話をするヌーを見ていても、エイジがどれだけ優れているか、窺い知れるというものだろう。


 ――そして二人の会話は徐々に、最近の話に変わっていくのだった。


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