第5話 割のいい復讐のしかた

 急襲された教授は振り下ろされたスコップをわずかに躱して、退いた。


「このっ! 手をどけろ!」


 鬼気迫る勢いでスコップを振り回して、教授を石櫃から退けていくユーリ。だが教授が石櫃から降りてもユーリの手は緩めることはなく、叩きつける。教授は仕込み杖で応戦するものの幾度の猛攻に防ぐのが精一杯のようだ。ガツンとユーリの手を県の側面で叩くと、窓から飛び出して逃げ出した。

 教授を追いかけようとスコップを手にして立ち上がろうとしたが、がくりと体が倒れた。先ほどの剣戟で手を負傷している。


「止まれユーリ、手をけがしている」

「離して。あいつを。あいつを」 

「ユーリ、お前がエメラダ夫人の本当の娘なんだな」


 急に力が抜け落ちて床に跪くとユーリは自分の過去のことを話し始めた。


「私の本当の名前は、ユリシーズ・エメラダ。生まれはリバプールのエメラダ家の屋敷だけどぉ、アイルランドの家に養子に出されてたのぉ。この訛りは育った家でアイルランド語を学んだからきれいな英語も忘れちゃったぁ。でも疎遠じゃなかったんだよぉ。お母さんがいる屋敷に何度も足を運んだり、手紙のやり取りも頻繁にして。でも飢饉が発生して、私の家は助けようとしたんだけど備蓄が足りなくてぇ。結局ほかの貴族のように隠し持っているんだとうわさが立ってそれから」


 それから一人アイルランドから逃げ出し、唯一の肉親である母親を探すためにロンドンにまで来たが見つけられず俺に拾われるまでに至ったというわけだ。


「ゾンビィ事件の時に聞き込みをした庭師のおじさん。あの人のこと覚えていたの、やっと知り合いを見つけて、小さいころ屋敷で歌ったのと同じのを歌ったのだけどぉ、とっくに忘れちゃってたみたい。アイルランドの家もお母さんも、私のことを覚えている人はもう。この世界に私にの帰るところはもうどこにもないんだって。だからもうジョーンズのところにしか私の居場所はないんだって。ユーリとして生きるしかないと覚悟したのに。

 でも、でも、トワイライト夫人がお母さんで、それでお母さんの娘が別の人と間違えられて事件が起こって。本物はここにいるのにぃ、まるで私がゾンビィだよぉぉ」


 溜まっていたダムが一気に決壊したように、大きな粒を目からこぼした。

 一人ぼっちのユーリは確かに愛されていた。だが突如すべてなくなったときにその愛の深さが自分の重しとなり、二度と戻ってこない無情さをユーリの体を被ることで保っていた。目の前にいるのは酒飲みのユーリではなく、孤児になったユリシーズという少女だ。

 だがこのままではだめだ。


「いくぞユーリ」

「どこ行くの」

「あのくそ教授をつぶす」

「ダメ。ジョーンズ、あれは私がぁ、殺る。お母さんを侮辱した。あいつをぉ」


 怪我をした手をぎゅっと握りしめるが、うまく締まらず、自分のしようとすることを口にできてない。


「お前はどっちに生きたい」

「どっちって」

「ユリシーズ・エメラダとして母の仇を討つか。墓荒らしのユーリとして生きるかだ」


 ユーリが悩んでいるのは蘇った自分との折り合いだ。

 ジェームズのように二つの面をつけて生きる道がある。だが、こいつはどちらで生きるか一年前から決心がついていないまま、今まで生き延びていた。修羅場を潜り抜けたユーリという皮を被っていたからこそ生き延びれた。だがユリシーズでは突如殺せと言っても動けないのが自身の体から現れている。仮に成功したとしても、復讐の後は、無気力のゾンビになる。

 ここでどっちの道へ生きるか決心させなければならない。


「ユリシーズか、ユーリか。一年前おびえて震えた少女を俺はチームに入れた。お前には価値があるとリーダーのジョーンズがそう決断した。飲んだくれのユーリは頭がよくスカルヒュームに必要だと。ではアイルランドで育った没落令嬢のユリシーズお嬢様は? 復讐をするならしてこい。だが敵を討つのに、人殺しに躊躇するお嬢様のことを俺は知ったこっちゃない」


 ぽとりと赤い雫が床に滴る。その雫がこぶしを作って止めると、服の一部を切り取って手に巻き付けると、スコップを再び手にした。


「あの日助けられたときから、私はぁ。ユーリだよぉジョーンズ」

「そうだ。そして、あのクソッたれイカレ教授に俺たちをなめたことを後悔させてやる。それと俺のことはボスと呼べ」

「--イエス、ボス」


***


 砂浜にきれいな足跡が残されていた。革靴で履いた人間が走ったのだろう。だがこの夜中に歩きにくい革靴で走るような人間はいない。ただ一人、逃走している教授を除いては。

 足跡を手掛かりに逃げていく教授を追いかけていく。教授はそのまま坂を駆け上がっていくと、向こうに海の音が聞こえていた。あいつ、間違って崖の方を走っていきやがった。自ら落ちに行く教授に、教会にあった机の脚から取った即席の棍棒を手の上で叩きながら近寄る。


「海の藻屑になる準備はできたか。スカルヒュームをコケにした罪、手前の骸一つじゃ返済しきれねえぞ」

「たった二人で私を追い詰めるのかね」


 状況は明らかに不利であるはずが、教授の顔には余裕があった。


「最少人数二人でも墓荒らしはやっていけんですよぉ。こっちはぁ、豚箱にぶち込まれかけたりとぉ、修羅場何度も乗り越えてんだぞぉ。お前のようなぁ、頭でっかちジジイ一人行方不明にするのも簡単なんだぞぉ」

「そうかね」


 ぱちんと指を鳴らすと、背後に男が現れた。挟み撃ちというわけか。


「いいかユーリ。どんなチームでも共通していることがある。部下はボスを必ず身を挺してでも守る。俺が危険な目にあおうとしていたら、守れ。そして死に行けと言ったら、その通りに進め」

「……イエス、ボス」


 ユーリが反転して後ろの男に向かっていくのを見届けると、俺は教授に得物を向ける。仕込み杖の細剣がフェンシングさながら縦に横にと軽さを生かして、近づけさせないように腕を振る。

 ぴしりと剣が袖の上を通過すると、ひらりと薄皮一枚と共にぱっくりと破れ、皮膚の下から鮮血が噴き出した。なんて切れ味の鋭い得物だ。カツンカツンと棍棒で細剣の剣劇をはじき返していくが棍棒が削れていくだけでまるで役に立たない。

 そして先ほどユーリがやられたときと同じく細剣の側面で手の甲を叩くと棍棒を落としてしまった。ゴロゴロと斜面を転がる棍棒を拾いに行こうとするが、教授はその隙を逃さぬとばかりに脚を執拗に切りつけに行く。


「ボス、交換!」


 ひょいとユーリからスコップが投げられ、持ち手のところを受け取った瞬間教授の細剣が頭上から振り下ろされた。

 カキンとスコップの頭に細剣が刺さった。教授が剣を引き抜こうとするがまったく動く気配がない。さすがエドガーからもらったスコップだ、剣が抜けねえほどの強度のをくれるとはな!

 形成逆転となり、教授を崖の方に押し込んでいく。


「あの世に落ちる前にもう一つ聞いておきたい。なんでトリックがわかるようなヒントを残しておいた。パンくずしかり、荷車しかり、店主にトリックのヒントとなるようにカーテンを閉じさせるように俺の目の前で伝えたり。うっかりというにしてはわざと過ぎる」

「目ざとい。さすがゾンビ事件を解明した人間だけのことはある」

「あんたが事件の裏で操っていたのかよ。そんなことをして得がある!」

「証明したいのだよ。難解な問題を作り上げることは数学と同じだれでもできる。だが解き明かさなければ証明は不可能だ。エメラダは、ルーナーは私の難題を次々と解かした、素晴らしい人だった。だが彼女はいなくなった。最初は彼女を弔うためにしたが、その穴を埋めるように素晴らしい推理をする人間、ジョーンズ君が現れた。彼なら。どうだ墓荒らしなんて辞めて私の問の手伝いをしてみないか」

「そいつは…………まったく割に合わねえ仕事だな。交渉決裂だ」


 ガツンと教授の右手を殴ると、手にしていた仕込み杖が離れる。その拍子に挟まっていた細剣が外れて滑り、崖の下に落ちていった。


「君がいなければ私の頭は暴発してしまうんだ。ルーナーは私の話をよく聞いてくれた。私の理論が、理屈を彼女は「素晴らしい」と「想像も及びません」と褒めたたえてくれた。きっと私の考えをしたため、トリックの証明を書いたノートがどこかにあるはず」

「どうしてあると確信する」

「彼女は私を愛していたんだ。あのメイド狂いの男爵なんかよりも、小汚い庭師よりもずっと、ずっと」

「へえ、ご婦人はたいそうあんたの話を気に入って聞いていたようだな。荒唐無稽すぎて自作の小説のアイディアにしちまうぐらいに」


 急に教授の手が俺の服をつかみ上げた。ほぼ目と鼻の先にまで教授の顔が近づくとその目は余裕ぶったものはなく、憤怒と充血で満たされた血走ったものだった。もみあいになり引き剥がそうとした直後、片足が地面から浮いていた。教授は俺の服をつかんだまま共に崖へと落ちていく。


「ボス!」


 腕の肉が千切れそうだ。間一髪のところでユーリが俺の腕を伸ばしたが足には教授がしがみついている。ユーリの細腕では一緒に落ちてしまう。おまけに下は深い海で底に岩があるかわからない。


「ユーリ、離せ。お前も落ちるぞ」

「だめぇ! ボスの命を守るのが部下の役目だものぉ」


 さっきの命令を忠実に守ろうとするのは頼もしいことだが、しかし状況が最悪すぎる。ユーリだけでも助ける、わけにはいかないな。教授だけを落とせばいいのだが。とふとあれを思い出した。


「ナイフだ。ナイフを寄こせ!」


 護身用に渡しておいたナイフを空いている左手で受け取ると、教授がつかんでいるズボンの腿の部分に沿って切っていくと、ビリリと紙が切れるような音を立てて破れ始めた。


「なぁ!? ふ、服が」

「どうだ。ボスのけちんぼは服の一着を下手な裁縫で縫い付けてまでやるんだぞぉ」

「思い知れイカレポンチ教授。貧乏人の服の構造がどうなっているか落ちる間に考えとけ」


 ブチィと最後の糸がちぎれると教授はズボンの破片と共に大きな音を立てて海の中へ沈んでいった。

 ぐるりと体をひねらせて、ナイフを足場にしてユーリに引っ張ってもらい再び地面に足をつくことができた。


「死んだぁ?」

「いや、この高さで骸が上がってこないということは海の中を泳いでやがる。たくっ、しぶといやつだぜ」

「二度と戻って来るなぁ」


 ユーリに襲った協力犯は逃げうせたようだ。足元に教授が落としていった仕込み杖の鞘だ。俺たちがもらったオークではなくヒイラギの木を使った高級感のある鞘は高く売れるだろうが、金文字で『J・モリアーティー』と刻まれた教授の名前があり、足がついたら困るため、泣く泣く海に投げ捨てた。


「戻るぞユーリ。まだ仕事が残っている」

「イエスボス」


***


 最後の土を被せると、エドガーが『メアリー』と刻まれた墓の前に花束を置いて手を合わせた。


「これでいいんだよな」

「うん。素晴らしい埋葬だ。墓荒らしは掘るだけでなく埋めるのにも才能があるようだね。将来規制が厳しくなっても食い扶持には困らないだろうね」


 褒めているのか皮肉なのかよくわからないが、ようやくこの仕事から解放されるのだからもうどうでもいいや。そして今回の報酬である帰りの汽車の切符と成功報酬である大金の入った封筒を受け取り、袋の中身を見るとポンドの数が少なかった。


「おい、約束の分より少なくないか」

「彼女の棺を盗まれたから成功報酬は半分に減額させたよ。プロに失敗は許されないんだから」


 ちっ、ケチりやがって。列車の移動から埋葬するまで苦労の連続だというのに、その分の苦労分を上乗せしてほしいぐらいだぜ。


「しかし、どうやって死体を盗んだんだ。君や店主がいたというのに」

「それはぁ」

「卑劣な同業者がいたもんです。エドガーの旦那がメアリーとねんごろと知って、数人がかりで棺を偽物と入れ替えたんです」

「つまり、そいつらがメアリーを」

「いや、盗んだ奴らは脅迫状しか出してないと自白したんです。骸を盗んだ後、エドガーさん宛に身代金の要求をする計画だったんでさあ。その前に俺とユーリでしばきましたが」

「なんてひどい奴だ。僕の気持ちを弄んだあげく身代金まで。そいつら一人残らず潰してやらないと気が済まない!」

「ああ、心配なく。奴らは魚と同じ寝床で寝ています」


 それを聞いてエドガーはにんまりと不敵な笑みを浮かべて「見事な仕事だ」と懐からポンド硬貨を投げて渡した。ちょろいもんだ人数はともかく沈めたことは嘘は言ってないんだからな。

 リバプールの駅に戻る道すがら、ユーリがさっきのことを問いただしてきた。


「なんでぇ店主が実行犯だと告げなかったんですか」

「あの店がなんで未だに繁盛しているか考えたことあるか。イーストエンドならともかく、あの店は身分の高いも低いも関係なく入りびたる。なのに従業員が殺されたとあっても客足は途絶えず、悪い噂が聞こえない。店主はエドガーと共謀して、殺されたことをもみ消したんだ。従業員が殺されたとあったら客足が減るし、従業員も逃げられるのは嫌なはずだ。教授の恐ろしいところはそれを見越して店主に片棒を担がせたことだ。そらく脅迫状にメアリーが店内で殺されたことを暴露するぞとかな。

 それに骸が教会に置いてあるとしたら、店主がおとなしすぎる。街からそこまで離れてないし、俺たちがまた墓地をしらみつぶしに探しに行くと考え気が気じゃない。おそらく店主はあの偽馬車が本当の馬車だと思い、どこか遠くに持ち去られたと信じたんだ」

「えげつない悪党ですなぁ。そしてボスも真実を捻じ曲げる大悪党ですねぇ」

「当たり前だろ。俺たちは墓荒らしで、推理屋じゃない。それに教授のことだけでもめんどくさいのにややこしいことを表沙汰にしたくない」


 沿岸に沿ってリバプールの街を過ぎていくと、後ろについて行ってたユーリが俺の行き先が駅でないことにようやく気付く。


「あれぇ? ボス、ここ駅じゃないですよぉ」

「あの教授エメラダ夫人の手帳を探しにまたここにやってくるから、最後にあいつが悔しがる復讐をしてやるんだよ」

「え? でもお母さんの手帳あの石櫃の中にはなかったよぉ」


 昨夜メアリーの骸を奪い返した後、エメラダ夫人の手帳を探してみたが副葬品にもメアリーの服の中にもそれらしいものは入っていなかった。教授の言う手前、どこかに存在はしているとのことだが、奴自身結局見つけられてないようだ。これは非常に有利な状況だ。

 教会の前に到着すると、ユーリがハッと何を妄想したのか青ざめた顔で俺の腕を引っ張った。


「あのぉボス。まさかこの教会をもやすんですかぁ。なんか罰が当たりそうで私的に腰が引けるんですがぁ」

「燃やす。そうだな。そうだなそれもあいつを絶望させるいい手だな」


 俺の考えとしてはそんなことはしない。燃やすなんて目立つことをすれば、教授は手がかりを消したとして、こちらに復讐の機会を与えてしまう。それは割のいい復讐ではない。

 誰もいない教会に入ると、ぽつねんと立てかけられた梯子を伝って二階に上がる。この前見た時と変わらず、埃が被ったままで誰も触れた形跡がないことを確認すると、窓のそばに置かれた机の上をコンコンと叩いた。


「ユーリ開けてみな。あいつが最も悔しがる割のいい復讐がその中にある」


 引き出しを開けると一冊の本が埃をかぶって置かれていた。本を一枚一枚じっくりと黙読して読んだ途端、その手が急に止まった。


「これ、お母さんの日記?」

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