第3話 消えた死体
頭が目の前に起きたことを拒んでいる。骸が消えたなんてありえない、棺のふたを開けた時も店主に確認したときもちゃんと入っていた。馬車に運ぶときでさえ骸の体重の重みは感じていた。しかし目の前の木棺には骸も副葬品入っていないただの大きな木箱と化していた。
ぐいっとエドガーに胸倉を捕また。昼間の飄々とした雰囲気はなく、目を血走らせてエドガーは憤慨しながらしきりに俺の体を揺さぶる
「どうしてくれる! 君の腕を見込んでいたというのに!」
「旦那落ち着いてください。誰かに気づかれますよ」
「落ち着いていられるか。愛しのメアリーが奪われたんだぞ!」
店主がエドガーをなだめようとするが、彼の怒りはまるで収まる気配はない。
……奪われた?
「エドガーの旦那。どうして骸が奪われたと断定したんだ。失敗したとか落としてしまったとかでなく。この仕事何か別のことが裏にあるんじゃないか」
「……どうなんですかぁ。説明しないと、ぶっ叩きますよぉ」
ユーリが握りしめたオークのスコップがまるで鉄の凶器のように鋭く光る。
「エドガー様、あの手紙のことを話した方がいいでしょう」
「わかった。事情を話そう。メアリーは殺されたんだ。店を出た後の帰り際にナイフで刺されて。犯人がわからないままメアリーの葬儀の終わった翌日、脅迫状が届いたんだ」
エドガーの胸ポケットから取り出した一枚の紙切れ、紙に書かれていた文字は新聞の切り抜きをつなぎ合わせて作られており、大きさがまちまちだ。そして脅迫状には『わが愛娘は私だけのもの。誰の花嫁にも愛人にもさせない。娘の遺体すら渡さない』と手紙のような文体で、呪いの言葉が書かれていた。
「呪いの脅迫状だと思った。その手紙が届く前日に店主と、私の用意する墓地に妻に内緒で移動させる話をしたばかりだった。まだメアリーを殺した犯人も見つかってない以上近場の墓荒らしに頼めず、ロンドンにあるスカルヒュームのリーダーに依頼したんだ」
「おかしくなぁい? メアリーは、両親がいないはずでしょうぅ。なのに今さら母親としての責務を負うだなんてぇ。自分勝手だよぅ」
ユーリが怪訝な表情で反論した。呪いなどの類は骸を盗む俺にはまったく信じていない、仮に自分の娘を守るために殺したなど本末転倒じゃないか、そんなの親のやることじゃない。
「実は、ある噂があってね。メアリーの母親はルーナー・エメラダという男爵家の娘という話があるんだ」
「その噂の真実はどうなんだ店主」
「さあ、私もさっぱり。エメラダ様は私の店の常連様だがエメラダ様が屋敷を引き払ったちょうどその七年前にメアリーを雇って、そのあとも年に一回エメラダ様はリバプールに戻ってきては必ずうちを利用されたんです。その時意気投合して給仕になったのがメアリーなんだ。エメラダ様が持ってくるクッキーをいつももらっていたから、傍から見れば関係があるとみなされていたんだ。けど本人は否定してたよ「あんな素敵な人の娘だったら、めんどくさい会い方しないよ」と」
つまりは、メアリーとエドガーが恋仲であると知り、エメラダ夫人の隠し子疑惑を思い込んだ人間が脅したと考えるのが筋だな。ただ実行したのが本当に実の母親なら、その母親はとんだ狂人だ。
「それに、エメラダ夫人であるはずはないんだ。ご夫人は、今トワイライト夫人としてロンドンの墓の下で眠っているんだから」
「今なんつった! トワイライト夫人だと」
思いもしなかった人物にたまらず吠えてしまった。
トワイライトが男爵の名前であることは知っていたが、それがエメラダと同一人物だなんて。
「とりあえず、今言えることはそれだけだ。メアリーを探し出すまでリバプールには出させないからな」
エドガーはそう言い捨てると荷台に乗り込み、店主が馬を走らせると街へ帰っていった。
残った俺たちは徒歩でエドガーが用意した宿に入った。宿はロンドンの安宿よりはよく、ベッドも掛け布団も雨漏りもしない天井もある素晴らしい設備を備えている。これほどの宿なら大の字でベッドに倒れるのだが、今日の失敗で眠りにもつくことができない。
「まったくとんだ骨折り損のくたびれ儲けだ。いや儲けすらない。なあユーリあの時馬車に運び込んだときは」
「……うん」
ユーリはベッドに腰かけて元気なくうなずいた。おかしい、酒が抜けたとしてもいつもならから元気で励ますのだが。
「どうしたユーリ」
「……ちょっと眠たい」
「さっさと寝とけ。もうすぐ朝だ。その分だと体がもたないだろ」
「わかった」
気だるげにユーリはベッドの中に潜り込みそのまま眠ってしまった。俺もベッドに入って目を閉じようとするが眠りに落ちなかった。今日の失態もそうだが、トワイライト夫人のことで引っ掛かりがあった。
トワイライト夫人がメアリーと本当に親子であるなら、どうして自分から娘と直接話せなかった。あの手紙を自身が殺される前に実の娘がライバルの家の息子と愛人関係になったのを不服として、娘を殺した後に狙いすませて送ったのか。
振り返っても荒唐無稽な妄想が止まらない。それでも、それがありえるかもしれないと頭をよぎった。何せ、自分の子供でない子に実の父親への殺害を抱かせる魔性の女なのだから。
***
翌朝、ユーリがまだ寝ている間に俺一人で昨日の墓場に戻ってきた。
眠れなかった。昨日の一件は墓荒らしとしての面目をつぶされた不服が。依頼主を怒らせ苦労して盗んだ骸を盗む不届きなハイエナ野郎をこの手で捕まえなければ、腹の虫が収まらない。
だがどうやってあの短時間で骸が盗まれたのか、皆目見当がつかないのだ。移動している最中に盗まれた可能性があるとは思えない。だとすれば盗まれたタイミングとしては、あの警報の灯りが起きた時しかない。しかし棺の中身がそっくりそのまま持ち逃げできる芸当は難しい。複数人で運ぶにしても、歩く音もなかった。忍足ではとうてい間に合わない。
それに人の体重は生きているとあまり考えないが、家具と同程度に重い。メアリーは見た目十八程度だから
昨夜の霧は薄くなっていて、ランタンなしでも墓場の入り口が見えた。視界がよくなって初めて見る共同墓地であるが、立っている墓石はまばらで、墓石が折れてたり周辺に草が生い茂っていたりと手入れがされてなく半分以上が荒れ放題であった。
墓守がいないのだろうな。こんな有様じゃあ、エドガーが墓を移動させてほしいと頼むはずだ。
先に昨夜掘ったメアリーの墓地まで進んでみる。墓石の形状は記憶していたのですぐに見つかった。穴を埋めなおしたときに周辺の土を拝借してへこんでいる。ここから棺を運び出して馬車に入れたのは間違いない。たしか馬車が動いた後、すぐに海の音が聞こえたから馬車が止まっていたのは海側のはず。
ずんずんと霧の水分でずいぶんと湿った土の上を歩いていると、古びた教会が見えた。こんなところに教会があったのか。教会はペンキがあちこち剥げており、かつては純白であっただろうが下地の積み石が現れている。外に飛び出している旗を飾るポールは、旗の残骸がかかっているだけの廃墟としか思えない。
中に入ると埃っぽい空気が押し寄せた。教会の中は灰色で覆われていて、金目の物らしきものはほとんどなく、残っている椅子は穴が開き。十字架のキリストとマリア像の頭上と石櫃は剝げており、教会の人間もここを管理していないことが一目でわかる。
「エメラダさんですか」
不意に背中から呼びかけられた表紙に懐に忍ばせた刃物を取り出した。その場にいたのは、スカーフを頭に巻いて腰がお辞儀の角度のまま曲がっている老婆が手を振るわせて立っていた。
「あんた誰だ」
「その声はエメラダさんじゃないですね。そうですか、今月も来なかったですか」
うなだれて独り言ちる老婆、老婆のたるんだ瞼の隙間から見えた目は白濁しており、目が見えていないようだ。このばあさんは犯人ではないな。こんな老婆が骸を背負ったら一緒に墓に入りそうだ。
「ばあちゃん、あんたここの教会の人間か」
「いいや掃除に来たんですよ。この教会は長いこと神父様や墓守の人が居ついてないから、先に逝った夫の墓掃除のついでにここも掃除しに来ているです」
「ところでエメラダと言ったよな」
「ええ、ええ。あの人は、よくこの教会に来るんですよ」
「よかったらその人の話を聞かせてくれるか」
「ありがとうねお兄さん。クッキーとパンがあるからモーニングティーにしましょう」
老婆はそろそろと壁際にあるテーブルに積もっていた埃を払い落して、バケットを置いた。持ってきたバケットの中にはカップとティーポットにクッキーとパンが入っていた。注いでくれた紅茶は毒々しい紫の液体で、紅茶とは言えない代物だった。匂いも薬のようなツンと来るもので飲み物かと思った。
しかし老婆はそれをそのまま口につけていた。俺も一応とそれを口にすると匂いはともかく思いの他美味いもので、驚いた。
「エメラダさんが来たのはいつ頃なんだ」
「あの人とあったのは、昨日のことのように思い出しますよ。七年前でしたかね。墓掃除の後に一休みしていたらきれいな人がいたんですよ。ええ、まだ私の目が少しだけ光が見えていた頃にあの美しい人がね、いたの。ここの二階から見える景色がいいって」
「二階は何があるんだ」
「さあ、私は足が悪いし。目もだめだから見たことがないんです。でもあの美しい人ですから、きっと素晴らしい景色なんでしょうね」
上を見上げると、一本の梯子が立てかけられていた。二階は天袋のようなフロアで、そこまで大きくはないようだ。後で調べる必要があるな、そして老婆が作ってくれたクッキーを口にくわえた。うん。これはちゃんと味がある。だが量が多い、手の平ほどの大きさもあってボリューミーだが、十枚もあったらお茶うけとしては多い。
「そのクッキーおいしいでしょう。夫の好物でね。あまったクッキーはエメラダさんが持って帰ってね。それからそのパンもお気に入りなの。あの人、固いパンが好きなの」
勧められたパンもかじってみる。食えないことはないが、古いパンだ。男爵家に嫁ぐぐらいの令嬢であるトワイライト夫人もといエメラダ夫人が古くて固いパンがお好みなのか。
「あの人に会えるのは一年のうちの海がよく見える日に会えるの。だいたいすごい霧が現れた次の日には来るの」
「ばあちゃんはその日を知っているのか」
「ええ、この街に住んでいる人間なら知っているわ。去年もちょうどその日に会えたの、でも変ねえ今の時間なら来るはずなのに。もう少し待った方がいいかもね。それにしてもお兄さんが来てくれて、待つ間暇にならずに済んでよかったわ」
店主は一年に一度来ると言っていたが、その前にこの教会に立ち寄っていたのか。だとしたらますます二階に上がる必要があるな。
紅茶を飲み干すと、「お茶を入れましょうね」と老婆がポットを手に俺のカップに紅茶を注ごうとしたとき、ずるりと老婆の足がすべってひっくり返る。カップを投げ出し、老婆の頭が地面にぶつからないよう背中を捕まえた。老婆の手から離れたポットが一回転して中身をこぼしながら窓の外へ飛んで行った。幸い老婆が頭を打つ前に抱きかかえることができ、怪我をせずにすんだものの、紅茶のひどい匂いはまだ残っていた。
「ばあちゃん、足元気を付けなよ。自分が落としたパンくずで転んじゃあシャレにならないぞ」
「あら、お茶がもったいない。でも変ねぇ。昨日はここに来ていないはずなのに」
老婆の足元を滑らせた犯人である一口サイズのパンくずを拾ってみると、表面に黒い汚れがこびりついていた。落としたものにしてはひどく汚れているな。老婆が割れたポットの破片を片付けている間に、梯子を使ってエメラダ夫人が使っていた二階に上がってみる。
二階は古びてはいるが教会の荘厳な雰囲気の破片を感じていた一階とは異なり、机と鏡が一枚だけとひどく殺風景だ。机の上には同じく埃が積もっていたが、一階に落ちていたパンくずの欠片がここにも落ちていた。
そして机の奥にある窓を開けてみると、広い海が広がっていた。どうやらこっち側は海側らしい。わざわざ机を窓側に向けていたからには、エメラダ夫人はここで何か大事なものがあったと思ったが、静かな波の音が聞こえるぐらいだ。下を覗いても持ち手が壊れた荷車と教会と墓地をぐるりと囲う石壁が広がっており、遠くにはリバプールの港に建てられた灯台と、薄霧の向こうに島のような影がうっすらと見えた。
「お兄さん、二階に上がったの? 何かあります?」
「海と島が見えるな」
「そうなの。海がきれいに見える日はアイルランドの島がよく見えるの。たぶんあの人アイルランドに思い入れがあるのね」
それだけなのかもな、と諦めて窓を閉めようとしたとき手の甲に雨粒が落ちてきた。
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