犯行時間30秒の車内

第1話 リバプール行き急行6号車のコンパートメント車

 ユーリが珍しく怒っている。

 いつも酒を飲み、アイルランド訛りのとぼけた口調で話すからこいつが怒っているのか分かりずらいのだが、子供が駄々をこねるように頬が赤くなるまで膨らませてる。間違いなく怒っている。


「なにふくれているんだ」

「一等車で優雅な鉄道の旅をしたかったのに、勝手にチケットを売るだなんてぇ。信じられないよぉ」

「旅行じゃないんだぞ。せっかくただでもらったチケットも転売して、安い汽車にすれば持ち金が増えるんだぞ」

「えーっ、もったいないよぉ。急行なんてドケチなジョーンズだと絶対に乗ることないですしぃ、ビューンと早い列車の旅を飲みながら味わえるんですよ。ただより安いものはないってぇ言うじゃないですかぁ」

「タダなものは、骨の髄までしゃぶれ。ただで手に入れたものはおいしいところを余さずもらう。これ俺が今決めたことわざ」


 この間の絞首台の一件で収入がパーになってしまった矢先、泊っている宿の大家から受け取った手紙に大型依頼が舞い込んだ。手紙の主によると。

『ロンドン一の墓荒らしジョーンズ様。

 大切にしていた私の愛人が急死して、それが誰の墓標かわからない共同墓地に入れられているのがあまりにも不憫で、せめて自分の愛の証として墓は立派なものを送りたいから遺体を移し替えしてほしい。なにより妻に秘密で交際していたということで見つからないように注意してくれ。できれば少人数、二人。片方は女を頼む。

                          グレンザ・G・エドガー』


 墓荒らしは死体を売るのを生業にしているが、こういう秘密裏の死体の掘り返しも受け付けてはいる。だがロンドンではなくリバプールという遠距離からの依頼は初めてだ。遠くだと宿屋代がかかったりグループの監督がおざなりになるので、ロンドン郊外あたりしかやっていないのだが、手持ちの金を少しでも入れておきたいがため今回の依頼を引き受けた。

 そして依頼書に同封されていた汽車のチケットを売った。もちろん金を増やすためだ。旅の楽しみだのなんざ腹の足しにはならない、どうせ汽車なんて着けば同じだろ。


 リバプール行きの汽車が発車する大きな駅に着いた。駅にはシルクハットを被ったジェントリから顔が浅黒く焼けた農民まで様々な身分の人間が行き来している。まるで英国の腹の中のようにごちゃごちゃだ。

 券売所は何列もの行列ができており、駅の中なのに汽車の姿は見えないが煙突から伸びる白煙だけはしっかりと見えていた。行列がようやく進み券売所の窓口にリバプール行きの急行の三等車を二人分注文したが、駅員は首を横に振った。


「急行に三等車はないよ。三等車に乗るなら次の列車を待たないと」

「三等車がないだと。同じ汽車だろ」

「えー、急行のこと知らずにチケット転売したんですかぁ?」


 ユーリが口に手を当ててあきれ果てた声を出した。仕方ないだろ。生まれてこのかた、ロンドンから出ることはなかったし、汽車なんて人生初だ。

 しかし呆れていたのは駅員の方も同じで、重い溜息を吐いた。


「知らないで汽車に乗ろうとしていたのか。あのね、急行は特別なんだ。引いているのは一等車か二等車しかない。最も二等車までに乗れるのは金がある客だけだが」

「じゃあ三等車がある汽車は次はいつなんだ?」

「あと一時間後。だがリバプールまでは急行の倍近くは時間はかかるね。線路の状態が悪かったら翌日までかかるかも」


 倍近く!? まずい、手紙が来た翌日中に指定した列車に乗るようにと書いてあったから、同じ急行の三等車に乗る前提で時間を合わせたのに。一日も遅れたら依頼を却下されて大損になるじゃねえか。あーくそ、こんなことだったらチケット売るんじゃなかった。


「ほーらねぇ。下手な欲をかくから無駄な金を使う羽目になったじゃないですかぁ」

「うるせえな。二等車は空いているのかよ」

「ええ、そちらでしたら約四時間後にリバプールに到着しますよ」

「じゃあそれを二枚!」


 ドンっとなけなしのギニー硬貨を窓口に投げつけるように叩きつけた。中にいる駅員は粛々と硬貨を手に取り、お返しと言わんばかりに二枚のチケットを台に滑らせて渡してきた。


 駅のホームでは急行列車を率いる蒸気機関車が足元からもうもうと白煙を噴き上げていた。駅のポーターが先頭にある一等車の客の荷物を、最後尾の貨物車までせわしなく運びこんでいるのを抜けながら、六両目にある二等車へと乗り込んだ。

 外から見た時は一つの車両の中に何人もの乗客が乗っているかと思っていたが、中は扉ごとに独立したコンパートメント個室になっていて、両端に木製の長椅子が設置されている。

 俺たちが買ったコンパートメントにはすでに先客が窓に近い外側の席に陣取っていた。先客は鼠色のハンチング帽を深くかぶってぐうぐうと寝息を立てて眠っており、俺たちが来たことに気づいていないようだ。


「ふふん。私、外の側の席ぃ」

「興奮しすぎて隣の奴を起こすなよ。最近トラブル続きなんだ」

「むぅ。なんですか私がトラブルメーカーみたいじゃぁないですかぁ」


 ブーブーと子供のように腕を振って抗議する。

 みたいじゃなくて、みなされているんだがな。


 天から降ってきた依頼に俺は乗り気であったが、ジェームズら部下たちが真っ先に反対した。曰く、「しばらくロンドンを空ければ、ボスの不在で統制が利かない」曰く「相方に唯一の女のユーリを連れこいなんて、ここ最近危ないことに巻き込まれる時にはユーリがいる。不吉だやめとけ」などと反対多数を占めていた。

 俺が不在で統制が取れなくなることはともかく、ユーリが不吉というのは気に食わないというのは看過できない暴言だ。しかし傍から見ればゾンビ事件に死刑囚事件と今まで喧嘩はあっても、事件に巻き込まれることなどなかったことだ。しかもどれも奇妙な事件であることか、リーダーの俺に向けるのはチームの不和になるため、不安の矛先を新人のユーリに向けたのだろう。


 しかし『腕前を見込んでと前金の十ポンドの小切手と指定の駅で乗れる一等車の切符を二枚添えておきます』と手紙の続きを告げて換金してきたポンド硬貨を分け与えるとと、全員への字の口がさかさまにして、にっこりと俺たちを送り出した。ここのところ副業もうまくいってないようで、まったく現金な奴らだぜ。

 とにかく今回は何事も――もちろん喧嘩の類も――なく依頼を完了させなければならない。ユーリが不吉を運ぶなんて馬鹿らしい。リパプールまでの四時間、特にやることもないため目の前の先客と同じく何もせず、ゆっくり寝ようとしたときほかの乗客が乗り込んできた。


 乗客はシルクハットに襟を立てた長いコートを悠然と着た明らかにジェントリ紳士の雰囲気を漂わせていた。紳士の男は、最初俺たちが座っている席を一瞥した。遠くへ行くから二人とも服装はできるだけ身ぎれいなものを選んだのだが、紳士から見れば大して変わらない薄汚れた服に見えるのだろう。

 しかし紳士の目には汚らしいものや侮蔑を含んだものはなく、木製の大きな手提げ鞄を床に置いて腰かけた。次に紳士は、ユーリに話しかけだした。


「お嬢さん、次の停車駅に着いたら席を代わってくれないかね」

「今代わってもいいですよぉ」

「いや、次で結構だよ。お嬢さんは汽車が好きかい?」

「んー、旅で乗る汽車は大好きだよ」

「そうかい。ならじっくり車窓の景色を楽しんでくれ」


 この紳士が何かユーリにいちゃもんをつけてもめごとを起こすかと、懐に忍ばせていた刃物を取り出しかけていたが、何も起こさなかったから肝を冷やしたぜ。


 ガチャリと駅員が客車のドアを閉めてカギをかけると、列車ががくりと大きく揺れて動き始めた。

 窓の外を見ると、最初は駅の中で歩いている人よりも遅い速度で走っていた。汽車とはこんなトロいものなのか。だが、徐々に速度が上がり、人の歩く速度を超え、駅を出る頃には馬よりも速くなっていた。


「ご兄妹でご旅行ですか?」


 紳士が今度は俺に話しかけてきた。なんで俺にと思ったが、ここで無視したら相手の機嫌を損ねるだろうから答えてやった。


「兄妹じゃねえです」

「おや、これは失敬。年も近いですし、ずいぶん仲が良さそうに見えましたから」


 微笑みながら被っていたシルクハットを取り頭を下げた。普通のジェントリなら俺たちのように人間に謝るなんてしないのに、こんなに腰の低い人間は初めて見た。


「あんたのような人なら一等車に乗るものだと思うんだがな」

「私は二等車の方が好きなんですよ。力強い機関車に率いられて、同じ客車の中で様々な身分の人が同じ空間を共有する。それが汽車の味わいです。ただ、さすがに無蓋車を繋いだだけの三等車には乗る勇気はありませんが」


 無蓋? 聞きなれない単語に首を捻った。


「ジョーンズほらあれが三等車ですよ」


 ユーリの座っている窓側に身を寄せてると、反対側の線路で走っている汽車の後ろに屋根もない貨車が引かれていた。しかしよく見ると貨車の上に何十人ものの人間が狭苦しそうに詰め込まれて、それが客車であるとようやくわかった。

 うへぇ、あれじゃあトロッコに乗っているのと変わらねえ。しかも走ってる汽車から来る風をモロに受けるじゃねえか。三等車があんなものだと知ってたら、なおさら一等車の切符を売るんじゃなかったぜ。

 先に戻ったちょうどその時、汽車の速度が急に遅くなった。


「もうリパプールか?」

「いえ、途中の停車駅ですよ。ここからリパプールまでノンストップで走りますから、ここの駅にある給水塔で汽車のタンクをいっぱいにするまで、十四時三〇分まで停車するんです。それまで駅でティータイムしたり、切符を切ってもらうんですよ」

「切るって」

「真っ二つじゃあぁないですよ。少しだけ切り込みを入れるだけです」


 いつもは穴掘りの技術や墓荒らしの常識を教えている立場なのに、今回は汽車の知識が多いユーリに指摘されっぱなしで調子が狂うな。


 汽車が途中駅に到着するや否や紳士が「すみません。ちょっと外に出させてくれませんか」いそいそと立ち上がって、片手に小さな木の鞄を下げて外に出て行った。

 窓を開けて駅をのぞいてみると、あの紳士の言うようにほかの乗客たちも狭い客車から降りて売店でティータイムを楽しんだり、自分たちが乗っていた汽車を眺めていたりと一服していた。


「ジョーンズ。お腹空いた。お昼買いに行こぉ」

「もったいないからやだ」

「むぅ。お昼ご飯ぐらい問題ないでしょぉ。無駄にけちんぼなんだから。みんなにチケット転売して失敗したって広めてやるよぉ」


 ええい。人の弱いところを次々と。今日のこいつはマウントを取ってきやがる。荷物は仕事道具しか持ってきていないが、大したものでもないし、もう一人の乗車も眠ったままだから置いておいてもいいだろう。


「酒は買うなよ」

「えー」

「えー、じゃない。前金の金はほとんどないし、お前が酒なんか買ったら成功報酬も全部パーだ」

 




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